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読書への招待(4) ― 小説の面白さを味わってみよう(日本の戦後文学篇)
推薦文 : 図書館長 和田 渡 (経済学部 教授)

 中高年や初老の人が太宰治(1909~1948)の小説を読む姿は想像しにくい。いるとすれば、若い時期に読んだことがある人に違いない。太宰は、とりわけ10代、20代の青年の心に響く作品を多く残した。思春期の揺れ動く心と、対人関係のもつれや自意識、羞恥心の戯れを描いた太宰の作品とはうまく交差する。社会に出て忙しく働き、目先の利益にしか目がいかないようになると、経済的なことが優先され、小説など見向きもしなくなる人も少なくない。しかし、青春の一時期には、自分と他人の距離がうまく取れずにとまどい、不用意な言葉によって相手を窮地に追いやったり、相手に困惑させられたり、観念が先走りして虚無的になったりしやすい。先の見えない暗がりのなかで、焦燥感が高まり、時に屈折した感情は行き場を失う。この季節には、誰もが程度に差はあっても、稼ぐ苦しさとは別の心理的なつらさを身に沁みて味わうのだ。この種の困難を抱えこんでたたずむ人に、太宰の作品は親しく近づいてくる。
 『人間失格』(改版、2006年、新潮文庫)は、1948年、39歳の太宰治によって書かれた。この年、太宰は「グッド・バイ」の草稿や遺書数通などを残して、山崎富栄という戦争未亡人と入水自殺


日本の戦後文学を味わう

した。世の中にまごうことのない善人がいないように、完全無欠な人間もいない。誰もが多かれ少なかれ失格している存在である。とはいえ、自分がなんらかの悪に染まり、人間的に失格していることを意識しながら生きている人は少ないだろう。鈍い感受性が、都合のよい自己肯定へとつながっていくのだ。太宰は、素性によって、環境によって、時代の雰囲気がもたらすものを身に蒙ることによって、とりわけ人の心の動きに鋭敏な感受性によって、ついには自分を生きるに値しない人間と見切ってしまった。その顚末の自己を否定する最終報告が『人間失格』である。
 最初から自死が意識して書き始められている。「第一の手記」の冒頭は、「恥の多い生涯を送って来ました」で始まる。「第三の手記」の結末はこう結ばれる。「自分はことし、二十七になります。白髪がめっきりふえたので、たいていの人から、四十以上に見られます。」(149-150頁)
 この作品の核心は、主人公の道化、女性関係への傾斜、罪の意識と関わる。人間を恐れつつ、人間を思い切れない葉蔵の道化の告白がこう語られる。「おもてでは、絶えず笑顔をつくりながらも、内心は必死の、それこそ千番に一番の兼ね合いとでもいうべき危機一髪の、油汗流してのサーヴィスでした。」(14頁)二つの顔を持つ愛想のよい葉蔵は、女を引き寄せる。抜き差しなら関係ができてしまう。煩悶と地獄の日々。雪の降り積もった夜の道で葉蔵は喀血し、雪で顔を洗い、泣く。すると、「哀れな童女の歌声が、幻聴のように、かすかに遠くから聞こえます。」(137頁)
   「こうこは、どうこの細道じゃ?
    こうこは、どうこの細道じゃ?」(同頁)
 行き惑う葉蔵は、自分の生涯に区切りをつける言葉を吐露する。この言葉は、何度かの類似行為の反復に終止符を打つことになった。
   「人間、失格。
    もはや、自分は、完全に、人間で無くなりました。」(147頁)
 松本侑子の『恋の蛍 山崎富栄と太宰治』(光文社、2009年)は、山崎富栄という太宰と心中した女性に力点を置いて二人の関係を追跡した評伝である。心中へと追いつめられていく二人の心理過程がうまく描かれている。あらぬ誤解や非難、中傷から山崎を救い出そうとした執念の書でもある。

  「近くの国分寺跡や古墳の周囲を自転車でめぐり、草の間に座っていると、いま時分はあらゆる香りに満ちていて、草がものすごくやさしい。病気だから気づけるんだろうね。そうか、山川草木に神が宿るとは、こういうやさしさに満ちているということなのか、と感じる。」(1992年6月30日、朝日新聞)がんで闘病中の中上健次(1946~92)が語った言葉だ。暴れ牛のように活躍し、闘志をむき出しにして生き、外からは剛毅な男性のように見えた中上から、思いもよらぬ静かな省察が聞かれた。中上は自分が到達すると信じていた老年の文学期を待たずに、この年の8月になくなった。『枯木灘』『千年の愉楽』などの傑作が残った。
 『十八歳、海へ』(集英社文庫、1980年)は、19から23歳までに書かれた作品を収めたものである。肉体に対して過剰なまでの自身を持っていた若き中上は、時代のなかで揺れ動く自分の感受性と肉体のエネルギーを、噴出する言葉によって存分に開花させている。みずみずしく、生々しく、性のにおいでむんむんしている。青春の痛みや苦しみ、怒りや空しさの感情が渦巻いている。
 問いが熱く咆哮している。
   「海よ
    狂気の海よ
    はてしなくひろがる希望の海よ
    僕を閉じこめる嘆きの海よ
    僕とはいったいなんだ?
    僕の僕とはいったいなんだ?」(190頁)
  後年、中上はこれらの作品のメッセージをこう表現している。「これは内なる今一人の柔らかい肉を持った年若い作家の、作品集である。秩序など無意味だ、破壊へ、混乱へ。この年若い作家と今の私をつなぐのは、その想いである。」(199頁)「作者の、内発的な力と、時代の思潮とのせめぎ合いが、この「海へ」という作品を作り上げている、と言えるのかもしれない。そして、そのせめぎ合う音が、純粋に響いている点が、「海へ」の魅力なのだろう。」(205頁)作家の津島佑子による「解説」のなかの二文である。

 島尾敏雄(1917~86)は、1944年に第18震洋隊(特攻隊)の指揮官として奄美群島加計呂麻島に赴き、特攻出撃を待った。翌年の8月13日に出撃命令を受けたが、発進命令のないまま15日の終戦を迎えた。死刑を宣告されながらも、執行の直前にシベリア流刑に切り替えられて生き延びたドストエフスキーと類似の体験になった。この時の体験は、後年、『出孤島記』や『出発は遂に訪れず』(1964年)などでも描かれた。
 『魚雷艇学生』(新潮文庫、1989年)は、島尾が海軍兵科予備学生として採用され呉の海兵隊に入隊し、その後特攻隊の指揮官として春之浦基地に到着するまでの時期を描いたものである。60代後半の島尾は、恐るべき過去の再現力を駆使して、20代後半の時期の体験の細部を実に緻密に再構成している。自然描写や周りの人間の記述も細かいが、なによりも「私」のはりつめた心理状態が、息の長い文体の連続によって描かれている。敵を殺すか、敵から殺されるかどちらかという極限状況を目前にし、死と対峙して行動することを迫られた日本の特攻隊を、「私」の心理を通して浮き彫りにしたこの作品は、戦争文学として類を見ないものであろう。
 島尾には、三角関係の破綻から生じた夫婦の危機と極限状況を描いた『死の棘』という傑作もある。情念にもつれる夫婦の心理の襞が、神の視点を交えて、残酷なまでに緻密に抉り出されている。映画化された書でもある。

人物紹介
太宰治 (だざい-おさむ) [1909-1948]

昭和時代の小説家。
明治42年6月19日生まれ。井伏鱒二(ますじ)に師事。左翼活動での挫折のあと「海豹(かいひょう)」「日本浪曼(ろうまん)派」に作品を発表、昭和10年「逆行」が芥川賞候補となる。戦後は無頼派とよばれ、「ヴィヨンの妻」「斜陽」などで流行作家となる。昭和23年6月13日玉川上水で入水自殺した。40歳。青森県出身。東京帝大中退。本名は津島修治。作品はほかに「走れメロス」「人間失格」など。
【格言など】富士には、月見草がよく似合う
”だざい-おさむ【太宰治】”, 日本人名大辞典, ジャパンナレッジ (オンラインデータベース), 入手先<http://www.jkn21.com>, (参照 2011-11-28)

中上健次 (なかがみ-けんじ) [1946-1992]

昭和後期-平成時代の小説家。
昭和21年8月2日生まれ。上京して「文芸首都」同人となる。ジャズや映画、演劇に熱中し、肉体労働のかたわら小説をかく。昭和51年「岬(みさき)」で戦後生まれ初の芥川賞。「枯木灘(なだ)」「鳳仙花(ほうせんか)」などに紀州熊野(くまの)の風土と複雑な血縁関係の葛藤(かっとう)をえがいた。平成4年8月12日死去。46歳。和歌山県出身。新宮(しんぐう)高卒。
”なかがみ-けんじ【中上健次】”, 日本人名大辞典, ジャパンナレッジ (オンラインデータベース), 入手先<http://www.jkn21.com>, (参照 2011-11-28)

島尾敏雄 (しまお-としお) [1917-1986]

昭和時代後期の小説家。
大正6年4月18日生まれ。海軍の特攻隊指揮官として奄美(あまみ)で終戦をむかえる。戦争体験をえがいた「出孤島記」「出発は遂(つい)に訪れず」、超現実的な「夢の中での日常」などで新しい文学の旗手となる。心をやんだ妻ミホとの交渉をえがいた「死の棘(とげ)」で昭和53年日本文学大賞。56年芸術院賞。60年「魚雷艇学生」で野間文芸賞。昭和61年11月12日死去。69歳。神奈川県出身。九州帝大卒。
”しまお-としお【島尾敏雄】”, 日本人名大辞典, ジャパンナレッジ (オンラインデータベース), 入手先<http://www.jkn21.com>, (参照 2011-11-28)

 

 

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