蔵書検索(OPAC)
HOME > 資料案内 > 新しく入った本 > おすすめの一冊
新着資料 ベストセラー 学生の購入リクエスト
映画・ドラマの原作 テーマ図書 おすすめの一冊
おすすめの一冊 本学の教員や図書館員のおすすめの本を紹介します。
 

前の本へ

次の本へ
読書への招待(3) ― 小説の面白さを味わってみよう (日本の近代文学篇)
推薦文 : 図書館長 和田 渡 (経済学部 教授)

 森鷗外(1862~1922)と夏目漱石(1867~1916)は、留学の経験を通じて、日本の近代を外から眺める視点を得た。約4年間の実り多いドイツ留学から帰国した若き鷗外は、軍医として勤める傍らで、訳詩、反自然主義的な小説、歴史小説などに精力的に取り組んだ。生涯で最も不愉快だったという2年余のロンドン滞在から戻った中年の漱石は、教師から作家に転進し、新聞の連載小説を書いた。両者の時代の動きと人間を見つめる鋭い眼差しと歴史や人間を描きたいという欲望は、数々の傑作に結実し、今もなお多くの読者を魅了してやまない。

 鷗外は、留学中につきあったドイツ人女性との恋愛の経験を題材にして、「舞姫」(1890)(『阿部一族・舞姫』改版、新潮文庫、2006年)という悲劇を書いた。「石炭をば早や積み果てつ。中等室の卓のほとりはいと静にて、熾熱燈の光の晴れがましきも徒なり。」(8頁)漢文調と和文調の混交から成る冒頭の二文である。大田豊太郎という野心的な留学生と、エリスという名の踊り子との恋の顚末、エリスの発狂という重い主題をも含み、大変な評判となった一篇である。


町子は第七官の世界を生きて、呼吸している。

森鷗外、井上靖訳『現代語訳 舞姫』(ちくま文庫、2006年)には、原文も含まれている。今年になって、日本文学史上で最大の謎とも見なされてきた「舞姫」のモデルの実像に迫る興味深い本が出版された。ベルリン在住の六草いちかによる『鷗外の恋 舞姫エリスの真実』(講談社、2011年)である。

 漱石の留学経験の一端は、「倫敦塔」(1905)(『倫敦塔・幻影の盾』改版、新潮文庫、2008年)に描かれている。同じ年に『吾輩は猫である』が発表され、作家としての出発を後押しすることになる。「倫敦塔」は、帰国した漱石がただ一度の倫敦塔との出会いの経験を振り返り、その歴史に思いをはせながら、心のおもむくままに書き記したものである。想起と幻想の光に倫敦塔が照らし出される。「20世紀の倫敦がわが心の裏から次第に消え去ると同時に眼前の塔影が幻の如き過去の歴史を吾が脳裏に描き出して来る。」(11頁)塔の歴史の記述には、空想の経験が重ねられる。幻影の喪服の女が「空想の舞台」(14頁)で「さめざめと泣く。」(17頁)空想は、やがて想像へと転じるが、そのさなかにも空想が現れてくる。漱石が小説を書かずには生きていけなかった心の気配がすでに色濃く感じられる小品である。

 樋口一葉(1872~1896)は、24歳という若さで肺結核で亡くなった。代表作「たけくらべ」は、その前年に「文学界」に断続的に連載され始めた。現在は、岩波文庫、集英社文庫などで手軽に読める。吉原遊郭周辺に住む10代前半の少年と少女の運命の物語である。定められた郭の世界に抵抗なく進み、強いられた大人への急激な変貌をむしろ誇らしげに受けとめる子どもたちとの対比で、美登利という14歳の少女の違和感と抵抗の気持ちが描かれる。美登利が心をよせる15歳の信如との交流の顚末が後半の見せ場である。「たけくらべ」は黙読よりも、耳で聞くのがよい。黙読では目に重たく、苦しくも映る漢字が、耳には快い響きとなって入ってくる。テンポよく流れる文章のひとつひとつも耳に心地よい。毎年11月23日に開かれる「一葉忌」の声の主役だったという幸田弘子の朗読を新潮カセットブック『樋口一葉』(1~3)で聞くことができるので、ぜひ聞いてみて、日本語の美しい響きを感じてほしい。

 樋口一葉が亡くなった年に、鳥取県出身の作家、尾崎翠(1896~1971)が生まれている。東京に出た彼女は、18から39歳までの約20年間創作活動を続けた。郷里に戻ってからの消息は、東京では知られなかった。傑作「第七官界彷徨」(『アップルパイの午後』所収、出帆社、1975年)が発表された1931年は、日本が戦争へと傾斜していくさなかである。ありのままに書くことをよしとする自然主義文学を嫌悪し、時流に抗する固い意志を持った尾崎は、想像力の粋を凝らして、なんとも不思議な趣のある、奇妙な世界を作り出した。モノトーンの映画を見ている気分になる。
 「私はひとつ、人間の第七官にひびくような詩を書いてやりましょう」(60頁)という大胆な企てを持ちながらも、第七官が何かを分からないでいる小野町子という娘が主人公である。長兄で精神分析医の一助、肥料を調べ、蘚の恋愛の研究に打ち込み、「『肥料の熱度による植物の恋情の変化』」(100頁)をテーマにしている次兄の二助、音楽の道に進みたい受験生で、従兄の佐田三五郎とのひとつ屋根での日常を描いたものである。一助の分裂心理の研究に刺激された町子は、「広びろとした霧のかかった心理界」(82頁)が第七官の世界ではないかと考え、霧のかかった詩を書きたいと望む。他方で、二助の部屋から流れ出る「淡いこやしの臭い」(83頁)と三五郎の弾く「ピアノの哀しさ」(同頁)に触発され、「第七官というのは、二つ以上の感覚がかさなってよびおこすこの哀感ではないか」(同頁)と考えて、哀感のこもった詩を書いてみる。同じ色と形をした蘚の花粉とうで栗の粉を見て、町子は自問する。「私のさがしている私の詩の境地は、このような、こまかい粉の世界ではなかったのか。」(157頁)第七官を求めての町子の旅が続く。
 面白い会話がいくつも出てくる。「人間が恋愛をする以上は、蘚が恋愛をしないはずはないね。人類の恋愛は蘚苔類からの遺伝だと言っていいくらいだ。(中略)その証拠には、みろ、人類が昼寝のさめぎわなどに、ふっと蘚の心に還ることがあるだろう。じめじめした沼地に張りついたような、身うごきのならないような、妙な心理だ。」(109-110頁)「どうも夜の音楽は植物の恋愛にいけないようだ。家族たちの音楽はろくな作用をしたためしがない。宵にはすばらしい勢いで恋愛をはじめかかっていた蘚が、どうも停滞してしまった。」(166頁)
 結局、人間の第七官にひびくような詩は書かれぬままに話は終わる。だが、タイトルの「第七官界彷徨」に暗示されているように、この小説において、町子は第七官の世界を生きて、呼吸している。それは見えるものと見えないもののあわいで生じている出来事の世界であり、ひとつの感覚がおのれの領分を越えて別の感覚と交差する世界であり、ものの形が、色やにおいや音がこころと共鳴し、時に対立して特殊な情感をかもし出す世界である。
 尾崎翠の作品は、今日では『ちくま日本文学全集 尾崎翠』(筑摩書房、1991年)、『尾崎翠集成』(全1巻、ちくま文庫、1998年)などで読める。尾崎翠をこっそりと独り占めにしたいファンにはうとましい状況が生まれつつある。1998年には、「第七官界彷徨~尾崎翠を探して」という映画が製作され、白石加代子が主演している。尾崎翠に関心のある人には、寺田操の『尾崎翠と野溝七生子 二十一世紀を先取りした女性たち』(白地社、2011年)がおすすめである。

人物紹介

森鴎外 (もり-おうがい)[1862-1922]

明治-大正時代の軍人、小説家。
文久2年1月19日生まれ。東京大学卒業後、軍医となり、ドイツに留学。陸軍軍医学校教官などをへて明治40年陸軍軍医総監。衛生の向上につくす。公務のかたわら明治23年「舞姫」を発表して文壇に登場。最盛期の42年から大正5年にかけて「ヰタ・セクスアリス」「青年」「妄想」「雁(がん)」や歴史小説「興津弥五右衛門の遺書」「阿部一族」、史伝「渋江抽斎」などを執筆。また原作以上と評された「即興詩人」の翻訳や、評論、歴史研究など活動は多岐にわたり、数おおくの業績をのこした。大正11年7月9日死去。61歳。石見(いわみ)(島根県)出身。本名は林太郎。別号に観潮楼主人。
【格言など】余は石見人森林太郎として死せんと欲す(遺言)
もり-おうがい【森鴎外】”, 日本人名大辞典, ジャパンナレッジ (オンラインデータベース), 入手先<http://www.jkn21.com>, (参照 2011-10-25)

夏目漱石 (なつめ-そうせき)[1867-1916]

明治-大正時代の小説家、英文学者。
慶応3年1月5日生まれ。松山中学、第五高等学校で英語教師をつとめ、明治33年文部省留学生としてイギリスに留学。36年母校東京帝大の講師となり「文学論」「十八世紀英文学論」を講じる。38年「ホトトギス」に発表した「吾輩は猫である」が好評を得、40年東京朝日新聞社に専属作家としてむかえられ、近代日本の知識人の自我をめぐる葛藤(かっとう)をえがいた作品をあらわす。正岡子規とまじわり、俳句や漢詩にしたしむ。門下には寺田寅彦、森田草平ら多数。大正5年12月9日死去。50歳。江戸出身。本名は金之助。作品に「坊つちやん」「草枕」「虞美人草(ぐびじんそう)」「三四郎」「それから」「門」「こゝろ」「明暗」など。
【格言など】則天去私(晩年のことば)
”なつめ-そうせき【夏目漱石】”, 日本人名大辞典, ジャパンナレッジ (オンラインデータベース), 入手先<http://www.jkn21.com>, (参照 2011-10-25)

樋口一葉 (ひぐち-いちよう)[1872-1896]

明治時代の歌人、小説家。
明治5年3月25日生まれ。19年歌人中島歌子の萩(はぎ)の舎(や)に入門。三宅花圃(みやけ-かほ)に刺激されて小説家をこころざし、半井桃水(なからい-とうすい)に師事。25年第1作「闇桜」を発表。27年末から1年あまりの間に「大つごもり」「たけくらべ」「にごりえ」「十三夜」などをかく。またすぐれた日記をのこした。明治29年11月23日死去。25歳。東京出身。本名は奈津。
【格言など】これが一生か、一生がこれか、ああ、いやだ、いやだ(「にごりえ」)
”ひぐち-いちよう【樋口一葉】”, 日本人名大辞典, ジャパンナレッジ (オンラインデータベース), 入手先<http://www.jkn21.com>, (参照 2011-10-25)

尾崎翠 (おざき-みどり)[1896-1971]

大正-昭和時代前期の小説家。
明治29年12月20日生まれ。日本女子大在学中の大正9年「新潮」に「無風帯から」を発表。翌年同大を中退し、文学に専念。昭和8年「第七官界彷徨(ほうこう)」を出版し注目されたが、神経をやんで創作活動はとだえた。昭和46年7月8日死去。74歳。鳥取県出身。
【格言など】第七官というのは、二つ以上の感覚がかさなってよびおこすこの哀感ではないか(「第七官界彷徨」)
”おざき-みどり【尾崎翠】”, 日本人名大辞典, ジャパンナレッジ (オンラインデータベース), 入手先<http://www.jkn21.com>, (参照 2011-10-25)

 

前の本へ

次の本へ
ページトップへ戻る