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ことばで織りあげる日常―壇密・小橋めぐみ・夏生さえり―

推薦文 :和田 渡 (阪南大学 名誉教授)

 壇密の『どうしよう』(マガジンハウス、2016年)は、日常生活や心境をつづったエッセイである。タイトルが面白い。編集者との最初の打ち合わせのなかで出てきたということばが、そのまま用いられている。「あとがき」は、こう始まる。「『日常って、困ったことだらけですよね。それでもみんな何とか毎日過ごしてるんですよね。それって、不思議……』」(213頁)。終わりの方でこう述べられる。「生きていること、朝が来て夜が来ること、困っても何とか過ごせていること……これらも当たり前のことだと思っていたが、どうも違うようだ。『意識しないことが』当たり前なだけだったのだ。その証拠に、当たり前の日常の中に潜む『どうしよう、困った』を私なりに掘り下げると本になるくらいの『何か』がわき出てきているではないか」(214頁)。壇密という女性には、この世にいて、この世にいないような独特な雰囲気がある。あるいは、異界からこの世での自分や他人のふるまいをじっと覗きこんでいるような気配がたちこめていて、その視線がこのエッセイを支えている。「どうしよう」というつぶやきは、忙しく、あわただしく過ぎる日常から距離をとって、当たり前のように過ぎていた出来事に目を向けて意識するときに生まれるとまどいの表現だ。生活のなかに巻きこまれて忙しく暮らしていると、生きていることも、日の移ろいも自明のことにしか思えないが、あらためて注意してみると、そこにはただならぬことがおきているように見えてくる。その奇蹟のような日常の不可思議さが気になりだすと、どうしたらいいのかわからず、思わず「どうしよう」とためらってしまうのだ。壇密は、自分の意識の仕方にも、他人との関わりのなかにも、しばしば違和感を覚えて、「どうしよう、困った」という心の風景を描いている。その種のとまどいを意識するひとでなければ書けないのが『どうしよう』である。




 本書は、「松風」「竹河」「紅梅」の3部構成で、全部で50のエッセイがおさめられている。「松風」のなかの「いつもの壇密」から、「どうしよう、困った」という彼女の心理が透けて見える箇所を引用してみよう。「世間もTVも、最初にタレントが持っていたイメージを少しでも変えようとすると、大変怒る。分かりにくくなるからだろう。『それで売れたくせに手のひらを返さないで』と言われた。(中略)加齢に伴い、時代と立場に合った思想を持つことが自分に許されないと知った時は驚いた。娯楽を提供することが本分であるのに、どう転んでも怒りの感情を持たれるこの仕事は凄いな、と」(39頁)。このエッセイの終わりはこんな調子だ。「私の長所は『コツコツ続けられる』こと。加えて性根は大変悪い。押し付けられると心の中で唾を吐くようなコツコツ型の年増女は、『いつものやつお願いします』を否定も肯定もせず知らんぷりすることを、今日も『コツコツ』続けている」(40頁)。困った状況に対する壇密流の戦略がちらりと見える文章である。
 「竹河」のなかの「空気の読めない女」では、困った日常をくぐりぬけて到達した壇密の覚悟のせりふが発せられている。「『特別ぶるな』と言われるかもしれないが、この世界に住む多くの人は、裸の写真を雑誌に掲載しないし、会ったこともない人にはげしく嫌われたり好かれたりもしないだろう。少なくとも私にとって『特別』とは、『特別に選ばれたから優遇される者』ではない。『特別に選ばれたから、普段は世間の邪魔にならないよう生きる者』なのだ」(81頁)。このことは、彼女の謙虚さと同時に自己防衛能力の高さを示している。壇密が自分の仕事や日常を意識する視線には、他人の好奇心にさらされて生きながらも、それに抵抗し、それを跳ね返すだけの力が感じられる。公私の区別を明確にすること、一見あたりまえのようで、これほどむずかしいこともないが、壇密は、この点につねに自覚的である。
 「紅梅」のなかの「決めつけられて」には、自分や他人を短絡的に決めつけてしまいやすいひとたちの傾向に困惑したあとの、壇密流の「切り返し」の方策が皮肉たっぷりに述べられている。「決めつけられて心がカサついたときは、『~だったから、私は~だとばかり思っていた。でもそういう傾向も、あるかも』と軽めの決めつけで返してみると、言ってきた方との関係にヒビが入りにくいのではないかと。『あるかも』の緩和力は想像以上、カサつきに効く。ああ、これもまた『決めつけ』だ」(196頁)。
 芸能界で「どうしよう」の連続に翻弄されながらも、知略をこらして生きぬいていく壇密流の処世術は、芸能界と直接の縁のないひとにも参考になる。そこには、巧みさやしたたかさをこえて、ある種の内省的な浄化へといたった気配さえ感じられる。

 小橋めぐみの『恋読 本に恋した2年9ヶ月』(角川書店、2015年)は、本が好きな女優の読書日記である。本好きになった理由は、「まえがき」に詳しい。「4歳になった頃だったと思います。『あめふり』という絵本を毎晩母に読んでもらっていました。/お話をソラで覚えてしまってからでも、飽きることなく、毎日毎日同じ絵本を母のところに持って行っては、『読んで』と、せがんでいました。母は読むスピードや声色を変えたりしながら、読み続けてくれました」(2頁)。小橋は、成人して、自分の側につねに本を置くようになった。「読む時間がないと分かっていても、カバンにしのばせてしまうし、読む本を忘れて出かけると、まるでお守りを持つのを忘れたような気がして、落ち着かない」(同頁)。普通の若者にとってスマホがそうであるように、小橋にとっては本が一種のフェティッシュ(呪物)である。小橋は、本を読む幸福をこう表現している。「足りない経験を埋めてくれたり、全然埋めてくれなかったり。本を読んだからって偉くはならないけれど。何かいいことがあるって信じているし、実際、本が好きだからこそ出会えた素敵な人たちや、本を読んでいたから救われたことも、たくさんありました」(3頁)。
 本書は、「2012年 本の神様はきっといる。」「2013年 東京⇔京都」「恋読の日常風景」、「特別インタビュー 『読書熱の原点』聞き手・豊崎由美」「2014年 食べて、祈って、読んで、読んで。」「2015年 明日、続きを読もう。」からなっている。巻末に、2012年6月から2015年3月までの読書リストが載っており、90冊以上の本が紹介されている。
 小橋は、ハワイでジョージ・ソーンダーズのSF小説『短くて恐ろしいフィルの時代』を読み、『この国は大きいのだから、私たちだって大きな心を持つべきです』という一文に出合う。それに続いて、本によってつくられる経験の一面がこう語られている。「ふと、目線を上げると、ハワイの太陽と澄み切った空。生命力溢れるヤシの木が風に揺れていた。自然はこんなにも美しいのだから、私の心も美しくあるべきだ、と唐突に思う。小説の一文が、現実に飛び出し、周りをぐるっとして、自分に還ってくる」(19頁)。
 小橋は、小田雅久仁の『本にだって雄と雌があります』を「本好きの人を祝福するかのような小説」(58頁)と評して、こう述べる。「読み終えて、そのまま抱きしめて眠る。羽が生えて、飛んでいきそうで。/本にだって、命がある。/祈りが込められている。/そう、『本を読む』という行為は、命を頂くことなのかもしれない」(58頁)。本を肉感的ともいえる独特な感性で受けとめている。ひとは水や食べ物を摂取して生きるだけでなく、活字を血とも肉ともして生きていく存在であると思い知らされる。「ひとはパンのみにて生きるにあらず。神の口より出ずるひとつひとつのことばによって生きる」というマタイ福音書の一節を思い出してもよいだろう。信仰をもたない者にとっても、正しく発せられたことば、正しく書かれた文字は心の栄養となり、目には見えない心の筋肉を鍛えるのだ。
 スマホの便利さに慣れてしまうと、思考が空っぽになってしまうのではないかと不安を覚える小橋は、保坂和志の『考える練習』を読んで刺激を受け、キーセンテンスを引用している。「『人生は便利と効率と速さよかっていう。人生っていうのは成長と深みだろう』」(89頁)。「『あんまり気づかないけど、文学を読むってやっぱり大変なことなんだよ。大変だからみんな簡単なものしか読まないわけで』」(90頁)。ひとの生涯は、量と質で決まる。量を決めるのは自然であり、質を良くしたり、悪くしたりするのは思考と意志である。便利なものばかり追い求め、手間隙のかかることを避けていると、人生がゆっくりと熟して成長につながる時間は生きられない。軽いものしか読まず、記憶に残る経験がとぼしいと、心の質は悪化する一方なのだ。
 ポール・オースターの『ムーン・パレス』を読み終えて、小橋は一文を書き写す。「『答えはすでに僕の歩みのなかで形成されていた。僕はただ歩きつづければよいのだ』」(203頁)。小橋は、この文を自分流につぎのように書きなおしてみる。「歩きながら過去を捨て、歩きながら新しい自分が形成される。/立ち止まって本を読み、そしてまた歩こう。世界の果てまで、歩き続けよう。/世界の果てに辿り着いたら、どさっと座って、一番大切な本を、読むのだ」(204頁)。
 ここにいたって本は、われわれを劇的に変えてくれる恋愛対象から、生涯を通じて支えてくれる穏やかなパートナーへと変貌する。小橋の感性を共有することで、われわれも幸福な読者になる鍵を手にすることができるだろう。

 夏生さえリ『今日は、自分を甘やかす いつもの毎日をちょっと愛せるようになる48のコツ』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2017年)は、毎日がんばりすぎて疲れているひと、職場の人間関係に消耗したり、日常的にストレスにさらされて生きづらさを感じているひとに向けられたメッセージを集めたものである。いずれのメッセージも、すっと読み手の心に届くような、優しいことばでつづられている。自分とのつきあいかたのヒントが得られる。
 本書は、「はじめに 十分がんばっているあなたへ」「Chapter 1 どうにもダメな日は、だれにだってやってくる」「Chapter 2 自分をゆるめる 思い込みからときはなつ」「Chapter 3 たのしいことからはじめていいんだ ほがらかに生きていいんだ」「Chapter 4 自分にやさしく、人にやさしく」「Chapter 5 愛すべき日常における小さなしあわせの見つけ方」からなっている。
 プロローグにこの本の中心的なメッセージが書かれている。精神を病み、自分を奮い立たせすぎて落ちこみ、バランスを失って苦しんだ過去を踏まえての一文だ。「緊張して、毎日『もっとがんばらないと』と気張っていたときよりも『ゆるい気持ち』で自分らしく暮らしているときのほうが、自分自身もしあわせだし、そしてそのしあわせでいられる『余裕』が、人にもしあわせを届けているのでは……?」(7頁)。理想のキーワードは、「ゆるく生きる」である。現実には、ゆるく生きることはむずかしい。過剰なまでのノルマをこなし、スケジュールに合わせなければならない多忙な生活のなかでは、「先へと急ぐこと」が求められる。夏生は、ツイッターで自分のもとに届く声から、頑張りすぎ、緊張しすぎて体をこわすひとの多さに心を痛め、こうエールを贈っている。「がんばりすぎなみんなへ。そんなに気張るな。ゆっくり休んでほがらかに生きよう。きっとそれがしあわせを連れてきてくれる」(9頁)。
 ゆるく生きることができるためには、自分の日常や、自分の姿を見つめることが大切だ。しかし、自分ほどわかりにくいものはない。夏生はこう述べている。「昔から『自分の思い』というのはとても曖昧な存在だと思っている。/『自分の中にあるものだから、自分はよくわかっている』と思ってしまいがちだけれど、友人と話しているうちに自分の悩みがはっきりとわかり、考えが整理されることがよくあるように、自分の思いでさえ、自分一人ではよくわからないものではないか?」(36頁)。そこで、夏生は自分の思いを紙に書いてみることを勧める。白紙の紙に書いた文字は、自分のよくわからない心の動きを映す。心は絶えず動いているが、書かれた文字は動かず、何度でも読み直すことができる。それを通じて、自分が何を思っていたのかが見えてくる。書くことは、自分を知ることにつながるし、心の整理にもなる。「元気がないとき、つらいとき、モヤモヤするときは、その気持ちを思いっきり紙に書き出す。これだけで心が整理される」(39頁)。
 第2章の「時間はまるで飴細工」には、面白い時間のとらえ方が見られる。時計の時間と違って、心の時間は気持ち次第で、間延びしたり、瞬時に過ぎたりする。「もし『時間』を速く感じたり遅く感じたりすることがあるなら、自分で時間を速く感じさせたり遅く感じさせたりすることもできるんじゃないかと思う」(46頁)。夏生は、時間を「やさしい」時間や「つらい」時間にすることもできるのではないかとも考えている(46頁参照)。時計を見て「時間がない、時間がない」と口にするときのように、時間はわれわれの外部にある客観的な指標ではなく、自分が生きている出来事そのもののうちに存在すると見なされている。時計の時間はだれにとっても共通だが、出来事としての時間にはそれぞれのひとの固有な資質がかかわっている。夏生の用いる形容詞を借りれば、ひとは自分に固有な時間を「やわらかい」ものにすることも、「かたい」ものにすることもできる(46~47頁参照)。「自分の心の持ちようで時間はやわらかくなり形を変えるということをわかっているだけで、毎日の生活は変わるんじゃないか、と思うのだ」(48頁)。自分の生活上の工夫と、自分の時間を自分でつくるという態度とが結びつけられていて興味深い。
 本書には、日々の生活のなかでつまずいたり、落ちこんで立ちあがれないといったひと達へのあたたかいメッセージがつまっている。心の乾いたひとにとっては、オアシスのような本でもある。自分ともうひとりの自分との関係、他人との関係、生きることの時間などについて考える参考にしてほしい。

人物紹介

壇蜜 (だん-みつ)

1980年秋田県生まれ、東京育ち。昭和女子大卒業後、調理師免許を取得。その後、さまざまな職種を経験し、2010年、29歳の時にグラビアアイドルとしてデビュー。独特の存在感でメディアを賑わせ、2013年には映画『甘い鞭』で日本アカデミー賞新人賞を受賞。新聞・雑誌などで幅広い執筆活動も。著書に『はじしらず』『壇蜜日記』などがある。本名・斎藤支靜加―本書より

小橋めぐみ(こばし-めぐみ)

1979年、東京都生まれ。女優。映画、テレビ、舞台などで活躍。代表作に、映画『踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望』『遺体 明日への十日間』、TBS系月曜ゴールデン「狩矢警部シリーズ」、NHKドラマ10「サイレント・プア」、NHK土曜ドラマ「ダークスーツ」など。無類の本好きとしても知られ、NHK BSプレミアム「週刊ブックレビュー」「本の神様」への出演や、新聞・女性誌などに書評を寄せるなど、近年は読書家として新たなフィールドでも活躍中。―本書より

夏生さえり (なつお-さえり)

山口県生まれ。フリーライター。大学卒業後、出版社に入社。その後はWeb編集者として勤務し、2016年4月に独立。Twitterは月に1500万以上の閲覧数があり、フォロワーは合計で13万人を越える。「妄想ツイート」をはじめとして多くの女性の共感を呼んでいる。難しいことをやわらかくすること、人の心の動きを描きだすこと、何気ない日常にストーリーを生み出すことが得意。好きなものは、雨とやわらかい言葉とあたたかな紅茶。2017年5月PHP研究所より『今年の春は、とびきり素敵な春にするってさっき決めた』が刊行。―本書より

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