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おすすめの一冊 本学の教員や図書館員のおすすめの本を紹介します。
 

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図書館を活用して、知的冒険の旅に出よう
推薦文 : 図書館長 和田 渡 (経済学部 教授)

 フランスのある哲学者は、われわれの一日、一日が、それぞれ始めて読む本なのだと述べた。読書においては、頁を繰るごとにあたらしい展開が待ちうける。同じように、毎日の生活も、日ごとにあたらしい一日として始まる。なにが起こるかわからないし、危険もつきものである。毎日が冒険なのだ。
 冒険とは、危険や困難を予測しつつ、覚悟を持って生に立ち向かうことである。多種多様な出来事と格闘し、ときに翻弄され、苦痛をこうむりながら、成長する試練の時間を生きることでもある。
 図書館は、この種の冒険が読書を通じて実現される場所である。書架に並ぶ本を手にとれば、日常では目にしない人間たちとの出会いがうまれる。めくるめく想像の世界に遊ぶことも、したたかな現実の世界の姿を知ることもできる。悲劇や喜劇、犯罪と悪、陰謀と抗争の渦まく世界にも入りこめる。それらは、われわれを鼓舞したり、動揺させたり、打ちのめしたり、落ちこませたりする。その驚きや衝撃の連続が、思考力の強化や人間的な成長につながるのだ。

図書館を活用して、知的冒険の旅に出よう

 若者にとっては、昨日の経験をいかして、今日は昨日と違う自分をつくっていくこと、明日は今日の自分とは違う自分をめざすこと、そうした日々の姿勢と決意が成長に結びつく。ニーチェは、脱皮しない蛇は死ぬと述べたが、大学生の場合でも、自分の狭さから脱け出す努力を怠れば、やがて人間的な魅力のとぼしい大人になってしまうだろう。
 今回は、生きる指針を与えてくれる本を2冊紹介しよう。

 バルタサール・グラシアン、東谷穎人訳『処世の知恵 賢く生きるための300の箴言』(白水社、2011年)は、社会のなかで、自分や他人とつきあいながらどのように生きていくかに悩む人には格好の書物である。バルタサール・グラシアン(1601~1658)は、スペインの修道士、思想家、作家であり、周囲の人間を観察し巧みに表現した。本書の原題は「神のお告げのマニュアル、および思慮分別のわざ」くらいの意味である。本書は1647年に出版され、1684年から87年にかけて、仏訳、英訳、ドイツ語訳が出ている。プルタルコス、キケロ、セネカなどのギ゙リシア・ローマの古典に親しんで書かれた本書は、後にフランスやドイツのモラリスト(人間観察家)に強い影響をもたらした。帯には、「これほど見事に、かつ精細に人間道徳の機微を明らかにした作品は、今に至るまで、ヨーロッパでは生まれていない」というニーチェの言葉が引かれている。訳者は「あとがき」で、「本書は決して高邁なキリスト教的精神にもとづき人の道を説く堅苦しい精神書などではなく、むしろ抜かりなく世間を渡り歩くための実践哲学を説いた実用書と考えるべきであろう」(240頁)と述べている。
 路上の交通標識はわれわれの進む方向を指示してくれるが、人生行路には、それに該当するものがない。したがって、世間で生きていくためには、生き方にふさわしい原理、原則を自分で発見していかなければならない。誰にもひとしくあてはまるようなルールはそれほど多くはない。自分に固有なルールをいかにうまく見つけるかが重要になる。
 グラシアンの人間観察は、大別すれば、愚人と賢人の二分法にいきつく。箴言201でこう書かれる。「愚者が世界を席捲してしまった。(中略)全世界が愚か者であふれかえっているというのに、自分もそのうちの一人だと考える人はいないし、ひょっとしたら自分は愚か者かも、と考える兆しさえ見えないのである」(156頁)。箴言168では、愚物という名の妖怪について具体例が示される。「この妖怪とは、見栄坊、高慢ちき、石あたま、気まぐれ屋、喧し屋、変物、出しゃばり屋、おどけ者、新しがり屋、お調子者、お天気屋などなど、無分別な言動で人を惑わせる多種多様の輩どもであり、彼らはすべて横柄さを旨とする妖怪である」(132頁)。妖怪は、自分のことは棚にあげて、まわりは阿呆ばかりとうそぶき、思慮を欠いた言動でみなを困らせる。愚者には、なによりも自分の無知を知る力が欠けているのだ。「自分の無知に気づかない人は多い。また一方、何も知らないくせに、自分は物事を知っていると思っている者もいる。馬鹿という病は救いようがないのだ。無知な連中は、当然自分という人間のことさえ分かっていないから、自分に欠けているものを補おうともしない」(138頁)。賢者は、自分の欠点の修正に努力するが、うぬぼれて馬鹿の病に罹った愚者は、無知の闇につつまれたまま悲劇へと向かう。「愚者たちは、そもそも熟慮などしないから、例外なく身を滅ぼしてしまう。人の半分さえも物事を考えることをせず、利害得失の計算すらできないから、自分から真面目に努力することもない。さして重要でもないことに大いに気を遣い、重要事項はほとんど意に介せずという調子で、いつも物事を逆に考えてしまう」(33頁)。昔も今も、愚者はいたるところにいる。不要なことに多くの時間をとられて、本当に大切なことができなくなるという事態は、些末な情報が氾濫する今日、ますます深刻化しているようだ。
 グラシアンが、愚者への道に対抗して説くのが賢者への道である。後者は、無思慮、傲慢、無知から距離をとることによって開けてくる。愚者への道は広いが、賢者への道は狭く、ときに険しい。この道を歩むために必要なものは、「自分を知ること」である。「自分の性格、知力、判断力、感情の動きなどを熟知しておくこと。人はまず自分自身を正確に理解しないことには、自分の主とはなれない。顔を映すには鏡があるものの、心を映すものは存在しない。ならば、自分自身についての謙虚な省察が、その鏡となるようにしなければならない」(72~73頁)。鏡では見えない自分の心を、省察という鏡に映して観えるようにすることは容易ではない。自分の心の醜い姿を直視するよりも、他人の欠点をあげつらう方が簡単だ。自分が自分自身の主人になるよりも、他人を自分の奴隷にすることの方がはるかに易しく、また心をそそられることでもある。しかし、そうなると、愚者への道をまっしぐらである。
 箴言151のアドヴァイスがすばらしい。「今日にあっては、明日、さらには何日も先の見通しを立てること。最高の運とは、思索にゆっくり時間を当てることから生まれる。危機に備える者は逆運に苦しむことはなく、先を見通した者は難局に苦しめられることもない。危急の状況に陥るまで、思考作業を後回しにしておくようなことをしてはならない。予め備えるのだ。修羅場を迎える前に熟慮を繰り返し、それに備えるように。(中略)人生の方向を正しく見極めるためには、一生をとおして思考をつづけていかねばならない。熟考と先見性が、たしかな見通しのある人生を可能にしてくれる」(117頁)。愚者は目先のことばかりに気をとられて、先を読んで生きない。愚者は、困難なことや、手間ひまのかかることを避けて、簡単にできることしかしない。その結果、修羅場に落ちて苦しむことになる。そうした不幸な状況を回避するためには、よく考え、先を見通して生きることが大切だ。難しいことには違いないが……。
 学生生活において重要になるのは、自分自身や他人との出会いの経験である。その経験を中身の濃いものにするためには、自分に対する態度を反省したり、他人の言動を観察して人間関係の諸相を考えたりすることが欠かせない。箴言には、人間関係をよりよいものにするヒントが豊富だ。「自分の輝きを失わせるような相手と連れだってはならない」(119頁)、「愚者たちを我慢することを学べ」(125頁)、「人とのつきあいにおいては、ガラスのような人間であってはならない」(135頁)、「他人への褒め言葉を話題とせよ」(146頁)「いつも鳩のように振る舞えばいいというものではない」(188頁)等々。
 本書の要諦は次の文章につくされている。「徳性はすべての才能を束ねる鎖であり、人の幸福の中核をなす要素である。徳性の働きがあれば、思慮深さ、控えめな態度、明敏な頭脳、分別、賢明さ、勇気、落ち着きのある態度、高潔さ、幸福、声望、誠実さなどなど、これらすべての要件を備えた人間をつくりあげることができ、万人に認められる大人物が生まれる」(230頁)。本書は、徳性の涵養に重きを置く一種の道徳論であるが、生身の人間の行動を照射した卓見にみちている。数々の生きるヒントが得られることは間違いないだろう。

 アンドレ・モーロワ、中山真彦訳『人生をよりよく生きる技術』(講談社学術文庫、1990年)も、青年時代にぜひ読んでほしい本である。アンドレ・モーロワ(1885~1967)はアランのもとで学び、強い影響を受けた。小説家、伝記作家、エッセイストとして、幅広い文筆活動を続けた。この本は、フランスがドイツに占領される1年前(1939年)に出版された。深刻な国家的な危機を前にして、どう生きるべきかが問われている。
 Ⅰ 考える技術、Ⅱ 愛する技術、Ⅲ 働く技術、Ⅳ 人を指揮する技術、Ⅴ 年をとる技術のあとに、「ある何人かの青年に寄せる手紙」が加えられている。Ⅰでは、体で考えることと、言葉で考えることの違い、論理と推論、実験の特徴、思考と行動などが話題になっている。Ⅱからは次の一文を引用しよう。
人間の恋愛の不思議は[、、、、、、、、、、]欲望という単純な本能の上に[、、、、、、、、、、、、、]このうえなく複雑でこのうえなくデリケートな[、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、]愛情の構築物を築き上げたことである[、、、、、、、、、、、、、、、、、]」(55頁)。Ⅲには、読書の規則が五つあげてある。1)これぞと思う少数の作家の本を読みこむ、2)古今の名作を読む、3)自分にあったものを読む、4)落ちついてひきしまった雰囲気のなかで読む、5)自分自身を名作の読書にふさわしいものにする(133~136頁参照)。5)は少し分かりにくいが、「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」という諺を思い起こしてほしい。自分の読む力に応じてしか名作は理解できないので、日ごろから読書力を鍛えて名作を深く読みこむことが重要だということだ。そのためには、読む技術も欠かせない。「まさに読書の技術とは、大部分、本の中に人生を見、本をとおしてそれをよりよく理解する技術である」(136頁)。
 「ある何人かの青年に寄せる手紙」には、モーロワが青年に寄せる思いが率直にしるされている。手紙はこう始まる。「君たちは困難な時代に人生の始まりを迎えている。歴史の中には、いかなる弱い泳ぎ手をも成功にまで押し上げてくれた満潮の時代もあった。しかし君たちの世代は、荒れた海を、波に逆らって泳ぐ。それはつらいことだ。最初のうちは、息が切れるかもしれぬ。とても向こう岸にはたどり着けない、と思うかもしれぬ。だが安心していい。君たちの前にも、同じように高い波に出くわした人びとがいたが、波に呑まれたりはしなかった。腕をふるい、勇気を出せば、つぎのなぎまで持ちこたえることができる」(248-249頁)。おしまいでこう語りかける。「愛すること、思考すること、働くこと、指揮をすること、そういったことはみな難しいものであるから、そのうちどれひとつとして、思春期に夢みたようにうまく成しとげることができないまま、ついにこの世を去るということもあろう。しかしまた、いかにそれらが難しく思えても、不可能でないことは確かだ」(251-252頁)。「難しいことに挑戦しよう」、それがモーロワの青年への期待のメッセージである。知的冒険のすすめでもある。

 
人物紹介

グラシアン・バルタサル (Baltasar Gracián y Morales) [1601-1658]

スペインのモラリスト。サラゴサ県の医者の息子で,兄弟のうち4人が聖職者になる,宗教的な環境に育つ。イエズス会に入り(1619),司祭になってアラゴン,カタルーニャ,バレンシアの各地で神学と哲学を講じ説教師を務めた。一時期マドリードで説教をして有名になり(41),カタルーニャ戦争にも従軍した(44)。ウェスカの富豪ラスタノサの保護を受け,出版には会の許可を必要とするというイエズス会の規則を無視して,長年にわたり無断で著書を出版し続けた。この態度は,ジャンセニスムと対決中の会当局を刺激し,監禁およびペンと紙の使用禁止という処分を受ける(58)。イエズス会脱退を希望したが認められず,罰を解かれた直後に,タラソナで病没した。
 著書は1冊を除き,すべてロレンツォ・デ・グラシアンLorenzo de Graciánの偽名で出版されている。『英雄』El héroe(1637),『分別の人(デイスクレト)』El discreto(46)に示された彼の処世哲学は,箴言(しんげん)集『神託必携』Oráculo manual y arte de prudencia(47)にまとめられ,世の中は邪悪なものだから優れた人間は狡猾(こうかつ)にこれに対処せよと勧める。寓意(ぐうい)的な風刺小説『クリティコン(一言居士)』El criticón(1部51,2部53,3部57)は,悪を正す方法はないとする徹底した悲観主義で,現実をグロテスクに描いた。ほかに奇想主義(コンセプテイスモ)の文学論『機知と創意の技法』Agudeza y arte de ingenio(48),政治論『政治家カトリック王フェルナンド』El político don Fernando el Católico(40),ただ一つ本名で出版された宗教書『聖体拝領台』El comulgatorio(55)がある。簡潔で難解な,緊張感に満ちた文体と,辛辣(しんらつ)で屈折した批評精神を持つ,バロックを代表する散文家の一人である。
(吉田彩子)
”グラシアン バルタサル”, 世界文学大事典, ジャパンナレッジ (オンラインデータベース), 入手先<http://www.jkn21.com>, (参照 2014-03-19)

アンドレ・モーロア (Andr Maurois) [1885―1967]

フランスの作家、伝記作家、評論家。本名エミール・エルゾーグEmile Herzog。ノルマンディーのエルブフの織物工場主の息子。ルーアンのコルネイユ校に在学中、哲学者アランの講義を聴き、終生その影響を受けた。同校を優秀な成績で卒業したが家業に携わり、第一次世界大戦にイギリス軍との連絡将校として従軍。その体験からの小説『ブランブル大佐の沈黙』Les Silences du Colonel Bramble(1918)で文壇に出た。さらに『オグラディ博士の発言』(1922)、『風土』Climats(1928)、『血筋の輪』(1932)などにより心理小説作家としての評価を得た。一方「小説化された伝記」とよばれる『シェリー伝』(1923)、『バイロン伝』(1930)などを発表し好評を博した。第二次大戦後には『ジョルジュ・サンド伝』(1952)、『ユゴー伝』(1954)、『デュマ伝』(1957)、『バルザック伝』(1965)など多数の伝記を執筆し、そのいずれも豊かな資料に裏打ちされ、人間の微妙な内面生活を描いている。『英国史』(1937)、『フランス史』(1947)などの通史、自伝、数多いエッセイなども残した。1938年アカデミー会員に選ばれた。
[菊池映二]
”モーロア”, 日本大百科全書(ニッポニカ), ジャパンナレッジ (オンラインデータベース), 入手先<http://www.jkn21.com>, (参照 2014-03-19)

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