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氏と育ちと―科学のフロンティア―
推薦文 : 図書館長 和田 渡 (経済学部 教授)

  2014年の春に、NHKで「人体 ミクロの大冒険」が3回にわたって放映された。バイオイメージングという、体内の細胞の活動を観察できる最新の技術を用いて撮影された細胞の画像が美しく、新鮮で、思わず見とれたひとも多かったに違いない。NHKスペシャル取材班『人体 ミクロの大冒険 60兆の細胞が紡ぐ人生』(角川書店、2014年)は、その番組が成立するまでの長期にわたる取材の過程をまとめたものだ。最先端の科学の分野で活躍する世界各地の研究者が紹介されている。「はじめに」で、エグゼクティブ・プロデューサーの高間大介は、この本のねらいが「人体という小宇宙をめぐる旅の全貌」(8頁)を届けることにあると述べて、こう続けている。「その旅は、『人間とは何か』という永遠の問いに対する、新しい視座を与えてくれるはずだ。答えとはいえないまでも、未来を考えるための新しい視座を」(同頁)。全体は、「『私たちが生きている』ということ」「成長とは何か~誕生から思春期まで~」「あなたを変身させる”魔法の薬”」「老いと死 宿命との戦い」「もうひとつのエピジェネティクス」の5章からなる。人間の存在については、これまで、文学や宗教、哲学、心理学、経済学、社会学、政治学などの分野で問われてきたが、

氏と育ちと

本書の特色は細胞のレヴェルからとらえた人間の姿を明らかにしている点にある。最先端の科学の分野で今なにがおきているのかを知るには格好の書物である。
  第1章は細胞の話から始まる。人体が細胞でできていることを知っていても、細胞について詳しく知っているひとは、その分野に関心のあるひとを除けば多くはないだろう。最大の細胞は卵子であり、大きさは直径0.1ミリメートル。最小の細胞は精子で、その全長は0.06ミリメートル、その頭部は0.005ミリメートルという。最多の細胞がなにかという問いに答えられるのは専門家だけらしい。素人は、皮膚細胞とか神経細胞と答えるようだが、正解は、約60兆の細胞の3分の1を占める赤血球だという。われわれが生きて活動できるのは、血管のなかを流れる赤血球細胞が、一時も休むことなく、全身にくまなく酸素を運んでくれているからなのだ。
  この章でもっとも興味深いのは、細胞の自己組織化に関するものだ。理化学研究所の笹井芳樹チームの研究成果が例としてとりあげられている。「ES細胞が網膜になるように誘導し、あとは3000個を集めて、培養液のなかで浮いた状況に置いた」(65頁)。その人為的な操作だけで、9日目には、初期の網膜と同じ凹状の構造ができたという(同頁参照)。笹井は言う。「『非常に不思議なのは、あのような形は人間がつくろうと思ってもつくることができないということです。ところが、細胞たちに好きなようにつくりなさいと任せたら、きちっとつくってしまうのです』」(66頁)。どうやら細胞には、「全体と照らし合わせつつ、自律的に反応することができる」(67頁)不可思議な能力があるらしい。それぞれの細胞は、全体のなかでの自分の位置や役割を知って、相互に連携し合っているとしか見えないのだという。細胞のもつ比類ない「知性」が語られている。
  第2章では、「ミエリン化」に関する記述が群をぬいて面白い。説明によれば、ミエリン鞘(髄鞘)は、神経細胞から伸びる軸索を覆っている被膜のようなものである(134頁参照)。現在は、オリゴデンドロサイト(グリア細胞の一種)がミエリン鞘をつくる過程を可視化することが技術的に可能になっている。その細胞は、以前は、周辺の組織を保護しているだけと考えられていた。しかし、今日になって、軸策をミエリン鞘で覆うミエリン化によって情報伝達の速度が上がることが確認されている。それを可能にするのは、われわれが見たり聞いたりする知覚運動や、手や足を動かしたりする筋肉運動であるという。若い時の、精神的、身体的活動は脳内の働きを活性化するということである。この分野を研究するフィールズはこう述べている。「『子ども時代や思春期に何を経験したかによって、脳のどこがミエリン化されるかが決まるのです』」(141~142頁)。その具体的な事例として、子どもたちに楽器を教え、オーケストラ演奏まで導くという「ハーモニアプロジェクト」が紹介されている(129~131頁参照)。このプロジェクトに参加した子どもたちの脳画像の解析を通じて、聴覚野、視覚野、運動野などを活発に働かせることが脳内の活動の変化につながることが明らかになった(132頁参照)。このプロジェクトでは、従来の脳研究でも解明されている事実が集団的な行動のレヴェルで示されていて興味深い。われわれの活動は脳の神経細胞やその他の細胞の働きに支えられているが、他方で、われわれが自分で選び、行動することによって脳の細胞の働きは変化しうるのである。このようにして「脳」と「われわれ」との間で相互に影響し合う事実が生起するのであれば、あらためて「人間とはなにか」という問題を、両者の間の能動と受動の交錯する関連を視野に入れて考えてみなければならないだろう。
  第3章は、われわれを変身させるホルモンの働きに焦点をあてて、細胞社会の変化をさぐっている。特に思春期におきるめざましい身体的変化の謎が細胞の働きと関連づけて解明されている。第4章は、誰もが避けられない老いと死の問題を免疫細胞の働きとむすびつけて明らかにしている。いずれの章も、人間の成長や、老化、死に関する細胞学的観点からの報告が満載である。
  終章は、「ミクロの大冒険」後の総括である。氏と育ちの両者を重視する見解が示されている。ホロコースト研究にとり組むエフダの、自分の患者に対する発言を引く。「『これまで環境があなたに大きな変化をもたらしたとすれば、その環境を変えるように努力しましょう』」(269頁)。誰もが、遺伝的な要因や、乳幼児期の出来事によって影響され、それはその後の人生にも影響を及ぼし続ける。それをどのように受けとめて生きるかが問題になるということだ。重要なことは、われわれが主体的な姿勢をもって体験を積み重ねていくことである。しかし、それで終わるのではない。「体験は当人の身体を構成する細胞に変化を引き起こす」(273頁)というのが、この本の主張のひとつである。しかし、この細胞変化は受動的な仕方でおこるのではない。「経験を受け止める主体は、細胞なのである」(274頁)。このようにして、「人間とはなにか」という問いは、人間の主体性と細胞の主体性という二重の観点から把握されている。「主体とはなにか」という問題に関心をもつひとに、ひとつの刺激的な観点が示されている。

  坂元志歩+高間大介+伊達吉克+NHKスペシャル取材班『人体 ミクロの大冒険 ビジュアル版 細胞のミラクルワールド』(NHK出版、2014年)は、高間によると、「細胞に関する最新研究に基づき、私たちが意識することのない細胞世界という“裏の世界”から、私たちが意識する“表の世界”―私たちが個として生まれ、成長し、死ぬ仕組み―を読み解こうとして企画」(13頁)されたものである。この本の目玉は、人体内部の細胞世界を可視化した画像の数々にある。それは、バイオイメージングという最新の撮影技術を駆使して得られた画像と、CG画像からなっているが、圧倒的な迫力だ。卵子、精子、赤血球、神経細胞、ホルモン、免疫細胞などの画像はどれも新鮮である。一日に約1000億個骨髄から生まれるという免疫細胞の画像も驚きだ(142-143頁)。なかでも「生命の樹」と題された胎盤のなかを表わした画像(2~3頁)は鮮烈で、衝撃的でさえある。外界の樹木にも似た内界の光景は、大宇宙が人体の外部にあるだけではないことを物語る。人間存在の神秘と驚異についての思索がうながされてくる。
  高間は、「あとがき」でこう述べている。「私たちの1人ひとりは巨大な船のような存在で、その内側には無数にも思える住人がいて、それぞれにかけがえのない営みをしていて、そのおかげで船全体が人生という航路を進んでいくことができるのだ」(197-198頁)。われわれの活動は、相互に連携し、未来を予測し、判断しながらチームプレイに徹している60兆の細胞の働きに支えられている。しかし、航路の方向を決めるのは個々の細胞ではなく、われわれ自身である。細胞に進路決定の責任を帰すことはできない。航行は、ミクロの世界の主役と行為を決定する主体の共存によって可能になる。
  われわれの体内では、赤血球が片時も休まず酸素を身体の隅々まで送り続けて、細胞の働きを支えてくれている。そして、酸素は外界に満ちて、多くの生命体を養うもととなっている。地球上における生存とは、まずは、細胞や酸素などがわれわれを生かしているということである。次に、生かされているわれわれが、思考や意志を通じて主体的に生きるということである。さらに、われわれの主体的な姿勢が細胞の「主体的」な変化をうながすということである。すなわち、細胞や酸素は思考や意志の働きを助けるが、思考や意志にもとづく行為もまた細胞の「判断」に働きかけていくのである。こうした相互に影響をおよぼす作用によって、われわれは、遺伝子レヴェルで決められた経験を超えて、成長するという経験を生きることができる。とはいえ、成長には限りがあり、その先には、老化、衰退をへて死にいたる経験がわれわれを待ちうけている。
  「ミクロの大冒険」は、「人間とは何か」という問題の再考につながる。その冒険はまた、内界と外界の交流、人間的主体と細胞的主体の相互作用、成長、老化、衰退、生きることと死ぬことといった問題に関して、これまでとは異なった仕方で考えるようにわれわれに誘いかけてくる。

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