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おすすめの一冊 本学の教員や図書館員のおすすめの本を紹介します。
 

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出発の季節 ― 読書から始めよう
推薦文 : 図書館長 和田 渡 (経済学部 教授)

 四月は、新入生や新入社員にとって第二の新年だ。季節は冬から春へと移り、風景をしばし明るくはなやかに飾る桜が門出を祝う新たな始まりの時である。ひとつの希望が生まれ、あらたな覚悟が動き始める。しかし、始まりがあるということは、やがて終わりを迎えるということでもある。大学生の場合、与えられた時間は学年に応じて4年間から1年間と限られている。残り少ない学生生活が、就職活動に伴う困難やストレスのせいで焦燥の時間に変わっている人もいれば、入学したてで、着色のアイデアを持たぬままに、空白の時間のキャンパスを前にしている人もいるだろう。
 いずれにせよ、大学生活は始まり、やがて終わる。その先には、社会人としての長い生活が続く。先行きの見通しにくい時代のなかで、生きていかねばならない。だからこそ、先を読んで、よく考えて生きることが望まれる。大学生活の後半で生涯の方向を決める困難な課題に立ち向かわなければならないこと、働いて、よきパートナーと暮らしていくこと、苦しみと受難を経験しなければならないことなど、あらかじめ考えることは多い。

出発の季節。読書から始めよう。

 大学時代にも、難局が何度でも訪れるだろう。どう生きたらよいのか途方にくれることも少なくないだろう。だが、失敗や挫折、停滞や逡巡はつきものだ。困難を伴わない生はありえない。だからこそ、困難を乗り越える意志を持ち、その意志を現実化することが大切である。そして何よりも、学生時代には人間的な実力を鍛えることに専念すべきであろう。自分で考える力、他人の身になって考える力、想像する力、文章を読む力、書く力、人の話を聴く力、人に話す力、いずれの力も簡単には身につかないがゆえに、創意、工夫が必要だ。
 これらの力の一端は、活字との関係を親密なものにすることによって徐々に鍛えられる。人間関係は、相互に刺激し、鍛えあう機会になるが、読書は自分で自分を鍛える最良の機会である。読書はもう一人の自分とつき合う時間を豊かなものにする。考え方や生き方が固まる以前の青春期に活字とどういうつき合いをするかで将来が決まる確率は高い。作家の宮本輝はこう述べている。「優れた文学作品は、即効性はなくても人間の精神の大切な部分を太らせてくれます。極限的な状況に追い込まれたとき、立ち向かう勇気を与えてくれる。それが教養というものです。/若いときに本当の教養を通過したかどうかで、その後の人生は左右される。」(「週刊現代」2012年1月21日号、125頁)本を避けて通る学生生活は論外である。本を読まない大学生は、大いに学んで生きているとは言えない。
 とは言え、本を読む習慣を持たない人に本の魅力を説いても伝わりにくいだろう。映画を観ない人にフランス人の監督、エリック・ロメールの傑作の妙を話しても通じにくいのと同じだ。絵に興味のない人とベラスケスについて語り合うこともむずかしい。しかし、貧しい習慣しか持たず、狭い趣味の世界を抜け出さないでいると、お互いのコミュニケーションも貧弱なものにとどまる。それを打破するもののひとつが読書だ。読書は自分との関わりを深め、コミュニケーションの世界にひろがりを与える推進力となる。昔も今も、読書に期待すべきものは多い。今回は、読書の意義や効用について書いた本を何冊か紹介しよう。

  ショウペンハウエル、斎藤忍随訳『読書について 他二篇』(改版、岩波文庫、1983年)は読書論の定番だ。「思索」「著作と文体」「読書について」の三篇から成る。名文家で、皮肉や諧謔を好んで口にしたショウペンハウエルが、読書の危険性や効用を語っている。「読書は、他人にものを考えてもらうことである。本を読む我々は、他人の考えた過程を反復的にたどるにすぎない。」(127頁)その結果、「しだいに自分でものを考える力を失って行く。」(128頁)乗り物ばかり利用していると歩く力が衰え、食べ過ぎると胃や全身をそこなうように、精神的食物の過剰摂取は精神の窒息死を招きかねないというのだ。(128頁参照)本を読むよりも、本に読まれてしまうということだ。さらに、世にはびこる悪書は、「読者の金と時間と注意力を奪い取るのである。」(132頁)そこで、ショウペンハウエルは、つまらない書物を「読まずにすます技術」(133頁)の大切さと、良書(「比類なく卓越した精神の持ち主、すなわちあらゆる時代、あらゆる民族の生んだ天才の作品」(134頁))の熟読、再読を強調している。彼は、自分を導いているという、A・W・シュレーゲルの警句を引用している。「努めて古人を読むべし。真に古人の名に値する古人を読むべし。今人の古人を語る言葉、さらに意味なし。」(135頁)

 齋藤孝『読書力』(岩波新書、2002年)は、読書の意義と重要性を熱く語る一書である。齋藤は数多くの自分の類書で「読書の宣教師」の役割を積極的に担っているが、この本でもそのスタンスは変わらない。「本は読んでも読まなくてもいいというものではない。読まなければいけないものだ。こう断言したい。」(5頁)
 「序 読書力とは何か」に続いて、Ⅰで「自分をつくる―自己形成としての読書」について語られる。読書と人間形成を結びつける仕方は、読書と思索を生活の重要な柱と見なしていた、かつての大正教養主義の再来を思わせる。教養(自分で自分に教え、自分を養うこと)の意義は、今日の日本では軽んじられているだけに、齋藤の主張は貴重である。ちなみに、齋藤が設定する「読書力がある」ラインは、「文庫百冊・新書五十冊を読んだ」というものである。(8頁参照)
 Ⅱの「自分を鍛える―読書はスポーツだ」は、身体的な動作を交えて本を読めという実践的読書論だ。スポーツでは、歩く、走る、跳ぶ、左右前後に動くといった身体の基本運動が欠かせないが、読書も、単に精神的な活動にとどまらず、身体的な行為だと言うのである。耳で聴く、口に出して読む、線を引くといった行為が加わることで読書が楽しいものになると考えられている。Ⅲの「自分を広げる―読書はコミュニケーション力の基礎だ」では、まずは自分で本を読み、考え、豊富な言葉や表現力を身につけなければ、自分の考えを語ったり、人の話を聴いて理解したり、応答したりできないということが力説されている。本を媒介にしたコミュニケーションの楽しさも語られていて、面白い。
 おしまいに「文庫百選 「読書力」おすすめブックリスト」がついている。どんな本を読んだらいいのかよく分からない人には参考になるだろう。

 日垣隆『つながる読書術』(講談社現代新書、2011年)は、読書の面白さや、書物を通じて人と人がつながる楽しさ、ネットや普通の読書会を介して贅沢な時間を共有する喜びなどを軽妙に語る一冊だ。著者は、本好きの姉から「本を読まない男に価値はない」と宣告され少々落ち込んだと告白している。(33頁参照)「若いうちならとくに意識して、日々のトレーニングのように読書をし、大いに考えてほしいと思います。」(27頁)「読まずに死ねない厳選100冊の本!」という付録がついているので、こちらも参考になる。

 W.S.モーム(1874~1965)、西川正身訳『読書案内』(岩波文庫、1997年)には、モームが読んで楽しいと思う本が何冊も紹介してある。彼の率直な肉声が聴ける、実に魅力的な読書案内書である。原題はBooks and Youで、1940年に出版された。本は読んで楽しくなければつまらないというのが彼のスタンスだ。ただし、条件がつく。注意力や、人間に関する事柄に対する興味や好奇心、ある程度の想像力と同情心などがないと、楽しく本を読むことはできないというのだ。(12-13頁参照)読書が娯楽であれば、それは習慣になるだろう。その先を見据えて語られる。「読書の習慣を身につけることは、人生のほとんどすべての不幸からあなたを守る、避難所ができることである。」(40頁)
 モームは、イギリス、ヨーロッパ、アメリカ文学のなかから、お気に入りの本をさびの効いた印象深い短文によって紹介している。精神を豊かにする本、読まないと損する本の代表として、『デイヴィッド・コパフィールド』『ドン・キホーテ』『ヴィルヘルム・マイステルの徒弟時代』『戦争と平和』『カラマーゾフの兄弟』『クレーヴの奥方』『赤と黒』『緋文字』『ハックルベリ・フィン』などのベストセラーがあがっている。たとえば、『戦争と平和』についてはこう書かれている。「この作品をよむと、人生がいかに混乱をきわめているか、また、国家の運命を形づくる暗黒の力にたいして、個々の人間はいかに微小な存在であるか、読者はつよい印象をうけて圧倒される。」(80頁)本好きにして書けるしゃれた文章が散らばっていて、この紹介書も読んで楽しくなる本だ。
 この本が出版されて70年余りが経ち、文学の潮流は欧米を越えて世界各地に広がっている。フェミニズムを始め、従来とは異なる視点から文学を考察する見方も勢いを増している。とは言え、この本の魅力は消えることはない。欧米中心の時代の枠組みに限定されているのが否定できないとしても、読書の喜びをこれほど生き生きと語った本は稀だからである。

人物紹介

ショーペンハウアー 【Arthur Schopenhauer】[1788-1860]

ドイツの哲学者。世界は自我の表象であり、その根底にはたらく盲目的な生存意志は絶えず満たされない欲望を追求するために人生は苦になると説き、この苦を免れるには意志否定によるほかはないと主張した。主著「意志と表象としての世界」。ショーペンハウエル。
”ショーペンハウアー【Arthur Schopenhauer】”, デジタル大辞泉, ジャパンナレッジ (オンラインデータベース), 入手先<http://www.jkn21.com>,(参照 2012-03-22)

斎藤孝(さいとう-たかし)[1960-]

静岡県生まれ。1979年静岡県立静岡高等学校卒業、85年東京大学法学部卒業。88年同学大学院教育学研究科修士課程修了、93年同科博士課程満期退学。98年明治大学文学部助教授、2003年同教授。専門は教育学・身体論。20代で指圧や呼吸法などの身体技法に熱中し、自身の身体を実験台にしながら研究を重ねる。以後、構え・技化・スタイルをキーワードに独自の身体論を展開。日本で失われつつある暗誦・朗誦文化の重要性を説いた『声に出して読みたい日本語』(草思社、2001年)が100万部を超すベストセラーになった。
”斎藤孝”, JK Who's Who, ジャパンナレッジ (オンラインデータベース), 入手先<http://www.jkn21.com>,(参照2012-03-22)

モーム 【William Somerset Maugham】[1874~1965]

英国の小説家・劇作家。平明な文体と巧妙な筋運びで、懐疑的な人生観のこめられた小説を書いた。また、風俗喜劇でも知られる。小説「人間の絆」「月と六ペンス」「雨」、戯曲「ひとめぐり」「おえら方」。サマセット=モーム。
”モーム【William Somerset Maugham】”, デジタル大辞泉, ジャパンナレッジ (オンラインデータベース), 入手先<http://www.jkn21.com>, (参照 2012-03-22)

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