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贈ることば-スティーブ・ジョブズの卒業式スピーチ―
推薦文 : 図書館長 和田 渡 (経済学部 教授)

 3月は、多くの学生にとっては勉強が終わる季節であり、その区切りをつける出来事が卒業式である。ひとつの季節の終わりとあたらしい季節の始まりの結節点として行なわれるセレモニーは、愛惜の念や悲喜こもごもの感情によって彩られるだろう。

 

 『スティーブ・ジョブズ 伝説のスピーチ&プレゼン』(『CNN English Express』編、朝日出版社、2012年)は、2005年6月12日にスタンフォード大学の卒業生を前にして行なわれたスピーチを編集したものである。「Stay Hungry, Stay Foolish」という話題になった表現がスピーチのタイトルに選ばれている。ジョブズの肉声が録音されたCDがついている。

Stay Hungry Stay Foolish

 スティーブ・ジョブズ(1955~2011)は、生まれるとすぐに養子に出された。17歳でリード大学に入学したが、在学する意味が見出せず、高額の授業料を支払う養い親の負担も気にして中退する。興味のない必修科目の取得から解放された彼は、カリグラフィーの授業にもぐりこむ。それが後年のマック設計に役立つ。自らが立ち上げたアップル社を解雇された彼は、別の会社を作って成功する。このスピーチの1年半ほど前に、余命の限られたすい臓がんと宣告されるが、その後の詳しい検査の結果、手術可能ながんと分かって生きのびた。彼は、こうした過去の経験を率直に語り、鮮烈なメッセージを伝えて、多くの学生に感動を与えた。56歳の若さで亡くなった。

 

 スピーチは三つの話からなっている。最初は、点と点が将来なんらかの形でつながると信じて生きれば、後に振り返ったときにそのつながりがはっきりと見えてくるという話だ(69頁参照)。信念をもってことに望めば、なんであれ自分のすることの間にむすびつきが生まれて、それが後から確認されるということである。

 

 ふたつ目は、「愛と失意」の話である。ジョブズは20歳でアップルを立ち上げ、10年後には従業員4000人を抱える20億ドル企業にまで成長させるが、内輪もめのあげく30歳で追放される。失意のどん底に落ちた彼を救ったのは、彼自身の仕事への愛だった。その愛が、彼をあらたな挑戦へと後押しした。そのときの深刻な経験を振り返って、こう語っている。「時として人生には、れんがで頭を殴られるようなこともあります。それでも信念は失わないでください。私が前に進み続けてこれたのは、ひとえに自分の仕事が好きだったおかげだと、私は確信しています」(77頁)。素晴らしい仕事だと自分が信じることをすれば真の満足が得られる。そのための唯一の方法は、自分のする仕事を愛することだと、彼は強調している(同頁参照)。

 

 三つ目は「死」の話である。ジョブズは17歳の頃、「その日が人生の最後であるかのように生きれば、いつかその通りになる」という引用文に感銘を受けた(79頁参照)。それから33年間、毎朝鏡を見て「『もしも今日が人生最後の日だとしたら、今日やろうとしていることをやりたいと思うだろうか』」(同頁)と自問してきたという。死を他人事、自分の死はまだ先の事と思いみなすと、一日一日の重みが感じられなくなる。怠惰な日常に飽きてしまうこともあるだろう。それとは逆に、彼は「今日で最後かもしれない」と意識して、日々緊張感をもって生きた。本当に自分がしたいことに集中する日々が可能になった。常に死を意識していた彼は、学生にこう語りかけている。「皆さんはすでに何も身に着けていない状態なのです」(同頁)。生まれ落ちたときから、死はいつ訪れてくるか分からない。この世に裸で生まれてくるように、すべてのひとは死に対しては丸腰同然、抗うことはできないのだ。


 このあと、ジョブズは、「私の人生の中で最も近くで死に直面した経験」(83頁)を語る。先に述べた、すい臓がんの発見から手術にいたる過程である。彼は、死を念頭において生きてきた過去と、切迫した死の経験を踏まえて言う。「今ここでは、新しいものは皆さんです。しかし、そのうち、つまり今からそう遠くない時期に、皆さんも徐々に古いものとなり、排除されることになります。かなり劇的でお気の毒ですが、これはまったくの真実です」(85頁)。人生の舞台に登場しても、一定の役回りをする以前に早ばやと退場するひともいれば、その途中で思いを残しつつ退場を余儀なくされるひともいる。限られた人生がどのような結末を迎えるかは定かではない。死は年齢を選ばない。いつ到来するかも分からない。しかし、そのときは確実にやってくる。


 彼は生の有限性という事実を学生につきつけて、つぎのようなアドヴァイスを与えている。他人の人生を生きて時間を無駄にしないこと、ドグマにとらわれないこと、他人の意見によって自分の内なる声がかき消されないようにすること、そして、もっとも重要なこととして、自分の心と直感に従う勇気をもつこと(同頁参照)。いつ終わるかもしれない人生だから、精一杯ベストをつくせ、他人の言動に左右されず、自分に固有な人生を享受せよという激励である。


 おしまいに、彼は『全地球カタログ』最終号(1971年)の裏表紙に載っていた早朝の田舎道の写真について触れる。その下には、「ハングリーであり続けろ、愚か者であり続けろ」(89頁)という別れのメッセージが書かれていた。彼は自分自身がそうありたいと願い続けてきたと述べて、スピーチを同じ言葉で締めくくっている。後半の言い方は少し分かりにくい。「周りは馬鹿なやつらばかりだ、自分が誰よりも賢い」などとうぬぼれる愚者が理想化されているわけではない。彼の言う愚か者とは、自分の愚かさに気づいてそれを修正しても、次から次へと愚かさに直面し、自己修正に追われる者のことを指している。とすれば、愚か者とは、自分の愚かさを骨身に知るもっとも謙虚な者のことであろう。「愚か者であり続けろ」には、「間違っても、自分が賢いなどと錯覚してはならない。愚か者でなくなることはできないとしても、自分の愚かさと向き合い、それと対決、すこしでも賢くなることを避けてはならない」という意味が含まれている。

 

 

 石井清純監修 角田泰隆編 『禅と林檎 スティーブ・ジョブズという生き方』(宮帯出版社、2012年)は、角田と駒澤大学の院生、研究生の6名がスティーブ・ジョブズの言葉を禅の観点から解読したものを集めている。ジョブズは、リード大学の学生時代に禅に興味をもち始めた。彼はのちに曹洞宗の僧侶、乙川弘文を師として選んだ。乙川は、1970年にサンフランシスコから南方50キロほど離れた場所にあるハイク禅堂の住職を任され、禅の普及に貢献した。ジョブズはその禅堂に通うだけでなく、乙川の自宅も頻繁に訪ねて禅を学んだ。2、3箇月に1回はまる一日座り続ける修行にも参加した(211頁参照)。ジョブズは、師が修行した永平寺での修行を強く望んだともいう。彼はまた、同じ宗派の僧侶、鈴木俊隆の主著『Zen Mind, Beginner’s Mind』を座右の書とした。


 第1部「ジョブズから学ぶ生き方」は、ジョブズの言葉と禅のことばをクロスさせて解説している。ジョブズの発言の禅的背景がうかがえて興味深い。この本では、「Stay hungry, stay foolish」を、「ハングリーであれ、愚直であれ」と訳している。「hungry」は、常に意欲をもって学び続ける「貪欲」という意味で理解されている。「foolish」については、禅宗の経典『宝鏡三昧』の末尾の言葉との関連があると述べている(32頁参照)。

 

潜行密用は愚のごとく魯のごとし、
ただよく相続するを主中の主と名づく。

 

 「人知れずひたすら地道に事を行なうのは愚かしくも見えるが、それをすることのなかにすばらしい仏の生き方がある」という内容である(同頁参照)。「愚直」には、「ばか正直に」という揶揄する意味のほかに、「わき目もふらずに」という意味もあり、後者を念頭においてこの訳語が選ばれている。


 「もしも今日が人生最後の日だとしたら、今日やろうとしていることをやりたいと思うだろうか」ということばは、 『正法眼蔵随聞記』のなかの道元のことば「朝に生じて夕に死し、昨日見し人今日無きこと、眼に遮り耳に近し」とつながっている(142頁参照)。ジョブズは、「今日しかないのだ、明日はわからない」という覚悟をもって生きた。それは、同書の「学道の人、ただ明日を期することなかれ」(133頁)という道元のことばとも響きあっている。

 本書では、スピーチのなかのもっとも印象的な言い回しがこう訳されている。「自分はいずれそのうちに死ぬと思うことは、私が人生で大きな選択に迫られた時に助けになる、最も重要なツールだ」(151頁)。このことばに、道元のつぎのことばが重なる。「学人は必ず死ぬべきことを思ふべし。道理は勿論なれども、たとえばその言は思はずとも、しばらく先ず光陰を徒らにすぐさじと思ふて、無用の事をなして徒らに時をすぐさで、詮あることをなして時をすぐすべきなり」(153頁)。つねに死を意識して、本当に大切なことだけをして生きるべきだという教訓である。

 

 脇英世『スティーブ・ジョブズ 青春の光と影』(東京電気大学出版局、2014年)は、これまでに書かれた数々の伝記や調査にもとづく、もうひとつの伝記である。第一章「スティーブ・ジョブズの誕生と生みの親」から、第十六章「華々しい成功の陰に」までの長編である。アップル・コンピュータの株式上場成功によって莫大な財産を得るところまでで終わる。この本の始まりはこうだ。「スティーブ・ジョブズほど、独りよがりで、傲岸(ごうがん)で、権力志向で、人を信ぜず、孤独で、泣き虫で、吝嗇(りんしょく) な人はいなかったと思われる。この特異な人格形成には、全部とは言わないまでも、ある程度、彼の生まれ育った事情も関係しているように思う。彼は生まれた時から自分は見捨てられたと思っていた。心の奥でこの世に頼るべき人はいないと信じていたのである」(2頁)。


 意外な事実の記述の他に、ジョブズの思い違いの指摘などもある。「ステイ・ハングリー。ステイ・フーリッシュ」が裏表紙に載っているのは、『ホール・アース・エピローグ』(1974年)の方とのことである(279-280頁参照)。ちなみに、ウォルター・アイザックソンが書いたジョッブズの自伝の訳者井口耕二は、裏表紙のことばを「ハングリーであれ、分別くさくなるな」と訳している(280頁参照)。後半を「やんちゃでいこう」と訳していたひともいたと記憶する。

 
人物紹介

スティーブ・ジョブズ 【Steve Jobs】

アップル共同創業者

1955年02月―2011年10月

アメリカ・カリフォルニア州ロス・アルトス生まれ。地元のホームステッド高校卒業後の1972年、オレゴン州ポートランドのリード大学に入学したが、わずか1学期通っただけで自主退学。コンピュータゲームのアタリ社に入社し、設計技師として働く。

1976年、高校時代の友人スティーブ・ウォズニアックらとともにアップルコンピュータを設立。二人が参加していたホームブルーコンピュータクラブで、ウォズニアックが格安の機器を使って趣味で設計したコンピュータに衝撃を受けたのが、事業化のきっかけだった。このコンピュータをApple1と名付け販売。当初の製造工場は、ジョブズの父のガレージだったという。77年、キーボードやその他すべての機器を備えた世界初の本格的パーソナルコンピュータ・Apple2を発表し、世界的ヒットを記録する。84年には、初心者でも操作しやすいGUIを採用したMacintoshを発売。先進的技術を取り入れたパソコンとして爆発的な売れ行きを記録した。

1983年には、当時のコカコーラ・ペプシ戦争でペプシを勝利に導いたジョン・スカリーを社長に抜擢。その際、「一生を砂糖水を売って過ごすのか。それとも世界を変えてみないか」と言って口説いた話は有名だ。しかし、方針の違いから85年にスカリーや会社幹部らと対立。アップル社を辞めて、ネクストコンピュータを設立した。86年にはルーカス・フィルムからCG開発会社・ピクサーを買収。これら事業は思うように進まなかったが、95年に制作した全編CG映画『トイ・ストーリー』で再び世界の注目をあびるとともに、事業的にも成功を収めた。96年末、アップル社がネクスト社を吸収合併するという形で、アップル社の暫定最高経営責任者(CEO)に就任。iMacやG3などの人気機種を手がけ、2000年に正式なCEOとなる。その後は02年に携帯型デジタル音楽プレイヤーiPod、03年にパワーマックG5、07年にスマートフォンのiPhone、08年にMacBook Air、10年にタブレット型端末iPad、11年にMacBook Proなどの革新的な製品を次々と世に送り、デジタル市場を牽引し続けた。

2003年に膵臓癌の摘出手術を受けるが、08年に肝臓への癌の転移が確認される。09年1月からおよそ半年にわたり休職し、肝臓移植を受けるなど治療に専念した。さらに11年1月にも癌が再発し、休職を発表。同年10月5日、膵臓癌に伴う呼吸停止のため、56歳で世を去った。iTunes、iPodなどによる音楽業界への貢献により、翌12年2月11日、グラミー賞特別功労賞トラスティーズ賞が贈られている。

[大廣涼]

[ビジネス]

[2003年07月18日配信]

[2012年09月24日更新]

JK Who's Who, (C)Shogakukan Inc. JapanKnowledge, http://japanknowledge.com,

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