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神・人間・運命 ― ギリシア悲劇を読んでみよう
推薦文 : 図書館長 和田 渡 (経済学部 教授)

 未来を予見する神の視線は、この先に起きる悲劇の数々を透視している。しかし、神ならぬ身の人間にはそれらが見えない。悲劇が起きた後に、そこに到る道筋が見えてくるだけなのだ。ギリシア悲劇は、すべてを知る永遠の神の透徹したヴィジョンと、悲劇に翻弄されて苦しむ、つかのまの存在としての人間の無明との対比を鮮明に描き出し、われわれを人間の運命についての思索へといざなう。
 現代のギリシアは経済危機の渦中にあり、一国の衰亡が、ヨーロッパのみならず、世界経済に波及することを恐れる人も多い。経済政策の選択の行方が人間の運命と結びついている。古代ギリシアでは、奴隷制が維持され、過酷な生産労働を奴隷に押しつけて、自由と暇を享受する市民がいた。春の大ディオニュシア祭りの祭礼行事の一環として始められ、石造りの壮大なディオニュソス野外劇場で行われた悲劇の競演が彼らの楽しみのひとつであった。紀元前5世紀の頃である。競演という形式は、その後の悲劇作品の質の向上や、上演環境の整備に貢献した。前5世紀の中頃から悲劇全盛時代が訪れた。フロイトを代表例として、ギリシア悲劇からインスピレーションを得た作家や思想家の数は知れない。

ギリシア悲劇を読んでみよう

 ギリシア悲劇は仮面劇であり、役者の数は一人から始まり、やがて一作品3人までと決められた。仮面は、一人の役者が複数の人物を演じることを可能にした。劇とコロス(合唱)の配分、コロスの構成にも次第に改良が加えられた。全文が韻文で書かれたギリシア悲劇では、コロスが占める割合は少なくない。伴奏音楽はアウロス(笛)一本だけだったというが、詳細は不明である。
 三大悲劇詩人と称されるのはアイスキュロス、ソポクレス、エウリピデスの三人である。彼らの書いた全部で33篇のみが今日まで伝承されてきた。今回は、ソポクレスの『オイディプス王』(『ギリシア悲劇 Ⅱ ソポクレス』ちくま文庫、1986年)と、エウリピデスの『メディア』(『ギリシア悲劇 Ⅲ エウリピデス(上)』ちくま文庫、1986年)を紹介しよう。
  『オイディプス王』の背景はこうだ。テーバイの王ライオスは、自分の子に殺されるという予言を恐れて、生まれたばかりのわが子を山中に捨てるように羊飼いに頼む。不憫に思った羊飼から別の羊飼いを経て、赤子は子のいないコリントス夫妻のもとで王子オイディプスとして成長する。ある日、彼はコリントス王が実の父ではないという噂を耳にする。アポロンの信託は、オイディプスに「父を殺し、母親と結婚する」と告げる。予言を恐れた彼は、コリントスへは戻らぬ決意をして、テーバイの方に向かう。その途中に三叉路で旅の老人と道の譲り合いでもめて、老人(実の父)を殺してしまう。テーバイの国境で、怪物スピンクスの謎を解いて退治した功績を認められたオイディプスは、テーバイの新しい王に迎えられる。彼は先の王妃イオカステ(実の母)を妻として、4人の子に恵まれる。平和な歳月が過ぎて、やがて街には悪疫がはやりだす。
 ここから本篇が始まる。劇を見る誰もがオイディプスの父親殺しと母親との交わりの過去を知っている。それを知らないのはオイディプスただ一人である。「ソポクレス・アイロニー」と言われるものだ。街を襲う厄災の原因解明とその終息を求める彼のもとに、盲目の予言者テイレシアスが連れてこられる。二人の息詰まるやりとりから次第に過去の真実が明らかになる。イオカステの発言も徐々にオイディプスの過去をあらわにしていく。ついにおのれの素性を知ったオイディプスはこう叫ぶ。「おおすべては明らかとなったようだな。おお、光よ、これがお前の見おさめだ、生まれるべきでない人から生まれ、交わってはならぬ人と枕を交わし、害すべきでない人の血を流したこのおれの!」(358頁)イオカステは縊死するが、オイディプスは妻の着物から黄金の留針を引き抜いて両眼を何度も突き刺す。自死の選択ではなく、追放されても、盲人となって厳しい生に耐えて生きていくという決意の証であった。
 緊張感にみちたせりふが読みどころのこの悲劇は、神託に抵抗する人間の振る舞いが神託の成就する過程に組みこまれているという恐るべき予言の先取り効果を軸にして、過酷な運命に弄ばれて予想さえしなかった破滅に至る人間の悲惨を描いている。おのれの起源を知りたいと熱望し、過去を詮索する人間は、しばしば知らなければ過ぎたはずの平凡な日常から逸脱して苦境に陥る。しかし、それでもなお苦難を経て生きることを決意するのが、オイディプスの行動に示された人間の一面である。

 『メディア』は、愛する夫イアソンに裏切られた妻メディアの怒りと憎悪が、二人の間に生まれた子供殺しへと結びつくまでの顚末を劇化したものである。相愛の夫の心変わりを知って激情に駆られたメディアが、衝動的にわが子を殺めてしまうという単純な筋立てではない。発端はつらい仕打ちを受けたメディアの驚きと悲しみであり、それが憤怒と憎しみへ転化していく。自死が、親子心中が頭をよぎる。しかし、他方で、許せない夫への復讐の念が燃えさかる。夫を新妻ともども殺すべきか、いなか、迷いは深まる。熟慮のすえ、イアソンを最も苦しめるためには、後継を期待されている二人のわが子と、子供を宿すかもしれない新妻を殺害するのが最善という結論が導かれる。だが、母親の情愛がそれを躊躇させ、葛藤は尽きない。わが子を殺める前に、メディアが思いのたけを口にする。「どんなひどいことを仕出かそうとしているか、それは自分にもわかっている。しかし、いくらわかっていても、たぎり立つ怒りのほうがそれよりも強いのだ。これが人間の、一番大きな禍いの因なのだが―。」(126頁)分別よりも、子供への愛情よりも、裏切った夫への復讐の情念が勝るのだ。首尾よく新妻を毒殺した後、メディアはわが子を手にかける。死んだ子供を抱えて逃亡を企てる直前のメディアは、せめてその肌を撫でさせてほしいというイアソンの必死の願いを拒絶する。「この者の手にかかり、不憫にも死ぬくらいなら、/初めから、生れ出ぬほうがよかった、気の毒な、ああ、子供らよ。」(143頁)泣き伏すイアソンにコロスが加わって、この悲劇が終わる。

 悲劇は、恐怖や、悲しみ、感動を通じて精神の緊張や高揚をもたらす。張りつめた精神の糸が切れる瞬間に、弛緩に伴う一種の解放感が訪れる。アリストテレスの言う「カタルシス(浄化)」効果だ。この効果に酔う人は少なくなく、悲劇は今日でもいたるところで好まれている。イタリアの鬼才、ピエル・パオロ・パゾリーニは、『オイディプス王』をもとに「アポロンの地獄」という傑作を残した。また『メディア』を下敷きにして「王女メディア」を作った。ギリシア出身の世界的な歌手、マリア・カラスがメディアの燃えあがる情念を鬼気迫る表情と迫力のある身振り、手振りで好演した。平幹二朗が派手な衣装に身をつつんで熱演した「王女メディア」のギリシア公演も好評を博したという。
 ギリシア悲劇について詳しく知りたい人には、丹下和彦『ギリシア悲劇』(中公新書、2008年)がおすすめだ。悲劇の誕生の宗教的、社会的背景を知ることができる。重要な作品の丁寧な分析もなされている。すらすらとは読めないが、若きニーチェの画期的な処女作『悲劇の誕生』(塩屋竹男訳、ちくま学芸文庫、1993年)もおすすめである。「アポロン的なもの」と「ディオニュソス的なもの」という対立を軸にした立論は刺激的で、興奮をさそう。

 
人物紹介

ソポクレス 【Sophoklēs】 [前496〔495〕-前406]

古代ギリシャ三大悲劇詩人の一人。アテナイの富裕な武器製造業者の子として生まれる。悲劇詩人では、30歳年長のアイスキュロスを師と仰いで敬意を惜しまなかった。約10歳年下のエウリピデスとは、生涯を通じて好敵手同士であった。同じ題材の競作も多く、「エウリピデスはあるがままの人間を描き、自分はあるべき人間を描く」と語ったソポクレス自身の言葉が残されている。作品に「アンティゴネ」「オイディプス王」「トラキスの女たち」など。
”ソポクレス”, 世界文学大事典, ジャパンナレッジ (オンラインデータベース), 入手先<http://www.jkn21.com>, (参照 2012-06-22)より、一部抜粋

エウリピデス 【Euripides】 [前484ころ~前406ころ]

古代ギリシャの三大悲劇詩人の一人。神話伝説に人間的写実性を取り入れ、新しい傾向の悲劇を生んだ。作品に「メデイア」「トロイアの女」「バッコスの信女たち」など。
”エウリピデス”, デジタル大辞泉, ジャパンナレッジ (オンラインデータベース), 入手先<http://www.jkn21.com>, (参照 2012-06-22)

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