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『風姿花伝』と『花鏡』―世阿弥の意志と戦略―
推薦文 : 図書館長 和田 渡 (経済学部 教授)

 世阿弥(1363~1443頃)が生まれて650年。能は、今日では高級な古典芸術として、伝統の重い鎧を着ておごそかに演じられる。観客の側にも、能が広く認められた高尚な芸術であるという暗黙の前提がある。ところが、世阿弥の生きた時代、能は「立合」という形式のもとで、何人もの役者によって競われる真剣勝負の舞台であった。客を魅了し、客の評価に耐えるものだけが生き残り、つまらないと見なされた役者は敗れ去る、一種の戦場であった。能は、ざわつく雰囲気のなかで始まることもあれば、静かに始まることもあった。行儀の悪い観客もいれば、そうでない観客もいた。世阿弥は、その時々の観客の気配を察知し、戦略を凝らして観客を魅了する芸をつくりあげることに生涯を賭けた。
 『風姿花伝』と『花鏡』(『風姿花伝・花鏡』小西甚一編訳、たちばな出版、2012年)は、世阿弥が能を受け継ぐ自分の息子や弟子のために残した秘伝である。前者には、30代後半の世阿弥が父親の稽古を通して学んだことが多く書かれている。後者には、それ以後の体験にもとづく世阿弥自身の能楽観や能楽の作法・心得についての記述が目立つ。


咲くのも散るのも心しだい

  『風姿花伝』は、「序」で申楽の起源とその後の歴史を手短に語るところから始まる。理想の役者、役者の心得がつけ加えられる。「言葉いやしからずして姿幽玄ならんを、享けたる達人とは申すべきや。まず、この道を至らんと思はん者は非道を行ずべからず」(13頁)。小西はこう訳している。「ことばが上品で姿の優美な者を、天成の達人と言うべきだろう。まずこの申楽の道でりっぱな役者になろうと思う者は、本職以外の道に手を出してはいけない」(11-12頁)。おしまいに、「好色・博打・大酒」が三重の戒めとして明記されている。大成を望む者への忠告は、今も昔も変わらない。
 「風姿花伝第一年来稽古条々 上」では、7歳から50歳以後までの年齢に応じて練習すべきことが簡潔にしるされている。17、8歳からは、人に笑われようとも頓着せず、ひたすら練習を重ね、大願を心に抱き、いまが瀬戸際だと覚悟して臨むことが大切だと説かれている(19~20頁参照)。「24、5歳」に能の練習の核心をつく文章が現れる。「時分の花を真の花と知る心が、真実の花になほ遠ざかる心なり」(24頁)。小西の訳をしるす。「一時的な花を、真の花であるかのように思いこむ心が、真実の花からいよいよ遠ざからせる心がけなのだ」(22頁)。うぬぼれを戒める一文である。「花」は世阿弥のキーワードだ。能の奥儀は、花を究めるという一点にある。世阿弥によれば、時分の花、声の花、愛らしさの花などはいつか散る定めにあるが、真の花は、咲くのも散るのも心しだいである(90頁参照)。心で学ぶことによってのみ、真の花、不滅の花を咲かせることができるというのだ。
 『花鏡』は、世阿弥の精神論と身体論である。能とは何か、能において心と身体をどのように働かせるのかについて、実践にもとづいて語られている。「一調・二機・三声 音曲開口初声」「動十分心、動七分身」「強身動宥足踏、強足踏宥身動」「先聞後見」と、いずれも実に興味深い心身論が続く。「舞声為根」では、能を舞うときの注意が書かれている。役者は、自分の芸を自分の目で見るだけでは十分でなく、観客の目でも見る必要がある。自分が見つめる自分も、観客が見つめる自分も自分である。世阿弥はこう書く。「わが姿を見得すれば、左右前後を見るなり。しかれども、目前左右までをば見れども、後姿をばいまだ知らぬか。後姿を覚えねば、姿の俗なるところをわきまへず」(241頁)。あわせて小西訳。「自分の眼で自分の姿を見れば、目前と左右とだけは見られるが、後姿はわからない。自己の後姿が感じとれなければ、たとえ姿に洗練を欠く点があっても、よくわからない」(240頁)。観客は、自分の見ることのできない後姿を見て、自分の知らない姿を見つめている。その姿を知らなければ、舞は不十分なものにとどまる。
 自分の前姿と後姿を見て舞を評価している観客の視線を自分のものにする操作が、周知の「離見の見」である。「いつも離見の見をもって、観衆と同じ眼で自己の姿をながめ、肉眼では見えない所までも見きわめて、身体ぜんたいの調和した優美な姿を完成しなければならない」(240頁)。「どこまでも、離見の見ということをよく理解体得し、『眼は眼自身を見ることができない』筋あいを腹に入れて、前後左右を隈なく心眼で捉えるようにせよ。そうすれば、花や玉のように優美な芸の理想境に到達することは、はっきり立証されるであろう」(同頁)。観客にはよく見えている自分の背中を心眼で捉えることが、洗練された舞に通じるという見方である。肉眼で見えないものを心眼によって観る、文章は理解できても、その内実をつかむことは容易ではない。
 この見方は、われわれの振舞いにもあてはまる。シェイクスピアにならって言えば、この世界は舞台であり、われわれ一人一人が役者である。それぞれの役者に課せられているのは、世阿弥の言うように、自分で自分のふるまいを見るだけでなく、他人に見られている自分の姿をつかんで生きることである。とはいえ、どちらもたやすくできることではない。自分で自分の姿を捉えることはむずかしいが、他人が自分をどう捉えているのかを知るのは一層むずかしい。自分と自分の間にも、自分と他人の間にも、見えない壁がある。しかし、それゆえにこそ、見えないものを観る工夫がいる。
 「子供は親の背中を見て育つ」とも言う。親子であっても、対面状況においてはお互いに身構えてしまうために、交わりにヴェールがかかる。しかし、正面にだれもいない時の人の後姿には、警戒心や緊張が溶け、隙ができて、その人の裸の姿が映しだされる。背中に心の風景や本音の姿が現れてくるのだ。だからこそ、子供は、しばしば親の言葉からよりも、親の背中から肝心なことを学ぶのである。世阿弥の言葉を再度しるす。「後姿を覚えねば、姿の俗なる所をわきまへず」(241頁)。自分の後姿が感じ取れなければ、いやしい格好をして生きていても、自分にはわからない。しかし、他人には、それがはっきりとわかるのだ。世阿弥が語る背中論は、能以外の人間世界でも通用している。

 土屋恵一郎の『世阿弥の言葉 心の糧、創造の糧』(岩波現代文庫、2013年)は、『処世術は世阿弥に学べ!』(2002年)の補筆改訂版である。もともとはビジネスパーソン向けに書かれた本らしいが、高校生や大学生も興味深く読める本である。身体芸術に関する世阿弥の言葉の解読がやさしく、ていねいである。
 「序」で、「能の舞台で、私は四方から引かれる力のなかに立っている」という観世寿夫の言葉と、世阿弥の「舞を舞い、舞に舞われる」という言葉が結びつけられている(5頁参照)。土屋は両者を一文にまとめている。「舞に舞われるとは、自分が能を舞うのではなく、四方から沸き立ってくる舞によって舞われるのだ」(同頁)。舞の真髄が見事に表現されている。「序」はこうしめくくられる。「言葉をもつ。世阿弥はそれを実践して、なおかつ今も、私たちの心へ風とともに心の花を伝えているのだ」(7頁)。
 世阿弥の生涯は、能を極めるための心身論の構築と実践についやされたが、他方で労苦にもまみれた。息子には先立たれ、最晩年には、足利義教によって佐渡島に追放された。
 土屋は、一方で能に打ちこみ、他方で俗世の苦難に翻弄された世阿弥の生の軌跡を視野におさめながら、世阿弥の言葉の含蓄をわかりやすく説いている。世阿弥の生き方、考え方を知るには格好の一冊である。

  『能はこんなに面白い!』(小学館、2013年)は、観世流家元の観世清和と武道家の内田樹の対談を中心にしてまとめた本である。能の稽古を始めて17年という内田が、「自分の身体で今起きている前代未聞の経験[、、、、、、、]」(あとがき)にもとづく独自の身体論を軸にして、観世と楽しく、生き生きと語り合っている。タイトルにうそ偽りはない。能楽とは無縁な人をひきつける魅力的な入門書である。
 巻頭対談では、大抵の人が初めて能を観たときには途中で寝てしまうという話が出てくる。「チューニングが合うまでは舞台の上で、いったい何が行われているのかわからない」(5頁)。だから、退屈になり、ついこっくりすることになる。能がわかるまでには時間がかかる。忍耐も必要になる。
 「はじめに」で観世はこう述べる。「弱者の声に耳を傾けて、かつて彼らが生きた時間をひととき舞台の上に甦らせ、その生命の輝きを讃えるのです。悲しみを鎮め、明日への力となって、常に人の心に寄り添う。能は、鎮魂の芸能であると同時に、生命の讃歌なのです」(17頁)。
 第二章「能を生きる」の第一話「武道家の能楽稽古」は、能の稽古にもとづいて能の世界を語る内田の筆が冴えている。「『あってもいいはずのもの』よりも『あるはずのないもの』の方が能舞台の上ではより濃密なリアリティを持つ。それが能楽の演劇としての特権性を基礎づけている。私はそういうふうに考える。能舞台は『存在するはずのないもの』たちこそが正当な居住者であり、存在するものは(演者も見所も含めて)そこに『トランジット』としてしか滞留することが許されない、逆立ちした世界なのである」(119頁)。能は観るだけでなく、身体訓練を通して生きるものだという独自の視点が鮮やかに描かれている。
 第三章「能楽ワークショップ」は能楽研究者の松岡心平が加わった鼎談で、世阿弥の能の特徴や、能舞台の特色などについて自由自在に語られていて、読みごたえがある。
能楽堂はあたらしい経験の場所である。この本を読んで能の世界と出合うひとが増えるのを願う。

 
人物紹介

世阿弥 (ぜあみ) [1363-1443]

南北朝-室町時代の能役者、能作者。
貞治(じょうじ)2=正平(しょうへい)18年(一説に翌年)生まれ。観阿弥(かんあみ)の長男。大和猿楽観世座2代大夫(たゆう)。将軍足利義満の後押しで猿楽を幽玄な能(夢幻能)に大成、能楽論「風姿花伝(ふうしかでん)」「花鏡(かきょう)」をあらわす。観世座大夫継承をめぐって将軍足利義教の怒りにふれ、永享6年72歳で佐渡に流された。嘉吉(かきつ)3年81歳で死去したとされる。名は元清(もときよ)。幼名は鬼夜叉、藤若。通称は三郎。法名は至翁善芳。作品に「高砂」「井筒」「班女」など。【格言など】秘すれば花(「風姿花伝」)
”ぜあみ【世阿弥】”, 日本人名大辞典, ジャパンナレッジ (オンラインデータベース), 入手先<http://www.jkn21.com>, (参照 2013-10-24)

小西甚一 (こにし-じんいち) [1915-2007]

昭和-平成時代の国文学者。
大正4年8月22日生まれ。東京教育大教授をへて、筑波大教授、同大副学長。スタンフォード大客員教授、アメリカ議会図書館常任学術審議員などをつとめた。比較文学、とくに日中比較文学を専門とし、「文鏡秘府論考」で昭和26年学士院賞。平成4年「日本文芸史」で大仏(おさらぎ)次郎賞。11年文化功労者。平成19年5月26日死去。91歳。三重県出身。東京文理大卒。著作に「梁塵秘抄考」「能楽論研究」など。
”こにし-じんいち【小西甚一】”, 日本人名大辞典, ジャパンナレッジ (オンラインデータベース), 入手先<http://www.jkn21.com>, (参照 2013-10-24)

土屋恵一郎 (つちや-けいいちろう) [1946-]

明治大学法学部卒業。同大学院法学研究科博士課程単位取得満期退学。明治大学法学部教授。専攻は法哲学。芸術選奨選考委員(古典芸能部門)、芸術祭審査委員(演劇部門)を歴任した能楽評論家でもある。著書に、『能―現在の芸術のために』『怪物ベンサム―快楽主義者の予言した社会』『幻視の座―能楽師・宝生閑聞き書き』『正義論/自由論』『元録俳優伝』『社会のレトリック―法のドラマトゥルギー』など。―本書より

観世清和 (かんぜ-きよかず) [1959-]

昭和後期-平成時代の能楽師シテ方。
昭和34年5月21日生まれ。観世元正の長男。観世流。昭和39年「鞍馬天狗」花見で初舞台。平成2年26代家元を継承。8年「松浦佐用姫」「鵜羽」の演技で芸術選奨文部大臣新人賞。11年フランス芸術文化勲章シュバリエを受章。フランス、中国、タイ、アメリカ、ドイツなど海外でも活躍。25年能「定家」他で芸術選奨文部科学大臣賞。日本能楽会常務理事。東京都出身。東京芸大卒。
”かんぜ-きよかず【観世清和】”, 日本人名大辞典, ジャパンナレッジ (オンラインデータベース), 入手先<http://www.jkn21.com>, (参照 2013-10-24)

内田樹 (うちだ-たつる) [1950-]

神戸学院大学名誉教授、思想家。
2010年2月24日、中央公論新社が主催する「新書大賞2010」が発表され、内田樹の「日本辺境論」(新潮新書)が選ばれた。
1950年9月30日、東京都生まれ。東京大学文学部仏文科卒、東京都立大学大学院博士課程中退。東京都立大学人文学部助手を務めた後、神戸女学院大学助教授を経て、96年から同教授。専門はフランス現代思想。合気道六段など、武道家としての顔も持つ。武道、教育、映画など、フランス現代思想にとどまらない多様なテーマを平易な言葉で語る著作には根強いファンが多い。ブログ「内田樹の研究室」やツイッターでの積極的な情報発信でも知られる。2007年には「私家版・ユダヤ文化論」で小林秀雄賞を受賞。著書に「街場の教育論」「下流志向」「『おじさん』的思考」「私の身体は頭がいい」「こんな日本でよかったね-構造主義的日本論」など。中央公論新社が主催する新書大賞は、書店員や書評家、出版各社の新書担当の編集長らの推薦でその年に刊行された新書から「最高の一冊」を選ぶ賞。3回目となる「新書大賞2010」は、09年1~12月に刊行された1500を超える新書が対象になった。
”内田樹[「日本辺境論」で新書大賞を受賞]”, 情報・知識 imidas, ジャパンナレッジ (オンラインデータベース), 入手先<http://www.jkn21.com>, (参照 2013-10-24)

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