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異郷へ ― 紀行文学を読もう
推薦文 : 図書館長 和田 渡 (経済学部 教授)

 人は誰もが旅の途上にある。旅に生きて、旅に死ぬのだ。幸いにも目がさめると、新しい一日の旅が始まる。学生としての旅が終われば、社会人としての旅が続く。旅を慣れ親しんだ地で生きて終える人もあれば、今ここにいる場所とは違う世界に旅を求める人もある。出発地に戻らぬままに放浪の旅を終える人もいれば、旅の経験によって進む方向が変わってしまう人もいる。
 ここではない場所への憧れに駆りたてられてここを離れた人は、しばしば、光も風も匂いも一変した場所で、感受性の揺れ動きや人々との邂逅の経験、風景の印象を言葉に刻んだ。紀行文学の誕生である。今回は、異郷での旅の出来事が文学にまで昇華された作品をいくつか紹介しよう。

 松尾芭蕉(1644~94)は、俳句の洗練を願い、風雅の真髄を極めるための旅を構想した。江戸時代の初頭のことである。主に歩く旅であり、危険を伴う旅であり、死を覚悟する旅であった。見知らぬ地の風光のなかで俳句を磨き、17文字に久遠の命を吹き込むための執念の旅でもあった。芭蕉は、創作の改変と深化という動機に貫かれた戦略的な旅に幾度かおのれを賭けたのである。


旅に生きて旅に死ぬのだ。

 『おくのほそ道』(萩原恭男校注、岩波文庫、1979年)は、江戸を出発し、奥羽、越後、越前の地を経て、大垣に着き、伊勢に向けて旅立つまでの約150日、2400キロに及ぶ巡歴の記録である。漂白の詩人李白の漢詩を借りて、「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也」(9頁)という周知の格調の高い書き出しで始まる。知人や門弟との悲しみを伴う出立の場面では、「行春や鳥啼魚の目は泪」(11頁)という別れの句が添えられる。平泉では鮮やかに、「五月雨の降のこしてや光堂」(41頁)。尿前の関、雨に降り込められ山中での一泊時には軽妙に、「蚤虱馬の尿する枕もと」(42頁)。山形県の立石寺、音と沈黙の相互作用の妙が、「閑さや岩にしみ入蝉の声」(46頁)の一句に凝縮される。越後では、「荒海や佐渡によこたふ天河」(55頁)、会者定離の感慨を込めて、「一家に遊女もねたり萩と月」(57頁)。
 地の文と世界の多様性の一面を切り取る俳句との照合が見事だ。軽いユーモアや無常観、季節感が相入り混じって比類ない詩空間が開かれている。一本調子の平凡を避けた、緩急自在の筆の運びも読者を飽きさせない。叙景と叙情の幸福な融合が美しく、旅の感受性が刺激される紀行文である。

 『おくのほそ道』の内容と構成に強く惹かれたのがブルース・チャトウィン(1940~89)である。彼は若くして絵画鑑定の才能を発揮したが、美術品売買の世界を嫌って別の道を求めた。後に、「サンデイ・タイムズ」の記者としても活躍した。世界の各地での経験を文章として残した。スーダンでの移動民との出会いが、彼のノマド的世界観を育むことになった。彼自身も定住の生よりも移動する生を好むようになった。「漂流」は、物欲や所有欲からの解放を促し、精神の運動に豊かな展開をもたらす。つかの間の出会いは、精神によって永遠の形へと刻まれる。漂流は続くはずであった。しかし、エイズが原因で、49歳という若さで亡くなった。85冊のノートブックと膨大な遺稿が残された。
 幼い頃に祖母の家で目にした「ブロントサウルスの皮」にまつわる記憶が保持されて、青年チャトウィンのパタゴニアへの旅の誘因のひとつとなった。ブロントサウルスが棲んでいたというパタゴニアは、南米大陸の最南端に位置し、チリとアルゼンチンにまたがる広大な大地である。生き物にとっては厳しい風土である。その地で生きる人間や流れ者との出会い、風景の印象、歴史探索、回顧などを自在に混ぜ合わせた作品が『パタゴニア』(芹沢真理子訳、世界文学全集Ⅱ-08所収、河出書房新社、2009年)である。チャトウィンの眼と精神が紡ぎ出した旅経験の創作であって、単なる報告や記録ではない。自分の心や感受性に響いてくる人物や風景の印象を入念に加工して、創り出した傑作である。いくつもの出会いが、いったんチャトウィンの心のなかに納められる。時の成熟を待ち、想像のひねりが加わって、やがて経験の断面がエピソードの巧みな空間に配置される。都会ではみられない魅力的な人物、風や雲や大地、土地にまつわる歴史や伝説が淡々として乾いた文体で描かれている。文体に慣れると、俄然面白くなってくる。

 芭蕉やチャトウィンと違って、ゲーテ(1749~1832)はイタリアで見たこと、感じたこと、考えたことを丹念に日記に書き留め、手紙も多く書いた。それらが編纂され、加工も加えて出版されたのはおよそ30年後である。『イタリア紀行(上・中・下)』(相良守峯訳、岩波文庫、1960-61年)は、日記形式で書かれており、小説と異なり、気ままにどこからでも読める。外界の見るもの、聴くものを次から次へと文字にしていく膨大な作業は、ベクトルは正反対だが、プルーストの内界への記憶の旅を延々とつづる執念と好対照をなしている。
 ワイマール公国での平凡な職務にうんざりし、窒息感に喘いでいたゲーテは、早暁に、こっそりと憧れの地イタリアめざして郵便馬車に乗りこんだ。彫刻、絵画、建築の数々、青く澄んだ空と色鮮やかな植物、陽気でにぎやかな女たち、ふくよかな味のぶどう酒は退屈な生活で死にかけていたゲーテの詩的感受性と知性をよみがえらせた。この旅での見聞・観察・記録が詩人としての生涯への転換点となった。
 ヴェネチアのゴンドラの歌声はこう記されている。「透りのいい声で―この国の人たちは何よりも強さを貴ぶのだ―彼は島や運河の岸に舟を寄せては、天にもひびけとばかりにうたう。歌は静かな水面へと拡がってゆく。すると遠方でこの旋律を知り、文句を心得ている者が聞きつけては、次の句をもってこれに応える。それにまたこっちからも歌いかえすという風に、始終お互に応酬するのである。」(上巻、115-116頁)
 イタリアに魅了された作家や芸術家は数知れない。スタンダールの『赤と黒』や『パルムの僧院』はイタリアの地で生まれた。メンデルスゾーンは、旅の印象を交響曲「イタリア」の明るいリズムに反映させた。タルコフスキーの映画「ノスタルジア」の最後の重要な場面は、ローマのある広場が舞台になっている。ゲーテは、イタリアにほれ込み、イタリアに酔いしれる人々の先鞭をつけた一人だ。

 詩人の金子光晴(1895~1975)は、1928年から32年にかけて、妻と共に東南アジアとヨーロッパを旅した。シンガポール、マレー半島、ジャワ、スマトラでの見聞を美しい日本語の散文に結晶させたのが『マレー蘭印紀行』(中公文庫、1978年)である。当時、西欧列強の植民地支配下にあったこの地域には、華僑も日本人もうごめいていた。「新世界」は、女たちの商売の場でもあった。
 この紀行文では、人間の振る舞いや森や川、海の自然の断面が、人体の生理へと傾斜する金子光晴の感性によって印象的に描き出されている。「板橋を架けわたして、川のなかまでのり出しているのは、舟つき場の亭か、厠か。厠の床下へ、綱のついたバケツがするすると下ってゆき、川水を汲みあげる。水浴をつかっているらしい。底がぬけたようにその水が、川水のおもてにこぼれる。時には、糞尿がきらめいて落ちる。」(7頁)「森の樹木のさかんな精力は、私の肺や、そのほかの内臓のふかいすみずみまで、ひやっこい、青い辛味になって、あおりこまれる。」(11頁)「川は放縦な森のまんなかを貫いて緩慢に流れている。水は、まだ原始の奥からこぼれ出しているのである。それは濁っている。(中略)それは、森の尿である。」(12-13頁)
 練り上げられた日本語が、自然の動きとひとつになって、まるで生き物のようだ。言葉とものの交歓が読む者に迫ってくる。若い時代の抵抗の詩や、孫の若葉を祝う老年の詩においても、時に鋭く、時に無類に優しい言葉の世界が創出されたが、この紀行文でも、言葉の強い力によって喚起される世界は鮮烈に光り輝いている。

人物紹介

松尾芭蕉 (まつお-ばしょう) [1644-1694]

江戸時代前期の俳人。正保(しょうほ)元年生まれ。京都で北村季吟(きぎん)にまなぶ。江戸にでて宗匠となり、延宝8年深川に芭蕉庵をむすぶ。貞享(じょうきょう)元年の「甲子吟行(かっしぎんこう)」「野ざらし紀行」をはじめ「笈(おい)の小文」「おくのほそ道」などの旅をへて、不易流行の思想、わび・さび・軽みなどの蕉風にたどりつく。作句は没後、「冬の日」「猿蓑(さるみの)」「炭俵」などの七部集にまとめられた。元禄(げんろく)7年10月12日旅先の大坂で病死。51歳。命日を時雨忌という。伊賀(いが)(三重県)出身。名は宗房。通称は忠右衛門。別号に桃青(とうせい)、坐興庵、栩々斎(くくさい)、花桃園など。
【格言など】春に百花あり秋に月あり、夏に涼風あり冬に雪あり。すなわちこれ人間の好時節
”まつお-ばしょう【松尾芭蕉】”, 日本人名大辞典, ジャパンナレッジ (オンラインデータベース), 入手先<http://www.jkn21.com>, (参照 2011-09-22)

ブルース・チャトウィン 【Bruce Chatwin】 [1940~1989]

1940年イングランド中部に生まれる。幼年時代は親戚の家を転々とする。18歳のときにロンドンへ上京し、オークション会社サザビーズで美術品鑑定に携わる。66年同社を退職後考古学を学び、遊牧民に関するエッセイを執筆。『サンデイ・タイムズ』などでも仕事をする。74年のパタゴニア行きを経て、77年『パタゴニア』を発表し、20世紀を代表する紀行文学として各紙誌で絶賛される。その後、『ウィダの総督』『ソングライン』『ウッツ男爵』など、ユニークな作品を次々に発表し、高い評価を得る。89年病没。―本書表紙カバーより

ゲーテ 【Johann Wolfgang von Goethe】 [1749~1832]

ドイツの詩人・小説家・劇作家。小説「若きウェルテルの悩み」などにより、シュトゥルム‐ウント‐ドラング(疾風怒濤(しっぷうどとう))運動の代表的存在となる。シラーとの交友の中でドイツ古典主義を確立。自然科学の研究にも業績をあげた。戯曲「ファウスト」、小説「ウィルヘルム‐マイスター」、叙事詩「ヘルマンとドロテーア」、詩集「西東詩集」、自伝「詩と真実」など。
”ゲーテ【Johann Wolfgang von Goethe】”, デジタル大辞泉, ジャパンナレッジ (オンラインデータベース), 入手先<http://www.jkn21.com>, (参照 2011-09-22)

金子光晴 (かねこ-みつはる) [1895-1975]

大正-昭和時代の詩人。明治28年12月25日生まれ。森三千代の夫。大正8年初の詩集「赤土の家」を出版後、渡欧。帰国後「こがね虫」を刊行。昭和12年日本の現実を風刺した「鮫(さめ)」を発表。戦後、反戦詩集「落下傘」「蛾(が)」などを刊行。29年「人間の悲劇」で読売文学賞。昭和50年6月30日死去。79歳。愛知県出身。早大、東京美術学校(現東京芸大)、慶大中退。旧姓は大鹿。本名は保和。
【格言など】二十五歳の懶惰(らんだ)は、金色に眠っている(「こがね虫」)
”かねこ-みつはる【金子光晴】”, 日本人名大辞典, ジャパンナレッジ (オンラインデータベース), 入手先<http://www.jkn21.com>, (参照 2011-09-22)

 

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