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作家の想像力―別の世界へ扉がひらく―
推薦文 : 図書館長 和田 渡 (経済学部 教授)

 スペインの作家、R・S・フェルロシオ(1927~)の『アルファンウイ』(渡辺マキ訳、未知谷、2009年)は、色彩感にあふれる豊かなファンタジー小説だ。「アルファンウイ」は、少年がグアダラハラで剥製をつくる親方に弟子入りしたときに与えられた名前だ。「その名前はイシチドリがお互いに呼び交わす時の鳴き声なんだよ」(16頁)。最初は耳になじまない名前も、この愉快な本を読んだ後では、長く記憶に残るものとなる。独特な画風で知られるスズキコージの絵が楽しい。カバーを除いてはカラーでないのが残念だが。
 この本は、フェルロシオ25歳の時の処女作である。彼は、1955年に『ハラマ川』を出版した後、約30年間沈黙し、その後活発な文筆活動を続けた。その功績に対して、2004年にセルバンテス賞が与えられた。
 この本の冒頭にこう書かれている。


別の世界へ扉がひらく


俺の頭の中に駆け巡っていた狂気、  
またカスティージャではすっかりおなじみであった狂気、  
その種は、お前のためにもう播かれてあるんだよ。  
お前のために書かれたこのカスティージャの物語は、  
まことしやかなうそで一杯なんだから。  

 『アルファンウイ』は、現実の世界とは相容れないもの、社会から閉めだされたものが生き生きと動くおとぎ話だ。うそだらけの世界だが、読み始めると止まらない。誰も読めないアルファベットを書くという理由で教室から追放された少年の経験が面白く描かれている。少年は風見鶏と話し始め、ある日、「一緒に地平線に向かって窓から飛び出し」(13頁)、冒険が始まる。その後も、幻想的な冒険が続いていく。
 全編にみなぎる色彩のイメージがすばらしい。訳者はおしまいに、「『この作品を水に浸したら、イマジネーションが水中に溶けだし、今まで誰も見たこともないような色彩の爆発が起こる』」(202頁)という作家ラウラ・ガジェゴの言葉を引用している。<雨の緑><雨の降っていない時の緑><影の緑><光の緑><太陽の緑><月の緑>という、自然との交感によって表情を変える生きた緑の分類が繊細で美しい(192頁参照)。「死ぬと暗くなる緑、明るくなる緑、茶色や赤や黄色に変わる緑もあった。また、死ぬとガラスの薄い板のように透明になる、とてもデリケートで、はかない緑もあった」(193頁)。野外で濃密な緑の変成をみつめる経験が反映されていて、印象深い表現だ。
 エンディングが圧巻である。
 「アルーファンーウイ、アルーファンーウイ、アルーファンーウイ」
 雲が切れ始めた。小雨は太陽に染まり、虹色になった。イシチドリたちはまだ少し、日の照りながら雨の降る下で飛んでいた。雨がやむと霧のかなたに行ってしまった。止まったり飛び立ったり、そのたびごとに大きな輪を描いて少しずつ行ってしまった。空はどんどん広がった。アルファンウイはイシチドリがいなくなるのを見、自分の名前も聞こえなくなり、黙ってそのまま坐っていた。雲は切れて隙間から太陽が出た。
 アルファンウイは頭の上に大きな虹がかかるのを見た。(196頁)

  ティツィアーノ・スカルパ、中山エツコ訳『スターバト・マーテル』(河出書房新社、2011年)は、自分を見捨てた母親に対して手紙を書き続ける孤独な少女チェチリアが、精神的にも空間的にも閉ざされた状態から、音楽の試練を経て広大な世界に旅立つまでの変身と成長の物語である。タイトルのスタバート・マーテルは、13世紀の詩人ヤコポーネ・ダ・トーディが作ったとされる聖母讃歌の一節だ。「悲しみの聖母の祈り」として知られ、パレストリーナ、スカルラッティ、ヴィヴァルディなどが曲をつけている。本書は、2008年にイタリア最高の文学賞として知られるストレーガ賞を受賞している。
 舞台は、18世紀のヴェネチア、ピエタ養育院である。この院は、親に捨てられた子供たちの行く末を案じたフランチェスコ会修道士、ピエトロが14世紀に創立したものという。ヴィヴァルディが教師兼作曲家として所属していた。
 著者は、かつてのピエタ養育院のなかにあった私立病院の一室で生れた。「著者ノート」にこう書かれている。「この偶然は私にとって運命のお告げのようなもので、自分とは異なる人物を通して考える[・・・・・・・・・]という私の想像力の発端を印すものだった」(167頁)。この本は、スカルパが好む作曲家ヴィヴァルディと、そのもとで音楽教育を受けた孤児たちへのオマージュとして書かれた。
 この小説は、チェチリアの内省的な独白から始まる。「お母様、真夜中です。わたしは床を抜け出し、ここへきてお便りを書いています。いつものように、今晩もひどい不安に襲われたのです。(中略)わたしはもう、自分の絶望の達人になりました」(3頁)。絶望の海に沈む少女と自分のなかの死という相手の間で、陰鬱ななかに軽妙さも混じったやりとりが続く。この観念上のやりとりが少女の内省に一定の軽さをもたらしているものの、前半のトーンは全体として、暗く、冷たく、重い。
 しかし、もうひとつの現実的なやりとりの顚末が、その雰囲気を一転させる。半ばから終盤にかけてのクライマックスにあたる部分だ。ジュリオ神父の後任としてやってきた、作曲家兼ヴァイオリン教師をつとめるアントニオ神父の指導が、少女の音楽の才能を目覚めさせる。それまでの自閉的な経験の世界に、「四季」の音楽のような鮮烈な変化が訪れる。「突風、嵐、雷、稲光。わたし自身を超え、我ながら凄まじい激昴を感じて、わたしは涙を流しました。こんなにも自分が変貌できることにわたしは感動し、不憫に思うことなく、自分に対する憐れみを憶えました。こんなにもさまざまな、こんなにも強いものになれるのに、単純にわたし[・・・]であることができないことに、涙が出ました。わたしはここにいる、わたしはチェチリア、これがわたし―こう言えることしか望んでいないわたしなのに」(123~124頁)。くすんで、影の薄いわたしから、矜持の心をもったわたしへという自己肯定の道筋が見えてくる。
 ヴァイオリンの弦のために羊を殺すという経験を強いられたチェチリアは、養育院を脱出して、ギリシアの島々に向かって航海の旅に出る。彼女は、おしまいにこうしるす。「今、自分の運命に向かって行くのは、わたし自身なのだから」(166頁)。

 ユベール・マンガレリ、田久保麻里訳『おわりの雪』(白水社、2013年)は、トビを買い求める少年の物語だ。マンガレリは、1956年にフランスのロレーヌ地方に生まれ、高校卒業後、海軍に入隊し、3年間世界各地を就航した。89年に『綱渡り芸人の秘密』で児童文学作家として出発した。
 この小説は、過去を思い出す経験に含まれるあてどなさ、不可思議さ、得体の知れなさ、なつかしさといったものを静かな言葉で包みこんで、そっと手渡してくれる。過去はどんな仕方であれ、思い出すことがなければ現れてこない。しかし、その現れにはくっきりした輪郭はなく、ときに茫漠として、つかみがたい。
 『おわりの雪』は、少年によるトビと父と過ごした幼年期の回想だが、記憶のあわい空間に雪の光景や、動物の死が織りこまれて、印象に残る作品である。一読をすすめたい。

 
人物紹介

サンチェス・フェルロシオ(Rafael Sánchez Ferlosio)[1927-]

スペインの小説家。空想と現実のミックスしたメルヘン的世界を描く『アルファンウィの才知と冒険』(1951)で文壇に登場。第二作『ハラマ川』(1956)で、スペインの作家の登竜門ナダル文学賞を獲得し注目された。この作品は、マドリード郊外のハラマ川にグループで泳ぎにきた若者たちのとりとめもない会話や動きを、徹底した写実的手法で描写し、当時のスペイン社会のあり方を強く批判したもので、第二次世界大戦後のスペイン社会派小説の代表作と目されている。その後は、小説技法についての考察を行った『庭園での数週間』(1974)や、短編『熱い心』(1961)、小説『ヤルフスの証言』(1987)、随筆集『魂と羞恥(しゅうち)心』(2000)などを発表するほか、新聞、雑誌への寄稿を通して、短編、随筆、評論など幅広い文筆活動を展開している。
[東谷穎人]
”サンチェス・フェルロシオ”, 日本大百科全書(ニッポニカ), ジャパンナレッジ (オンラインデータベース), 入手先<http://www.jkn21.com>, (参照 2013-06-25)

ティツィアーノ・スカルパ(Tiziano Scarpa)

1963年、ヴェネツィアに生まれる。1996年に小説第一作『Occhi sulla graticola(焼きつく目)』を発表して以来、小説にとどまらず、評論、エッセイ、詩、戯曲など多数の著作を発表、現在イタリアでもっとも活発な作家のひとりである。小説はほかに、2003年発表の『Kamikaze d'Occidente(西洋のカミカゼ)』、2010年発表の『Le cose fondamentali(大切なこと)』など。自作の朗読や音楽家とのコラボレーションでも知られている。2008年、本書『スターバト・マーテル』で、イタリア最高の文学賞のストレーガ賞と、スーペルモンデッロ賞を受賞。
―本書著者紹介より

ユベール・マンガレリ(Hubert Mingarelli)

1956年フランス、ロレーヌ地方に生まれる。17歳より3年間海軍に在籍し、その後さまざまな職を転々とする。1989年に作家デビュー、児童文学作家として活躍した後、1999年『しずかに流れるみどりの川』で本格的な中・長篇小説の執筆を開始。フランスのグルノーブルに程近い山村でひっそり暮らしながら、毎年一冊のペースで小説を発表している。『四人の兵士』で2003年度メディシス賞受賞。
―本書著者紹介より

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