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語りに耳傾ける―ボルヘス、アファナシエフ、羽生は語る―

推薦文 :和田 渡 (阪南大学 名誉教授)

  J.L.ボルヘスの『語るボルヘス―書物・不死性・時間ほか―』(木村榮一訳、岩波文庫、2017年)は、1978年にブエノスアイレスのベルグラーノ大学で行なわれた講演をまとめたものである。「書物」「不死性」「エマヌエル・スヴェーデンボリ」「探偵小説」「時間」と題する五つからなっている。
 ボルヘス(1899~1986)は、アルゼンチンの詩人、作家である。ブエノスアイレスの裕福な家庭に生まれ、幼少の頃から父親の影響でイギリスの文学に親しんだ。1914年に、家族とともにスペインやスイスに移り住み、1912年に帰国するまでの間、表現主義や超絶主義などの前衛的思潮に触れ、強い印象を受けた。2年後に自費出版した最初の詩集『ブエノスアイレスの熱狂』を皮切りにして、幻想的短編集や評論集、評伝などをつぎからつぎへと出版した。ボルヘスは記憶力の巨人であった。訳者は、解説のなかでつぎのように述べている。「ある伝記作家によると、ボルヘスは読書家を自負している人が一生かけて読む何倍もの本を読破し、百科事典にも目を通して正確に記憶していたとのことである」(132頁)。



 「書物」は、書物の変遷をたどる話から始まる。ボルヘスは、自分の考えはすでにシュペングラーが『西洋の没落』のなかで述べているので、その説を自分なりになぞってみたいと控えめに語り始める。古代のひとびとは、現代人のように書物を崇拝してはいなかったという説にまつわる話である。ボルヘスは、「書かれた言葉は残り、口から出た言葉は飛び去る」(12頁)というよく引用される一文を、「書かれた言葉は長く残るが、しょせんそれは死物でしかない」(同頁)と理解する。それに対して、彼は「口から出た言葉」を、プラトンの言葉を借りて、「それは羽のある、神聖なもの」(同頁)だと語っている。ピタゴラスやソクラテス、イエスもブッダも弟子たちに語りかけるのみで、書き物は残さなかった。彼らは、語りの一期一会性を重んじたのであり、耳傾ける弟子たちは、のがれゆくことばを全身全霊で受けとめた。
 ボルヘスは、書物よりも語りに重きを置く古代の傾向をひっくり返す契機となったのが、宗教的な書物の登場だと述べる。『聖書』や『コーラン』の記述は、当初から神聖な書物と見なされ、信仰をもつ者の支えとなったのである。
 「聖書は聖霊によって書かれたと言われるが、あなたは信じるか」と問われたバーナード・ショーが、「≪再読に耐える本はすべて聖霊によって書かれたのだ≫」(18頁)と答えたという。ボルヘスは、これを「一冊の本は作者の意図をはるかに超えたものになるということ」(同頁)だと理解している。
 ボルヘスは、聖なる書物に対する崇拝の念が薄れ始めるにつれて、どの国も自国を象徴する作家を選出するようになったと述べ、シェイクスピア、ゲーテ、ミゲル・デ・セルバンテス、ホセ・エルナンデスの名前をあげている。ただし、ボルヘスは、自分にとっての象徴的な作家は、サミュエル・ジョンソン(イギリス)、ロペ・デ・ベガ、ペドロ・カルデロン・デ・ラ・バルカまたはフランシスコ・ゴメス・デ・ケベード(スペイン)、ドミンゴ・ファウスティーノ・サルミエント(アルゼンチン)といった、世界的に知られているとは言えない作家たちであると述べている。
 講演の後半は、読書論と書物論だ。まずは、モンテーニュの「本は義務として読むものではなく、幸せになるために読むものだ」という見方が紹介される(24頁参照)。つぎに、「図書館は魔法の書斎」(25頁)であり、「そこには人類のもっともすぐれた精神が魔法にかけられて閉じ込められている」(同頁)から、書物をひもとけば、目を覚ました彼らと友達になることができるという、アメリカの詩人エマソンの考え方が引かれる。エマソンによれば、本の注解や批評などは読まず、彼らの語りかけることばを直接に聞きとることが大切だという(25頁参照)。
 このオリジナルのみを重視する考え方に共鳴するボルヘスは、20年間におよぶ大学の英文学講義の経験を振り返って語る。「つねづね学生に向かって、文献はあまりたくさんいらない、批評は読まなくてよろしい、直接実作に当たることが大切だと言い続けてきました。(中略)そのやり方ならつねに作者の声をじかに聞き取り、それを楽しむことができるはずです」(26頁)。
 ボルヘスがモンテーニュとエマソンの共通点と見なしているのは、「心地よいものだけを読むこと、書物は幸せをもたらすものでなければならない」(26頁)という、読書と幸福をつなげる発想である。
 「書物は消滅する」という予言に対して、ボルヘスの答えは否である。彼によれば、新聞は忘れるために、書物は記憶されるために読まれる(27~28頁参照)。「一冊の書物を手に取り、それをひもとく。その行為のうちには、芸術的行為の可能性が秘められています。(中略)書物はそれを開かない限り書物ではないのです。それをひもとくと、奇妙なことが起こります。書物はひもとくたびに変化するのです」(28頁)。ボルヘスは、「人は二度同じ川に降りていかない」(28頁)というヘラクレイトスのことばを引きつつ、われわれは川と同じように不断に移ろいつつある存在であるがゆえに、最初と2度目の読書は同じ仕方では行なわれないと言う。一回一回が異質な経験となるのだ。そのつどの新鮮な出来事を通じて、書物もひとも変身していくのである。それは、自己を創造する、一種の芸術的な行為となるのだ。
 この講演は、読書への勧誘で締めくくられる。「楽しみを見出したい、叡智に出会いたい、そう思って書物をひもといてください」(30頁)。読書は、愚かな人間に、楽しみを提供しながら、同時に賢くなる道も用意してくれるのだ。

  ヴァレリー・アファナシエフの『ピアニストは語る』(山﨑比呂志、青澤隆明訳、講談社現代新書、2016年)は、東京・目白の蕉雨園で行なわれた対話の記録である。第一部、人生、第二部、音楽の二部構成である。後者は、1 音楽と人生のハーモニー、2 私はベートーヴェン、3 演奏の神秘に分かれている。
 アファナシエフ(1947年生まれ)は、モスクワ出身のピアニストである。モスクワ音楽院でヤコブ・ザークとエミール・ギレリスに師事した。1972年にベルギーのエリザベート王妃国際音楽コンクールで優勝し、その2年後にベルギーへ亡命した。数多くのCDをリリースしているだけでなく、小説や詩、エッセイなども出版している。
 第一部の対話は、アファナシエフの生家も、ソ連からの亡命後、最初の6年間を過ごしたブリュッセルの家も解体され、過去が奪われたという話から始まる。この経験から、アファナシエフは、過去にこだわるよりも、未来をめざす生き方の方に傾く。「私はつねに自分自身を新たにし、自分の空間を拡大し、人生の射程をより遠くまで延長しようと努めています」(14頁)。「過去の自分を排除し、別の自分、つまり新たな可能性を迎え入れる。それが私のやり方です」(15頁)。
 アファナシエフがピアノの師であるギレリスから学んだもっとも大切なことは、「人生」についてだったという(72頁参照)。ピアニストとして、どう生きるかが問われたのだ。「聴くこと、耳を傾けることに集中しなければならない。逆に言えば、四六時中、鍵盤を触ってはいけない」(73頁)、それが教えの核心にあった。アファナシエフは、こう考える。「常に彼はピアノと共にありました。鍵盤に触っていないときでさえ、何らかの形でピアノを弾いていたのです。彼の言葉、彼の思考、すべてが音楽だった」(同頁)。日常の出来事を音楽とひとつにして生きるピアニストへのオマージュである。第2部で、もう一度、ギレリスの回想が語られる。「彼は音楽だけでなく、人生そのものを聴くようにと教えてくれました。いや、むしろ彼は私に、人生のなかに音楽を聴きとるように教えたのです」(187頁)。
 第一部のおわりで、アファナシエフはこう語る。「何ごとも、あるがままに受け入れる。そしてそれを自分に合うように組み替えてゆく、それが人生の正しいプロセスだと思います。あるがままに受け入れ、しかる後にその対象に対して、自分から働きかけるのです」(149頁)。
 第二部の「自分自身の音」のなかでは、自分の音をみつけるまでの経験談が興味深い。アファナシエフが音について学んだヤコブ・ザークは、「ピアニッシモは強い音であるべきだ」(216頁)と言い、ある日、アファナシエフの背中に自分の指を押しつけた。それによって、強度がなにかが理解できたという。強度とは、「ピアノとの身体的なコンタクトをもつということです。ピアノは生命組織であり、生きた実体、生物なのです。(中略)ある意味で、ピアノと握手することが必要なのです」(216頁)。アファナシエフは、のちに、ドキュメンタリー映像のなかのミケランジェリが、「鍵盤から手を離すその前に、指先で少しだけ鍵盤を押す」(同頁)のを見て、ピアノとの身体的接触の意味を理解する。アファナシエフは、それが自分でできるようになるまでに何年も要したという。ピアノの音を聴いて確かめていく孤独な訓練が自分の音の発見につながるというデリケートなプロセスが語られている。
 音を聴き、音に学ぶ経験をかさねていると、「とても小さな奇蹟のようなこと」(220頁)がおこることもあるという。それは、自分が意図的に行なうことではなく、ひとりでにおきてくることであって、注意深い努力の継続の先に、天啓のようにもたらされるものである。こうした、いわば経験がおのずと組織化される出来事は、ピアニストに特有のものではなく、だれにでもおこりうるのだろう。ただし、われわれがアファナシエフのように、自分の経験を入念に掘りさげることを続けることができればという条件がつくが・・・
 「演奏しているとき、あなたにとってピアノとはどのような存在ですか?」(229頁)という問いかけに対して、アファナシエフは「共犯者、友、幸福―あるいは不運―の道づれです」(同頁)と答えている。彼にとって、ピアノは、自分が共にことを企てる友人であり、喜びや挫折を共有する同伴者である。それだけでなく、ピアノは、演奏者の内面の動きを音によって伝えてくれる仲間でもある。羨ましい共存である。
 訳者は、「おわりに」の冒頭で、「沈黙のなか、静寂のなかにすでにある音楽を、ふと聞こえるように示すことが、音楽家の仕事なのだ」(234頁)というアファナシエフのことばを紹介している。コンサートが始まる前の沈黙のなかに、音楽はすでにある。ピアノという友人との対話のなかで練りあげられた音楽の経験は、ピアニストのこころとからだのなかで凝縮している。最初のタッチで、聞こえなかった音が聞こえ始める。演奏の現在に、奏者の過去がむすびついて音楽が出現するのだ。
 アファナシエフには、音楽に関する省察の書である『ピアニストのノート』という本も出版されている。こちらと合わせて読むことをすすめたい。

 羽生善治『将棋から学んできたこと これからの道を歩く君へ』(朝日文庫、2017年)は、2002年に行なわれた、「将棋」と題するジュニア向けの講演に加筆したものである。「棋士になるまで」「日本で将棋は面白くなった」「知識から知恵へ」「子どもたちから一問一答」の全4章からなる。将棋ファンでなくとも傾聴に値することが語られている。
 第1章は自伝である。将棋の世界でプロをめざすためには、棋士としての「骨格」が決まる10代前半が大事な時期であるという(60頁参照)。この時期に、将来活躍するための特殊な判断力や、証明困難な感覚的な働きがある程度固まってしまうかららしい(同頁参照)。大器晩成とは真逆の世界だ。
 羽生は、プロ以外の人間にもあてはまるメッセージを伝えている。勝負の世界での新しい挑戦がそのまま成功につながることはないという話に続けてこう述べている。「ただ、だからといって、いままでまったくやったことのないことや、自分が不得意にしていることをやらないとなると、だんだんと自分の世界が狭くなり、戦法が固まってきてしまいます」(74頁)。自分の殻を破る困難に挑戦しなければ、小さくこり固まって大成しないということだ。当たり前のことかもしれないが、実行しにくいことだ。
 第3章のキーワードは、「知恵」である。羽生によれば、憶えることで増える知識とことなり、知恵は定跡を鵜呑みにせず、もう一度自分で考えて身につけていくものである(116頁参照)。困難な局面で、頼りになるのは知識を昇華させて可能になる知恵なのだ(118頁参照)。知恵を深くするのは思考の力である。事柄次第では、小学生の知識が大人に勝ることもあるだろうが、自分で深く考え、判断する力は憶えるだけでは得られない。
 羽生がこの講演でもっとも強調しているのが、知恵に結実する「考えることの大切さ」である。「常に時流に敏感であるためにも、考えることや学ぶことは続けていかなくてはいけないなと思っています。(中略)年齢に関係なく、続けていかなければならない、大事にしなければならないと思っています」(128頁)。若者であれ、成人であれ、職業に関係なく、考えることを継続させることこそが欠かせないという自覚が、羽生の将棋人生を支えている。子どもや親の質問に答える第4章の最後で、七冠王になったあとの目標をたずねる小学生に、羽生は、「やはり、長く第一線で活躍するということです」(186頁)と答えている。
 安次嶺隆幸は「解説」のなかでこう述べている。「羽生さんの対局姿のビデオを観た子どもたちの眼が変わったのだ。人間が一つのことを必死に考えている姿、ただ盤面を見つめて打ち込む姿に現代っ子がその『静の世界』の凄さにただ唖然とする姿がそこにはあった」(209頁)。じっと考えこむ羽生の真剣な姿勢は、目まぐるしく変わる細切れの画像になれた子どもたちにインパクトを与えている。
 この本を読んで、羽生の語りにぜひ耳傾けてほしい。

人物紹介

ボルヘス (Jorge Luis Borges) [1899―1986]

アルゼンチンの詩人、作家。ブエノスアイレスの裕福な家庭に生まれ、幼いころから父親の薫陶を受けてイギリスの文学書に親しむ。1914年、家族とともにヨーロッパに移住して勉学に励む一方、当時の前衛的芸術運動の洗礼を受ける。21年に帰国のあと、ブエノスアイレスの風物詩集『ブエノスアイレスの熱狂』(1923)、『サン・マルティンの手帖(てちょう)』(1929)などにより詩人として認められる。その後、散文に精力を注いだが、該博な知識と大胆な想像力とがみごとに融合し、作品には幻想的短編集『伝奇集』(1944)、『エル・アレフ(不死の人)』(1949)、また博引旁証(ぼうしょう)の評論集『論議』(1932)、『永遠の歴史』(1936)、『続審問』(1952)などがある。「世界史とはいくつかの隠喩(いんゆ)の歴史である」という作者のことばからもうかがえるように、有限のなかに無限と反復の観念を持ち込み、独自の文学的宇宙を築き上げる。その後も詩文集『創造者』(1960)、詩集『他者と自身』(1967)、『幽冥礼讃(ゆうめいらいさん)』(1969)、『群虎黄金』(1972)、短編集『ブロディーの報告書』(1970)、『砂の本』(1975)、あるいは『ボルヘス講演集』(1979)、評論集『七夜』(1980)などの著作を発表している。[木村榮一]
" ボルヘス", 日本大百科全書(ニッポニカ), JapanKnowledge, http://japanknowledge.com, (参照 2018-01-24)

アファナーシエフ (Valéry Afanassiev) [1947-]

1947年モスクワ生まれ。モスクワ音楽院でヤコブ・ザークとエミール・ギレリスに師事。1968年のバッハ国際音楽コンクール(ライプツィヒ)、1972年のエリザベート王妃国際音楽コンクール(ブリュッセル)で優勝。1974年にベルギーへ亡命。これまでに40枚以上のCDをリリース、その独自の音楽性が論議を呼び、音楽界に刺激をもたらしている。ピアノ演奏にとどまらず、文学者の顔を持ち、日本でも小説『妙なるテンポ』『声の通信』(ともに未知谷)、詩集『乾いた沈黙』(論創社)、エッセイ集『ピアニストのノート』(講談社選書メチエ)などを出版している。―本書より

羽生善治 (はぶ-よしはる) [1970-]

将棋棋士。埼玉県生まれ。都立富士森高校中退。小学1年で将棋を始め、小学6年のとき小学生名人戦に優勝。1982年(昭和57)二上達也九段門下となり、奨励会に入会、1985年四段、加藤一二三九段、谷川浩司九段につぐ将棋界3人目の中学生プロ棋士となった。1988年新人王、NHK杯優勝。1989年(平成1)竜王位を獲得し初タイトル。1994年米長邦雄名人を破り、名人位を獲得。同年名人、竜王、棋聖、王位、王座、棋王の史上初の6冠王に。1995年谷川王将に挑むが敗退。翌1996年ふたたび谷川王将に挑み、王将位を奪取。公式7タイトルを独占、史上初の7冠同時制覇を達成した。同年7月三浦弘行五段に棋聖位を、谷川九段に11月竜王位を、1997年6月名人位を奪われ4冠となった。羽生の将棋は常識を超えた「ハブ・マジック」と恐れられている。1986年将棋大賞新人賞受賞。将棋大賞最優秀棋士賞通算6回受賞。1996年内閣総理大臣顕彰。
[編集部]
" 羽生善治", 日本大百科全書(ニッポニカ), JapanKnowledge, http://japanknowledge.com, (参照 2018-01-24)

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