次に「庭」という詩を見てみよう。
千年万年の年月も
あの永遠の一瞬を
語るには
短すぎる
きみはぼくにくちづけした
ぼくはきみにくちづけした
あの朝 冬の光のなか
パリのモンスリ公園
パリは
地球の上
地球は一つの惑星。(95頁)
公園でのくちづけというパリではありふれた日常のひとコマ、恋に酔う「ぼく」の意識はカメラとなってどんどんと時空のかなたに引いていき、宇宙的で、神秘的なスケールをおびる。その速度のめまぐるしさに、われわれ読者は酔い、それが「ぼく」の陶酔と重なる。このうえなく美しく、鮮烈な詩だ。
おしまいは、「戦争」というタイトルのついた詩だ。
きみら木を伐る
ばかものどもめ
きみら木を伐る
若木をすっかり古斧で
かすめ盗る
きみら木を伐る
ばかものどもめ
きみら木を伐る
ふるい木と ふるい根っこと
ふるい義歯は
とっておく
きみらレッテルを貼る
やれ善の樹だ やれ悪の樹だ
勝利の樹だとか
自由の樹だとか
荒れた森はおいぼれた木の臭いでいっぱい
鳥はとび去り
きみらそこに残って軍歌だ
きみらそこに残って
ばかものどもめ
軍歌だ 分列行進だ。
この詩は、フランソワ・オゾンの新作「婚約者の友人」の、息子を第一次大戦で戦死させた老父のせりふを連想させる。「若者たちの愛国心をあおって戦場に送り出し、敵国の若者たちを殺させ、それを肴に祝杯をあげる、それがわしら老人たちのしてきたことだ」。若木を伐り倒し、森を荒廃させるのは、つねに愚かしい権力者である。ひとを木にたとえることで、プレヴェールは権力者への激しい怒りをたぎらせる。
プレヴェールの詩を読んで、その生涯に興味をいだいたひとには、柏倉康夫の『思い出しておくれ、幸せだった日々を 評伝ジャック・プレヴェール』(左右社、2011年)をすすめたい。帯には、「シャンソン『枯葉』、映画『天井桟敷の人びと』の詩人をいま再び甦らせ、20世紀のパリそのものをピカソやヘミングウェイらとともに描く傑作評伝!」とある。けっして誇張ではない。実に丹念に数々の資料を読みこんで、時間をかけて仕上げた力作である。本書のタイトルは、「枯葉」のなかの一節である。
ドイツ占領下のフランスで、『天井桟敷の人びと』が完成されるまでのスリリングなプロセスは、特に興味深い。この映画史上燦然と輝く名作を、機会をみつけて、ぜひ観てほしい。柏倉は、批評家G.サドゥールの文章を紹介している。「マルセル・カルネの傑作であり、ジャック・プレヴェールの傑作である。彼らはそれぞれの業と能力を自家薬籠中のものにしており、三時間を超える映画でもって、一般的には小説家の専売特許とされる複雑さでもって、さまざまな人物と状況を描き出すことに成功した。(中略)ひとことで言うなら芸術と人生の壮大にしてデリケートなからみが、この映画の魅力を生み出している。それが抽象的なテーマとしてではなく、肉体的なアクションとして、生き生きと表現されている」(425頁)。
本書には、ルイ・アラゴン、ジャン・ギャバン、アルベルト・ジャコメッティ、アンドレ・ジッド、アーネスト・ヘミングウェイといった多彩な人物が登場する。プレヴェールの生涯を、彼が生きた動乱の時代やひとびととのつながりを通して活写した本評伝は、読者のわれわれをもその時代に連れていってくれる。
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