蔵書検索(OPAC)
HOME > 資料案内 > 新しく入った本 > おすすめの一冊
新着資料 ベストセラー 学生の購入リクエスト
映画・ドラマの原作 テーマ図書 おすすめの一冊
おすすめの一冊 本学の教員や図書館員のおすすめの本を紹介します。
 

前の本へ

次の本へ
愛と戦争を歌う詩人―ジャック・プレヴェール―

推薦文 :和田 渡 (阪南大学 名誉教授)

 哲学や音楽なしに、喜びや愛なしに生きることはできるが、それはよく生きることではないだろうと述べたのは、愛と死について多くのことを語った哲学者ジャンケレヴィッチである。哲学と音楽、喜びと愛のほかに、もうひとつ詩を加えてもよいだろう。
 生活に追われて、毎日忙しく生きていると、ひとりでじっくりと詩を読む時間など生まれてこない。しかし、せわしなく過ぎる生活のなかでも、ほんのしばらくでも詩とつきあう時間を生きることができれば、生活のリズムがそれまでとは違ったものになるだろう。よい映画を観る前と観た後ではひとが変わるように、よい詩にもひとを精神的に変える力がある。よい詩はひとを立ち止まらせ、よく生きることへの扉を開くのだ。
 今回は、フランスのみならず、世界中で愛されたひとりの詩人の詩を紹介しよう。

 ジャック・プレヴェールの『プレヴェール詩集』(小笠原豊樹訳、岩波文庫、2017年)は、平易なことばで生きものたちの愛や喜び、生と死、戦争や暴力の苦しみ、痛みを歌った詩を集めたものである。どの詩も読むたびに新鮮な驚きを呼びおこす。日常の世界の断面が、詩の言葉によってあざやかに切りとられている。「ほれた弱味―プレヴェールと僕」と題する谷川俊太郎の小論が再録されている。谷川は、「追白」のなかで、「あまりにもいい人たちとわるいやつら、いいこととわるいこと、この世のすばらしさを知りすぎているプレヴェール!」(293頁)と述べている。




 ジャック・プレヴェール(1900~1977)は、パリ郊外の小さな町に生まれた。家が貧しかったため、15歳で働き始め、いくつも仕事を転々とした。1920年に徴兵適齢期に達して軍隊生活に入るが、そのなかで、後にシュルレアリストの画家になるイヴ・タンギーや、映画や芸術に造詣の深いマルセル・デュアメルと親しくなり、友情は長く続いた。
 1932年に、ジャックは弟のピエールと最初の長編映画「仕事は上々」を製作発表した。1936年頃からは、映画監督のマルセル・カルネとの共同作業が始まり、「霧の波止場」(1983),「悪魔が夜来る」(1942)、「天井桟敷の人々」(1943-44)などの名作が生まれた。プレヴェールは、生涯に55本の映画制作にかかわった。
 プレヴェールが映画の仕事の合間に書いていたおびただしい詩は、1943年、ドイツ軍占領下のランス市で、リセの哲学教師によってガリ版刷りで200部非合法出版された。2年後、パリ解放直後にガリマール社から出版された詩集『ことば』は、数週間で15万部を売りあげ、その後も版を重ねている。1980年代の詩集の編者は、プレヴェールを「生き生きとした光り輝く実在」と形容し、その「鳴り響くユーモア、熱烈なやさしさ、燃えさかる怒り」を讃えている(282頁参照)。プレヴェールは、『ことば』から、『ものとその他のもの』までで6冊の詩集を世に送った。

 次にあげる「葬式に行くカタツムリの唄」というタイトルの詩は、移りゆく季節に包まれて生きとし生けるものへの讃歌である。カタツムリも、葉っぱも、けだものたちも、樹木も植物も、生きていることの喜びを歌っている。太陽も、月も、寄り添ってほほえんでいる。生きものたちの歓喜に満ちた、ユーモラスな世界だ。


     死んだ葉っぱの葬式に
     二匹のカタツムリが出かける
     黒い殻をかぶり
     角には喪章を巻いて
     くらがりのなかへ出かける
     とてもきれいな秋の夕方
     けれども残念 着いたときは
     もう春だ
     死んでいた葉っぱは
     みんなよみがえる
     二匹のカタツムリは
     ひどくがっかり
     でもそのときおひさまが
     カタツムリたちに話しかける
     どうぞ どうぞ
     おすわりなさい
     よろしかったら
     ビールをお飲みなさい
     お気が向いたら
     パリ行きの観光バスにお乗りなさい
     出発は今夜です
     ほうぼう見物できますよ
     でもわるいことは言わないから
     喪服だけはお脱ぎなさい
     喪服は白目を黒ずませるし
     故人の思い出を
     汚します
     それは悲しいこと 美しくないこと
     色ものに着替えなさい
     いのちの色に
     するとあらゆるけだものたちが
     樹木たちが 植物たちが
     いっせいに歌い出す
     声を限りに歌い出す
     ほんものの生きてる唄を
     夏の唄を
     そしてみんなはお酒を飲み
     そしてみんなは乾杯し
     とてもきれいな夕方になる
     きれいな夏の夕方
     やがて二匹のカタツムリは
     自分の家へ帰って行く
     たいそう感激し
     たいそう幸福なきもちで帰る
     お酒をたくさん飲んだから
     足はちょっぴりふらつくが
     空の高い所では
     お月さまが見守っている。(32~35頁)


次に「庭」という詩を見てみよう。


     千年万年の年月も
     あの永遠の一瞬を
     語るには
     短すぎる
     きみはぼくにくちづけした
     ぼくはきみにくちづけした
     あの朝 冬の光のなか
     パリのモンスリ公園
     パリは
     地球の上
     地球は一つの惑星。(95頁)


 公園でのくちづけというパリではありふれた日常のひとコマ、恋に酔う「ぼく」の意識はカメラとなってどんどんと時空のかなたに引いていき、宇宙的で、神秘的なスケールをおびる。その速度のめまぐるしさに、われわれ読者は酔い、それが「ぼく」の陶酔と重なる。このうえなく美しく、鮮烈な詩だ。

  おしまいは、「戦争」というタイトルのついた詩だ。


     きみら木を伐る
     ばかものどもめ
     きみら木を伐る
     若木をすっかり古斧で
     かすめ盗る
     きみら木を伐る
     ばかものどもめ
     きみら木を伐る
     ふるい木と ふるい根っこと
     ふるい義歯は
     とっておく
     きみらレッテルを貼る
     やれ善の樹だ やれ悪の樹だ
     勝利の樹だとか
     自由の樹だとか
     荒れた森はおいぼれた木の臭いでいっぱい
     鳥はとび去り
     きみらそこに残って軍歌だ
     きみらそこに残って
     ばかものどもめ
     軍歌だ 分列行進だ。


 この詩は、フランソワ・オゾンの新作「婚約者の友人」の、息子を第一次大戦で戦死させた老父のせりふを連想させる。「若者たちの愛国心をあおって戦場に送り出し、敵国の若者たちを殺させ、それを肴に祝杯をあげる、それがわしら老人たちのしてきたことだ」。若木を伐り倒し、森を荒廃させるのは、つねに愚かしい権力者である。ひとを木にたとえることで、プレヴェールは権力者への激しい怒りをたぎらせる。

 プレヴェールの詩を読んで、その生涯に興味をいだいたひとには、柏倉康夫の『思い出しておくれ、幸せだった日々を 評伝ジャック・プレヴェール』(左右社、2011年)をすすめたい。帯には、「シャンソン『枯葉』、映画『天井桟敷の人びと』の詩人をいま再び甦らせ、20世紀のパリそのものをピカソやヘミングウェイらとともに描く傑作評伝!」とある。けっして誇張ではない。実に丹念に数々の資料を読みこんで、時間をかけて仕上げた力作である。本書のタイトルは、「枯葉」のなかの一節である。
  ドイツ占領下のフランスで、『天井桟敷の人びと』が完成されるまでのスリリングなプロセスは、特に興味深い。この映画史上燦然と輝く名作を、機会をみつけて、ぜひ観てほしい。柏倉は、批評家G.サドゥールの文章を紹介している。「マルセル・カルネの傑作であり、ジャック・プレヴェールの傑作である。彼らはそれぞれの業と能力を自家薬籠中のものにしており、三時間を超える映画でもって、一般的には小説家の専売特許とされる複雑さでもって、さまざまな人物と状況を描き出すことに成功した。(中略)ひとことで言うなら芸術と人生の壮大にしてデリケートなからみが、この映画の魅力を生み出している。それが抽象的なテーマとしてではなく、肉体的なアクションとして、生き生きと表現されている」(425頁)。
 本書には、ルイ・アラゴン、ジャン・ギャバン、アルベルト・ジャコメッティ、アンドレ・ジッド、アーネスト・ヘミングウェイといった多彩な人物が登場する。プレヴェールの生涯を、彼が生きた動乱の時代やひとびととのつながりを通して活写した本評伝は、読者のわれわれをもその時代に連れていってくれる。

人物紹介

プレヴェール・ジャック (Jacques Prévert) [1900-1977]

フランスの詩人、シナリオ作家。青年時代にシュルレアリスム運動の洗礼を受ける。1930年以降、映画・演劇・風刺詩・シャンソンなどの領域にまたがる多彩な活動を展開。戦争、宗教界、ブルジョワ社会の不正を告発し、自由・反抗・友愛を賛美する作品が多い。彼の代表作である詩集『パロール』Parolesは、1930年代から第二次大戦下にかけて各種の政治的パンフレットやリトル・マガジンに発表した作品(自由詩・散文詩・スローガン・スケッチ・自伝など)の寄せ集めである。プレヴェールは即興的に作品を書きとばすタイプであって、推敲(すいこう)型の詩人ではない。彼の文体の特徴は、言語遊戯(語呂(ごろ)合わせの多用、頭韻法など)、反復表現、枚挙法、慣用句のパロディー、映画的イメージなどの効果的使用にある。詩語や雅語を避け俗語を頻繁に使用。やさしい言葉遣いと豊かなイメージのおかげでプレヴェールの詩は大衆に親しみやすい。事実『パロール』は、45年の初版以来現在に至るまで数えきれぬほどの版を重ね、100万部以上を売り尽くしたという。なかでも「バルバラ」Barbara、「でんでん虫の歌」Chanson des escargots qui vont à l'enterrement、「私はわたし」Je suis comme je suis、「鯨とり」La Pêche à la baleineなどは、ジョゼフ・コスマの作曲でシャンソンとしても歌われている。モンタン、グレコらの愛唱する「枯葉」Les Feuilles mortesもまた、プレヴェールの作詞、コスマの作曲である。ほかに『スペクタクル』Spectacle(1951)、『雨と晴天』La Pluie et le beau temps(55)、『がらくた集』Fatras(66)などの詩集がある。シナリオ作家としては、マルセル・カルネ監督のために『霧の波止場』Quai des brumes(38上映)、『天井桟敷の人々』Les Enfants du paradis(45)、『夜の門』Les Portes de la nuit(46)などの脚本を書いた。
(松島 征)
" プレヴェール ジャック", デジタル版 集英社世界文学大事典, JapanKnowledge, http://japanknowledge.com, (参照 2017-12-18)

柏倉 康夫 (かしわくら やすお) [1939-]

1939年東京生まれ。東京大学文学部フランス文学科卒業。NHK解説主幹、京都大学大学院文学研究科教授を経て、放送大学教授副学長・附属図書館長。現在同大学名誉教授。京都大学文学博士。フランス共和国国家功労勲章シュヴァリエを叙勲。主な著書に、『マラルメ探し』『生成するマラルメ』『アンリ・カリティエ=ブレッソン伝』(以上青土社)、『パリの詩、マネとマラルメ』(筑摩書房)、『評伝梶井基次郎 視ること、それはもうなにかなのだ』『敗れし國の秋のはて 評伝堀口九萬一』『私たちはメディアとどう向き合ってきたか』(以上左右社)、訳書にS・マラルメ『賽の一振りは断じて偶然を廃することはないだろう』(行路社)、J・L・ステンメッツ『マラルメ伝』(筑摩書房、共訳)などがある。 ―本書より

ページトップへ戻る