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歌はずばわが聲忘るさはれいま穂麥の針の森ゆく雲雀
推薦文 : 経済学部 大田 一廣 教授
楠見朋彦『塚本邦雄の青春』


 歌わなければ、やがて自分の声音さえ忘れてしまう。なるほどそうかもしれない。だが、ふと見ると、薄暗い森に鋭く突きたつ怜悧な針のような麦の穂のうえを一羽の雲雀がすれすれに飛んでゆく、身を削るような声を遺して――

 この歌が収められている『歌人』(1982年)を含む24冊の歌集と夥しい小歌集、小説、評論、句集を遺した現代短歌の極北たる歌人の塚本邦雄(1920-2005)が、処女歌集『水葬物語』(1951年)で登場したのは、「大東亜戦争」の敗戦(1945年)後間もない〈戦後〉のさなかであった。

「塚本邦雄の青春」
ウェッジ文庫刊、2009年2月

索漠とした「占領期」に人々は、〈戦後改革〉と〈戦後啓蒙〉とに希望の原理を託そうとしていたが、短歌もまた〈戦後文学〉としての可能性を求めて「詩の革命」への途を模索し始めていた――そのような〈戦後〉に、夭折した盟友杉原一司(1926-1950)の衣鉢を受け継ぎつつ塚本は、「戦いと戦いの谷間」としての〈近代〉を語るにふさわしい感性と意味と論理とを備えた定型韻文詩の革命を、〈戦後啓蒙〉の虚妄を冷静に見据えながら、孤高のうちに独力で遂行したのである。やや古典的な俵万智『サラダ記念日』(1987年)にさえその影響が及んでいるように、今日では、塚本の開発した短歌型式(語割れや句跨り、初七,喩の手法など)はおのずからおおくの、とくに若い歌人に共有され、「短歌的喩」(吉本隆明)にいたっては現代短歌の常套ともなっている。
 日本語から離れられぬ宿命と戦時体験の痛ましい屈辱とから出発した『水葬物語』には、本書の言うように難解な、しかし人口に膾炙(かいしゃ)した数々の名歌がある。一首目の「液化するピアノ」は『水葬物語』の巻頭を飾る歌である――

    ・革命歌作詞家に凭りかかられてすこしづつ液化してゆくピアノ
    ・湖の夜明け、ピアノに水死者のゆびほぐれおちならすレクイエム
    ・戰争のたびに砂鐡をしたたらす暗き乳房のために禱るも
    ・殺戮の果てし野にとり遺されしオルガンがひとり奏でる雅歌を
    ・赤い旗のひるがへる野に根をおろし下から上へ咲くヂギタリス
    ・海底に夜毎しづかに溶けゐつつあらむ。航空母艦も火夫も

 どの歌も、戦争によって「本意を遂げぬまま命を落とした者たち」の〈非業の死〉を抜きにしては語りえぬものであり、その華麗なる言語の世界は凄まじい憎悪と清冽な鎮魂を湛えている。間をとりながらゆっくり読んでゆくと、あたかも〈現場〉に居合わせているかのような幻想にふと眩暈を覚え、にわかに〈非業の死〉の〈記憶〉が甦るだろう。言葉の勁さが現に/いま、ありえたかもしれぬ〈記憶〉を生成させるのだ。
 だが、現代短歌の「魔王」たる塚本邦雄にも、知られざる〈青春〉があったのである。楠見朋彦の本書は、独自に発掘した一次資料やほとんど稀覯になった短歌雑誌や同人誌を丹念に読み解き、さらに塚本邦雄の生地である近江・五個荘などの〈歴史の遺品〉をつぶさに取材して、若き邦雄が『水葬物語』を刊行するまでにどのような〈生い立ち〉をたどったかを平明な文体で記述したものである。とりわけ邦雄の母への無償の愛と近江への深い郷愁とがおだやかな筆致で描かれている。「母のくに」の清新な語りはおそらく、邦雄の〈魂の原郷〉がそのまま著者にとっての〈原郷〉でもあることを窺わせる。
 本書は塚本邦雄の文学と魂の〈生い立ち〉を、〈私〉の過剰な主観を抑えた冷静な眼と資料としての「書かれた文章」とによって描いているが、その抑制された姿勢は塚本の思想と精神を学ぼうと意志する楠見朋彦の文学者としてのラディカルな覚悟をしめしている。感傷からはなにも明らかにならないのだ。

  
    ・父母よ七つのわれのてにふれしひるの夕顔なまぐさかりき
    ・散文の文字や目に()る黒霞いつの日雨の近江に果てむ

 少年の憂鬱とエロスへの衝動が切なくも哀しい「七つのわれのてのひるの夕顔」を〈はじめ〉とし、「母のくに」への澄明な帰心をしづかに抱く「いつの日雨の近江に果てむ」で〈おわり〉を結ぶ塚本邦雄の〈生い立ちの記〉――『塚本邦雄の青春』とは著者も言うように単なる「評伝」ではなく、エロス・母・定型韻文詩、そして〈非業の死〉をめぐる循環と再生の〈物―語〉というべきものだろう。
 塚本邦雄は1920(大正9)年に近江商人で名高い神崎郡五個荘字川並(近江八幡市)に生まれている。叔父(母の弟)に、柳宗悦らと民藝運動に力を尽くし倉敷民藝館や熊本民藝館の館長にもなったキリスト者の外村吉之助がいる。この叔父から与えられた『ブレイク抒情詩抄』(訳者の寿岳文章は叔父の知人)や『聖書』に少年の頃から接していた邦雄は、戦時中、徴用された呉(海軍工廠)で、「無為にして今日をあはれと思へども麥稈焚けば音たてにける」(前川佐美雄)と反芻しつつひそかに耐え、戦地へ〈死〉に往く友を送り、自からは1945年8月6日の「きのこ雲」を正眼に見たという。そのとき「銃後にいた」邦雄には、〈死ねなかったこの私〉という痛苦な思いが去来していたにちがいない。
 すでに安西冬衛や萩原恭二郎、モダニズムの詩と詩論、シュルレアリスムなどに親しみ、前川佐美雄、斎藤史、坪野哲久らの合同歌集『新風十人』(1940年)に深く沈潜していた塚本邦雄が陰鬱な戦中から敗戦の衝撃をはさむ〈戦後〉の一時期にかけて、短歌の革命とそのための方法(杉原一司とはじめた同人誌は『メトード』と命名された)とを実際にどのように企てていたかについて、本書はいくつかの新しい知見を加えている。
 塚本邦雄が、桑原武夫の「第二芸術」論(1946年)や小野十三郎の「奴隷の韻律」(七五の魔)といった短歌否定論によって満身創痍の打撃をうけた短歌をあえて選びとり歌人として自立しようと決意したのは、〈戦後〉はじめて買った西脇順三郎『あむばるわりあ』(東京出版刊、1947年。『Ambarvalia』1933年の改作版)の豊穣な言葉に触れたこと(このこと自体はすでに知られてはいた)や、「アララギ的写生主義とは根本的に異なった場」で詠んだ歌を収める下條(げじょう)義雄の歌集『春火』、雑誌『くれなゐ』、さらには椿實(おそらく三島由紀夫に絶賛された「メーゾン・ベルビウ地帯」の作者だろう)らからおおくを吸収した形跡が認められることなど、これまであまり知られていない事実が紹介されている。そして、本書の最大の特色、それゆえの功績は小冊子ながら、塚本邦雄を近代文学史のなかに位置づけるという正当な企てを試みたところにあるといってよい。いわば〈図〉としての塚本邦雄の生成には、〈地〉の移動と変容とがその条件として働いていたということになるだろうか。とすれば、今後、たとえば塚本と日本浪漫派との離接の帰趨がことの要点になるかもしれない。
 塚本邦雄には、現代歌人のおおくが自らの〈青春〉の一時期になんらかの影響を受けて歌人としての自覚を深めた〈青春性〉を歌う数々の著名な歌がある。いくつかを紹介しておこう。

 『水葬物語』以前の〈戦中〉および〈戦後〉の作品から――    
    ・冬湖のきびしきひかり(まみ)にあり明日往く友の深く(もだ)せる
    ・迫り來て機影玻璃戸をよぎるとき刺し違へ死なむ怒りあるなり
    ・敗れ果ててなほひたすらに生くる身のかなしみを刺す夕草雲雀(ゆふくさひばり)
    ・われもまたおろかにひとり瞬きて秋茄子の色冱ゆるを見たり
    ・嘘だらけなる世に生きかねて鶏頭の莖裂けば髄の髄まで紅し

 『水葬物語』以降の作品から――
    ・五月祭の汗の靑年 病むわれは火のごとき孤獨もちてへだたる
    ・馬は眠りて亡命希ふことなきか夏さりわがたましひ滂沱たり  
    ・いたみもて世界の外に()つわれと紅き逆睫毛(さかまつげ)の曼珠沙華
    ・ほほゑみに肖てはるかなれ霜月の火事のなかなるピアノ一臺
    ・こころざし崩れて廿歳(はたち)雪の上を群青の風過ぎし痕あり

 ことほど左様に、青年の自負と苛立ちと苦悩とが自からに相応しい言語表現をえたケースも稀れであろう。〈日本の言葉〉はなんと豊かなことかと思わずにはいられない。塚本邦雄の渾身の力業と明晰な論理が偲ばれる。
 本書も指摘しているように、「言葉の錬金術師」たる塚本邦雄は70歳にとどこうかというときに、改めて念を押すかのように

    ・春の夜の夢ばかりなる枕頭にあっあかねさす召集令状

という歌を遺している(『波瀾』1989年)。「召集令状」とは軍隊への入隊命令状のことで、当時は俗に〈死線〉と引き換えの〈一銭五厘〉の「赤紙」といわれていたものだが、「大東亜戦争」と〈非業の死〉は塚本をとらえた終生の課題だったにちがいない。山陰の静かな山峡の丹比に果てた杉原一司に対する深い鎮魂を滅びの言語とみなされた定型韻文詩として完結させること――そこに、塚本邦雄の文学における戦いがあったのではなかろうか。『塚本邦雄の青春』を読み終えたいま、そういう感慨を私はもっている。

    ・向日葵のはじめての花蒼く()えわがうちに生きゐたる死者の死
    ・夢の沖に鶴立ちまよふ ことばとはいのちを思ひ出づるよすが

 塚本邦雄が「現代詩」への周到な目配りを心懸けていたことを本書は明らかにしているが、著者の強調する「〈現代詩〉をあくまで短歌の韻律の圏内において打ち出そうとした」塚本邦雄の文学的姿勢は〈近代〉の精神と〈歴史〉の規定力を考えるうえで、重要な論点ではないかと思う。辻井喬による本書の解説「塚本邦雄への手懸り」はそのことにかかわっている。その意味で本書は、大岡信『蕩児の家系 日本現代詩の歩み』(思潮社)や小田久郎『戦後詩壇私史』(新潮社)などとともに読まれるべきものかもしれない。
 なお、塚本邦雄『水葬物語』復刻版(書肆稲妻屋刊、2009年)がある。

 
著者紹介

楠見朋彦(くすみ ともひこ)[1972‐]

小説家。1972年大阪生まれ。1994年より塚本邦雄に師事。韻文定型詩の要諦を学ぶ。1999年『零歳の詩人』(集英社)ですばる文学賞受賞。同作と『マルコ・ポーロと私』(集英社)、「小鳥の母」で芥川賞候補に選ばれる。平成12年度大阪市咲くやこの花賞受賞。書き下ろし長編小説『釈迦が寝言』(上下、講談社)、『ジャンヌ裁かるる』(講談社)。
―表紙カバーより

塚本邦雄(つかもと くにお)[1920‐2005]

昭和後期-平成時代の歌人。1920年滋賀生まれ。前川佐美雄に師事し、昭和26年第1歌集「水葬物語」をだす。前衛短歌運動の旗手として活躍し、34年「日本人霊歌」で現代歌人協会賞。60年より「玲瓏(れいろう)」を主宰。平成元年「不変律」で迢空(ちょうくう)賞、5年「魔王」ほかで現代短歌大賞。きらびやかな歌風を展開した。平成元年近畿大教授。作家塚本青史の父。評論に「茂吉秀歌」など。
―講談社『日本人名大辞典』Japan Knowledgeデータベースより

 

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