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空の空--乱世の上海1945年
推薦文 : 経済学部 大田 一廣 教授
『堀田善衞上海日記 : 滬上天下一九四五』 堀田善衞著 ; 紅野謙介編


 堀田善衞(1918-1998)に『空の空なればこそ』(筑摩書房刊、1998年)という書物がある。『旧約聖書』傳道之書第一章のはじめにある有名な「空の空 空の空なる哉 [すべ]て空なり」(日本聖書教会、文語訳)からこのタイトルは選ばれたものだが、ある“知的な”雑誌の編集者が「空の空」を「ソラのソラ」と読んだのを堀田は呆れてものも言えなかったという。「『源氏』見ざる歌詠みは遺恨ノ事也」(藤原俊成)をもじって言えば、「『聖書』見ざるは遺恨ノ事也」と言うべきかもしれない――わが“知識人”にはげにありそうなことだ。この[てい]では、「空の空」なればこそ「人の[らふ]して[なす]ところの[もろもろ]作用[はたらき]」(傳道[でんどう]之書)に一身をもって賭した堀田の「乱世」の思考と覚悟には届かないだろう。昨年、途方もない「空の空」の思考を追究した堀田善衛の遺志を加藤周一があらためて想い起していたけれども(「夕陽妄語」『朝日新聞』2007年10月24日付夕刊)、その“最後のリベラル”たる加藤も『羊の歌』を遺して逝った(2008年12月5日)。
 このほど刊行された『上海日記』は、故堀田善衞宅で遺族により発見された二冊のノート(2007年夏)と、堀田善衞歿後十年の回顧展(2008年10月~11月、神奈川近代文学館。図録の表紙は、

「堀田善衞上海日記 : 滬上天下一九四五』」
集英社刊 2008年11月
スタジオジブリが描く乱世。
堀田善衞展 展覧会図録

スタジオジブリの描く無国籍の木造戦艦で飾られている。宮崎駿は堀田と深くながい交流をもった)の準備中に、文学館に寄贈された「堀田善衞文庫」の蔵書・資料の中から発見されたもう一冊のノート(2008年6月)とから成り、「滬上[こじょう]天下」(堀田自身のことば。[]は上海の古称)のただなかで、1945年8月6日から46年11月29日までに書き継がれた思索の記録である。戦中秩序の錯乱と顚倒[てんとう]によって自身をもふくめた生活者たちに生じた人心の壊乱[かいらん]彷徨[ほうこう]と悲哀を繊細に感受しつつ、乱世に生きる単独者の思考をいかに紡いでいたか――この『上海日記』は、「上海客死」を覚悟した27歳の若き堀田善衞の、憂愁と愛と游魂[ゆうこん]にいろどられた青春の遺譜[いふ]というべきものだ。
 胸部疾患により召集解除になった堀田は1945年3月10日の東京大空襲に遭遇しその悲惨を目撃した。酸鼻[さんび]をきわめる焼け野原を視察する天皇裕仁の「異様な儀式」と「現人神」に平伏する<日本人>の「憂情[ゆうじょう]」とに絶望し、この不可思議な「重い疑問」をつきつけられた堀田はやがて敗戦必至とみえた日本を“棄て”上海経由でヨーロッパに渡ろうと試みる。だが、日本軍が支配する異郷の「滬上[こじょう]天下」は、英・仏・米の帝国主義による植民地支配が深刻な爪跡を残し、ヨーロッパとアジアとが切り結び陰謀渦巻く魑魅魍魎[ちみもうりょう]の国際都市でもあった。亡命ロシア人やユダヤ人、インド、東南アジア、南米からの流れ者、さらに南京・重慶・延安にそれぞれ拠点をもつ複数の異なった政治権力(蒋介石[しょうかいせき]派や毛沢東派など)がひそかに放つ地下工作員や特務機関、スパイ、テロリスト、労働者、苦力[クーリー]、やくざなど、さらにそれらにくわえ日本の軍関係者や民間の邦人のうち、戦争遂行徹底派、闇のパイプをもち巨額の金銭を駆使する和平工作派、利権を漁る軍属や商人や投機屋など異様なる者どもが暗躍し、有象無象の多数の人々が入り乱れ混在する巨大な魔都――それが上海であった。この異貌[いぼう]の卑猥なる魔界ではだれもが複数の顔をもっていても不思議ではなかっただろう。
 こういう猥雑[わいざつ]で秩序なき上海で堀田は、中日友好協会の武田泰淳と親しく接し、多くを得ている。8月11日に日本の敗戦を号外が伝えると、武田は「日本民族は消滅するかも知れぬ」と語り、堀田は「中国人のうつりかわり」を「人の心の内面の問題」として考え抜こうとしている。だから堀田は「いまーのーとき」(W.ベンヤミン)の現場を自分の眼で確かめるべく「路上の人」を選ぶのだった。だが、いやそれだからこそなおさら敗戦国の日本人としての敗残の悲哀は深まるばかりだ。

  
   われらの生は 孤独の深みでなんと広いのだろう
                      ――堀田善衞詩集

 「滬上[こじょう]天下」には特務機関たる名取機関(名取洋之助)や水谷機関(水谷文一。児玉誉士夫の仲間)が跳梁跋扈[ちょうりょうばっこ]し、堀田もそれらと一定の関係を持ったらしいが(『日記』には名取洋之助の名が出てくるだけだが)、虹口[ホンキュウ]外灘[バンド]を歩き回り、出来の悪い映画を観ては、安酒場で酒を呷る堀田は、ともに既婚者たる禁断の恋(名取機関に関係していたNとの恋、のちの堀田夫人)をことばを絞り上げるように切々と綴っている。そのころ「世界は終わりに近づく」というヴァレリーの詩句が堀田をとらえていたにちがいない。敗残者としてひとり「[]」に留まったまま、先に帰還したNを幻想する堀田の苦悩と葛藤は読むものの心に沁みる。この『上海日記』はまぎれもなく堀田善衞の「敗戦」日記であるが、愛と性の率直な自己告白でもあるというべきだろう。
 「内地」への帰還(1947年1月)をまえにした1946年11月末の『上海日記』の最後のページには、つぎのように誌されている――

  
   内地へ帰ったら、
  「日本」のこと。
  「血の呼ぶ声」
  「身体の呼ぶ声」
  「身体について」肉体化されたとも云へぬほどに身体そのものである日本について。


 “戦後”堀田善衞は、『広場の孤独』、『若き日の詩人たちの肖像』、『方丈記私記』、『ゴヤ』四部作、『定家名月記私抄』正・続、『ミシェル 城館の人』三部作などを書き急ぎ、文字通りの国際派として乱世と愛と性をひたすら生き抜くことになるが、終生、「路上の人」であったのかもしれない。そういう気がする。
 (紅野謙介編『上海日記』には、堀田の文章、開高健との対談などに加え、編者による丁
寧な「解題」と詳細な「年譜」が付されている。)

著者紹介

堀田善衞 (ほった よしえ) [1918-1998]

1918年富山県生まれ。慶応大学卒業後、上海で敗戦を迎え、47年に帰国。「広場の孤独」で芥川賞。中世の動乱期を生きた芸術家、思想家の生き方を見つめた「方丈記私記」(毎日出版文化賞)や「定家明月記私抄」は高く評価された。77年にはスペインの画家の評伝「ゴヤ」(全4巻)で大仏次郎賞。77年以降に7年間、スペイン滞在。98年に死去。

―2004年5月11日 「読売新聞 ヨミウリ・オンライン(YOMIURI ONLINE)」より

 

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