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読書への招待(5)―小説の面白さを味わってみよう(日本の現代文学篇)
推薦文 : 図書館長 和田 渡 (経済学部 教授)

 われわれがどういう時代を生きているのか、どんな状況に置かれているのかをはっきりと見定めることは難しい。次々と起こる事件や出来事の断片的な情報は、時代の動向把握の的確な指標とはならない。制限されて表に出ない情報は、時代の危機的な徴候を隠し、見えないものにする。しかし、見えないものが無いものではない。無いようにしか見えないものは、しばしば、見えなくされているものだ。見えるものに制圧されていると、見えないものの存在はますます見えなくなる。見るべきものも見えなくなる。
 作家の眼差しは、見通しがたい時代の動向のなかに垣間見える現象に向かう。獲得された洞察が想像力と結びついて作品の創造にいたる。今回は、現代という時代の相貌と、そこに生きる人間の煩悶や痛みを描いた小説と、異なる時代の物語を通して間接的に現代を映し出している作品を紹介しよう。

 『コンセント』(幻冬舎、2000年)は、田口ランディ(1959~)の処女作である。「あとがき」によれば、この小説の発端は、アパートの一室で衰弱死した一人の男であるという。 男は、生前

作家のまなざしがかいま見るもの

繰り返し「世界残酷物語」という映画に出てくる少年のエピソードを口にした。 精神病院に入った分裂病の少年は、コンセントを常時持ち歩き、それがつながっているときだけ生きられるというのだ。だがこの映画には、そのエピソードがないことが分かる。田口は途方にくれ、男の死に引きつけられる。「死とは、たぶん、人生における最大の謎である。その謎を引き受けるために、私は『コンセント』という小説を書き始めた。」(298頁)
 腐乱死体で発見された兄の死で始まる。その理由を問う妹ユキに、家族の陰惨な記憶の蘇生を伴う旅が始まる。兄の死後、ユキには元気な兄の姿が何度か見える。幻覚なのだろうか。兄の死の理解を求めて、かつて親しい関係を結んだカウンセラーの恩師との関係が復活し、かつての学友とのやりとりから、シャーマンや霊体離脱につながるきっかけが生まれる。ユキの欲情は、対人関係の要所で荒々しく噴出する。やがて、ユキにゲシュタルト崩壊が起こる。シャーマンを求めて沖縄に飛んだユキに異次元の世界が開かれ、シャーマンによって、兄の死を解読するヒントが与えられる。解体=自己実現というコンセント理解が生まれる。ユキの体がコンセントになってこの小説が終わる。
 ぐいぐいと読者をひっぱる、テンポのよい文体が特徴だ。語られることも異彩を放つ。無意識の底知れぬ世界への下降と自己の身体からの離脱と上昇の運動が交差する世界を、身体の熱狂を交えて描く傑作である。

 桐野夏生(1951~)の『リアルワールド』(集英社文庫、2006年)が面白い。「事実は小説より奇なり」と言うが、作家の想像力は事実よりもリアルな世界を提示する。『リアルワールド』は、現実に起きている出来事の断片を想像力によって加工し、見えてこない現実の一面を浮き上がらせている。自分の母親を撲殺したミミズという綽名の男子高校生と4人の女子高校生(ホリニンナ、ユウザン、テラウチ、キラリン)の関係が思わぬ方向に展開して悲劇的な結末にいたる過程が描かれている。何よりも5人の心理描写に迫力がある。皮肉、裏読み、切り返し、深読み、罵倒心理、懐疑心、憎悪と怒り、裏切り、違和感、優越意識と劣等意識、絶望、邪悪、傲慢、憤懣といった10代の青年に特徴的な意識のデフォルメ化、極端な先鋭化、悪魔化が尋常ではない。若者の心理と生理の暗がりを形にする作者の執念にも驚く。
 解説で斎藤環も言うように、この小説で最も強いインパクトを与えるのは、第6章のテラウチの独白の部分だ。人間の世界では、「取り返しの付くこと」が起きる。後始末ができるということだ。だが、テラウチが絶望的なまでにこだわるのは、「取り返しの付かないこと」が起こるということである。「本物の『取り返しの付かないこと』というのは、永久に終わらなくてずっと心の中に滞って、そのうち心が食べ尽くされてしまう怖ろしいことだ。『取り返しの付かないこと』を抱えた人間は、いつか破滅する。」(180-181頁)「まだ運命に抗うほどの力がない時に、一方的にやってくる運命に従わざるを得ないこと。それは取り返しが付かないことだ。」(201頁)取り返しの付かないことの重圧を、テラウチは自殺によって振りほどく。「取り返しの付くこと」をしたミミズは怪我をしたが生き残り、ミミズと行動をともにしたキラリンも死んでしまう。
 読後感は重いが、再読を促される。見えにくい思春期の現実に「リアリティ」を与えたこの小説の持つ力は圧倒的である。

 梨木香歩(1959~)の『家守綺譚』(新潮文庫、2006年)は、学生時代に亡くなった親友、高堂の家の守りを父親に頼まれて住み込む綿貫という物書きのお話しである。舞台設定はほんの100年前のことらしい。四季の移ろいの静かで落ち着いた描写を基調として、綿貫の経験が語られていく。さるすべりから葡萄まで、すべて植物の名前がついた28の連作が、ファンタジックな世界を紡ぎ出している。
 この世にはいないはずの高堂が床の間の掛け軸のなかからやってきて会話が始まる。「サルスベリのやつが、おまえに懸想をしている」(14頁)と聞かされて、綿貫は本を読み聞かせてやるようになる。河童や、人を化かす狸やキツネが関わってくる。「ホトトギス」では吐き気や頭痛に苦しむ尼さんが出てくる。「後生ですから、南無妙法蓮華経、と唱えながらさすってはいただけませんか。」(103頁)唱えてさするごとに、尼さんの姿は農夫から落ち武者のような姿へと変わっていく。風体の変化が続いた後、尼さんは元の姿に戻り、去っていく。和尚は言う。「比叡の山には信心深い狸がおっての、山を回る間に畜生の身でありながら、成仏できない行き倒れの魂魄を背負ってしまうのだ。」(105頁)綺譚はなおも続いていく。
 植物との交歓、幽体やお化けたちとの交流がしなやかな、みずみずしい文体で描かれたこの小説は、平板な世界と化した現代の貧しさを浮き上がらせている。それは必ずしも作者の意図ではないかもしれないが。いずれにせよ、作者が物語る100年前の世界の雰囲気や人情は、今日ではあまり残っていない。人は人材、人的資源として経済効率を高めるための存在の身分を強いられ、野道は舗装され、竹林は宅地へと切り崩されていく時代にあって、植物たちと心を通わせ、目には見えない霊的な存在と交わる幸福を得ることは夢物語に近い。消費と欲望の飽くなき追求を掻き立てる時代の風潮に抗して、「断捨離」や3S(スロー、スモール、シンプル)を説く人も少なくはないが、物欲や色欲の充足を過剰なまでに求める人の数は知れない。『家守綺譚』は、優雅で古風な空想の世界を通じて、今日の世界の一面の姿を透かし彫りにしている。雨や風、雪、水、草、花、河童、人魚、聖母などへの細やかな感受性が奏でる音楽には、日本の古楽器の響きが感じられる。
 この小説は、長谷部聡介によって演劇化され、昨年の9月に大阪で上演された。佐々木蔵之介、市川亀治郎、佐藤隆太の三人が原文をそのまま読み、登場人物を演じた。自分の作品を「観劇」した梨木はこう話したという。「俳優さんが読むことで独特の気配が立ち現れた。笑いなど、客席の反応も新鮮でした」。(朝日新聞2011年10月7日夕刊)

人物紹介

田口ランディ (たぐち-らんでぃ) [1959-]

女性作家。東京生まれ。広告代理店、編集プロダクションを経て、ネットコラムニストとして注目される。著作は「スカートの中の秘密の生活」(洋泉社)、「もう消費すら快楽じゃない彼女へ」(晶文社)など。―奥付より

桐野夏生 (きりの-なつお) [1951-]

昭和後期-平成時代の小説家。昭和26年生まれ。はじめ野原野枝実の名でジュニア小説、コミックの原作などを執筆。平成5年「顔に降りかかる雨」で江戸川乱歩賞をうけ、ミステリー作家として登場。10年犯罪小説「OUT」で日本推理作家協会賞、11年「柔らかな頬」で直木賞。17年「魂萌え!」で婦人公論文芸賞。20年「東京島」で谷崎潤一郎賞。21年「女神記(じょしんき)」で紫式部文学賞。「ナニカアル」で22年島清恋愛文学賞、23年読売文学賞小説賞。石川県出身。成蹊大卒。
”きりの-なつお【桐野夏生】”, 日本人名大辞典, ジャパンナレッジ (オンラインデータベース), 入手先<http://www.jkn21.com>, (参照 2012-02-21)

梨木香歩 (なしき-かほ) [1959-]

平成時代の児童文学者、小説家。 昭和34年生まれ。学生時代イギリスに留学し、児童文学者のベティ・モーガン・ボーエンに師事。平成7年「西の魔女が死んだ」で新美南吉児童文学賞、小学館文学賞などを受賞。同年「裏庭」で第1回児童文学ファンタジー大賞。18年「沼地のある森を抜けて」で紫式部文学賞。23年「渡りの足跡」で読売文学賞随筆・紀行賞。鹿児島県出身。同志社大卒。著作はほかに「からくりからくさ」「春になったら莓を摘みに」「水辺にて on the water/off the water」など。
”なしき-かほ【梨木香歩】”, 日本人名大辞典, ジャパンナレッジ (オンラインデータベース), 入手先<http://www.jkn21.com>, (参照 2012-02-21)

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