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おすすめの一冊 本学の教員や図書館員のおすすめの本を紹介します。
 

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オリンピック・パラリンピック― 苦しみを通して歓喜へ ―
推薦文 : 図書館長 和田 渡 (経済学部 教授)

 オリンピックとパラリンピックが終わった。勝者には、過去の過酷な練習や重圧が歓喜に変わる瞬間がおとずれ、敗者には、彼我の実力差の認識や、おのれの限界を苦い思いで噛み締める時間がつづく。勝者には授賞式の晴れの舞台が用意され、敗者は肩を落として退場する。記録や得点などによってはっきりと明暗が別れる過酷な世界である。しかし、参加してベストをつくすことにこそ意義があるという本来の趣旨にのっとれば、勝敗、順位に関係なく、全力で競技したすべてのプレイヤーこそ賞讃にあたいするだろう。彼らのプレイが与える感動こそが大会のもっとも美しい果実である。

 清水宏保の『プレッシャーを味方にする心の持ち方』(扶桑社、2011年)は、長野オリンピックでのスピードスケート500mの金メダリスト。この本は、オリンピックでの戦いを軸にして、その前後の経験を語ったものである。清水は「前書き」で、幼少の頃から重い喘息に苦しみ、プレッシャーにも弱く、しかも、162センチという、大男揃いのスピードスケートの世界で戦うにはあまりにもハンデとなる身長しかなかった(3頁参照)。

もう一人の自分を見つめる

指導者は、選手としては絶対に大成しないと宣告していたようだ(16-17参照)。にもかかわらず、そうした弱点を克服して金メダルを獲得できた背景には、自分自身を客観的に捉える力があったからだと清水は自己分析している(4頁参照)。「私は“もう一人の自分”との二人三脚で、オリンピックやワールドカップなどを戦い抜いてきたとも言えるのです」(5)。自分がもう一人の自分を見つめる戦いのなかで清水が学んだもの、それが本書のタイトルにもなっている「プレッシャーを味方にする心の持ち方」である。
 清水は、長野オリンピックの2年半前に出場の内定を得た。その後、金メダル期待への重圧や、メダルを取れなかった場合の恐怖や不安で、精神的にも変調をきたすが、プレッシャーに打ち勝つ工夫を重ねる日々のなかで、ひとつの転換が生じた。プレッシャーをまるごと受けいれてしまうという態度への切り替えである。「プレッシャーやトラブルには、必ず何らかの意味や原因があり、そこから学ぶべきことは多いはずです。ですからプレッシャーは避けるだけではなく、プレッシャーを受け止め、それを上手に処理していくことも大切なのです」(73頁)。
 プレッシャーに向き合うという態度変更を通じて、清水の「もう一人の自分」との二人三脚の経験がいかされた。世界新記録を生んだレースの描写に、その状況が活写されている。「号砲とともに飛び出すと、出だしは最高。心はリラックスしているのに体は集中していて、体の筋肉や細部までの動きがはっきり捉えられる。100メートルは、これまでに出したことのないほどの好タイムで通過。すると急にエンジンがかかって、体が凄いスピードで飛んでいくような感覚に。そのままゴール!」(76頁)
 自分の体との対話を極限まで生きぬいたアスリートの新鮮な語り口は興味深い。「神経が研ぎ澄まされた感じ」=「一点に集中しているのだけれど、全体が見えている・・・・・・という感じ」(80頁参照)とか、「自分の体を『意識のペン』でなぞる」(91頁)、「『見えない部分』を鍛えると身体能力が上がる」(127頁)、「指先を触ると体のバランスが良くなる」(128頁)など、経験にもとづくアドヴァイスには驚くばかりだ。
 重圧の経験の渦中に身を置くことは、一回り大きくなるために必要な試練である。この本には、アスリートの領域を超えて、プレッシャーを飛躍と成長へのばねとするためのヒントが書かれている。読んで参考にしてほしい。

 田村明子『銀盤の軌跡 フィギュアスケート日本 ソチ五輪への道』(新潮社、2014年)は、フィギュア取材歴20年のヴェテラン・ジャーナリストが内外の選手や関係者と対話してまとめた記録である。プロローグ「震災、東京そしてモスクワ」とエピローグ「ソチ五輪への道」の間に全部で10章が置かれている。日本の代表選手の他に、コストナー、キム・ヨナ、パトリック・チャン、振付師ニコルなどに照明があてられている。
 フィギュアスケートは、滑りの技術と音楽に調和した舞の華麗さを表現するスポーツである。観衆の視線が集中するなかで、滑るのは一人であるが、その背後にはコーチ、トレーナー、家族や友人、選曲や振付にかかわった人々などの支えがある。数分間の演技には、そこにいたるまでの共同の経験が凝縮し、形となって現れる。演技が感動を呼ぶのは、その経験の歴史が目の前で見事に成就するさまを目にするからである。それぞれの演技は、それぞれの人間の個性と歴史をまざまざと表現する。挫折や葛藤と苦悩、忍耐と自制、演技の喜び、プレッシャーとの戦いといった要素を含む経験の質が本番の演技につながるのである。
 この本には、心に残る言葉がある。いくつか列挙してみよう。浅田真央の今は亡き母の残した言葉。「フィギュアスケートは、勝った、負けたではないと思うんです。その人の生きざまをどう氷の上で見せるか。それがフィギュアスケートではないですか」(42頁)。思春期に拒食症で体調を崩し、一時は復帰も危ぶまれたという鈴木明子のスケート観。「この病気は絶対に再発しないとは言い切れないけれど、今の私を見て、諦めなくてもいいんだと思ってくれる人が一人でもいたなら、私もスケートを続けてきた意味があると思います」(51頁)。優勝後のコストナーの発言。「ジャッジだけではなく、観客にも、自分がどれほどスケートを愛しているのか、滑ることがどれほどの喜びを私に与えてくれるのかを、演技を通して伝えたいと思って滑りました。夢がかなって嬉しくて言葉に表すことができません」(54頁)。演技失敗後の小塚崇彦のコメント。「自分では調子が悪かったという自覚はなく、体はよく動いていました。それにおごって集中しなかったというわけでもない。どちらかというとよい集中ができていたと思う。だから(ここでの結果は)不思議なんですよね……」(119頁)。羽生の取材を受けての発言。「こうやって取材してもらっていろんなことを話すことによって、自分の課題とかが言葉として明確に出てくる。それを見て改めて自分はこういうことを考えていたのか、と思い出すことができるんです」(142頁)。ソチ五輪を前にして浅田が語った決意。「バンクーバーのときも自分は金メダルを目指してやってきたんですけど、ミスで銀メダルになってしまいました。終わったときは自分のミスが悔しかったので、ソチ五輪でもメダルは大事ですが、まずは自分が目指す最高の演技をすることを心掛けたいと思います」(205頁)。
 田村は、この本をこう締めくくっている。「願わくば万全の体調で臨み、『これが浅田真央だ』という演技を世界に見せて欲しいと思う(206)。浅田は、SPの大失敗から短時間で立ち上がり、最高の圧巻の演技を見せた。オリンピックの意義が「感動」にあることを示す約4分間の歴史に残る舞いであった。

 
人物紹介

清水宏保 (しみず-ひろやす) [1974-]

平成時代のスピードスケート選手。
昭和49年2月27日生まれ。平成6年リレハンメル冬季五輪500m5位。10年長野冬季五輪500mで日本スケート史上初の金メダル,1000mで銅メダルを獲得。同年世界種目別選手権500mで34秒82の世界新を記録。11年ワールドカップ(ワルシャワ大会)500mで通算22勝目をあげる。12年世界種目別選手権500mで3連覇。14年ソルトレークシティー冬季五輪で銀メダル。三協精機(現・日本電産サンキョー),NECをへてコジマ所属。22年現役引退。北海道出身。日大卒。
”しみず-ひろやす【清水宏保】”, 日本人名大辞典, ジャパンナレッジ (オンラインデータベース), 入手先<http://www.jkn21.com>, (参照 2014-03-19)

田村明子 (たむら-あきこ) [1962-]

ノンフィクションライター、翻訳家。盛岡市生まれ。1977年留学のために渡米し、現在まで米国・ニューヨーク在住。フェギュアスケートの取材は1993年からはじめ、長野五輪では運営委員として海外メディアを担当。ソルトレイクシティ五輪、トリノ五輪、バンクーバー五輪を取材して「スポーツ・グラフィックナンバー」「ワールド・フィギュアスケート」などに定期的に執筆。「ナンバーウェブ」ではコラム「氷上の華」を連載中。著書に『パーフェクトプログラム 日本フィギュアスケート史上最大の挑戦』(新潮社) 『氷上の美しき戦士たち』(新書館) 『氷上の舞』(新書館) 『女を上げる英会話』(青春出版社)、翻訳書に『ガラクタ捨てれば自分が見える』(小学館文庫)他、多数。―本書より

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