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名文に触れてみよう ― 辻まことと幸田文
推薦文 : 図書館長 和田 渡 (経済学部 教授)

 名文とは、読み手にさわやかな感動を与える文章のことである。名文は、そのリズムによって、センスによって、読み手の心を心地よく酔わせる。名文を書くためには、文章の修練は欠かせないだろう。しかし、名文の誕生は一代の経験だけからは生まれないようにも思われる。今回紹介する二人の名文の書き手は、紛れもなく、文才に恵まれた親の血に後押しされているのだ。

 辻まこと(1913-75)の『山からの言葉』(平凡社ライブラリー)には、魅力的な文章が詰まっている。辻まことは、無頼派の作家である辻潤と、婦人運動家の伊藤野枝との間に生まれた。母の伊藤野枝は、大杉栄のもとに走り、同棲した後に結婚した。辻潤は放浪の生涯を送ることになった。伊藤野枝は大杉栄と甥の少年とともに憲兵隊に連行され、虐殺された。甘粕事件とも言われるこの事件の詳細は、いまだ闇に包まれたままである。
 「何ものにもなるまいとする精神」と題する解説のなかで、

辻まことと幸田文

宇佐見英治はこう述べている。 「辻まことには定職というものがなかった。頼まれれば雑誌の表紙や口絵を描き、広告のイラストや文案を作り、原稿を書き、油絵を描き、冬は大抵スキーの先生になって東京を留守にすることが多かった。春先にもきまって、八幡平や立山や石の湯に出かけた。スキーについていえば、彼はフレンチ・アルペン・スキーの達人で、山スキーのヴェテランであった。」(146頁)辻まことは、格好よく颯爽として生きて、周りの人々を魅了し、駆け抜けていった自由人だ。
 『山からの言葉』は、雑誌『岳人』の表紙の絵と、直観と省察、風刺や皮肉、憤懣の情などが渾然一体となった57の短い文章からなっている。山のなかでの経験は次のように書かれている。「自然には無限に人の知識を吸収する力があり、人は簡単にちっぽけな一身だけの問題を放棄してしまうことができる。自分を抜けだして一本の樹に同調し、山頂に光る残雪と化し、あるいは谷間に漂う霧にとける・・・というような自由が一体どんなことに役立つのか・・・と、山を知らない人は質問するかも知れない。(中略)しかし、それは人に健康な精神を与えるだろう。自分の穴からいつも覗き見するような、へんな眼つきで世界を眺めるようなことはあるまい。」(42頁)
 次は、旅行会社のお膳立てしたスケジュールにしたがってせわしなく名所旧跡を回り、次々と買い物をして帰る日本の旅行者を皮肉る一文だ。「単に余暇と金があるから旅をおもいつくというにしては、あまりに日本人は動きすぎているのではなかろうか。しかも、自分のペースで動き、動きの中に落ち着いて自分の時間と世界を楽しんでいるような旅行者は尠く、文明の絶対時間のスケジュールの中を追いまくられてネズミのように駆けまわっている。」(112頁)自然のただなかで静かに自分を抜け出す変身の妙と、社会のなかで、追いまくられ、駆りたてられて忙しく動かざるをえない日常との対比が鮮やかだ。
 文庫本で読めるものとして、他に風刺画文集『虫類図譜(全)』(ちくま文庫)、『画文集 山の声』(同文庫)、『あてのない絵はがき』(小学館ライブラリー)などがある。
 辻まことについてもっと知りたい人には、ぜひ中身の濃い二冊、矢内原伊作編『辻まことの世界』と『続・辻まことの世界』(みすず書房、1977、78年)を読むことをすすめる。日本人を突き抜けたような異人、才人である辻まことの書いた文章や風刺画を通じて、異次元の世界と触れ合えるであろう。自然観、人間観も揺さぶられるに違いない。

 幸田露伴を父に持った幸田 文(1904-1990)は、数々の珠玉の文章を残した。いずれの文章にも切れがあり、しまりがあり、端正な形があって、読んで快い。自分の心の鋭敏な把握や周囲の人間や自然の観察が、くっきりと描き出されている。文章を発表し始めたのは40代と遅いが、旺盛な創作活動は死の2年前まで続けられた。
 『崩れ』(講談社文庫)は、72歳から73歳の時に書かれた。年老いても美しい桜や紅葉を見に出かける人は少なくないが、幸田は、大地の弱さ、もろさが露出した日本各地の崩れへと誘われる。何故か。生きている間に、心のなかに包蔵されたものの種が芽を吹いたせいだろうと、幸田は考える。幸田は、なぜか崩れるものに惹かれる質の女性だったのだ。もうひとつの理由が推測される。「私ももう七十二をこえた。先年来老いてきて、なんだか知らないが、どこやらこわれはじめたのだろうか。あちこちの心の楔が抜け落ちたような工合で、締りがきかなくなった。」(13頁)しかし、老いの実感が深まる幸田の自意識は、自分の老いさらばえていく姿を直接に文章化することを自分に許さない。そこで、自然の崩れの光景の記述に自分の老いの姿を重ね合わせて書いてみようとしたに違いない。だがそればかりではない。自然の崩れに出会ってたじろぎ、揺れ動く気持ちの変化や驚きの感情なども繊細につづられていて読みごたえがある。
 土砂崩れや山崩れは、凡人には目をそむけて終わりで、なんの感慨ももたらさないだろう。ところが、幸田は憑かれたようにして、日本各地の崩壊の現場へとおもむく。多くの人の力を借りて訪れた大谷崩れ、大沢崩れ、男体山の薙、立山のカルデラ崩壊などから、幸田は自然の異様さや奇怪さだけでなく、神秘や威厳をも感じとる。それぞれが意味深い出会いであり、別れである。鳶山の崩れとの別れはこう書かれている。「その時なんということなく心ひかれて、もう一度別れを惜しんでおこうとして、振り返った。とたんにどきっとした。今朝も見、いまもまた通りつつ見てきた、ぐるりの崩壊の襞々である。それがまるで面変わりして、ぐいっとこちらへ迫りだしている。鋭角三角形に幾重にも重なった崩れは、夕暗の片明りを抱いて巨大な棘を植えたように並びたち、陰々滅々と、この世のほかの凄惨な気をあたり一面に漂わせて、私を見送っていた。あまりのおそろしさに、こわあい、と声をあげた。」(125-126頁)自然の崩れの迫力におののく心のさまがきちっと書き記されていて見事だ。
 この本の魅力は、崩れに関するどきっとするような表現の多彩さにある。恐れやおののきの表現が目立つが、「悲愁感」(9頁)「悲しい様相」(129頁)といった母性と直結したかのような表現も見逃せない。幸田は、崩れに、身体という大地が病んで、もだえ苦しむ痛ましい姿を見て、母としての態度でそれを哀しみ、いたわり、包みこもうとしているようにさえ見えてくるのである。
 この本には、心地よくなる文章も少なくない。一例をあげよう。『枕草子』が連想されるような文章だ。「季節の継ぎ目は、いつも興ふかい天候になる。これから来る季節と、もう消えていこうとする季節が、往きつ戻りつ混じりあう。そうしながらも結局は、来るものは来、去るものは去って、季節はめぐっていくのだが、去るものは名残を惜しんで、ふり返りふり返りしながら行くように見えるし、来るものは去るものへ遠慮して、どっと一度に押入ってくるようなまねはしないというように見え、そこが私には興ふかくおもえる。」(83頁)

 
人物紹介

辻まこと (つじ-まこと) [1914-1975]

昭和時代後期の詩人、画家。
大正3年9月20日生まれ。辻潤・伊藤野枝(のえ)の長男。昭和4年父とフランスにわたる。戦後、雑誌「歴程」などに挿絵、風刺画文を発表。山を愛し、画文集に「山からの絵本」などがある。昭和50年12月19日死去。61歳。東京出身。法政工業中退。本名は一(まこと)。著作はほかに「虫類図譜」「山の声」など。
”つじ-まこと【辻まこと】”, 日本人名大辞典, ジャパンナレッジ (オンラインデータベース), 入手先<http://www.jkn21.com>, (参照 2011-02-23)

幸田文 (こうだ-あや) [1904-1990]

昭和時代後期の小説家。
明治37年9月1日生まれ。幸田露伴(ろはん)の次女。昭和13年離婚し、娘の玉子(青木玉)とともに父のもとにかえる。22年父の死をえがいた随筆「終焉(しゅうえん)」「葬送の記」で注目される。のち小説に転じ、30年「流れる」で新潮社文学賞、31年「黒い裾(すそ)」で読売文学賞。32年芸術院賞。江戸前の歯切れのよい文体で知られた。51年芸術院会員。平成2年10月31日死去。86歳。東京出身。女子学院卒。作品はほかに「おとうと」「闘(とう)」「木」など。
”こうだ-あや【幸田文】”, 日本人名大辞典, ジャパンナレッジ (オンラインデータベース), 入手先<http://www.jkn21.com>, (参照 2011-02-23)

 

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