蔵書検索(OPAC)
HOME > 資料案内 > 新しく入った本 > おすすめの一冊
新着資料 ベストセラー 学生の購入リクエスト
映画・ドラマの原作 テーマ図書 おすすめの一冊
おすすめの一冊 本学の教員や図書館員のおすすめの本を紹介します。
 

前の本へ

次の本へ
生きることと学ぶこと ― 内田義彦の本を通して考えてみよう
推薦文 : 図書館長 和田 渡 (経済学部 教授)

 植物も、人間以外の動物も生きているが、生きているということについて考えながら生きることができるのは、おそらく人間だけだ。生きることには多様な側面がある。他の人から支えられて生きる、自分で生きる、二人で生きる、共に生きる。生かされて生きる。生まれた村で生きる、都会に出て生きる、日本で生きる、外国で生きる。特定の地域で生を受け、食事の世話をしてもらうことから出発して、自分で食べるようになる。周囲の人の話す言葉を話すようになり、ものを買うことを覚え、時に着飾り、遊びに出かけ、時に争いながら日々を過ごす。成長し、学び、働き、老いて、死んでいく。時には、生が残酷な仕方で断ち切られる。どの側面に注目するかで、考えることも変わってくる。
 今回は、人間が生きるということを学ぶということと結びつけて考察している本を紹介しよう。

  内田義彦の『生きること 学ぶこと』(内田義彦セレクション 第1巻、藤原書店、2000年)は、「生きること」と「学ぶこと」のつながりを統一的な視点のもとに見ていた内田の仕事を若い人に知ってもらうために編まれたものである。


生きることと学ぶこと

ちなみに、第2巻が『ことばと音、そして身体』、第3巻が『ことばと社会科学』、第4巻が『「日本」を考える』である。内田は、経済理論を軸とした社会思想史の分野で多くの業績を残したが、言葉や芸術などに関する発言も多い。第1巻には、内田の年来の主張や基本的な考え方が示された文章や講演の記録が集められている。「生きること」と「学問すること」はどういう関係にあるのか。これは決して簡単な問題ではない。この問題をじっくり考えてみることによって、「学問」と結びついた生活の意味への理解が深まるかもしれない。特に人間の生活や学問について、分かりやすい言葉とやさしい表現で語られている。学びの渦中にある大学生には参考になるだろう。
 「生きるための学問」という講演はこう締めくくられている。「君たちが学校で学ぶ『専門の学』―さまざまな概念装置―は、そのままでは[・・・・・・]社会に出て役立たないでしょう。しかし、あること[・・・・]について真剣に学び、それを自分のもの[・・・・・]としておけば、必要な時、必要な概念装置が必ずもの[・・]せます[原文ママ]。そして、専門の学をきたえながら、きたえ直した『自分』は、自分を賭けて難局をきり開いてゆく根底となってくれるだろうと思います。」(67頁)さまざまな学問分野では、難解な専門用語が使われる。誰もが分かる平易な言葉の代わりに、日常では使用しない用語が多用される場合もある。しかし、それを勉強して単に暗記するだけでなく、言葉が結びついている現実をより鮮明に把握するために学んでいけば、以前には気づきもしなかった現実の側面が見えてくる。専門用語は現実を分節化し、政治や経済、流通と関わりを持つ現実の諸相を照らし出すための有効な手がかりとなるのである。日常用語だけ使っていては見えてこない現実の断面がはっきり自覚されるようになるのだ。専門用語の意味や内容を学ぶことは、社会のより深い認識に結びつくはずである。
 だが、なかなかそうはならない。内田の苦い認識がこう語られている。「社会科学の本を読みますと、いわゆる専門語、とくにこの場合は、専門語を組み合わせた概念装置である社会科学の専門語がずらりとならんでいまして、それを学問[・・]をするのに理解するのに必要な用語として覚えるのに精一杯で、日常の世界の集積である社会そのもの[・・・・・・]この眼[・・・]で学問的に見るために不可欠な用語として獲得するまでにいたっていません。」(43頁)
 この世界に存在するもの、この世界で起きている出来事には、無数のつながりがある。たとえば、われわれが身にまとうものは、服であれ、靴や帽子、手袋であれ、素材を提供する人、発案するデザイナー、それを仕立てる人、出来上がった商品を梱包、発送する人、店頭に並べて売る人などの働きなしにはありえない。われわれの存在の背後には、先祖の系譜、人類の誕生にいたる進化の歴史がある。身体のサイズや動きは、遺伝的要素や過去の全食事経験の内容によって決まるし、感受性や思考の展開には、胎児期以降の母親の心身の状態や家庭環境、家庭内のしつけや、教育内容、人間関係などが影を落としている。人間の現在は、ビッグバンを起点とする悠久の歴史の凝縮態に他ならない。人間の行動や経済活動、消費活動にも無数のつながりがあり、商店やデパート、図書館、寺院などの建築物にも、それらを成立させているさまざまな連関がある。それぞれの建築物の現在もまた、過去の歴史の滴りとして存在している。
  学問は、その固有な関心に応じて、こうした多様なつながりを持つ出来事の諸相を明らかにしようとするものだ。経済学は、つながりのなかで生ずる出来事を「経済現象、経済活動」という切り口から解明しようとする営みである。内田は、「経済学をどう学ぶか」のなかで、「大学生活の三つの意味」について語っている。第一が、専門の知識の獲得であり、第二が、その過程を通じて自分でテーマを発見し、その解決を自分で引き受けることのできる主体的な研究能力を獲得することである。第三は、その研究の過程で先輩や友人との接触を通じて、個性的で柔軟な一個の人間に自分を鍛えあげる機会を得ることである。この三つを首尾よく獲得するためには、体系的に組まれた講義を注意深く聴いて考えるだけでなく、それぞれが主体的、積極的に自習することが不可欠だというのが内田の主張である。緊張の強いられる、きわめて難しい課題だ。締めくくりの文章はこうだ。「経済学の困難さを強調したので、経済学って大変だなあという感じをもたれたかも知れないが、一度、この困難を覚悟してかかれば、困難は一度におそいかかるものではない。少しの勉強でもその効果は目に見えてあらわれることをうけ合う。勉強してほしい。」(203-204頁)
  『言葉と科学と音楽と』(藤原書店、2008年)は内田と谷川俊太郎との対話集だが、ここでも内田は、学問を通じて自分の目で見ることの大切さを強調している。「やはり、一人一人の人間が、社会科学というものを知識として見るのではなくて、あるいは、社会科学の結論でものを見るのではなくて、”社会科学によって自分の目で見る“。つまり、社会科学を知ると、なるほど、ここにこういうものがあったな、気がつかなかったという形で自分の目と頭が動く。そういう役割を仮に社会科学が果たさなかったら、それは要らんものだと思うんです。」(188頁)締めくくりの発言はこうだ。「経済学専門の人はその専門の視点からだけものを見、否定する人は問題を科学的に見ることをはじめからあきらめている。科学の概念自体を変えて、科学にとらわれず、しかも科学的に考えていくことが要るんですね。」(225頁)今日でも古びてはいない指摘だと思われる。
 内田には、『社会認識の歩み』(岩波新書)という本もある。この本の三つの軸の一つは、「社会科学的認識の深まりを、社会を成して存在する個体の自覚の深まりと対応させて考える」である。生きることと学ぶことの結びつきを重視した著者の本領が発揮された一冊である。『読書と社会科学』(岩波新書)も、内田の社会科学という学問に関する考え方を知るうえで役に立つ。

人物紹介

内田義彦 【うちだ-よしひこ】 [1913-1989]
昭和時代の経済学者。
大正2年2月25日生まれ。東亜研究所、東京帝大世界経済研究室などをへて、昭和22年専修大教授となる。アダム=スミス、マルクス、近代日本思想史の研究をとおして近代市民社会の意味を問いつづけ、社会科学学界におおきな影響をおよぼした。平成元年3月18日死去。76歳。愛知県出身。東京帝大卒。著作に「経済学の生誕」「資本論の世界」「日本資本主義の思想像」など。
”うちだ-よしひこ【内田義彦】”, 日本人名大辞典, ジャパンナレッジ (オンラインデータベース), 入手先<http://www.jkn21.com>, (参照 2011-05-27)

 

前の本へ

次の本へ
ページトップへ戻る