蔵書検索(OPAC)
HOME > 資料案内 > 新しく入った本 > おすすめの一冊
新着資料 ベストセラー 学生の購入リクエスト
映画・ドラマの原作 テーマ図書 おすすめの一冊
おすすめの一冊 本学の教員や図書館員のおすすめの本を紹介します。
 

前の本へ

次の本へ
過去・現在・未来をみつめる―吉野源三郎のメッセージ―
推薦文 : 図書館長 和田 渡 (経済学部 教授)

 吉野源三郎『君たちはどう生きるか』(岩波文庫、1982年)は、山本有三が1935年から編纂し始めた『日本小国民文庫』全16巻の最後の1巻として1937年に出版された。日本がアジアの国々を巻きこんで侵略戦争の勢いを強めていた頃である。ヨーロッパでは、ムッソリーニやヒットラーが政権をにぎり、第二次世界大戦へと傾いていた。軍国主義とファシズムが力をふるうこの時代に、この本が書かれた。
 吉野によれば、山本は、自由な執筆が困難になる状況のなかで、少年少女に未来を託すメッセージを残すために、ヒューマニズムの精神の息づくシリーズを世に送りだしたという。『君たちはどう生きるか』は、山本が書く予定だったが、目の病のため不可能になり、吉野が代筆した。山本や吉野が、戦争の悲惨な結末と犠牲者の膨大な数をどのように予測していたかはわからないが、この本には、未来の大人たちの「人間らしい生」への願いがこめられた。
 この本は、少年少女向けの体裁で書かれているが、大学生でも十分に興味深く読める。大学のゼミでテキストに用いる先生もいるほどだ。丸山真男は、「回想」のなかで、法学部の助手時代にこの作品を読んで震撼される思いをしたと述べている(309頁参照)。年齢に応じて読める本である。


未来の大人たちへ

 主人公は、コペル君(本名は潤一)というあだ名のついた中学2年生である。この少年の生活体験や思考内容を軸にして話が進むが、「叔父さん」との対話やノート、手紙のやりとりがもうひとつの軸になっている。叔父さんの「ものの見方について」という潤一向けのノートのなかで、天動説に対して地動説を説いたコペルニクスの見方が、人間のものの見方と結びつけて語られている。叔父さんによれば、子供時代は、自分中心に考え、天動説的な傾向が強いが、大人になるとそれが逆転して地動説に変わってくる。だが、だれもがそうなるわけではない。重要な指摘が続く。「人間がとかく自分を中心として、ものごとを考えたり、判断するという性質は、大人の間にもまだまだ根深く残っている」(26頁)。「たいがいの人が、手前勝手な考え方におちいって、ものの真相がわからなくなり、自分に都合のよいことだけを見てゆこうとするものなんだ」(同頁)。当時の世相がさりげなく批判されているが、今日の状況にもあてはまるだろう。自分の見方を相対化し、相手の立場に立って考えることが容易にはできないということだ。
 教室でのいじめ事件の詳細を語ったコペル君に対して、叔父さんは「勇ましき友」のなかでしるす。「人間が集まってこの世の中を作り、その中で一人一人が、それぞれ自分の一生をしょって生きてゆくということに、どれだけの意味があるのか、どれだけの値打があるのか、ということになると、僕はもう君に教えることが出来ない。それは、君がだんだん大人になってゆくに従って、いや、大人になってからもまだまだ勉強して、自分で見つけてゆかなくてはならないことなのだ」(51頁)。「人間としてこの世に生きているということが、どれだけ意味のあることなのか、それは君が本当に人間らしく生きて見て、その間にしっくりと胸に感じとらなければならないことで、はたからは、どんな偉い人をつれて来たって、とても教えこめるものじゃあない」(52-53頁)。当時の危機的な状況を背景にして、熱いメッセージがストレートに語られている。自分の実感を大切にして、身にしみたこと、心を動かされたことの意味をじっくりと見つめなおし、よく考えて生きることが人間として生きることだという主張だ。「肝心なことは、世間の眼よりも何よりも、君自身がまず、人間の立派さがどこにあるか、それを本当に君の魂で知ることだ。そうして、心底から、立派な人間になりたいという気持を起こすことだ」(56頁)。「心の眼、心の耳」(52頁)を自分に起きてくる出来事にたいして開いておきなさいという忠告である。もっともたいせつなことが、やさしい言葉で語られている。
 「ニュートンの林檎と粉ミルク」はこの本の白眉である。コペル君は、ニュートンの重力発見の話に触発されて、叔父さんに長い手紙を書く。そのなかで、彼は自分が発見した「人間分子の関係、網目の法則」について語る。話の出発点は、オーストラリア製の粉ミルクのかんだ。コペル君は、目の前のかんが、オーストラリア、牧場、牛、粉ミルクの工場、港、汽船とつながっていることに気づき、かんの背後に、牛の世話をする人、乳をしぼる人、それを工場に運ぶ人、汽車に運ぶ人、汽船に積みこむ人など、多くの人々の存在を感じとる。「僕は、粉ミルクが、オーストラリアから、赤ん坊の僕のところまで、とてもとても長いリレーをやって来たのだと思いました。工場や汽車や汽船を作った人までいれると、何千人だか、何万人だか知れない、たくさんの人が、僕につながっているんだと思いました」(86頁)。彼は、電灯や机、時計や畳などありとあらゆるものが網の目のようにむすびついていることにも気づく。マルクスが『資本論』の冒頭で述べた、ひとつの商品にすべての生産関係がくみこまれているという認識に行きついたのだ。この認識は、「一即多、多即一」という仏教的な見方ともむすびつく。
 叔父さんは、コペル君が自力でこのことに気づいたことに感心する一方で、経済学や社会学は、これまで多様な仕方で人間の世界の網の目状の関係を研究してきたのだと告げる。だが問題は、その関係が「まだまだ本当に人間らしい関係」(96頁)になっていないことだと、叔父さんはつけ加える。利害がからむと、人と人との間でも、国と国との間でも対立が生じ、むすびつきにほころびが生まれる。相手の立場を想像しない狭い自分中心主義が関係の亀裂を深めることも多い。「では、本当に人間らしい関係とは、どういう関係だろう。」(97頁)叔父さんは、この問いをコペル君に自分で考えさせる前に、こう述べる。「人間が人間同志、お互いに、好意をつくし、それを喜びとしているほど美しいことは、ほかにありはしない」(97-98頁)。明快な答だ。昔、イエスが語り、現代ではレヴィナスが強調していることだ。利他や隣人愛の重要性を説く人は、ふたりにとどまらない。愛の実践もここかしこでなされてはいる。だが、現実には憎しみの連鎖による争いの方がたえまなく続いている。
 「人間であるからには―貧乏ということについて―」は、人間がどう生きるべきかという倫理的な問題にかかわる。だれにも多かれ少なかれ、相手の職業や地位、肩書き、住まいなどによって自分の態度を変える傾向が認められる。相手が弱いと見れば攻めにかかったり、強いと見れば下手にでたり、自分の色眼鏡で人を見たりすることも多々ある。こうした側面を指摘しながら、叔父さんは述べる。「僕たちも、人間であるからには、たとえ貧しくともそのために自分をつまらない人間と考えたりしないように、―また、たとえ豊かな暮しをしたからといって、それで自分を何か偉いもののように考えたりしないように、いつでも、自分の人間としての値打にしっかりと目をつけて生きてゆかなければいけない。貧しいことに引け目を感じるようなうちは、まだまだ人間としてダメなんだ」(130頁)。相手がどのような身分かでなく、相手が人間であることに力点を置くべきだという主張だ。そうすれば、だれに対しても同じ態度が取れるはずだ。
 「雪の日の出来事」「石段の思い出」「凱旋」は、学校での暴力事件が起きたときに、友達であるはずの仲間を、恐怖心から助け切れなかったコペル君の心の痛みや落ちこみから始まって、友情がもどるまでを描いている。少年の傷つきやすい心の葛藤と友情を生き生きと映しだして、読みごたえがある。
 「春の朝」がエピローグだ。コペル君は、ノートに自分の希望と信念を率直にこう書きとめる。


       僕は、すべての人がおたがいによい友だちであるような、そういう世の中が来なければ
      いけないと思います。人類は今まで進歩して来たのですから、きっと今にそういう世の中に
      行きつくだろうと思います。そして、僕は、それに役立つような人間になりたいと思います。(298頁)

『君たちはどう生きるか』は、日本が無数の人のいのちを奪うことになった戦争へと突き進む時期に、平和な共存を遠望して書かれた。今日われわれは、地震や津波、事故、紛争などによる近未来の膨大な数の死が予想される状況のなかで生きている。死の脅威を前にして、「どう生きるか」が、切実な問いとして突きつけられている。

人物紹介

山本有三 (やまもと-ゆうぞう) [1887-1974]

大正-昭和時代の劇作家、小説家。
明治20年7月27日生まれ。東京帝大在学中に芥川竜之介らと第3次「新思潮」を創刊。社会劇、歴史劇を次々に発表し、大正末期より小説に転じる。戦後は参議院議員となり、国語問題にもかかわった。芸術院会員。昭和40年文化勲章。昭和49年1月11日死去。86歳。栃木県出身。本名は勇造。戯曲に「嬰児殺し」「坂崎出羽守」、小説に「波」「女の一生」「路傍の石」など。
【格言など】心に太陽を持て(「心に太陽を持て」)
”やまもと-ゆうぞう【山本有三】”, 日本人名大辞典, ジャパンナレッジ (オンラインデータベース), 入手先<http://www.jkn21.com>, (参照 2012-10-29)

吉野源三郎 (よしの-げんざぶろう) [1899-1981]

昭和時代のジャーナリスト。
明治32年4月9日生まれ。山本有三のすすめで新潮社の「日本少国民文庫」を編集、みずからも「君たちはどう生きるか」を執筆。昭和12年岩波書店にはいり、13年「岩波新書」、21年「世界」を創刊。平和問題談話会の設立につくす。昭和56年5月23日死去。82歳。東京出身。東京帝大卒。
”よしの-げんざぶろう【吉野源三郎】”, 日本人名大辞典, ジャパンナレッジ (オンラインデータベース), 入手先<http://www.jkn21.com>, (参照 2012-10-29)

前の本へ

次の本へ
ページトップへ戻る