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日本文学に魅せられて―サイデンステッカーとキーン―

推薦文 :和田 渡 (経済学部 教授)

 日本という島国のなかに住んでいると見えないものが、その外に出ることで見えてくる。自国の風土や習慣と異なる国で生きるひとびとのふるまいが学習の材料になる。「ひとのふり見てわがふりなおせ」だ。外国から来た人も、自国にとどまるひとには見えにくい側面に気づく。それゆえ、海外のひとが日本の文化や文学について書いたものを読むことも刺激になり、勉強になる。
 日本の文学作品や文化に魅了されて研究に打ちこんだ代表的な人物が、エドワード・ジョージ・サイデンステッカー(1921~2007)とドナルド・ローレンス・キーン(1922~)のふたりである。米国は、戦争中に軍事目的で日本語学校を設立し、語学将校を養成した。ふたりは共に、大学卒業後、海軍日本語学校で学んだ。
 サイデンステッカーは、その後、日本人捕虜の尋問や日本語の文書の翻訳に従事した。1948年に外交官として日本に赴任。アーサー・ウェイリーが英訳した『源氏物語』を読んで感動した彼は、辞職して東大大学院に入学し、日本文学の研究に夢中になった。晩年、日本への移住を考えていたが、転倒して頭部を強打し、帰らぬひととなった。

日本文学に魅せられて

 キーンは、情報士官として翻訳にかかわったが、その後、「国性爺合戦の研究」で博士号を取得し、松尾芭蕉研究のために京大大学院に留学した。東日本大震災の後、「被災地のひとびとと共に生き、共に死にたい」と日本国籍を取得し、日本に移り住んだ。2013年、ニューヨークの書斎が新潟県の柏崎市に移築され、「ドナルド・キーン・センター柏崎」が開設された。

 サイデンステッカーは、川端康成の『雪国』『山の音』、谷崎潤一郎の『細雪』などを翻訳出版した。彼の翻訳がきっかけとなって、他のヨーロッパ言語への重訳書が出版され、川端作品が広く読まれるようになった。サイデンステッカーの翻訳は、川端のノーベル文学賞受賞を後押しした。川端の生家は、現在は料亭に変わっているが、大阪天満宮の表門の斜め向かいにあった。
 川端の『美しい日本の私』(サイデンステッカー訳、講談社現代新書、1969年)は、受賞記念講演である。助詞の「の」がinにもofにもとれるぼかした表現は、川端が意図したものだろう。サイデンステッカーは、このタイトルを、JAPAN, THE BEAUTIFUL, AND MYSELF と訳した。大江健三郎は、1994年のノーベル賞記念講演のタイトルを、川端とはスタンスの異なる自分の立場を明らかにして、「あいまいな日本の私」とした。その間の事情は、『あいまいな日本の私』(岩波新書、1995年、4~6頁参照)に詳しい。
 川端の講演は、道元(1200~1253)の「本来ノ面目」と題する、よく知られた歌の引用から始まる。

 春は花夏ほととぎす秋は月
   冬雪さえて冷しかりけり (6頁)


 サイデンステッカーはこう訳している。苦心の英訳を読むことによって、あらためて日本語の漢字やひらがなの美しさが目にとまり、音の響きやリズムの心地よさが気づかれる。

“In the spring, cherry blossoms,
 in the summer the cuckoo.
 In autumn the moon, and in
 winter the snow, clear, cold.” (74頁)


 良寛(1758~1831)が残した類似の歌も引かれているが、こちらは辞世の歌である。

 形見とて何か残さん春は花
   山ほととぎす秋はもみじ葉 (13頁)

“What shall be my legacy ?
 The blossoms of spring,
 The cuckoo in the hills,
 The leaves of autumn.” (67頁)


 川端が好んでよく揮毫したという一休(1394~1481)の謎めいたことば「仏界入り易く、魔界入り難し」の英訳は、 “It is easy to enter the world of the Buddha, it is hard to enter the world of the devil.”(59頁)。ある英和大辞典によれば、仏界はthe Buddhist paradise, the Buddha realm と訳されている。いずれにせよ、一休が「仏界」にこめた意味を深く理解しなければ、適切な訳語が決まらない。翻訳作業の労苦がしのばれる。

 サイデンステッカーの『好きな日本 好きになれない日本』(廣済堂出版、1998年)は、著者の口述をテープレコーダーに記録し、その内容を整理して1冊の本に仕上げたものである。「自然と伝統への<こころ>の変容」、「世間をとらえる感覚」、「言語・文学・芸能の受けとめ方」、「『外』を見る眼、『外』からの眼」の全4章からなっている。タイトルの示すとおり、著者の日本讃美と日本批判が混在している本だ。
 著者は、「まえがきに代えて」のなかで、日本、日本人を好む理由のひとつとして、日本人がアメリカ人よりも自然に敏感な点をあげている(6頁参照)。作家では、川端と永井荷風がその典型と見なされている。他方で、彼は、昔の美しい風情のある町並みが画一的で、殺風景な町へと変わるさまをじっくりと観察してこう述べている。「私は、日本という国ほど自然をひどく壊している国はまず外にないといわなければならないと思います」(63頁)。
 サイデンステッカーは、古典文学のなかでは『源氏物語』をもっとも高く評価し、現代文学のなかで死ぬまで読み続ける作家は、夏目漱石、谷崎、川端の三人以外に見当たらないとした(187-188頁参照)。1975年、彼が10年の歳月をかけた『源氏物語』の英訳が完成した。

 キーンは、1958年の春に、ニューヨークの出版社から日本に関する一般読者向けの本を書くことを勧められる。その結果出版されたのが『生きている日本』である。『果てしなく美しい日本』(足立康訳、講談社学術文庫、2002年)は、その再録と、「世界のなかの日本文化」、「東洋と西洋」と題する二つの講演とを合わせて本にしたものである。「生きている日本」は、全部で10章からなり、古い日本と新しい日本の対比、日本人の一生、信仰、農業、漁業、戦後の工業、東洋的民主主義、教育、文学、演劇などについて幅広い観点から描かれている。日本の政治や経済、宗教や文化を知り、日本人の行動をじっくり見つめ、考え続けてきたアメリカ人の見解を知ることは、日本のなかにいては気づきにくい数々の側面を考えるよい機会になる。公的な場所におけるある種の日本人の行動に関する痛い指摘をふたつだけあげよう。「知人に対してはこまやかな礼をつくすその同じ人物が、 電車では、空席がじゅうぶんありそうな場合でも、躍起になって荒々しく人々をかきわけ、席を確保しようとする」(103頁)。「桜の木の下の信じがたい多量の塵を目にしたことのある者ならば、日本人は自分の廃棄物が後から花見に来る人々の感受性に与える効果にまったく無関心であることを知るだろう」(103-104頁)。このあと、兼好法師の類似の指摘を引用しながら、分析がなされている(104-105頁参照)。

 キーンの著作集全15巻は刊行中であり、現在(2014年)、第10巻まで出版されている。その多くは翻訳だが、『日本語の美』(中公文庫、2000年)は、キーンが日本語で書いたものである。彼は、「あとがき」の最後を、「私にとっては日本語は外国語ではない」(202頁)という一文で締めくくっている。
 この本には、日本の文化や歴史を外部と内部の両面から見つめる著者ならではの見方が随所に現われている。キーンは、「日本文学に期待するもの」のなかで、サイデンステッカーに決定的な影響を与えた『源氏物語』の訳者ウェイリーについて語っている。「ウェイリーは日本の現代都市のビルや工場や電車に全く興味がなかったが、『源氏物語』が好きだったので、注釈書がなく、活字版さえなかったロンドンで英訳のために実に十年間も費やしたのである」(188頁)。ウェイリーが英訳を決意したのは、この物語に描かれている美の世界になによりも魅了されたからだと、キーンは推測している(188頁参照)。
 キーン自身は、1940年に『源氏物語』の英訳を「発見」したという(189頁参照)。ドイツ軍がオランダ、ベルギー、フランスを侵略していた時代である。「戦争は人間の行為の中で最も悪いものだと信じていても、武力によらないでヒットラーの軍の侵略を阻止できるだろうか、と思いながら悩んでいた時、『源氏物語』に出会ったのである。私は紫式部が描いた世界に逃避して大いに慰めを得た」(189頁)。それによって、新聞で報道される恐しい出来事を忘れることができたし、すばらしい想像の世界をつくれる人間に一縷の望みを抱くようにもなったという(189頁参照)。サイデンステッカーと同様に、キーンにとっても、『源氏物語』は文学の世界への導きとなった。
 キーンによれば、アメリカの学生たちには、提出されるレポートの内容から判断して、文学に対する情熱があまり感じられないという(191頁参照)。彼は、日本における「活字離れ」の傾向にも触れ、少し古い例ではあるが、「デカンショ」(デカルト、カント、ショーペンハウエル)や「マル・エン全集」(マルクス・エンゲルス全集)、漱石の本を電車内で読む学生はほとんどいないだろうと述べている(同頁参照)。「神田の古本屋の界隈にスポーツ用品店の進出が目立っていることはこの現象と無関係ではなかろう」(191頁)。「未来の日本文学には徐々に活字離れが暗い影を投じているように思われる」(192頁)という悲観的予測も書かれている。この本が出版されて約14年、彼の予測どおり、日本文学を熱心に読む学生の数は年々減少している。

 
人物紹介

エドワード・ジョージ・サイデンステッカー(Edward George Seidensticker) [1921―2007]

アメリカの日本文学研究家。
コロンビア大学教授。コロラド州出身。コロンビア大学で政治学を専攻。東京大学で日本文学を学ぶ。王朝文学から永井荷風に及ぶ翻訳、研究で有名。川端康成(やすなり)のノーベル文学賞の受賞には、『雪国』Snow Country(1956)、『千羽鶴(せんばづる)』Thousand Cranes(1959)の名訳が貢献した。『源氏物語』The Tale of Genji(1978)の訳業、『現代日本作家論』(1964)、『源氏日記』(1980)、『日本との50年戦争』(1994)、ワシントン大学出版部刊行の『回想録――東京セントラル』(2002)などの著がある。1996年(平成8)には、山片蟠桃(ばんとう)賞を受賞した。 "サイデンステッカー", 日本大百科全書(ニッポニカ), JapanKnowledge, http://japanknowledge.com, (参照 2014-10-03)

ドナルド・ローレンス・キーン(Donald Keene) [1922―]

アメリカの日本学研究家。
ニューヨーク州出身。コロンビア大学名誉教授。コロンビア大学でフランス文学、東洋文学を専攻。『日本人の西洋発見』The Japanese Discovery of Europe(1952)をはじめ、『万葉集』から三島由紀夫に及ぶ翻訳・研究活動で、日本文学に対する国際的評価を高めた。『BUNRAKU』(1969)で国際出版文化大賞受賞。英文『日本文学史』全4巻(1976〜84)を刊行。ほかに『日本との出会い』『日本の作家』(ともに1972)、『百代の過客――日記に見る日本人』(1984)、退職記念論文集『日本文化の潮流』(1997)、『明治天皇』(2001)など。海外における日本学研究の第一人者。2002年(平成14)文化功労者。 "キーン(Donald Keene)", 日本大百科全書(ニッポニカ), JapanKnowledge, http://japanknowledge.com, (参照 2014-10-03)

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