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祈ること・あること・もつこと―長田弘のことば―
推薦文 : 図書館長 和田 渡 (経済学部 教授)

 長田弘は福島市に生まれた詩人である。これまでに『世界は一冊の本』(晶文社、1994年)、『黙されたことば』(みすず書房、1997年)、『死者の贈り物』(みすず書房、2003年)など数々の詩集をわれわれに届けている。最新の詩集が『詩の樹の下で』(みすず書房、2011年)である。帯には、FUKUSHIMA REQUIEMとある。長田は「あとがき」で、復興の二文字には「死者の霊をよびかえす」と「地霊を興す」という意味があり、この詩集がその祈りに加わることを願うと述べている(116-117頁参照)。「朝の浜辺で」という詩は、長田の静かな祈りの言葉で詠われている。


耳をすまして学ぶことば

   
   水平線からまっすぐに向かってくる、
   きらきらした、夏の鏡のような、
   海からの日の光。
   風の匂う朝の浜辺に立って、
   黙って、海を見つめている人がいる。
   何を見ているのか。無を
   見ているのだ。そこに立ちつくして。―
   われ汝にむかひて呼ばはるに汝答へたまはず。
   小さなイソシギが、汀を走ってゆく。
   どこにもいない人たちのたましいを啄ばむように。
        (2011年夏、終三行目舊約ヨブ記より)(94-95頁)

 自然は、緩と急、静と動のリズムを刻んでいる。生き物は日の光、風の匂い、水、空気といった自然に支えられて生きる。しかし、ときにはすざましいまでの自然の力によって、一瞬にして命を奪われる。人も、人以外の生物や植物も、台風や地震、洪水などによって苦しめられ、死にいたる。ジャンケレヴィッチがよく語ったように、死の場所と時間は不定だが、死は確実にやってくる。命を授けられたものたちは、いつの日か去っていかねばならない。死者を見送る人も、見送られる人になる。そして最後に残るのは、マルクス・アウレリウスがたびたび述べたように、無だ。無の理由を問うても、答は見いだせない。「なぜこんなことが」という出来事が、大小さまざまな規模で日常的に起きている。あらゆる出来事はさまざまな理由で起こるが、あることが起きるということに理由はない。自然のリズムによって起こる猛威の数々を止めることはむずかしい。だが、起きた出来事を、人は記憶し、祈ることができる。長田の祈りは、亡くなったもの、亡くなるものへと向けられている。
 長田は、セネカやマルクス・アウレリウスといったストア派の哲学者たちとの対話を通じて「よく生きること」について考え、詩や散文を介して読者に語りかけ、生きる工夫をこらしている詩人だ。長田はまた、身の周りにいる人々や亡くなった人々、木と樹と森、草と花、鳥や猫や馬、空と川と海、朝と昼と夜などとの対話を詩文で表現している。しかし、長田が重視するのは、目に見えるものたちとの視覚的なかかわりだけでない。聞こえないものの音を聴き、話さないもののことばを話すこと、なにもないところでなにかを見いだそうとすることが長田に固有の態度だ。『世界は一冊の本』(晶文社、1994年)のなかの「立ちどまる」という詩を見てみよう。感受性の開放を願う詩だ。


     立ちどまる。
     足をとめると、
     聴こえてくる声がある。
     空の色のような声がある。

     「木のことば、水のことば、
     雲のことばが聴こえますか?
     「石のことば、雨のことば、
     草のことばを話せますか?

     立ちどまらなければ
      ゆけない場所がある。
      何もないところにしか
      見つけられないものがある。(52-53頁)

多忙な日々のなかでは、立ちどまって耳をすますことが少ない。木や水や、石や雨が語りかけていることばに感応することもまれだ。仕事や用事に追われてせかされていると、自然の静かなささやきや喜び、悲しみ、苦しみのことばが心にしみてこない。手帳のスケジュールを消化するために急がされ、心が先へ、先へと向かうと、今、身近に起きている奇跡のような出来事は響いてこない。

    「嘘でしょう、イソップさん」という長詩のなかに、印象に残ることばがある。


     ゆたかさは、私有とちがう。
      むしろ、けっして私有できないものだ。

      私有できないゆたかなものを
      われわれは、どれだけもっているか?(113頁)

みんながもっているものをもつ、儲けるために仕組まれた精巧なもののとりこになる、身を飾るものに魅入られる。ものとのかかわりがどのようなものであれ、生きるということの不可欠な一面は、ものを求めるということだ。自分のもちものは意のままにすることができるし、隠すことも、捨てることも自由だ。ものなくして生はありえないし、ものへの欲望が次第に強まるのも避けられない。
 しかし、視野がものの次元に狭く限定されていると、「これは私のものだ」とは言えないものの存在に気づけない。私のものにならないもの、だれもが私有できないものとは、長田が言うように、たとえば日の光や、木漏れ日、雨や風などだ。それらは、われわれを活かし、われわれを支えてくれるものだ。多くのものをもつことは、必ずしも豊かさの指標とはならない。過剰にもつことが、苦しみのもとともなることがあれば、いらないものをもたされることで、大事なものがもてなくなることもある。
 自分のものにはできないものの次元に心が開かれることで、場合によっては、「あること」に変化が生まれる。私有できないものの存在に気づき、その恵みのありがたさに思いをこらすことによって、「あること」のただならぬ不可思議なありかた、「あること」の神秘が感じられるようにもなる。見えないもの、もてないものが示唆する次元は、恩寵にも通じる。そこでは、「もつこと」につながる豊かさとは異なる豊かさが生き生きと感受される。
 この種の豊かさは、急がず、立ちどまってみる、自分のものにできないものに身を開く、だれにもあてはまる共通の時間を意識するのではなく、自分に固有の時間を生きることから生まれてくる。つぎの詩には、われわれを豊かな次元へといざなうことばが語られている。『一日の終わりの詩集』(みすず書房、2000年)のなかの「自由に必要なものは」という詩だ。


     不幸とは何も学ばないことだと思う
     ひとは黙ることを学ばねばならない
     沈黙を、いや、沈黙という
     もう一つのことばを学ばねばならない
     楡の木に、欅の木に学ばねばならない
     枝々を揺らす風に学ばねばならない
     日の光に、影のつくり方を
     川のきれいな水に、泥のつくり方を
     ことばがけっして語らない
     この世の意味を学ばねばならない
     少女も少年も猫も
     老いることを学ばねばならない
     死んでゆくことを学ばねばならない
     もうここにいない人に学ばねばならない
     見えないものを見つめなければ
     目に見えないものに学ばなければ
     怖れることを学ばなければならない
     古い家具に学ばねばならない
     リンゴの木に学ばねばならない
     石の上のトカゲに、用心深さを
     モンシロチョウに、時の静けさを 
     馬の、眼差しの深さに学ばねばならない
     哀しみの、受けとめ方を学ばねばならない
     新しい真実なんてものはない
     自由に必要なものは、ただ誠実だけだ(34-36頁)

人物紹介

長田弘 (おさだ-ひろし) [1939-]

昭和後期-平成時代の詩人、評論家。
昭和14年11月10日生まれ。早大在学中同人誌「鳥」を創刊、「地球」「現代詩」などにくわわる。昭和40年やわらかくなじみやすい表現によって、けんめいに明日への希望をつむぐ詩集「われら新鮮な旅人」、詩論集「抒情の変革」を発表。57年「私の二十世紀書店」で毎日出版文化賞、詩集「心の中にもっている問題」で平成2年富田砕花賞、3年路傍の石文学賞。21年「幸いなるかな本を読む人」で詩歌文学館賞。22年詩集「世界はうつくしいと」で三好達治賞。ほかに「死者の贈り物」、評論「探究としての詩」、エッセイ「本を愛しなさい」など。福島県出身
”おさだ-ひろし【長田弘】”, 日本人名大辞典, ジャパンナレッジ (オンラインデータベース), 入手先<http://www.jkn21.com>, (参照 2012-11-22)

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