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古典の森を散策してみよう(5) ― ラ・ロシュフコーの視線と挑発
推薦文 : 図書館長 和田 渡 (経済学部 教授)

 セネカのストイックな考え方を嫌う一方で、モンテーニュの本を愛読していたのはフランスのモラリスト(人間観察者)の一人、ラ・ロシュフコー(1613~80)である。『ラ・ロシュフコー箴言集』(二宮フサ訳、岩波文庫)には、彼一流の皮肉や風刺の効いた人間観が満載である。「寸鉄人を刺す」、彼の箴言は、それを読むものをドキッとさせる、ハッとさせる。ニヤリともさせる。2010年に新装版として出版された『ラ・ロシュフコオ 箴言と考察」(内藤濯訳、グラフ社)の帯には、「世界一、辛辣で刺激的な古典」とある。
 ラ・ロシュフコーの生涯は、武人と文人の二つの時期に分けられる。剣の貴族出身で、将来の武将としての教育を受けた彼は、14歳で結婚し、翌年には初陣している。その後も幾度となく戦場に身を置き、砲弾に傷つき失明しかけたこともあった。1667年8月の戦闘参加が武人としての最後の活動になった。その後は、文人として活躍した。1658年頃から書きはじめたと言われる箴言や、回想録に、彼の自己観や人間観が描き出されている。彼が出入りしたサロンでは、短文で文才を競う遊びとして箴言作りが流行していた。


ラ・ロシュフコーの視線と挑発

 モラリストの関心は、個々の人間の表情や語り口、身振り、選ばれる言葉、行動などに向けられる。モラリストは、あるべき人間の姿を語るよりも、具体的に生きて活動している生身の人間をじっくりと観察し、ひとひねりして語ることを好む。前者の言説は道徳や倫理によって人間に理想の衣装を着せかねないが、後者は冷徹な視線によって人間のありのままの姿を裸にしてさらけ出す。
 ラ・ロシュフコーも容赦ない眼差しを周囲の人間に向けて、貧弱な精神を分厚い衣装で着飾ったり、内面の醜さを言葉巧みに隠し続けている人間、嫌がられていることに気づかずに自分のことを長々と自慢げに語る人間、恋愛の狂気に翻弄される人間たちの繰り広げるドラマを箴言に映し出している。
 人間の定義としてよく知られているのは「ホモ・サピエンス(知性人、叡智人)」であろう。誇り高き人間たちは、自分たちが知性的で、賢いことを疑わなかった。しかし、ラ・ロシュフコーの見方は逆だ。人は理性的存在であり、理性の力によって自律的に生きることができる、とは考えない。「知は情にいつもしてやられる。」(38頁)「われわれは自分の情念が自分にさせることのすべてを知りつくすどころか、およそ程遠い有様だ。」(130頁)彼の目に映るのは、自分を冷静にコントロールして、周りとも調和を保って賢く生きる人間ではない。情欲に突き動かされ、何をしでかすかわからないのが人間の姿なのだ。「人間は何かに動かされている時でも、自分で動いていると思うことが多い。そして頭では一つの目的を目指しながら、心に引きずられて知らぬまに別の目的に連れて行かれるのである。」(22頁)自分で自分を引っ張っていくことは至難の業で、闇の力にずるずると引きずられていくしかないというのだ。情が、欲が人間を深いところで支配しているのだ。「欲はあらゆる種類の言葉を話し、あらゆる種類の人物の役を演じ、無欲な人物まで演じてみせる。」(21頁)
 かくして、道徳的な振る舞いよりも、様々な欲や情に駆られた、非道な振る舞いが各所で繰り返され、新聞や週刊誌のネタになる。欲望のおもむくままに突き進んで、周りに害悪を撒き散らす者、情の力に押し流されて修羅場にたたずむ者の数は知れない。好んで、あるいは計画的に悪をなす者もいるに違いない。だが多くの場合は、自分が何をしているのか分からないままに、まさかと思うような悲劇的な事態へと引きずりこまれていくのだ。悲劇を主導するのは知ではなく、情であり、欲である。
 ラ・ロシュフコーの見る人間の多くは、自己愛に彩られている。「隣人愛」を謳うキリスト教の枠組みからは隔たっている。「自己愛こそはあらゆる阿諛追従の徒の中の最たるものである。」(11頁)「自己愛は天下一の遣り手をも凌ぐ遣り手である。」(12頁)自己愛とは、何よりも自分を優先させ、自分のことを気にかけ、自分に執着する傾向である。誰にも備わった自然な傾きであろう。余りにも自然なため、特に意識することもない。ラ・ロシュフコーの定義はこうだ。「自己愛とは、己れ自身を愛し、あらゆるものを己れのために愛する愛である。」(147頁)自己愛は人間の行動のさまざまな局面に姿を現し、それを自己中心的な色合いで染め抜いてしまう。自己愛は海にも喩えられる。「海は自己愛の生きた絵姿であり、自己愛は絶え間なく寄せては返す海の波の中に、そのさまざまな思いの入り乱れた継起と、止むことのない動きの、忠実な表現を見出すのである。」(151頁)
 ラ・ロシュフコーのシニカルな視点が反映された箴言をいくつか挙げてみよう。「精神の欠点は顔の欠点と同じで年をとるほどひどくなる。」(40頁)「虚栄心が喋らせない時人は寡黙になる。」(46頁)「われわれが一つの悪徳に溺れずにすむのは、悪徳を幾つも持っているおかげであることが多い。」(62頁)「重々しさは精神の欠点を隠すために考案された肉体の秘術である。」(80頁)「大多数の若者は、単にぶしつけで粗野であるに過ぎないのに、自分を自然だと思いこんでいる。」(109頁)「女にとって地獄とは老いである。」(189頁)
 ラ・ロシュフコーは、人間を万物の霊長などとは見なさない。彼の目には、人間も動物も同じ水準にある。「人間と動物の類似について」という考察は、両者の類似を巧みに描写している。「どれほど多くの人間が、罪のない人間の血と生命を食らって生きていることか。ある者は虎の如く常に獰猛かつ残忍に、ある者は獅子の如くいささか鷹揚らしき外見を保ちながら、ある者は熊の如く粗野で貪欲に、ある者は狼の如く強奪と非情に徹し、ある者は狐の如く奸智に生き瞞着を生業としている!」(223頁)人間の行状は、鳥や、まむし、ひきがえる、みみずく、蝉、兎、こがね虫、鰐などのそれとも重ねあわされている。「うぬぼれるな」という人間へのメッセージである。
 ラ・ロシュフコーは、人間の欲深い姿や虚栄、虚飾に満ちた振る舞いを暴き出すネガティヴな観察者として本領を発揮したが、ポジティヴな語りがなかったわけではない。「ほんとうの紳士」についての箴言にそれが見られる。「ほんとうの紳士とは、自分の欠点を知りつくし、それを率直に言う人である。」(64頁)「真の紳士は、誉めるに値するものを偏見なしに誉め、求めるに値するものを追求し、そして何事も鼻にかけない人であるべきだ。」(229頁)
 上手に生きるすすめも散見される。「紳士の交わりには一種の洗練が必要である。これは冗談を解させ、また、あまりにもむくつけで手厳しい話し方で傷つけられたり傷つけたりすることを回避させる。」(198頁)「自分にとって自然な顔を心得て、それを置き忘れず、できるだけよい顔にしようと努めなければならない。」(201頁)
 ラ・ロシュフコーに興味を持つ人は、堀田善衛の『ラ・ロシュフーコー公爵傳説』(集英社、1998年)を手に取ってみるとよい。動乱の17世紀の歴史を丹念に描きつつ、ラ・ロシュフコーの生涯を先祖とのつながりのなかで浮き彫りにした力作である。この本の冒頭には、最もよく知られた箴言「太陽も死もじっと見詰めることは出来ない」が置かれている。

人物紹介

ラ・ロシュフーコー 【François de La Rochefoucauld】[1613~1680]

フランスのモラリスト。フロンドの乱に参加。代表作「箴言(しんげん)集」で人間性の鋭い分析を的確に表現した。
”ラ‐ロシュフーコー【François de La Rochefoucauld】”, デジタル大辞泉, ジャパンナレッジ (オンラインデータベース), 入手先<http://www.jkn21.com>, (参照 2011-08-25)

 

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