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古典の森を散策してみよう(9)―デカルトの魅力―

推薦文 :和田 渡 (経済学部 教授)

 デカルト(René Descartes 1596-1650)は、幼少時、空咳をする青白いひ弱な赤ん坊だったので、医者は長くは生きられないだろうと見ていた。10歳でラフレーシュ学院に入学し、18歳で卒業している。青年時代のデカルトは、社交界に出入りし、武術や馬術にも打ちこんでいる。Descartesという名前は、des+cartesで、英語で言えばsome cardsにあたる。carteはカード、トランプという意味。「名は体を表す」と言うが、デカルトは実際にトランプの名手でもあったようである。
 22歳でオランダに行き、軍隊生活をへて、26歳でフランスに戻り、1623年から2年間、ヴェネチアやローマにも滞在する。その後、オランダでの研究生活が中心になる。39歳の時に、オランダ人女性との間にフランシーヌという娘が生まれるが、5歳でなくなり、生涯最大の悲しみとなった。
 1649年、53歳のデカルトは、スウェーデン女王のクリスチナからの再三の招待を断りきれなくなった。肺の弱さを自覚していたデカルトは、おそらく不吉な運命を予感し、身辺を整理してストックホルムに向かった。翌年、冬の早朝の講義がたたって、肺炎でなくなった。江戸後期の蘭学者緒方洪庵は大阪の町になじみ、適塾で多くの門下生を育てていたが、幕府に命じられ、江戸で重職に就いた。しかし、在職わずか10箇月、デカルトとほぼ同じ年齢で命を落としており、二人の運命に似たものを感じる。

「読んでおしまい」にするか、自らに「忍耐を伴う思考の修練」を課すか。

  デカルトは幸いにも遺産に恵まれ、働いて稼ぐ必要がなかった。しかし、そのおかげで、「徹底して考える」という仕事に専念し、後世に末永く読まれ、世界を変える哲学作品を残した。2007年、当時コロンビア大学の図書館長をつとめていたマイケル・ライアンは、日本で開催された「世界を変えた書物」というフォーラムの席上で、デカルトの『方法序説』、リンカーンの「ゲティスバーク演説」、マルクスの『資本論』とフロイトの『夢判断』の四つを挙げた。
 デカルトは、旅に生きた哲学者でもあった。モンテーニュも各地を旅して『旅日記』を残したが、デカルトの旅は見聞を広めるためのものにとどまらなかった。デカルトの生涯とは、つづめて言えば、行動することと考えることとを一体化した人間の、波乱万丈の生活にほかならなかった。彼は、確実な学問を求め、考えるとは、なにについて、どのような仕方で、どの方向に向かって考えることなのかをつきつめた。一流の職人が、自分のつくるものについて、あらゆる方向から慎重に考えて創作活動にうちこむように、デカルトは、いわば「思考の職人」として、思考に完璧な形を与えるために、身を削るような努力を続けた。
 そうした「思考のプロフェッショナル」が世に送り出したのが『方法序説』(谷川多佳子訳、岩波文庫、1997年)である。この本は実に手ごわい書物である。哲学書が、概して聞きなれない言葉で埋めつくされた難解きわまりない、固い書物だと思って読むと、意外なほどに読みやすいことに驚く。フランス語の原文は、センテンスが長く、けっしてすらすらとは読めないが、カントやヘーゲルの文章と比べれば、はるかに読みやすい。「え?これが哲学の本」といぶかしく思う読者も少なくない。
 しかし、それには理由がある。デカルト自身が、それまで常識だった哲学書はラテン語で書くものという習慣をうち破って、日常のフランス語で、だれにもわかるようにと願って書いているからである。とはいえ、だれにも読めるように、わかるように書かれているからといって、だれもがわかるわけではない。読んでわかったつもりになって、「読んでおしまい」というひとには、それで終わりになる。しかし、わかりやすく書かれたように見える文章のいたる箇所にわかりにくさを感じるひとには、『方法序説』が思考の迷路に誘いこむために書かれていると見える。わざとかもしれないが、文章がうまくつながらないように書かれている箇所もある。おそらく、『方法序説』は二重の読者を想定している。一方は、それを読み物として読んですましてしまう読者で、他方は、それを契機として、デカルトの考えたことをもう一度自分で考え直してみようと決意する読者である。「とにかくまず一度読んでみてくれ」と「丁寧に注意して、何度でも読んでくれ」という願望が共存していて、後者の読者に対しては、「思考のレッスン」、「忍耐を伴う思考の修練」が課せられるように計算されている。
 『方法序説』は用心すべき書物でもある。これまで、5種類以上の訳書が出ている。これだけの翻訳が出るのは、旧訳に満足できず、異論を唱え、「自分で納得のいくように訳してみよう」と考える研究者があとを絶たないからである。『方法序説』が、つぎからつぎへとあらたな研究者に翻訳を促すような深い内容と、いくつものむずかしい問題を含んだ、多種多様な読み方を許容する、きわめて懐の深い書物だということである。この本は、第1部から第6部までに分けられ、それぞれは、あまり長いものではない。前半は過去の回想が前面に出てくるが、第6部では、デカルトの心境と未来への希望が語られている。時間という軸を中心にして巧みに構成された『方法序説』は、細部にこだわりながら、ゆっくりと読んでこそ、その面白さが味わえる本である。
 第1部をのぞいてみよう。デカルトの人間観を表明する「良識はこの世でもっとも公平に分け与えられているものである」(8頁)というよく知られた一文から始まる。この一文からして、訳者によって訳し方が若干ことなるが、「良識 ボン・サンス」―英語では「グッド・センス」―の訳語は共通している。フランス語の「サンス」には、感覚、センス、勘、認識力、分別、判断力といった多様な意味が含まれているが、「良」とつながりやすい「識」が選ばれて、「良識」という訳語が定着したのであろう。デカルトは、「ボン・サンス」ではわかりにくいと考えたのか、それを、「正しく(「良く」あるいは「きちんと」と訳すひともいる)判断し、真と偽を区別する能力」、「理性」とも言い換えている。理性は、「良い精神」―ある英訳では「グッド・センス」と訳されている―とも結びつけられている。デカルトは、人間であればだれにでもものごとを正しく判断し、本当のものと偽ものを区別する能力、良い精神の働きが公平に与えられていると見なす。ただし、こう注意を促す。「良い精神を持っているだけでは十分ではなく、大切なのはそれを良く用いることだからだ」(8頁)。すなわち、人間は残念ながら、公平に与えられた能力を十分に活用していないのではないかと、疑念を呈しているのである。
 注意すべきは、「良く(正しく)」という言い方である。「良く判断する」、「良い精神を良く用いる」という場合の「良く」とはなにを意味するのか。ヨーロッパでは、ギリシアの時代から、「良く生きる」ことが強調されてきた。デカルト自身も、われわれはなにをおいても、良く生きることにつとめるべきだと強調する。しかし、どうすれば「良く」という状態が実現されるのか、さだかではない。ひとつ明確なことは、「良く」という基準を設定すると、その逆の「悪く(誤って、間違って)」という側面が意識されてくるということである。デカルトは、人間は自分のことを誤って判断するひとや、他人にはわざと本当のことを伝えないひとなどの例を挙げて、人間にとって良く判断し、良く考えて生きることが実にむずかしいものだという事実を述べている。「無知の知」で知られるソクラテスが、「無知の自覚」から出発して、「知恵、賢明さ」を求めたように、デカルトはいまだ「良く」は生きていない現実の自覚から出発して、「良く」生きる方向を探ろうとした。
 デカルトは、ひとびとに「良く判断すること」と「悪く判断すること」がどうすることなのかを説教するのではなく、時に間違いを犯し、道に迷い、苦労を重ねた自分のこれまでの過去の歴史を語ろうとする。そして、自分が書いたものを読者の皆さんがどう思うか、意見を聞いて、正すべきところは正して、方向を修正しながら生きたいと考える。謙虚なスタートである。「この序説[話]のなかで、自分がどういう道をたどってきたかを示し、一枚の絵に描くように自分の生涯を再現できれば、わたしにとってこのうえない喜びとなろう」(10頁)。自分の過去と、自分自身の歩みを一枚の絵に描くように、見やすく、わかりやすく描いてみようという試みである。おそらく、デカルトは、1枚の大きな絵のなかに、自分の経験のエピソードごとに複数の絵を分割して書きこむというイメージを描いていたと思われる。こうした着想は、彼がよく読んでいた、モンテーニュの『エセー』からきていると推測される。モンテーニュは、『エセー』の「読者に」のおしまいで、「わたしが、よろこんで、わが姿をまるごと、はだかのままに描いたであろうことは、きみに誓ってもいい。つまり、読者よ、わたし自身が、わたしの本の題材なのだ」と述べて、自分の裸の姿を描いた。「自分はどうしようもなく愚かな人間だから、格好つけてもしょうがない」と開き直って、滑稽な日常をユーモアを交えて描いている。「わたしは、おしっこが10時間我慢できる」とか「王様もうんこする」とか、普段は人が口にすることを避けるような話題をわざと書き連ねている。
 「それに比べれば、デカルトの態度ははるかに真面目である。デカルトは、モンテーニュのように自分を裸にしてさらけだすことはしない。『方法序説』を書いた目的については、こう語られる。「自分の理性を正しく導くために従うべき万人向けの方法をここで教えることではなく、どのように自分の理性を導こうと努力したかを見せるだけなのである」(11頁)。つまり、人々に説教するつもりなどなく、自分自身が自分の理性をどのようにして導こうとしたか、その努力の道筋をひとつのお話として読んでもらいたいというのである。
 キーワードのひとつは、「導く」という動詞だ。フランス語ではconduire、英語ではconduct。conductorは演奏者を指揮する人を指す。フランス語のconduireは、車を運転するというときに用いる。そのためには、車の操作の仕方やメカニズム、どの道をどの方向に走るかを知らなければならない。まずは教習所に通って教えてもらうことから始まる。デカルトがめざしたのは、自分の理性を自分で導くことである。自分の理性の力がどの程度で、それをどう活用すれば正しい判断ができるのか、理性の力を十分に発揮すれば、どのような生き方が可能になるのか。こういう問題についてはなかなか教えてくれる教師がいない。それゆえに、デカルトは自分が自分の教師になって、自分に教えるしかないと決意したのである。
 冒頭の一文、「良識はこの世でもっとも公平に分け与えられているものである」(8頁)は、だれもが理性的に行動しているということを意味しない。非理性的な仕方で行動することの方が多いかもしれない。モンテーニュも『エセー』において、自然の恵みのなかで最も公平にあたえられているのは理性だということを述べているが、だれにも与えられている理性は、しかしながら、よく働かせる努力がなければ眠ったままだ。そこで、なんとしてでも、自分の理性がよく働くように自分で自分を導いていかなければならない。人に頼らず、自己責任で生きていこうと、若きデカルトは考え、それを実践したのである。
 『方法序説』は、中年のデカルトが、自分の10代、20代の青春時代を振り返って、これまで自分が自分をどう導き、どう生きてきたかというお話を読んで、参考になるものがあれば、それを汲みとってほしいという願いのもとに書かれた。そこから、話は、青春時代の回想へとつながる。面白いエピソードがいくつも出てくる。
 最初のそれは、「若い時に一生懸命勉強したものの、わからないことだらけで、自分が馬鹿じゃなかろうか」と思ったということである。デカルトはこう言う。「多くの疑いと誤りに悩まされている自分に気がつき、勉学に努めながらもますます自分の無知を知らされたという以外、何も得ることがなかったように思えたからだ」(11-12頁)。教師を馬鹿にできるのは生徒に才能があるからだが、デカルトは当時のすぐれた学校で教えてもらったことになにひとつ満足できず、さりげなく教師を批判している。哲学や神学、その他の学問への皮肉や不満が大変面白く書かれている。その結果として、デカルトはふたつの自由、すなわち「他のだれについてもわたしを基にして判断する自由」(12頁)と、「人びとがわたしに期待させたような学説はこの世に一つもないのだと考える自由」(12頁)を選択する。それが、「自分で一から考えなければならない」、「自分で納得できる学説を展開しなければならない」という、思考の自主独立宣言と、新学問の確立宣言に結びつく。
 次のエピソードは、デカルトが文字による学問を放棄したということである。教師を見限り、本と決別し、本とは別のステージで生きる覚悟をしたのである。デカルトはこう言う。「これからは、わたし自身のうちに、あるいは世界という大きな書物のうちに見つかるかもしれない学問だけを探求しようと決心し、青春の残りをつかって次のことをした」(17頁)。青年デカルトの若々しい野心の出現だ。学校での勉強を止めたデカルトは、旅に出て、宮廷や軍隊を見、さまざまな階層のひとたちと交わり、経験を積み、自分の試練を課し、「目の前に現れる事柄について反省を加え、そこから何らかの利点を引きだすこと」(17頁)につとめる。この世界という外部に開かれた経験と、それを自分の内部で咀嚼吸収するという経験が、デカルトを書斎で書物に向かうだけの「文字の人」から、人間と世界、さらに自己の内部へと開かれた経験のなかで「考える人」への転換を促す。
 旅の途上のデカルトは、明確な戦略をもっていた。「わたしは、自分の行為をはっきりと見、確信をもってこの人生を歩むために、真と偽を区別することを学びたいという、何よりも強い願望をたえず抱いていた」(18頁)。「自分の行為を見る」とは、自分がどの方向を向いて、なにをしているかを点検するだけでなく、自分がなにをどんな仕方で考えているかを吟味するということを含んでいる。こうした注意深い姿勢を維持して世界を旅し、デカルトは「世界という書物」から多くを学んでいく。その後、デカルトに変化が生じる。「ある日、わたし自身のうちでも研究し、とるべき道を選ぶために自分の精神の全力を傾けようと決心した」(18-19頁)。すなわち、それまでの旅の途中では、目を外部に向けて、世界のなかでおきていることを学ぼうとしていたが、今度は一転して、目を自分の内部に向け、自分の心のなかでおきている出来事を研究しようと決意する。ここまでが第1部だ。興味を覚えたひとは、ぜひ第6部まで読みすすめてほしい。

 
人物紹介

デカルト (René Descartes) [1596〜1650]

フランスの哲学者・数学者。近世哲学の父とされる。方法的懐疑によってすべてを疑うが、疑っている自己の存在を真理と認め、「我思う、故に我あり」の命題によって哲学の第一原理を確立。さらに、この思惟する実体と延長を本質とする物体を、相互に独立とする物心二元論を展開した。また、解析幾何学の創始者でもある。著「方法序説」「省察」「哲学原理」など。 "デカルト【Ren〓 Descartes】", デジタル大辞泉, JapanKnowledge, http://japanknowledge.com, (参照 2014-09-01)

モンテーニュ (Michel Eyquem de Montaigne) [1533〜1592]

フランスの思想家。豊富な知識と深い人間性省察に基づく主著「随想録」は、モラリスト文学の先駆として後世に大きな影響を与えた。 "モンテーニュ【Michel Eyquem de Montaigne】", デジタル大辞泉, JapanKnowledge, http://japanknowledge.com, (参照 2014-09-01)

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