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われ自らを語る、ゆえにわれあり ― 自伝を読んでみよう
推薦文 : 図書館長 和田 渡 (経済学部 教授)

 日常の会話では、自慢話は嫌われる。得意げに自分のことを語る人の傍らで、不快感を押し隠して聞くふりをする人がいる。ふんと耳を背ける人もいる。自己宣伝や自己吹聴は他人の心には響かず、たいていは本人に空しく帰っていくだけなのだ。それでも飽きることなく無神経に自分を語る快楽に溺れる人の数は知れない。
 自分のことや自分に生じた出来事を周囲の人に語るだけでなく、文字によって表現し、広く世間に伝えることを望む人間によって自伝が書かれる。その内容が通俗的で、たわいもない自慢が混じる下品でお粗末なものであれば淘汰される。読むに値する内容を含む自伝だけが読みつがれて、後世に残る。
 18世紀後半に書き始められたベンジャミン・フランクリン(1706~1790)の自伝(『フランクリン自伝』渡邊利雄訳、中公クラシックス、2004年)は、約240年後の今も多くの読者を得ている。政治家、文筆家、発明家、科学者、印刷業者などいくつもの顔を持つフランクリンは、レオナルド・ダ・ヴィンチと比較されるほど多彩な才能に恵まれた。

われ自らを語る、ゆえにわれあり

1731年にアメリカで最初の公共図書館を設立した。 1752年には、それまでの電気実験を踏まえながら、凧を上げて、稲妻と電気の同一性を証明した。1776年にはアメリカ独立宣言の起草委員の一人としてトーマス・ジェファーソンを助けた。
 この自伝は、前半、中間章-自伝執筆を勧める二通の手紙、後半の3部構成であり、前半は記憶に残る出来事を息子に伝える目的で書き始められ、後半は一般の読者を念頭にして書かれている。楽天的なアメリカ人の成功物語にすぎないと軽く見る人もいれば、この世界を強く生き抜くためのアドヴァイス満載の書と高く評価する人もあり、毀誉褒貶は尽きない。しかし虚心坦懐に読めば直ちにわかるが、軽妙なユーモアが通奏低音となった、文句なしに楽しく読める自伝だ。
 フランクリンは、第1章「少年時代」のなかで、自伝を書く理由をいくつか述べている。神の恵みによって大成功をおさめた自分の生涯を回想して後世に残すこと、「老人にありがちなあの自分の身の上ばなしや過去の自慢ばなしをするという癖を満足させること」(5頁)、「自分自身の「虚栄心」を思うぞんぶん満足させること」(5頁)などである。自分の言動の意味を誤りなくつかんでいる人の言葉だ。この例を始めとして、自分の長所や短所、癖、困った傾向などを余裕を持って眺める態度、時にシニカルで、時にアイロニカルな人間観察、人間劇の意味を柔軟に汲み取る姿勢などに老人ならではの年輪が見事に反映していて、モンテーニュ、パスカル、ラ・ロシュフコー、ラ・ブリュイエールといったモラリストの記述が連想される。たとえば、思いあがりについてはこう書かれる。「まことに、人間が生まれもった感情のなかで、“思いあがり”ほど抑えがたいものはたぶんないのではないか。思いあがりというものは、どんなに偽りかくそうとしても、組み打ちして、思うぞんぶん殴りつけ、息の根をとめ、そして抑えつけておいても、依然、生きていて、ときどき頭をのぞかせたり、姿を現したりする。」(208頁)
 この自伝の白眉は、後半の第6章「13の徳目の確立」であろう。テーマは、「道徳的に完璧な域に達しようという、大胆で困難な計画」(190頁)の実現である。そのためには、悪い習慣を打破し、よい習慣をつくり、しっかりとそれを身につけることである。(190-191頁参照)デカルトが『方法序説』のなかで述べたような、自分で自分を導くという困難な試みへの挑戦だ。よい習慣を身につけるために必要な徳目が、厳選して13項目あげてある。道徳論ではなじみの項目だが全部列挙してみよう。節制(暴飲暴食を慎む)、沈黙(無駄話を避ける)、規律、決断(すべきことを決め、実行する)、節約、勤勉、誠実、正義(他人に害を及ぼさない)、中庸、清潔、平静(日常の些事や避けがたい出来事で心を乱さない)、純潔、謙譲(キリストとソクラテスに見習う)である。フランクリンは、道徳的に完璧な人間になるためには、ひとつひとつ個々の徳目を確実に身につけることが最善と考え、その努力の過程が人目でわかるような手帳をつくり、よい習慣を獲得することをめざしている。注意深い自己反省と不徳に陥りやすい日常生活の修正の方法も細かく記されている。
 ベートーヴェンは苦悩を通じての歓喜を歌い、ニーチェは超人を説いたが、フランクリンは完璧な人になるための実践という稀有の記録を残した。謙譲の徳を重んじる彼は、自分の手帳にキケロの言葉を書きとめた。「おお、汝、人生の道案内を務める学問よ。美徳をもとめ、悪徳をしりぞける学問よ。汝の教えに従って有益にすごしたる一日は、過失に満ちた永遠の生よりも望ましい。」(197頁)トムソンの詩のなかの祈祷文も書きとめられた。「光と命の父よ。汝、至善の神よ。/私によきことを教えたまえ。/おんみずから教えたまえ。/愚かなること、むなしきこと、悪しきこと、/すべての卑しき行為からわれを救いたまえ。/知恵と、心のやすらぎと、清らかな徳にて、/わが魂をみたしたまえ。/神聖にして、むなしからざる、色あせることなき祝福をわれにあたえたまえ。」(198-199頁)
 フランクリンの自伝を日課のようにして読んだのは正岡子規である。メルヴィルやマーク・トウェインなどは、自伝の持つ世俗性、功利性、自己満足性を批判し、マックス・ヴェーバーは自伝と資本主義の精神とを結びつけて論じた。自伝を通じて18世紀アメリカの国情を探る人も少なくない。自伝の持つ世界の幅広さが多様な読み方を許してきたのである。

 ハインリヒ・シュリーマン(1822~1890)の自伝(『古代への情熱』関楠生訳、新潮文庫、改版2004年)も、今もよく読まれている。このタイトルが有名だが、原題は「死までを補完した自叙伝」である。彼の著書『イーリオス』掲載の自叙伝が始めにおかれている。それ以外は、他の人が彼の文章を挿入しながら、後の発掘活動と死にいたるまでの生涯のエピソードをまとめたものである。
 幼年期の夢を持ち続けて、後年に実らせることのできる人は稀だろう。幼い頃の夢の大半は、その後の多忙な生活のリズムにかき消されてしまうからだ。シュリーマンは、稀な人物の一人だ。彼は、自伝の冒頭で、身の上話からはじめる理由をこう語る。「私の後半生の活動はすべて、私がまだほんの子どもだったころに受けたいくつかの感銘によって規定されたのだということ、いやそれどころか、それらの感銘から生ずる必然的な結果だったのだということをはっきりさせたいからにほかならない。」(12頁)幼い頃、シュリーマンは、ホメーロスの叙事詩を感嘆を交えて語る父親から、トロイアの破壊と消失の顛末を聞かされる。しかし、彼はそれを信じず、いつの日か地中に埋もれたトロイアを発掘することを夢見る。
 発掘には莫大なお金が要る。古代ギリシア語を学ぶことも前提となる。幸いにも、シュリーマンは、お金を稼ぐ商才と類まれな語学習得の才能に恵まれた。より多くの報酬を得るために、仕事と絡めて英語の勉強から始めた彼は、6週間以内に、フランス語、スペイン語、イタリア語、ポルトガル語を流暢に話したり書いたりするようになる。その後、ロシア語、スウェーデン語、ポーランド語などにも習熟し、夢をかなえるために古典ギリシア語、現代ギリシア語の習得にも打ち込む。さらにラテン語の勉強を再開し、旅行の途上ではアラビア語を学んでもいる。彼は語学上達の秘訣を明かしている。大声での音読、ちょっとした翻訳、毎日1回の授業参加、興味のある対象についての作文と教師による添削、修正した文章の暗記と、次の授業での暗誦などである。音読とそれによって強化される暗記が基本だという。
 シュリーマンは、1865年の3月から世界各地を旅行している。途中で江戸時代の日本を訪ねて、読み応えのある旅行記(石井和子訳『シュリーマン旅行記 清国・日本』講談社学術文庫、1998年)を残している。翌年の春から2年間、パリで考古学の研究に専念した彼は、発掘への旅を前にした感慨をこう記している。「とうとう生涯の夢を実現できる時機がきた。私にとってあんなにも深い関心のまとだったできごとの舞台、そしてまた、子どもの私を夢中にさせたりなぐさめてくれたりした冒険の主人公たちの祖国を、たっぷり時間をかけて訪れることのできる時が。」(49頁)
 その後のトロイアでの強引な発掘作業や大胆な解釈などは、シュリーマンを素人の考古学者と見下した専門家たちの誤解や批判にさらされもした。しかし、彼の数々の発見と情熱的な研究業績が考古学の世界を革新したことは誰も否定できない。

 これまで実に様々な自伝が書かれてきた。日本では、古くは新井白石の『折たく芝の記』、現代では水木しげるの自伝などが秀逸だ。ヨーロッパでは、アウグスティヌス、チェッリーニ、ルソー、アンデルセン、サルトルの自伝など、アジアではマハトマ・ガンジー、第14世ダライ・ラマの自伝など読むべきものは少なくない。それぞれの自伝は、時代の制約のなかで格闘を繰り広げた人間がわれわれに残してくれた贈り物である。自伝を残した人の多様な考え方や生の軌跡、変転の道筋は、われわれが今後の方向を決めるうえでの格好の道しるべになるだろう。

人物紹介

ベンジャミン・フランクリン【Benjamin Franklin】[1706-1790]

アメリカの政治家、著述家、科学者。出版印刷業者として成功し、避雷針の発明や、稲妻の放電現象の証明など科学の分野をはじめ、図書館・高等教育機関の創立などの文化事業にも貢献。アメリカ独立宣言起草委員、フランス駐在大使を務め、憲法制定会議にも出席した。「フランクリン自伝」は有名。
”フランクリン”, 日本国語大辞典, ジャパンナレッジ (オンラインデータベース), 入手先<http://www.jkn21.com>, (参照 2012-05-24)

ハインリヒ・シュリーマン【Heinrich Schliemann】[1822-1890]

ドイツの考古学者、実業家。少年時代に読んだホメロスの詩を史実と信じ、実業家として成功したのち、1870年小アジアのヒッサルリクの丘を発掘してトロイの実在を証明。さらにミケーネ、イタカなどを発掘し、エーゲ文明研究の端緒を開いた。自叙伝「古代への情熱」がある。
”シュリーマン”, 日本国語大辞典, ジャパンナレッジ (オンラインデータベース), 入手先<http://www.jkn21.com>, (参照 2012-05-24)

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