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『人間の条件』を読む―ハンナ・アーレントとの闘い―
推薦文 : 図書館長 和田 渡 (経済学部 教授)

 ハンナ・アーレント(1906-1975)は、ドイツ北部のハノーバーで、ユダヤ系ドイツ人の家庭に生まれた。学生時代には、ハイデガーとヤスパースのもとで学んだ。1933年、ベルリンで反ナチ活動に協力し、ゲシュタポに逮捕され、約1週間拘留された。その後、フランスに亡命。1939年に第二次世界大戦が勃発し、フランスもドイツとの交戦状態に入る。1940年には、フランス国内のドイツ人収容所に送られるが、パリ陥落の混乱に乗じて解放された。翌年にポルトガルのリスボンからアメリカへ二度目の亡命。1951年にようやくアメリカの市民権を取得した。

  ヨーロッパで600万人以上におよぶユダヤ人虐殺という、想像を絶する出来事が起きたことを知ったアーレントは、全身全霊でこの事実に向きあい、全体主義が生まれるにいたった歴史を検証した。その苦闘の成果が、1951年の刊行にむすびついた。邦訳は『全体主義の起原』1・2・3(大久保和郎他訳、みすず書房、1972~1974年)である。

ハンナ・アーレント。彼女は暗い時代の一つの燈火となった。

  その7年後の1958年に、『人間の条件』(志水速雄訳、ちくま学芸文庫、1994年)が出版された。アーレントは、この本で「私たちの最も新しい経験と最も現代的な不安を背景にして、人間の条件を再検討すること」(15頁)をめざしている。彼女は、私たちの時代の明白な特徴が「思考欠如―思慮の足りない不注意、絶望的な混乱、陳腐で空虚になった『諸真理』の自己満足的な繰り返し」(16頁)という点にあると見なし、それに抗するために、「私たちが行なっていることを考えること」をこの本の中心的なテーマとしている。彼女は、このテーマを掘り下げるために、古代ギリシア人の経験にまで遡り、それ以後の西欧の歴史的な変遷にも注目して考察している。
  第1章「人間の条件」において、人間が行なっていることとのなかで、彼女が特に注目しているのが労働(第3章)と仕事(第4章)、活動(第5章)の三つである。彼女の定義によれば、労働は「人間の肉体の生物学的過程に対応する活動力である」(19頁)。だれもが生きるためには、つくられたものを食べることが必要である。「労働の人間的条件は生命それ自体である」(19頁)。仕事の特徴は、「すべての自然環境と際立って異なる物の『人工的』世界を作り出す」(20頁)点にある。活動の定義はこうである。「物あるいは事柄の介入なしに直接人と人との間で行なわれる唯一の活動力であり、多数性という人間の条件、すなわち、地球上に生き世界に住むのが一人の人間 man ではなく、多数の人間 men であるという事実に対応している」(20頁)。彼女は、自己の実存的な孤独に重きをおき、人々から遠ざかり「思考の王国」に閉じこもったハイデガーを厳しく批判し、人々が人々の間で生きて、共に多様な言論活動を行なうという政治的な生活の次元を強調している。この考え方の背後には、全体主義的な体制の下、「余計者」としてひと括りにされて市民生活から排除され死んでいかざるをえなかった多くのユダヤ人の無念さへの思いや、ユダヤ出自のために二度の亡命を強いられた自分の経験の痛みがひそんでいる。
  『人間の条件』は、複数の人間による活発な言論活動がなされる社会を希求したアーレントが、古代ギリシアから現代にいたる歴史をふまえて記述した政治哲学的な論考である。現代社会の特質やひとびとの動向、今後の社会の行方を見つめる手がかりを与えてくれる本である。

  E.ヤング=ブルーエル『なぜアーレントが重要なのか』(矢野久美子訳、みすず書房、2008年)は、『アーレント伝』(荒川幾男他訳、晶文社、1999年)の著者でもある。彼女は、アーレントのもとで学び、ヤスパースに関する博士論文を書いた。本書は、アーレントの身近でその思想や行動に触れたひとにしてはじめて書ける内容になっている。彼女は、しばしば好んで、ギリシア語のタウマゼイン(驚き)ということばを大声で口にしたという(17頁参照)。アーレントの特徴は、「立ち止まって考えること、休止して熟考すること、不意の衝撃や驚きに敏感でいられるようにすること、過分な前提や偏見なしに応答すること」(17-18頁)とまとめてある。序章にはこう書かれている。「わたしは、とりわけ若い読者たち、1968年にアーレントの学生になったころのわたしと同じ年齢の学生たちに語りかけたいと思う。そのころ彼女は、わたしや仲間の学生たちにとって、ヤスパースが彼女にとってそうであったもの、すなわち暗い時代の一つの燈火となったのである」(16頁)。
 本書は、1『全体主義の起原』と21世紀、2『人間の条件』と重要である活動、3『精神の生活』について考えるからなっている。2のなかで、ヤング=ブルーエルは、『人間の条件』を「驚くべき本」(86頁)、「よく知られた言葉がまったく未知の定義を与えられる大胆で挑発的な、理論的用語集」(同頁)と見なし、この本の肝心な点をこう表現している。「彼女が強調したのは、私たちが<何を>行っているのかについて<どのように>考えるかということ、とりわけ思考する際に私たちの思考を阻むものは何なのかということであった」(同頁)。考えるという活動については、『精神の生活』でも、「わたしの主観的な考え方が客観性をもちうる条件はなにか」という問題と関連づけて再考された。
 本書を暗い時代を生きぬいたひとりの女性に関する報告書として、著者が期待するように、とくに若い学生のみなさんに読んでほしい。政治や社会、歴史、法の問題について考える契機になるだろう。

  矢野久美子『ハンナ・アーレント』(中公新書、2014年)は、現実に起きる出来事から 目をそむけず、それについて考え、理解することをめざしたアーレントの生涯と思考の歩みを丹念に追跡したものである。第1章「哲学と詩への目覚め 1906-33年」、第2章「亡命の時代 1933-41年」、第3章「ニューヨークのユダヤ人難民 1941-51年」、第4章「一九五〇年代の日々」、第5章「世界への義務」、第6章「思考と政治」からなる。この本を読むと、彼女の波乱に満ちた一生が映画化されたのもうなずける。マルガレーテ・フォン・トロッタ監督による「ハンナ・アーレント」(2012年)は、欧米で好評を博し、日本でも各地で上映され、多くの観客を集めている。

 
人物紹介

ハンナ・アーレント (Hannah Arendt) [1906−1975]

ユダヤ系ドイツ人の女性政治哲学者。
ハイデガー,フッサール,ヤスパースのもとに学び,ナチスに追われ1933年フランスに,40年アメリカに亡命。ナチス批判をこめた主著『全体主義の起源』The Origins of Totalitarianism(1951)では,共同世界に対する無関心と政治判断の放棄が全体主義への〈大衆的忠誠〉を培った温床であるとし,それに対抗するものとして個人の判断力を基盤とした政治的意志形成の必要性を説く。カントの『判断力批判』に依拠し,美的趣味判断が他者との合意達成の基盤とする考えに立ち,芸術に個人を超えた相互主観性の可能性を見るために,消費にのみ供する大衆文化には批判的な立場をとる。 "アーレント ハンナ", デジタル版集英社世界文学大事典, JapanKnowledge, http://japanknowledge.com, (参照 2014-07-01)

マルティン・ハイデガー (Martin Heidegger) [1889−1979]

ドイツの哲学者。
西南ドイツの村メスキルヒに教会の堂守を父として生まれる。フライブルク大学でフッサールに師事し,のちマールブルク大学教授を経てフライブルク大学教授。主著『存在と時間』Sein und Zeit(1927)によって一躍現代哲学の代表者の一人となった。本書においてハイデガーは,従来の西洋形而上(けいじじよう)学では存在そのものへの問いが閑却されていたとしてこれを全面的に批判し,大胆で徹底した思索によって基礎的存在論を構築しようとした。この彼の従来の思惟(しい)の枠を打ち破る全く新しい哲学は,ニーチェによって神の死が宣告され,しかも第一次大戦後の混乱と不安の中にあった時代に大きな衝撃を与えた。ナチ時代の初期に一時ナチスに思想的接近を見せる誤りを犯したが,やがてこれから離れ,以後ヘルダーリンをはじめとする詩に傾斜を深めるようになる。ハイデガーによれば人間が言葉を所有しているのではなく,逆に言葉が人間を所有しているのであり,言葉は〈存在の家〉だとされる。そして最も純粋な言葉たる詩作こそ存在を開示するものであり,詩人は存在の建立者なのだと言う。そのような真の意味での詩人を彼はヘルダーリンに見いだした。そのほかS.ゲオルゲ,トラークル,リルケなどの作品についても独特の解釈を示している。また,とりわけデカルトに始まる西洋の近代的思惟を主観—客観の対立を前提とする人間中心主義と断じ,この見地から科学技術に代表される現代文明を批判するなど,本来的存在への帰郷を促し,哲学のみならず文芸学や現代詩にも大きな影響を与えた。 "ハイデガー マルティン", デジタル版集英社世界文学大事典, JapanKnowledge, http://japanknowledge.com, (参照 2014-07-01)

カール・ヤスパース (Karl Jaspers) [1883−1969]

ドイツの哲学者。
実存主義を代表する一人であるが,ハイデガーと違って,実存の理論的認識よりも実存の実現を重視した。多くの哲学的著作のうち主著ともいうべきものに浩瀚(こうかん)な『哲学』Philosophie(3巻,1932)がある。臨床助手の経験もある精神医学者としての彼には,『精神病理学総論』Allgemeine Psychopathologie(13)のほか,芸術家の病理についての興味深い分析があり,また『現代の精神状況』Die geistige Situation der Zeit(31)は現代社会の病理を鋭く摘出している。 "ヤスパース カール", デジタル版集英社世界文学大事典, JapanKnowledge, http://japanknowledge.com, (参照 2014-07-01)

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