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事実は小説よりも奇なり ― ノンフィクション・ノベルを読んでみよう
推薦文 : 図書館長 和田 渡 (経済学部 教授)

 風薫る五月、山や公園の緑が色彩の無限な多様性とニュアンスの違いを教えてくれる季節だ。緑陰で本を読む人の姿が魅力的に映る季節でもある。
 想像力の粋を凝らしたフィクションに心躍らす時間は楽しい。他方で、実在した人物の考え方、行動の丹念な調査や、現実の事件の取材にもとづいて書かれたノンフィクション・ノベルを読むのもスリリングで、興味は尽きない。いずれの読書も、密度の濃い時間を約束する。人間の底知れぬ不気味な振る舞いや奇矯な行為は驚嘆を誘い、不意打ちによって悲惨な結末を迎える事件や出来事の衝撃は、時に魂を震撼とさせる。揺さぶられた感情が、忘れがたい経験となって後々まで尾を引くことになる。
 その種の経験を与えてくれるのが、トルーマン・カポーティ(1924~1984)、佐々田雅子訳の『冷血』(新潮社、2005年)である。彼は、両親の離婚後、親戚縁者の間をたらい回しにされ、各地を転々として、ほとんど学校に行かなかった。独学し、10代で作家として生きていく決意をした。

事実は小説よりも奇なり

19歳の時の作品『ミリアム』でオー・ヘンリー賞を受賞。23歳の時に書いた長編『遠い声 遠い部屋』で天才的な作家として注目された。1958年には『ティファニーで朝食を』が書かれた。『冷血』は1966年の作品である。彼は1957年に、映画のロケで京都に滞在中のマーロン・ブランドに会っている。三島由紀夫とも話している。『冷血』の訳者、瀧口直太郎によれば、カポーティは、日本の作家では太宰治に最も興味を持っていると語ったそうである。
 20世紀は戦争と暴力の世紀と言われたが、今世紀も世界各地で戦争が多発し、暴力は猛威を振るう。残酷な事件も後を絶たない。加害者に育つ者がいる一方で、暴力の被害者、犠牲者になる者も数知れない。あらかじめ悪人を志向する者は少ないだろう。人は生まれついての気質、幼少期の複雑な家庭環境、いじめや侮辱、両親の愛情の有無、人間関係のもつれ、抑えがたい欲望などによって、しばしば悪行へと駆り立てられる。悪の連鎖はやがて悲劇を招く。思いがけない事件に翻弄された人は、予想外の生涯を辿らざるをえない。平穏だった日常の世界が暗転し、突如地獄が出現する。その具体的な場面や、加害者、被害者の心理、警察による捜査、裁判の過程などがつまびらかにされるケースは決して多くはない。
 『冷血』は、1959年にカンザス州の農村で起きた一家四人の惨殺事件の詳細な取材にもとづいて書かれた。この事件に強い関心を持ったカポーティは、現場とその周辺の調査、事件に関わると思われる人間への徹底的な取材、逮捕された犯人との面会と突っ込んだやりとりを続けた。収集した資料はノートブック6000ページにも及び、膨大な資料の収集と整理には、合わせて6年もの年月が費やされたという。資料の選択と裁断、圧縮、再構成と小説的な結構がむすびついて傑作が生まれた。彼は自作にノンフィクション・ノベルという名称を与えた。
 ノンフィクションに相当するのが、現実に起きた出来事の再現の部分である。この部分は入念な調査や、面会した人物の発言の正確な記録、資料の選別などによって支えられる。外側からの注意深い観察によって、事実に語らせる部分である。それに対して、ノベルと言える箇所は、カポーティが自分に似た人物として感情移入を込めて描いている、犯人の一人であるペリーの心理描写である。カポーティは、ペリーに成り代わって、ナンシーを射殺するまでの場面を内側から描ききっている。過酷な過去の経験を持つペリーが殺人にいたるまでの心理的な描写は痛切に胸に迫るものがある。
 ペリーがかつて入っていた刑務所で教戒師の書記を務めていたウィリー・ジェイは、仮釈放の身で出所する日の前夜、ペリーの将来を暗示するような別れの手紙を書いていた。
「貴兄は激情の人、自分の欲望がどこにあるのかが判然としない飢餓の人、自分の個性を厳格な社会の慣行という背景に投影しようとして苦闘する欲求不満の人です。(中略)貴兄は強い人ですが、その強さには欠陥があります。抑制することを学ばなければ、その欠陥は強さを上まわり、貴兄を打ち破ることになるでしょう。その欠陥とは ? 状況との均衡を失した爆発的ともいえる感情的反応です[・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・]。」(51頁)
 ナンシーは現実の被害者であったが、加害者のペリーもまた自分の過去の心理的被害者であったという一面を否定することはできない。ペリーは、法の裁きによって絞首刑になった。カポーティは小説の完成のために、ペリーの処刑の早い執行をひそかに望んでいた自分の冷酷な心理に気づいて、それを揶揄する意味も込めて『冷血』というタイトルを選んだという人もある。
 人間の行う善と悪、加害と被害の交錯、運命の意味、死刑という制度などに関する思考を促し、視野の展開や転換をもたらしてくれる画期的な作品である。一読、いや再読をすすめたい。

 ノンフィクション・ノベルの系譜に属する一冊が大崎善生(1957~)の『聖の青春』(講談社、2000年)である。1998年にまだ29歳の若さで、将棋界のトップランクであるA級に在籍したまま亡くなった村山聖(さとし)という棋士の物語である。かつて、「東の羽生、西の村山」と言われた実力者である。現役の羽生善治は、4月10、11日に東京の椿山荘で行われた第70期名人戦第1局で森内俊之名人と対戦し、敗れた。村山の目標は名人位につくことであった。
 村山の生涯が、病との戦い、師弟愛、精根尽くした将棋の戦いの三つを基軸にして描かれている。5歳で発病した腎ネフローゼは、その後も度々村山を苦しめた。入院した病院では、同じ病室の子供たちが死んでいった。20代の後半に肝臓に転移したがんが彼の命を奪った。幼少期から入退院を繰り返す一方で、病室で学び始めた村山の将棋への情熱は衰えず、プロを目指すまでに上達した。中学1年で、大阪在住の森信雄(当時4段)に弟子入りをする。森は重い病気を抱えた村山を絶えず気にかけて献身的に支え続けた。村山は、25歳で名人位を争える地位にまで到達した。この年、こう書いている。「これから先の人生は分からないが、常に前向きに考えていけば道は開けて来ると思う。」(231頁)その後、村山はA級順位戦で羽生や谷川などと対戦し、好成績を残したが、名人戦挑戦の一歩手前で病魔に倒れた。羽生は村山をこう評している。「村山さんはいつも全力をつくして、いい将棋を指したと思います。言葉だけじゃなく、ほんとうに命がけで将棋を指しているといつも感じていました」。(268頁)エピローグのおしまいの方で著者はこう締めくくっている。「目の前にせまりくる死を見つめながら、村山はその短い人生の最後の最後まで少しも諦めずに、少しもひるむことなく必死にはばたきつづけた。」(319頁)
 人の生涯は、しばしば、あらかじめ終わりを意識することで、危機感や緊張感が増して中身の濃いものになる。がんの余命宣告で命がよみがえったと語る人もいる。まだまだ先がある、人は死んでも自分は死ぬはずがないと思い込むと、現在がうつろになり、浅いレヴェルで生きてしまうことも多い。重い病と戦い、苦しみもがきながら、先が短いことを意識しつつ、それゆえになお一層将棋に命を懸け、周りに強い印象を残して旅立った村山の生の軌跡は、短くともひときわ深く輝くものとして心に刻みつけられる。

人物紹介

カポーティ 【Truman Capote】[1924~1984]

米国の小説家。独学で作家となり、虚無感をもった幻想的な作品を発表。また「冷血」で、ノンフィクションの道を開拓した。「遠い声、遠い部屋」「ティファニーで朝食を」など。
”カポーティ【Truman Capote】”, デジタル大辞泉, ジャパンナレッジ (オンラインデータベース), 入手先<http://www.jkn21.com>, (参照 2012-04-23)

大崎善生(おおさき-よしお)[1957-]

1957年、北海道札幌市生まれ。82年、日本将棋連盟に入り「将棋マガジン」編集部などを経て91年から「将棋世界」編集長。
―本紙奥付より

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