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言葉の力―アジアから・アジアへ―
推薦文 : 図書館長 和田 渡 (経済学部 教授)

 大きな書店の「海外文学」コーナーでも、ベトナムやタイの小説や評論にはほとんど出合えない。経済や歴史コーナーには、時代を繁栄して、アジアの国々の複雑な社会事情や、政治・経済問題を扱った本が目につくが、商業ペースにのらない本は本棚には並ばない。マイナーな本は、ほとんど誰の目にも触れることなく、読まれないままに埋もれ去る。だが、どの国にもすばらしい作家や詩人がいて、それぞれの国の形や問題、時代や人間関係に翻弄される人間の諸相をそれぞれの視点から描きだしている。今回は、二人の作品を紹介しよう。

 タック・ラム、川口健一編訳『農園の日差し』(財団法人 大同生命国際文化基金、2000年)は、短編小説と評論を集めたものである。タック・ラム(1910~1942)は、ハノイ出身。兄のニヤット・リンの主宰する機関紙「風化」と「今日」の編集に加わると同時に、創作活動を続けたが、肺病のため夭折した。フランス植民地支配下のベトナムで生きる人々を透き通るような文体で描いた。

小説は私たちに生き方を教えてくれる

 「新たな日々」は、家族の期待に応えてハノイで事務官として働き始めたものの、不況のせいで失職した主人公が、田舎に戻って畑作りに精出すまでの物語である。複雑なプロットはなく、複雑怪奇な人物が登場することもない。淡々とした筆の運びだ。稲を刈る人たちの働きぶりや村ののどかな風景の描写に、新鮮な感受性があふれている。
 「農園の日差し」は、若い男女のつかの間の恋と別れを描いた小説だ。思春期の二人の出会いから濃密な感情が芽生えていくまでの過程が、田舎の美しい自然を背景にして、さわやかに、みずみずしく表現されている。
 「小説は何のためにあるのか」という評論には、タック・ラムの主張が、なんのてらいもなく、ストレートに示されている。「小説は私たちに生き方を教えてくれる、すなわち、幸福のあり方を教えてくれるのである。生きること!多くの人は決して小説を読むこともなく、相変わらずいつものように生活し、小説の教訓を待たずに幸福を呼ぼうとする。そのように甘んじてしまっているが、しかし、幸福になるのは難しくないなどということはない」(191頁)。「幸福になるのは、いつだってむずかしいことなのだ」(『幸福論』岩波文庫、312頁)と述べたアランが思い出される。
 「人生に必要なのは内面の生き方、魂の生き方なのである。私たちの内面の生き方はとても貧しく、とても脆弱だ。(中略)
 小説こそは私たちの魂に豊かさ、充溢をもたらしてくれるであろう。私たちは文学者が表現する魂のさまざまな状態と変化を知ることになるし、心理の微妙な色合いを観察して深遠で強固な感触を鍛え、物語の中の人物の高貴な行為の前で、国土の美しさの前で、更に感動することができる。そして、自分の魂こそを分析し、考察することができた時、私たちは更に十分に生きることになるのである」(191-192頁)。小説を読む喜びと、人生を深く味わって生きることの大切さが、魂の涵養の強調と重ねあわされている。鮮烈で情熱のこもった主張だ。小説が今後どのような展開を見せるにしても、ラムの考え方は、小説の根幹にかかわる不変の「真実」に結びついている。

  『タイの大地の上で 現代作家・詩人選集』(吉岡みね子編訳、財団法人 大同生命国際文化基金、1999年)は、第二次大戦をはさむ戦前、戦後の作品を中心に編まれている。短編が九作品とふたつの詩が収められている。現代のタイ文学とはおもむきの異なる風景に出会える。戦後から1960年代にかけて創作活動を続けたウッチェーニーの「より高く」という象徴的な詩をあげる。自然への賛歌と人間への希望と祈りに満ちた気高い詩である。インドの詩人、タゴールのスケールの大きい詩が連想される。訳者によれば、この詩は、「優美な文体がタイ語独特の音の響き、そして音韻と相俟って作品により深みを増し、読む者に限りないイメージを膨らませる」(271頁)。タイ語での朗読が聴きたくなるような詩である。

      きらきら輝くガラスの糸のように
     しなやかな優雅な曲線は黎明の光を歓び受けて
     噴水は湧き上がる暁の水を
     一瞬一瞬天空に向かって放ち、まき散らす
     まるで虹が姿を変えて空から大地に降りてくるように

     高く上がれ、より高く上がれ、恐れずに
     くじけることを知らず、飽きることを知らず、緩めることを知らず
     たとえ強い陽光を束にした天が雨を注いでも
     心に深く刻まれた信念は尽きることなく

     きらきら明るく輝き、晴れやかに笑みこぼれる水の糸
     美しいさわやかな微笑の風を受け
     しなやかに揺らめきながら曲線を投げ放ち、恵みを与える
     森の風にそよぎ、枝が揺らめく、美しい花束のように
     心に癒しを与え、魅入らせる

     星が天空一面に散らばり、きらきらと光の房を垂れるとき
     水の糸は天国以上の星屑をまき散らす
     ピカピカと火花を散らすように燦然と光り輝き
     まるでダイヤモンドを嘲り笑い
     ダイヤモンドのきらめきをかすませるかのように

     しなやかな優雅な曲線から甘いしずくがしたたり落ちる
     それこそまさに薄暗い大地へ贈られた天のしずく
     心楽しき清々しさをあたり一面にまき散らし
     渇きを潤し、悪を、暗黒を和らげる

     清らかな詩人の友愛の水のように
     明るくきらめき輝く光線が一瞬一瞬宙に放たれる
     美を目指し、善を目指し、天空に向かって湧き上がる
     汚れなき美の力の中で気高く、永久に久しく

     高く上がれ、より高く上がれ、恐れることなく
     甘美な言葉のように妙なるかけがえのない価値を生み出せ
     詩人の魂から水の流れで希望と力を創り出せ
     尽きることなく永遠に  (247-249頁)

  四方田犬彦『アジア全方位 papers 1990-2013』(晶文社、2013年)は、アジアの国々への旅の記録や長期滞在経験にもとづく思索、各国の過去の歴史を視野におさめた講演などが渾然一体となった「熱い本」である。アジアの現実と激しくスパークする四方田の視線が、歴史に翻弄された人の心中や、歴史の闇、芸能の襞を照射して、強い響きをもった言葉に結実している。一般的な常識をくつがえす著者の複眼は、冒頭の「アジア的体験」の数頁をはじめ、いたる箇所で異彩を放っている。「2013年5月 香港」のおしまいで、著者はこう述べる。「東アジアの大衆文化は戦後長い間、互いに相手をよく知らないままに、いつも興味深い平行現象を見せてきた。今ようやく境界が取り払われ、すべてを同時性のもとに見つめることが可能となりつつある」(21頁)。
 全体は、「誰も知らないところに行く」「鳥を贈る」「離騒のなかの映像」「パレスチナ芸人、日本に来たる」「他者と内面」の5部構成である。間奏として、「インドネシア日記」(2007)と「バンコク日記」(2008)が挿入されている。「テヘランの書店にて」は、本を手にとって朗読を始めた老人の周りに群集が集まり、一緒に朗読する人も現れる光景を描いている(174~177頁参照)。日本の書店では起こりえない場面に遭遇した著者はこう語る。「わたしはテヘランの書店空間を成り立たせていた文化の厚みと人間の成熟したコミュニケーションのあり方に、かぎりない羨望と敬意を抱いている」(177頁)。そのほか、興味深い観察と報告がいくつもある。その多くは、常識を疑い、偏見を確かめ、自他の観点を公平に、冷静に検証する姿勢の大切さを強調している。
 四方田は、1979年から1年間日本語教師として韓国に滞在し、「この1年の滞在経験を咀嚼するために、わたしはひょっとしたら一生を費やすことになるかもしれない」(433頁)と予感した。その後、彼は日本にとって韓国とはなにか、わたしにとって日本とはなにかという問題を考え続けた。戦前と戦後の両国の関係とそれにつながる諸問題や、歴史に翻弄された韓国人の生活、韓国体験を創作の世界で掘りさげた大島渚、中上健次という日本人の軌跡も思索の対象になった。その歩みが、講演「他者としての日本、内面化された日本 日本による韓国併合百年を振り返って」に凝縮されている。「東アジアに怪奇映画は咲き誇る」という福岡での講演記録とともに、内省を促してくる。アジアの国々の歴史や文化、政治に関心のある人には、特におすすめの一冊である。

 
人物紹介

タック・ラム(Thach Lam) 東南アジア [1910-1942]

ヴェトナムの小説家。1933年に結成された文学結社自力文団の同人。2人の兄はそれぞれ自力文団の結成を首唱したニャット・リンと、同人の作家ホアン・ダオ。ハノイのアルベール・サロー高等中学を卒業後、新聞社に勤め、ニャット・リンが中心となって刊行された文団の機関誌「風化(フオンホア)」や「今日」誌の編集に携わりながら、短編小説を新聞や雑誌に発表した。出版された作品に短編集『季節はじめの風』Gio đau mua(1937)、『庭に降る陽射(ひざ)し』Nang trong vuon(38)、長編『新たな日に』Ngay moi(39)、批評集『流れに従いて』Theo giong(41)、短編集『ひとすじの髪』Soi toc(42)、ルポルタージュ『ハノイ三十六街舗』Ha Noi bam sau pho phuong(43)がある。短編に才能を発揮した作家で、理想主義を掲げた自力文団の作家たちの中では、最もロマン主義的作風をもち、都市の庶民の日常と、そこに投影されている旧社会の生活と文化を、詩情をもって描写し、繊細で情感的な文章と感覚的な小説構成を特徴とした。
(川本邦衛)
”タック・ラム”, 世界文学大事典, ジャパンナレッジ (オンラインデータベース), 入手先<http://www.jkn21.com>, (参照 2013-12-23)

四方田犬彦 (よもた-いぬひこ) [1953-]

昭和後期-平成時代の比較文化学者、映像評論家。
昭和28年2月20日生まれ。映画を中心に、文学、漫画などの現代文化を幅ひろく批評して注目される。平成5年「月島物語」で第1回斎藤緑雨賞。8年明治学院大教授。10年「映画史への招待」でサントリー学芸賞。20年「日本のマラーノ文学」「翻訳と雑神」で桑原武夫学芸賞。兵庫県出身。東大卒。本名は剛己。著作はほかに「貴種と転生」「叙事詩の権能」など。
”よもた-いぬひこ【四方田犬彦】”, 日本人名大辞典, ジャパンナレッジ (オンラインデータベース), 入手先<http://www.jkn21.com>, (参照 2013-12-23)

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