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おすすめの一冊 本学の教員や図書館員のおすすめの本を紹介します。
   

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古本屋にて――考証・論理的推論の妙、政治と文学
推薦文 : 経済学部 青木 郁夫 教授
写楽・浮世絵 関連本

 残暑厳しい折の昼下がり、涼を求めて喫茶店でひとときを過ごした後、久しぶりに近所の古本屋に寄ってみた。別段これといって欲しい本があったわけでもない。ただ、ほんの暇つぶしのつもりだった。こんな時に、何かを求めるとすれば、かつて少しでも興味をもったことを想い出させるものか、あるいはパラパラとページをめくって気になる文章をそこに見出したものであろう。
 店内を見て歩きながら文庫本の棚でふと目にとまったのは、もう背が焼け題名もしかとは確認できないような一冊の本だった。それは、仲田勝之助編校『浮世絵類考』(岩波文庫、1941年)である。『浮世絵類考』は、浮世絵の歴史的始原に関する考察である「大和絵浮世絵之考」及び「吾妻錦絵之考」、浮世絵師それぞれの作品の特徴及び人となり、さらに、浮世絵師の師弟関係を表す系図からなり、現代においても、浮世絵研究において必ず拠るべき基本文献中の基本文献に位置付けられている。『浮世絵類考』の元となっているのは狂歌師・戯作者でもあった燭山人大田南畝が書き留めたものであり、その後何人か人々によって追補がなされている。とりわけ、斉藤月岑の『増補浮世絵類考』が江戸期までにほぼまとまったもののようである。岩波文庫版は大田南畝が山東京伝などの増補もまとめて一本としたものを底本とし、それにその後の追補を取捨選択して、その出典を明示して付したものである。何故この本に興味があったかといえば、それは、市川蝦蔵・中村仲蔵・瀬川菊之丞はじめ多くの役者絵をわずか一年足らずのあいだに残してこの世界から姿を消した「写楽」に関する記載がそこにはあるからだ。

古本屋にて
写楽・浮世絵 関連本

 浮世絵は19世紀後半のヨーロッパにおけるジャポニズムをもたらし、印象派に多大の影響を与えたことは周知のことがらに属す。そんなこともあってか、国内のコレクション展だけでなく、諸外国の美術館所蔵の浮世絵展もくりかえし催されている。つい最近も『別冊太陽』(平凡社)が3回にわたって特集を組んだように、近年では浮世絵の重要な一領域である「春画」も図版で刊行されるようになっている。「もし江戸に生まれていたら何になりたかったか」の問いに「もちろん太夫です」と答える「江戸学者」である田中優子も「江戸の恋――『粋』と『艶気(うわき)』に生きる」(集英社新書、2002年、先の発言は、guest田中優子「遊女と地女――江戸の性愛考」、上野千鶴子『対話編 性愛論』河出書房新社、1991年)などで、しばしば「春画」に触れている。浮世絵に係わる全体像を、関連する図版とともに、コンパクトに与えてくれるものに、大久保純一『浮世絵』(岩波新書、2008年)がある。
 さて、『浮世絵類考』が「写楽」とは一体どういう人物なのについて与える情報は、[新]の引用印のもとに「俗称斉藤十郎兵衛、八丁堀に住す。阿州侯の能役者也」である。この[新]は凡例によれば龍田舎秋錦『新増補浮世絵類考』を指すが、その後の考証では、「回り雲母を摺たるもの多し、俗に雲母繪と云」とともに、斉藤月岑『増補浮世絵類考』中の「天明寛政中の人、俗称斉藤十郎兵衛、居、江戸八丁堀に住す、阿波侯の能役者也――廻りに雲母を摺たるもの多し」に拠るものようである。ところが、「写楽」が誰であるかについては、さまざまなジャンルの人々が、絵画論を含めてさまざまな根拠をもちだして、やれ「実は、喜多川歌麿」だの、「実は、葛飾北斎」だの、いや「十返舎一九」だの、はては「オランダ人某」だの、かなりの数の人物を「写楽」に比定する状況になっている。ついでに触れておけば、矢代静一作『写楽考』(1971年発表、河出書房新社、1972年)もその一つに挙げていいのだろう。俳優西田敏行は、1971年の青年座公演『写楽考』で主役に抜擢され、1977年にはこの『写楽考』で第12回紀伊国屋演劇賞個人賞を受けている。
 こうした「写楽考」のほとんどが、「江戸八丁堀」に住む、「阿州侯の能役者」である、「斉藤十郎兵衛」なる存在を確認できない、ないしは虚構=非存在を前提に議論を組み立てている。はたしてそうなのか? この問題にいわば「決着」をつけたと考えられるのが、近世文化研究者中野三敏の『写楽――江戸人としての実像』(中公新書、2007年)である。
  中野はまず「近世文化総体を近世に即して見極める確かな指標の認識」の必要性を強調し、指標として「江戸文化における『雅』と『俗』」を提示する。体制的「伝統文化」である『雅』の世界と、大衆的「新興文化である『俗』の世界の対比と融合。芸能でいえば「能」=「雅」に対する、「歌舞伎」「文楽」の「俗」、絵画でいえば「浮世絵」は「俗」なのである。中野によれば、その浮世絵のなかでも役者絵は、あの『歌満くら』という春画の名作を残した歌麿も「何ぞ俳優の余光を借りんや」と言ったと『浮世絵類考』が伝えるように、近世における俳優の社会的身分的位置を反映して「俗」の「俗」たる位置にあったという。
 こうした分析指標を明確に定めたうえで、中野は『増補浮世絵類考』をまとめた斉藤月岑の人物像を明らかにし、今で言えば文化人の住所録に当たるような「江戸方角分」に記載された「八丁堀、地蔵橋」住まいの「写楽齊」の存在の確認、「八丁堀絵図」に示された「阿波藩能役者斉藤与右衛門」と他の文献史料で確認された「斉藤十郎兵衛」との関係を郷土史家の阿波藩喜多流能楽者の研究も参照して追求し、「江戸八丁堀」に住む、「阿州侯の能役者」である、「斉藤十郎兵衛」なる存在を確認する。
 中野が提示した分析指標からいえば、近世封建制身分社会における「士分」にあり、「能」という「雅」文化の担い手である斉藤十郎兵衛が、「浮世絵」という「俗」文化中の「俗」である「役者絵」を描いたということが、「写楽」の実像を容易に明らかにすることができない歴史的要因であるということであろう。
 その考証、論理的推論の妙をこの本で味わってみていただきたい。

 『浮世絵類考』を手にしながら店の中をぐるっとまわって、小説類の棚で目がとまりページをくってみたのは、車谷長吉の『白痴群』(新潮社、2000年)であった。車谷長吉は50歳を超えて『赤目四十八瀧心中未遂』(文藝春秋、1998年)で第119回(1998年上半期)直木賞を受賞している(この作品は2003年に映画化され、寺島しのぶが映画初主演で話題になった。監督荒戸源次郎。寺島しのぶはこの映画で第27回日本アカデミー賞最優秀主演女優賞をとっている)。『白痴群』には、60年安保の政治闘争のさなかに起きた山口二矢による社会党委員長浅沼稲治郎刺殺事件から1970年の三島由紀夫自決事件前後までの、山口とも同志であったことがある人物との交流を含めて、車谷が自ら書かなければならないと思いつづけていたであろう「自己の精神史」でもある「一番寒い場所」がおさめられている。この「一番寒い場所」のなかに、「大江健三郎が、山口二矢をモデルにして『セブンティーン』という小説を書いているだろう。」・・・「も一つ大江が山口をモデルにして『政治少年死す』って小説を書いているだろう。文学界昭和三十六年二月号に。大江は右翼の攻撃を恐れて未だに自分の単行本に入れていないけど。」という文章があった。この文章に触れて、ある時期、友人に教えられもしながら、出版社自らが発売中止にしたものや、猥褻としてその出版が訴追をうけたような小説の類を、それが掲載されている雑誌を図書館に蔵されているのを探し出して読んだことを想い出した。そのなかには、車谷があげた「セブンティーン」「政治少年死す」のほかに、永井荷風が書いたのではないかとされている「四畳半襖の下張り」(1972年これを掲載した『面白半分』編集長野坂昭如は「わいせつ文書販売」の罪にとわれ訴追された。岩波書店からでている『荷風全集』にはもちろん収載されていないし、生誕130年、没後50年をむかえる今年、新に全集が出版されるようだが、それにも収載されないだろう)、そして、深沢七郎の「風流夢譚」があった。
 深沢七郎の代表作の一つに姥捨て山伝説にもとづく「楢山節考」(1956年)があることはご存知だろう(二度映画化されており、1983年監督今村昌平、主演坂本スミ子、緒方拳で映画化された作品は、カンヌ映画祭でパルムドールを受賞した)。この深沢七郎が、『中央公論』1960年12月号に掲載したのが「風流夢譚」である。1960年の日米安全保障条約改定をめぐる政治闘争のなかで、車谷「一番寒い場所」が触れた山口二矢による社会党委員長浅沼稲次郎刺殺事件が起き、革命軍による皇室・皇族の処刑を夢想する場面がある「風流夢譚」をめぐって、作者深沢七郎およびそれを掲載した『中央公論』に対するさまざまな攻撃事件がおき、そして中央公論社嶋中社長宅襲撃殺傷事件がおきた。「言論の自由」とは何か、文学あるいは芸術と政治をめぐる極めて重大な事件がおきたのである。「風流夢譚」を掲載した号の『中央公論』はすでに50年ほど前のものであり、読むことは難しい。あらためて深沢七郎の著作集あるいは全集が編まれることがあったとしても「風流夢譚」が収載されることはないであろう。どうしてもそれを読もうとするならば、これを収蔵している図書館を探し出すしかないであろう。今や読むことが困難な「風流夢譚」についてあれこれすることはできないが、それをめぐる事件については、あるいはその問題情況については、当時『中央公論』編集次長であった京谷秀夫による『一九六一年冬「風流夢譚」事件』(平凡社ライブラリー、1996年)などにあたって考えてみていただきたい。

 本格的な政権交代が起きた現代日本の政治情況において、あるいは初の黒人大統領を誕生させたアメリカでの政治情況において、もしも既存の保守基盤が掘り崩されることもありうるかもしれない情況がうまれ、そして、それを維持しようとする人々に深い危機意識がうまれたとき、そこに激しい政治闘争が生じ、何らかの政治的事件が起こらないとは言い切れないであろう。それはそれぞれの社会における民主主義の成熟度によるのであるが。

 
人物紹介

東洲斎写楽 (とうしゅうさい-しゃらく)[ ?-?]

江戸時代後期の浮世絵師。寛政6年(1794)5月から翌年1月まで,江戸で上演されていた歌舞伎を題材にえがいた役者絵などを140枚余りのこした。版元はすべて蔦屋重三郎。経歴は不詳で,阿波(あわ)徳島藩お抱えの能役者斎藤十郎兵衛とする説をはじめ諸説ある。代表作に「市川鰕蔵(えびぞう)の竹村定之進」など。
―日本人名大辞典, ジャパンナレッジ (オンラインデータベース), 入手先<http://na.jkn21.com>, (参照 2009-09-29)

大田南畝 (おおた-なんぽ)[1749-1823]

江戸時代中期-後期の狂歌師,戯作(げさく)者。寛延2年3月3日生まれ。幕臣。松崎観海らにまなぶ。明和4年の「寝惚(ねぼけ)先生文集」でみとめられる。洒落本,黄表紙をおおくかき,「万載(まんざい)狂歌集」などで狂歌界の中心となる。寛政の改革後は一時,筆をおり支配勘定役などとして活躍した。文政6年4月6日死去。75歳。名は覃(ふかし)。字(あざな)は子耜。通称は直次郎。別号に蜀山人(しょくさんじん),四方赤良(よもの-あから)など。著作はほかに「変通軽井茶話」「一話一言」など。【格言など】ほととぎす鳴きつるかたみ初鰹春と夏との入相(いりあひ)の鐘(辞世)
―日本人名大辞典, ジャパンナレッジ (オンラインデータベース), 入手先<http://na.jkn21.com>, (参照 2009-09-29)

田中優子 (たなか-ゆうこ)[1952-]

昭和後期-平成時代の国文学者,比較文化学者。昭和27年1月30日生まれ。法大では近代文学を専攻。母校の講師,助教授をへて,平成3年教授。13年「江戸百夢―近世図像学の楽しみ」で芸術選奨文部科学大臣賞,サントリー学芸賞。著作はほかに「江戸の想像力―18世紀のメディアと表徴」(昭和62年芸術選奨新人賞),「張子―江戸をんなの性」「江戸を歩く」「カムイ伝講義」など。神奈川県出身。
―日本人名大辞典, ジャパンナレッジ (オンラインデータベース), 入手先<http://na.jkn21.com>, (参照 2009-09-29)

中野三敏 (なかの-みつとし)[1935-]

昭和後期-平成時代の国文学者。昭和10年11月24日生まれ。昭和57年九大教授,平成11年福岡大教授。近世文学を専攻し,多彩な江戸文化の紹介につとめる。「戯作研究」で昭和56年のサントリー学芸賞,57年の角川源義賞を受賞。福岡県出身。早大卒。著作に「江戸名物評判記案内」,共編に「洒落本集成」など
―日本人名大辞典, ジャパンナレッジ (オンラインデータベース), 入手先<http://na.jkn21.com>, (参照 2009-09-29)

車谷長吉 (くるまたに-ちょうきつ)[1945-]

昭和後期-平成時代の小説家。昭和20年7月1日生まれ。広告代理店勤務,料理場の下働きなど各種の職業につく。自己の心にといかける私小説をかきつづけ,平成5年「塩壺の匙(さじ)」で芸術選奨新人賞,三島由紀夫賞。9年「漂流物」で平林たい子文学賞,10年「赤目四十八滝心中未遂」で直木賞。妻は詩人の高橋順子。兵庫県出身。慶大卒。本名は車谷嘉彦(しゃたに-よしひこ)。
―日本人名大辞典, ジャパンナレッジ (オンラインデータベース), 入手先<http://na.jkn21.com>, (参照 2009-09-29)

深沢七郎 (ふかざわ-しちろう)[1914-1987]

昭和時代後期の小説家。大正3年1月29日生まれ。日川中学卒業後,職を転々とし,戦後,日劇ミュージックホールにギター奏者として出演。丸尾長顕のすすめで,昭和31年「楢山節(ならやまぶし)考」をかき中央公論新人賞。35年の「風流夢譚(むたん)」で右翼テロをひきおこし(嶋中事件)一時筆をおった。55年「みちのくの人形たち」で谷崎潤一郎賞。昭和62年8月18日死去。73歳。山梨県出身。【格言など】死ぬってことは,自然淘汰ってことですね(「怠惰の美学」)
―日本人名大辞典, ジャパンナレッジ (オンラインデータベース), 入手先<http://na.jkn21.com>, (参照 2009-09-29)

 

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