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おすすめの一冊 本学の教員や図書館員のおすすめの本を紹介します。
   

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「全集」でも、「作品集」でもオタッキー的に読む
推薦文 : 経済学部 青木 郁夫 教授
全集・作品集いろいろ

 母の日に、京都のコンサートホールに、ソプラノ歌手森麻季のコンサートを聞きに行った。テレビ番組「題名のない音楽会」のエンディングで、ほんのわずか彼女を見たときに、いまから思えば魅入られたのだろう。その後、関西圏で行われる森麻季のリサイタルの多くに、なかば「おっかけ」のごとくでかけている。コロラチューラなどの高い技量をもつだけでなく、なんといっても、天にまで突き抜け、やがてあたりの空間を包み込んでいくような澄んだ高音、その透明感のある声にすべてが浄化されていくようなカタルシスを覚えることができるのが魅力なのである。この日はやや体調が不良なのか、高音部に伸びがかけるきらいがあった。

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しかしながら、プッチーニの歌劇「ラ・ボエーム」の、ムゼッタのワルツ「私が街を歩けば」は、かつて男どもを魅惑し、惹き付けてやまなかった自らを誇示する内容のもので、美しい森麻季にぴったりのものだけに、たっぷりと楽しめるものであった。

 このコンサートでは日本の歌曲も歌われ、そのなかに「初恋」(詞:石川啄木、曲:越谷達之助)があった。これは、石川啄木の「一握の砂」にある「砂山の 砂に腹這ひ 初恋のいたみを 遠くおもひ出づる日」である。これを聞きながら、ふと遠い昔を思い出した。思い出したのは、自らの「初恋」ではなく、学生時代に筑摩書房版『石川啄木全集』を予備校で試験監督や採点のアルバイトをして買ったことである。啄木を読んでみようと思いいたったのは、NHKラジオの「朗読の時間」で聞いた「『あこがれ』から『呼び子と口笛』まで」の啄木の記憶があったからである。そのなかで聞いた、おそらく無政府主義者であるテロリストの悲しき心をうたった「ココアのひと匙」の強烈な印象、韓国併合を静かに悲しみ、そして強く憤った歌、国禁の書(啄木の心の奥底には、クロポトキンなど無政府主義者の著作だけではなく、幸徳秋水・堺利彦訳の「共産党宣言」もあったのではないかとも思ったが)への言及などなどが残っていた。『全集』では、それらの詩をみいだし、読むことができるだけではなく、評論「時代閉塞の現状」、未完の小説「雲は天才である」、さらに「ローマ字日記」や書簡その他の断片にいたるまで、啄木という人間の思想から生活感覚にまで及ぶ多面的な姿をみることができる。その後、地域史研究のために各地を歩くとき、あわせて文学紀行をすることがあるが、その際、啄木がひとつのテーマとなった。
 これまで、いくつかの「全集」や「著作集」あるいは「作品集」を手にしてきた。そのなかで、筑摩書房版『北村透谷全集』を読もうと思ったのは、島崎藤村がその自伝的小説において自らを「岸本」として、そして北村透谷を「青木」として描いていることを知ったからである。とりわけ『春』において、「青木」=北村透谷が自由民権運動に敗れ、自らの文学・評論に倦み、疲れ、生活に疲れ、そして神経を病み、死に至る姿が描かれている。藤村が描く「青木」が神奈川の国府津の海岸で悩む様は、そこへと私を誘うのに十分であった。そして、石坂美那との「自由恋愛」もまた、ひとを恋におもむかせる。北村透谷については、「北村透谷・わが冬の歌」(ATG作品、1977年、出演:みなみらんぼう、田中真理)という映画作品もあるので、興味あればこちらもごらんになってはいかがであろうか。
 ある一つの作品からある作家を知り、それを契機として他の作品を読むことは多い。それならば、いっそ「全集」や「作品集」をオタッキー的に「読破」するのも一つの手である。何十巻にもなるような場合は難しいが。んっー、そうか。「全集」や「著作集」にまで及ぶというのは、その対象に対するなんらかの思い入れがあるからなのだろう。私の森麻季に対するのと同じように。

 
全集とは?

1人の作家または著述家がその生涯に書き遺(のこ)したすべての著述を収録したものをいう。したがって、その編集は後継者または故人と関係の深い者があたり、できる限りの手段を尽くして、手紙、日記、ノート、書目、その他の些細(ささい)な記録までも集める。その編集に、著作権法(1970)では、著者の死後に全集または選集を編集するときには、その著書が出版後3年を経過したものを、その出版権にかかわらず、その全集または選集に収載することができる(80条2項)としている。全集は個人のあらゆる著述を収めるので、主要作品を選んで集録する選集とは区別される。全集はその人の学術または文芸を根本から研究するための唯一のよりどころであるから、その価値はきわめて高い。
―”全集”, 日本大百科全書(ニッポニカ), ジャパンナレッジ (オンラインデータベース), 入手先<http://na.jkn21.com>, (参照 2009-05-29)

著者紹介

石川啄木 (いしかわ たくぼく)[1886‐1912]

明治時代の詩人,歌人。明治19年2月20日生まれ。石川節子の夫。詩集「あこがれ」で将来を期待されるが,生活のため郷里の岩手県渋民村の代用教員や北海道の地方新聞の記者となる。のち東京朝日新聞の校正係の職につき,歌集「一握の砂」を刊行,近代短歌に新領域をひらいた。大逆事件で社会主義に目ざめるが,明治45年4月13日貧窮のうちに結核で死去。27歳。死後歌集「悲しき玩具」が出版された。盛岡中学中退。本名は一(はじめ)。評論に「時代閉塞の現状」など。
―”いしかわたくぼく【石川啄木】”, 日本人名大辞典, ジャパンナレッジ (オンラインデータベース), 入手先<http://na.jkn21.com>, (参照 2009-05-29)

北村透谷 (きたむら‐とうこく)[1868‐1894]

明治時代の評論家,詩人。明治元年11月16日生まれ。自由民権運動に挫折(ざせつ)し,石坂ミナとの恋愛,結婚,キリスト教への入信をささえに文学にこころざす。詩集「楚囚(そしゅう)之詩」や恋愛論「厭世詩家と女性」などを発表。明治26年島崎藤村らと「文学界」を創刊,浪漫(ろうまん)主義文芸運動を主導したが,理想と現実の間でなやみ,明治27年5月16日自殺。27歳。相模(さがみ)(神奈川県)出身。東京専門学校(現早大)中退。本名は門太郎。評論に「内部生命論」など。
―”きたむらとうこく【北村透谷】”, 日本人名大辞典, ジャパンナレッジ (オンラインデータベース), 入手先<http://na.jkn21.com>, (参照 2009-05-29)

 

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