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「お母様おかあさまオカアサマ」--<憎悪と革命>
推薦文 : 経済学部 大田 一廣 教授
『中井英夫戦中日記 彼方より〈完全版〉』 中井英夫著

 また暑い夏がやってきた――。
 伝説の倚傑・中井英夫の精神の核が、「戦争」による〈無意味な大量死〉にたいする凄まじい憎悪の持続と「お母様」への涙ぐましい至上の愛と喪失にこそ在ったことを改めて思う。東京高等師範附属小学校で同期だった鶴見俊輔が中井を、「戦争をのろう」稀有の精神と言うのは当然だろう。
  中井英夫は、アンチロマンの傑作、塔晶夫『虚無への供物』一巻(塔晶夫は中井英夫の筆名)によって幻想文学史に燦然と輝くばかりか、前衛短歌史を彩る塚本邦雄、葛原妙子、中条ふみ子、寺山修司、春日井建を逸早く発掘した炯眼の才をも備えていた。

「中井英夫戦中日記 彼方より〈完全版〉」
河出書房新社 2005年6月

戦後、禍々しい密室の工作者として登場した中井英夫が、東京帝国大学在学中に学徒兵として召集された昭和18年10月8日から敗戦にいたる昭和20年8月11日まで断続的に書き継いだ『戦中日記 彼方より』は、同年(1922年生まれ)の山田風太郎『戦中日記』とともに、いまなお〈戦いは終わっていない〉こと、あるいは思考の始原が〈戦争死〉への憎悪と自己の〈死〉の意味(母の死と「私の死」)の意識に支えられていたことを窺わせる。
 だが、驚く勿れ――この日記が、東京市谷の帝国陸軍参謀本部の一室で情報教育係として軍務に従事しながら(階下の部屋では「三笠宮」が真新しい参謀肩章を吊して執務していた)、まさしく尋常ならざる〈戦争機械〉の中枢で他人知れず密かに綴られていたということだ。戦後(1970年11月)、三島由紀夫が楯の会とともに突入し、割腹自殺を遂げた市谷の自衛隊駐屯地は、中井が旧制府立東京高校時代から『資本論』を一緒に読んでいた友人との訣れに際して、「精神革命起案草案」(昭和19年9月10日付)を認め、「日本といふ抽象観念」の強制による〈死〉を忌避し、「純粋理性」と「自由」とを夢想していた当の場所であった。なんという奇しき〈歴史の符合〉だろう。中井も三島も〈終わらぬもの〉を思考の発火点としていたにちがいないのだ。
 一方、中井英夫の精神の在処が「お母様」への無償の愛と傷つきやすい無垢の幻想に深く根差していたことは、記憶に値する。「家庭に圧制をふるった」暴君たる「国粋主義者」の父(大東亜共栄圏を代表する植物学者で、大陸地図を拡げて帝国陸軍の中国占領地に赤丸印を付けては喜々としていたという。戦後、昭和天皇の植物学研究のブレーンを務めた)に虐げられた最愛の母が戦中の貧窮のままに死んだことは、中井の精神形成に重大な屈折を及ぼしたらしい。幼いといえるころから短歌の手ほどきを受け、自身が翻訳したバーネット『秘密の花園』を与えてくれた母・茂子の死が想像を絶する衝撃であったことは、昭和19年9月15日付の日記が物語っている――「お母様おかあさまオカアサマ」の文字をそれぞれ1行30字19行1710字にわたってひたすら書き連ねた鬼気迫る異常な緊張には、圧倒されて言葉もない――しかもあの帝国陸軍参謀本部の薄暗い一室で必死の思いで紡がれていたとは!むろん日記が上層部に知られれば、それは〈死〉を意味するはずだった(最近刊行された久生十蘭『従軍日記』も軍律を犯して書かれたものだ。中井が私淑する久生十蘭は、当時のジャワ、現在のジャカルタのボゴール植物園の園長だった中井の父猛之進と多少の間接的な因縁があった)。中井英夫が世に送った寺山修司があれほど自立を渇望したにもかかわらず、いわば母の子宮が発する強力な磁場をついに超え出ることができなかったとすれば、中井英夫もまた絶対の慈悲たる母の幻想を背負わねばならなかったのだろうか。あるいは母の死に際しておそらく息つくいとまもなく一気に書かれたと思しい過剰ともいえる慟哭の文字群は、自身の〈女性性〉(セクシュアリティー)の逆照射だったのかもしれない。がこれは、たんなる憶測にすぎない。
 惜しいことに、『戦中日記』は昭和20年8月15日およびその前後の記述を欠いている。このとき中井英夫は、悪性の腸チフスに罹り世田谷の陸軍病院に運ばれ、一時は昏睡状態に陥っていたという。この偶然をどのように考えるかは、魔性の冥王〈中井英夫〉をめぐるわれわれの課題だろう。少年のころからすでに、「どうしようもない不良」で「不服従の徒」であった中井英夫は、「戦争」を憎悪しいまなお〈なにものかが終わらない〉ことを思考しつづけたという意味では、戦後も一貫して「不服従の徒」であり、その姿勢は「人外」の人たるに相応しいというべきかも知れない。
 『戦中日記』の見事な装幀者間村俊一が中井英夫に捧げた一句を掲げておきたい。
   ・われもまた人外(にんがい)にあり蠣すゝる
           ――間村俊一『句集 鶴の鬱』

著者紹介
中井 英夫 (なかい ひでお) [1922‐1993]

昭和後期-平成時代の小説家。昭和24年から「短歌研究」「短歌」などの編集長をつとめ,寺山修司,塚本邦雄らをみいだす。39年推理小説「虚無への供物」をかき,耽美的・幻想的な作風を確立。49年「悪夢の骨牌(カルタ)」で泉鏡花文学賞。―講談社『日本人名大辞典』Japan Knowledgeデータベースより

 

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