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古典の森を散策してみよう(2) カウンセラーとしてのセネカ
推薦文 : 図書館長 和田 渡 (経済学部 教授)

 老子は、人間の性(さが)ゆえに迷い苦しみ、悩みから脱け出せない人や精神的に追いつめられてしまう人に、タオの道を指し示す心のセラピストであった。老子に遅れること約500年、ローマの地で魂を癒す言葉を語り、人間の生と死、心の持ち方、生きる態度、多忙と暇、欲望と知恵、争いと暴力、幸福と美徳、不幸と悪徳、権力と支配などについて数多くの文章や書簡を残したのがセネカ(前1頃~65)である。虚弱体質であったセネカは、若い時から次々と重い病に苦しみ、生死の境をさまよった。政治の世界では幾度となく挫折し、流刑の身にもなるなど困難な事態に遭遇した。幾多の苦難の経験が、セネカの思索に豊かな実りをもたらした。皇帝ネロは、政治的陰謀の廉で、かつては自分の家庭教師であったセネカに死を命じ、彼は従容として自らいのちを絶った。
 セネカは、人間を導き鼓舞する倫理的発言と、人間の精神を養う一種のカウンセラー的な教説の魅力によって、欧米では今も熱心に読まれている一人である。人間の教師とも目されている。

カウンセラーとしてのセネカ

  『生の短さについて 他二篇』(大西英文訳、岩波文庫)は書簡体の作品であり、論文を読むような苦労はいらない。親しい人や知人に語りかける形式を通じて、セネカの考え方や嘆き、悲しみが直裁に伝わってくる。彼がしばしば描くのは、今も誰の周辺にもいるような人々の姿だ。ブッダの視線と重なるところが多い。「ある者は飽くなき貪欲の虜となり、ある者はあくせく精出すむだな労役に呪縛され、ある者は酒に浸り、ある者は怠惰に惚ける。・・・また、多くの者は他人の幸運へのやっかみか、己の不運への嘆きで生を終始する。」(12~13頁)己の愚を反省して自分自身の内面を耕すことはせず、周りをうかがい、時間を空しく消費し、銭勘定に忙しく日々を過ごしているのだ。「何かに忙殺される人間には何事も立派には遂行できないという事実は、誰しも認めるところなのである。」(25頁)心+亡という組み合わせからなる忙という漢字が、文字通り心の死を意味しているように、忙しいのは、ある意味で、心の働きを失い、生きているという自覚が薄くなった状態にあるということだ。それは、生が常に死によって脅かされた、つかの間のものでしかないことを忘れて生きている状態でもある。そうした状況に対して、セネカが決め台詞を口にする。

     生きる術は生涯をかけて学び取らねばならないものであり、またこう言えば
     さらに怪訝に思うかもしれないが、死ぬ術は生涯をかけて学び取らねばなら
     ないものなのである。(26頁)

 忙しく立ち働いていれば、生きていることがどんなことか考える暇もないし、まして死ぬことがどういうことかなどに思いが及ぶはずもない。それが普通の状態である。しかし、だからこそ生も死も学び取らねばならない。それこそが、怠惰に染まりやすい人間の義務なのだ。日常から距離をとって、忙しさに取り紛れて見失いがちな生と死の実相を、その外側から見据えて考えながら生き抜くこと、その一点をセネカは凝視し続けた。病気で何度も死にかけ、政治の修羅場をくぐりぬけた人間の覚悟が反映している。
 セネカは、大学生にも参考にもなる言葉をいくつも残している。二つだけあげよう。

      何よりも肝要なのは、自分自身を評価することである。およそわれわれは自己の
     能力を実際以上に過大評価しがちなものだからである。(91頁)

      次には、われわれが取り組もうとしている仕事を評価し、試みようとするその
     仕事の内容とわれわれの能力とを比較してみなければならない。行為者の能力は
     取り組む仕事が必要とする能力を常に上まわっていなければならないからである。(92頁)

 自分がどのような人間であり、何ができて、どのような職業に就くのがふさわしい人間であるかを知らなければ、進む方向が定まらない。ともすれば陥りやすい自分勝手な思いこみや自惚れ、錯覚を遠ざけ、自分の力量を見極めないと選択できない。しかし、そう簡単に方向は見いだせない。何をして生きたらよいのか分からないのが常態なのだ。迷っている間に、空しく時が過ぎる。自分の性格や特徴をつかみ、自分を冷静に評価することは容易ではないのだ。
 だが、それを可能にする道筋がないわけではない。たとえば、何かに真剣に打ちこんでみることだ。それを通じて、少しずつ見えてくるものがあるはずだ。打ちこむものが何であれ、そこには自分を明らかにする手がかりがすでに潜在している。怠惰は自分を暗くするだけだ。選んだことに真面目に取り組み続ける時に、潜在していたものがゆっくりと顕在化してくるであろう。自分の進む方向が見えてくる時だ。そのプロセスを辛抱強く経験しておかないと、「学生時代に何をしましたか、どんなことに取り組みましたか」という平凡な問いに対して、面接者に強い印象と説得力を与えるような話はできない。
 面接試験を受ける者は誰でも、面接者から評価される以前に、自分で自分をある程度まで評価できるようにしておかなければならない。さもなければ、職業選択の理由や職業上の願望をきちんと説明することはできない。何をするかは、自分が何者であるかを知ることによって決まるのだ。だからこそ、自分の性格や特徴をしっかりと把握するための努力を怠ってはならない。しかし、それが難しい。目の前には、肉眼では見えない壁が立ちはだかっているのだ。その壁を乗り越えるためのヒントをセネカの言葉から汲みとれるだろう。
 セネカには、『怒りについて他二編』(兼利琢也訳、岩波文庫)もある。セネカの考え方についてもっと詳しく知りたい人には、分厚い本だが、茂手木元蔵訳、東海大学出版会刊行の『セネカ 道徳論集(全)』と『セネカ 道徳書簡集―倫理の手紙集―(全)』がおすすめだ。勉強の仕方や友人の選び方、振舞い方、時間との関わり方などについて、大切なことが平明な言葉で語られている。
 セネカ研究の第一人者である茂手木元蔵の『セネカ入門』(東海大学出版会、1994年)は、分かりやすい。古代ローマ研究の碩学であるピエール・グリマルの『セネカ』(鈴木暁訳、白水社、2001年)は、彼の思想そのものよりも、生涯と人物像を知るのに適している。グリマルも、セネカを、野心・貪欲・死への恐怖・悲しみや不安といった、人間の魂をむしばむあらゆる病に治療薬をもたらそうとした人物として評価している。(同書、8頁参照)クセジュ文庫におさめられた貴重な一冊だ。

 
人物紹介
セネカ 【Lucius Annaeus Seneca】 [前4頃~後65]

ローマのストア学派の哲学者。スペインのコルドバの生まれ。皇帝ネロに仕えたが、のちに謀反の疑いを受け、命令によって自殺した。常に道義を説き、実践哲学を主張。著「対話篇」「自然問題集」「道徳書簡」、ほかにギリシャ悲劇の翻案である9編の悲劇など。
”セネカ【Lucius Annaeus Seneca】”, デジタル大辞泉, ジャパンナレッジ (オンラインデータベース), 入手先<http://na.jkn21.com>, (参照 2010-10-26)
(生年に関しては諸説あり)

 

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