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歌はずば言葉ほろびむ
推薦文 : 経済学部 大田 一廣 教授
水村美苗 『日本語が亡びるとき : 英語の世紀の中で』


  ――「然し、これからは日本も段々発展するでせう」
     と弁護した。
     すると、かの男は、すましたもので、
     「亡びるね」と云った。 (夏目漱石『三四郎』)

 水村美苗が本書の中扉の裏に引用している〈日本〉は「亡びるね」という印象的な言葉は、主人公の三四郎が東京の大学に入学するために熊本から上京する途中の汽車のなかでかわした、「かの男」との会話の一部である。

ある言葉を教えないことによって、その言葉を滅ぼすことができる。
筑摩書房刊、2008年10月

『三四郎』(1908【明治41】年9月1日から12月29日まで『朝日新聞』に連載。翌年、単行本として刊行)は、〈近代的都会〉東京のただなかで、学問と恋愛と故郷をめぐって思い悩み思索する「国」を遠く離れた三四郎の〈青春〉の日常を描くことをつうじて、日露戦争(1904【明治37】年―1905【明治38】年)後の〈日本社会〉の現状を鋭く批評した小説であり、日本の〈青春性〉をめぐる漱石の思考を知ることができるものだ。「亡びるね」という見知らぬ男の呟きは、郷里熊本や都会東京よりもさらに広い「日本よりも頭の中のほうがもっと広い」というに言葉につながっている――「囚われてはいけない」というわけだ。
 「日本語」を考えるということはなにを考えることか、あるいは「日本語」という問題はどのような事態のことなのか――本書は、誰もが一度は立ち向かわねばならぬ〈われわれ〉の母語としての〈国語〉の制約と可能性について考えさせられる。やや一般的にいえば、言葉の普遍性(たとえば英語)と個別性(〈われわれ〉の日本語)とがもともと解消不能な非対称性という関係にあるという事態を、〈われわれ〉の歴史的世界においてどのように引き受けることができるか、という問題だ。
 結論からいえば、英語の普遍語化がインターネット・システムに乗っていっそう進展してゆくことをもはや押し留めることができないとすれば、〈普遍語〉たる英語は一部の「叡智をもとめる人」に任せて、原則的には学校教育をつうじて〈国語〉としての日本語をできるようにしなくてはならない、そうしないならばいまや日本語の可能性は薄い――〈国語〉やその〈国語の祝祭〉である〈国民文学〉の運命は、「国民がその〈国語〉とどう向き合うかでもって、この先酷いほど明暗を分けるであろう」。ならば、どうすればよいのか。「古典とのつながりを最小限に保つ」(福田恆存)こと――「みながそのつながりを保っていれば保っているほど、日本語は生きている」のだ。いわば〈国語〉として日本語は、それを〈歌はねばやがて亡んでしまうかもしれない〉というのが、本書の立場であり、提言でもある。
 生まれては消えてゆく言語の世界史のなかで、〈われわれ〉が母語とする日本語をどのように堪えつつ生きるのかという問題は、現地語、母語、〈国語〉、普遍語、およびそれらの相互連関と交流とアマルガムの、現状と将来について真摯に考え抜くことであるが、これは、日本語の〈書き言葉〉の特異な性格に照らして日常語脈、文学語脈、学問語脈などをあらためて考え直すことにもつながる。ことばにおける「古典との最小限のつながり」は、〈歴史〉=物語(イストーリア)の「重ね描き」(大森荘蔵)ということになるわけだ。
 本書の日本語=日本文化論は、イ・ヨンスク『「国語」という思想』(岩波書店刊、1996 年)や浅井誠『日本語と日本思想』(藤原書店刊、2008年)、さらに出色の折口信夫論をふくむ安藤礼二『光の曼陀羅』(講談社刊、2008年)などとの共通の関心を汲み取ることができる。
 故郷と都会と恋愛のトリレンマ、いわばそういう意味での〈近代〉を生きる三四郎の精神は、さて〈国民国家〉の衰退しつつたる今日、どこへ向かうのだろう。
 端正で分かりやすい日本語の力作に冷や水をかけることになるかもしれないが、〈古典の引用〉について留意を求めておきたい。


    風立ちぬ、いざ生きめやも

 本書が引用する堀辰雄『風立ちぬ』のこの著名なことばが、P.ヴァレリー『海辺の墓地』のなかのLe vent se lève, il faut tenter de vivre.の堀辰雄自身による〈日本語〉訳だとすれば、古典語“やも”の反語法に即する限り“生きたくない【死んでしまいたい】”という意味になる。正しくは“生きざらめやも”としなくてはならないし、“いざ”も無理だろう。あれこれ取り沙汰されている堀辰雄の“誤訳”(古語の誤用)をそのまま踏襲しているわけである。参考までにつぎの二首を挙げておこう。

  
    ・山は裂け海はあせなむ世なりとも君にふた心わがあらめやも
                        源 實朝『金塊和歌集』
    ・杉木立ひびきをあげてゆふぐるるこの厳かに堪へざらめやも
                           齋藤茂吉『小園』

著者紹介

水村美苗(みずむら みなえ)[1951‐]

昭和後期-平成時代の小説家。12歳で渡米。エール大大学院修了後,帰国。ミシガン大,のちスタンフォード大の客員教授をつとめる。平成2年夏目漱石の「明暗」の続編を「続 明暗」で創作し,芸術選奨新人賞。7年2作目の「私小説―from left to right」が野間文芸新人賞。15年には3作目の「本格小説」で読売文学賞。
―講談社『日本人名大辞典』Japan Knowledgeデータベースより

 

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