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猫と人 ― 『猫になればいい』(吉本隆明) ―
推薦文 : 図書館長 和田 渡 (経済学部 教授)

 人と人とのつき合いと同様に、生き物と人とのつき合いにもさまざまな陰影が伴う。インコ、ハムスター、ポメラニアン、芝犬などと共に生きる人は、生き物との交流から、他人にはうかがい知れぬ豊かな経験をしているだろう。猫という生き物も、人に格別な幸福や新鮮な驚きをもたらしてくれる。猫と生きることは、ふたつの生を生きることだ。釣り文学や温泉文学があれば、猫文学もあり、猫を話題にした本はあまたある。今回は、そんな本をいくつか紹介しよう。

  『フランシス子へ』(講談社、2013年)は、亡くなる3ヶ月前の吉本隆明が、亡くなった最愛の猫フランシス子について語ったことの一部である。聞き手の瀧晴巳がうまくまとめている。「鍵のない玄関」と題したあとがきで、長女のハルノ宵子が述べている。「瀧さんの文章は、あの頃の父の夢の中のような、詩うような語り口がよく再現されている。(中略)これは決して軽い本ではない。生と死の狭間にあった“シャーマン”としての父の“ことば”を正確に読み取れたのは、彼女たちが現代を生きる“巫女”だからだと思う」(124頁)。


猫になればいい

  『言語にとって美とはなにか』『共同幻想論』『心的現象論』などで巨大な観念世界を構築した吉本が、80歳を越え、この本ではやわらかな語り部となって、フランシス子への思いをとつとつと口にしている。この世界の言葉でありながら、向こう側の世界からの言葉のようにも響いてくる。吉本の固い本に特徴的な硬質な論理性は姿を消して、この本では繊細な情感性がたゆたい、自意識のためらいも随所に感じられる。思春期のゆれや異和感が老年になっても保たれていることにめまいを覚えるほどだ。
  この本の白眉は、「自分の『うつし』がそこにいる」のなかの語りだ。少しだけ引用してみよう。



猫っていうのは本当に不思議なもんです。
猫にしかない、独特の魅力があるんですね。
それは何かっていったら、自分が猫に近づいて飼っていると、
猫も自分の「うつし」を返すようになってくる。

あの合わせ鏡のような同体感をどう言ったらいいんでしょう。

自分の「うつし」がそこにいるっていうあの感じというのは、
ちょっとほかの動物ではたとえようがない気がします。(20頁)

  よほどの猫好きでも、猫に自分の「うつし」を感じることはまれだと思える。たいていは猫との距離を埋められないからだ。猫はそこにいて、私はここにいるという二元性が破られて、猫と私の同質性が感じられるためには、特異な心の働き方が必要だ。
 おしまいの方で、吉本が語る。「僕の方がフランシス子に何かしてやれたかっていえば、今のところ、そういう自覚はまるでないので、やっぱりフランシス子のほうが僕に精いっぱい尽くしてくれた、精いっぱいかまってくれたからでしょうね」(23頁)。モンテーニュと同じ着地点だ。彼は『エセー』のなかで、「猫とじゃれているとこちらが思っていても、もしかすると、猫の方がわたしを相手に暇をつぶしているのかもしれない」という意味のことを述べていた。
 吉本には、猫についてのインターヴューをまとめた『なぜ、猫とつきあうのか』(河出文庫、1998年)がある。こちらには、「猫の部分」と題する傑作エッセーがついている。次女の吉本ばななは、あとがきの終わりをこう結んでいる。「私は姉がたくさんの血や涙を流しながら猫を飼ってきてそのことが父の心をこんなにも潤しているこの本のなりたちを思うと、いかなる血や涙もただ流れるだけでなくなにか豊かなものに注がれているのだとあらためて思った」(206頁)。

  『猫』(中公文庫、2009年)は、1955年に中央公論社から出版された本の再編集版である。有馬頼義(1918~1980)、井伏鱒二(1898~1993)、大佛次郎1897~1973)、谷崎潤一郎(1886~1965)、寺田寅彦(1878~1935)、柳田國男(1875~1962)といった人の猫話を集めている。それぞれが猫という生き物の妊娠と出産、狩りといった生活の一面を映し出している。猫の歴史にまでおよぶものもある。大佛次郎の自宅には常時15匹の猫が飼われていたというが、「『猫の隠居』の話」では、15年生きたお爺さん猫の生と死が語られている。大佛はこう締めくくっている。「猫としても立派な奴だつたと思ふ。小さい時から不幸で惨めな一生だつたのに、卑屈でなかつたのが気持ちがいい。庭の白い梅の木の根もとに穴を掘つて葬むつてやつた」(55頁)。寺田は、「子猫」のなかで、子猫との親密な交流を語ったあと、おわりの方でこう述べている。「私は猫に対して感ずるやうな純粋な温かい愛情を人間に対して懐く事の出来ないのを残念に思ふ。さういう事が可能になる為には私は人間より一段高い存在になる必要があるかも知れない。それはとても出来さうもないし、仮りにそれが出来たとした時に私は恐らく超人の孤独と悲哀を感じなければなるまい。凡人の私は矢張子猫でも可愛がつて、そして人間は人間として尊敬し親しみ恐れ憚り或は憎むより外はないかも知れない」(166頁)。

  木村衣有子『猫の本棚』(平凡社、2011年)は、「猫文学」のガイドブックだ。「まえがき」にこうある。

          本の中に、いろいろな猫を見つける。
          猫らしさに縛られている猫。
          のけものにされる猫。
          溺愛されて今にも溺れそうな猫。
          ただの猫。
          猫は猫であるだけで、歩いたそのあとに、物語を残すことができる。(5頁)

  猫はお話になる。猫好きの人の語りは尽きない。木村は「猫文学を読む」のなかで、武田百合子『富士日記』からトーベ・ヤンソン『ムーミン谷の彗星』まで、全部で23人の作品を選んで、それぞれの魅力的なさわりに触れている。「猫を知る」では、吉本隆明『なぜ、猫とつきあうのか』、岩谷光昭『ネコを撮る』、野澤延行『のらネコ、町をゆく』、大木卓『猫の民俗学』、浅生ハルミン『私は猫ストーカー』が紹介されている。
 猫は、人間の生態の明暗を照らす光のような存在でもある。猫を知ることで、猫と交わることで、狭い視野がうちやぶられることもあるだろう。ぜひ猫文学に親しんでほしい。

 
人物紹介

吉本隆明(よしもと-たかあき)[1924-2012]

昭和後期-平成時代の詩人、評論家。
大正13年11月25日生まれ。次女によしもと ばなな。昭和27年詩集「固有時との対話」、28年「転位のための十篇」を発表。29年「マチウ書試論」を発表。30年代には「高村光太郎」「芸術的抵抗と挫折」などで文学者の戦争責任や転向を問い論壇に登場。既成左翼の思想を批判し六○年安保闘争では全学連主流派を支持。36年谷川雁(がん)、村上一郎と「試行」を創刊。以降、文学から思想におよぶ諸領域で独自の理論を構築し、「言語にとって美とは何か」「共同幻想論」「心的現象論序説」などを刊行、50年代には「マス・イメージ論」「ハイ・イメージ論」などを発表。平成24年3月16日死去。87歳。東京出身。東京工業大卒。著作はほかに「自立の思想的拠点」「最後の親鸞」「夏目漱石を読む」「心的現象論本論」など。
”よしもと-たかあき【吉本隆明】”, 日本人名大辞典, ジャパンナレッジ (オンラインデータベース), 入手先<http://www.jkn21.com>, (参照 2013-05-22)

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