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便利なものには毒がある-スマホ中毒の恐怖―
推薦文 :和田 渡 (経済学部 教授)

 ドンキホーテの作者 セルバンテスは、道に落ちている破れ紙の切れ端までも拾って読まずにはおれなかったと告白している。その彼に代表される、いわゆる「活字中毒」は、いまや死に絶えつつあるようだ。それに代わって、すさまじい勢いで蔓延しているのが、ご存知の「スマホ中毒」である。

 

当たり前の世界になったインターネットで私たちはどう生きていくか

 志村史夫 『スマホ中毒症 『21世紀のアヘン』から身を守る21の方法』(講談社+α新書、2013年)は、スマホ中毒の症状やスマホの危険性について詳細に語っている。志村は、半導体エレクトロニクスの研究者として日米でそれぞれ10年間過ごしたあと、大学の教員をしている。彼は、30年ほど前に「エレクトロザウルス」ということばを作った。「最先端科学・技術の粋を集めたエレクトロニクスが生んだ現代の巨大な怪物」(7頁)という意味をこめたそうだ。当時、半導体分野の研究者として絶頂期にあった志村だが、他方では、将来、この怪物に人間自身が支配されることになるのではないかと危惧していたとも述べている(同頁参照)。志村の危惧は現実のものになった。「巨大な怪物」は、いまや片手でもてるほど小ぶりな姿になって、ひとに取りついて、ひとを虜にしている。いずれは、メガネや腕時計タイプのスマホが主流になるかもしれない。志村はこう述べる。「私たちが、さまざまな場面で、ITの計り知れない恩恵に浴しているのは紛れもない事実です。長年、それに繋がる研究に従事した私は内心忸怩たるものがありますが、私が恐れるのは高機能携帯(スマホ)の『21世紀のアヘン』化なのです」(9頁)。

 

 「第1章 スマホは21世紀のアヘンである」の中心的な主張は、「ITが人間を退化させる」(65頁)である。志村は、自分の考えた退化しないための三法則を示している。「脳は使わないと急速に退化する、適度に使わないと現状維持できない、しかし過度に使っても破壊しないで発達する」(68頁)の三つである。IT機器の場合、指さえ動かせば、頭を使わなくてもことが運ぶことが多い。しかし、自分の頭を使うことが少なくなればなるだけ、思考力や想像力は育たなくなる。志村はこう予言している。「私は携帯マルチメディア端末の携帯性と高機能について知れば知るほど、これを一度持ったら手放せなくなり、肌身離せない老若男女の『高機能ケータイ中毒患者』が燎原の火のように拡がっていくだろう、とかなりの確信を持って予測します。『高機能ケータイ』は間違いなく”21世紀のアヘン”となるでしょう」(70頁)。

 

 「第2章 エレクトロザウルスに食われた若者たち」では、ネット上の画像で満足し、美術館に足を運んで本物の絵画を見ようとしない、レポートをコピペですます、板書をカメラで撮る、礼儀知らずのメールを送りつけるといった学生の生態が描かれている。手軽なコピーやカメラに頼る学生に対して、志村が喝を入れている。「手(指ではない!)を動かしてノートに書き写すということは、見る、読む、考える、見るという過程を経て情報を頭の中に入れることなのだ!」(81頁)。

 

  「第3章 エレクトロザウルスはほんとうの幸せをもたらすか?」では、数年前に志村 が ダライ・ラマから手渡されたことばが書き写されている。平易なことばで、現実の社会の不幸が描かれている。

   
 大きくなった家、少なくなった家族
 便利になって、時間がない

 増える学位、鈍くなる感性
 増す知識 衰える判断力
 増える専門家、増える問題
 増える薬、損なわれる健康

 はるか月まで行って帰って来る時代
 隣人に会うために道ひとつ越えられない

 情報を蓄え複製するためのコンピューターを作り
 真のコミュニケーションは減る
 私たちは量を重んじ、質を軽んじるようになった

 ファーストフードと、消化不良の時代
 大きな身体と、狭い心
 伸びる利益、そして薄まる絆
 ショーウインドウに多くのものが陳列されていて
 倉庫には何もない
 これが我々の時代だ

 

 「第5章 IT版『清貧の思想』で”人間力”を取り戻す」のなかで、志村は、「温故知新」と題して、知識よりも智慧の重要性を強調した特別講演後のことをしるしている。「智慧をつけるにはどうしたらよいか」という参加者の質問に対して、志村は、「古典を読む」(154頁)ことだと答えた。その意義はこう強調されている。「現在、あらゆる分野の知識がインターネットに代表されるITによって、まさに指一本で簡単に、多量に得られます。しかし、物事の理を悟り、適切に処理する能力である智慧を身につけるのは容易なことではないのです。智慧の源になるのが古典です。私は古典を読むことが智慧を身につける確実な一歩だと思っています」(154頁)。ネット・サーフィンをして暇をつぶすのと、1冊の古典をじっくりと読むことのへだたりは大きい。古典は、自分で考える力や他人のことを思いやる力を鍛えるが、その力はネットの画像をせわしなく動かしているだけでは育たない。単なるもの知りよりも、ものの分かる智慧のひとになるためには、古典こそが強力な援軍となるのだ。


 志村は、「スマホ中毒症」から身を守る21の方法をあげている(204頁参照)。いくつかあげてみよう。「仕事で使う以外の本を読む」「美術館に行って、本物の芸術に親しむ」「”閑”な時間を有意義に過ごす」などだ。指先だけでなく、頭と体を使って生きろというメッセージである。

 


 岡田尊司 『インターネット・ゲーム依存症 ネトゲからスマホまで』(文春新書、2014年)は、ネット社会で起きていることの報告、分析にもとづき、近未来の破滅的な危機を予告する本である。目次のタイトルが示唆的である。プロローグ「やはり脳が壊されていた!」に始まり、第一章「身近に溢れるインターネット・ゲーム依存症」、第二章「デジタル・ヘロインの奴隷となって」と続き、第五章は「蟻地獄の構造―万人がはまる合成麻薬」である。第六、七章で依存症の予防と克服について語られている。

 

 岡田は、インターネット・ゲームに依存しすぎるとどうなるかを具体的な事例にもとづいて語っている。オンラインゲーム「エバークエスト」にはまって生活が破綻し、失職、行きづまって拳銃自殺したアメリカの青年の話は衝撃的だ(47~50頁参照)。近年、脳の画像診断技術が進んだ結果、ネット上でのゲーム依存者には、麻薬中毒患者と類似の症状が見られることがわかってきたという(43頁参照)。デジタル・ヘロインということばも出現している。その毒牙にかかるとどんな悲惨な結末を迎えなければならないかを、岡田はこうまとめている。「自覚と強い決意をもって、その状況を変えようとしない限り、終わりのない依存はどこまでも続いてしまい、その間に、膨大な時間が失われるだけでなく、さまざまな健康被害や機能低下を生じてしまう。ついには脳が萎縮し、神経線維の走行までおかしくなってしまうのだ。行きつく先は、生活の破綻、集中困難、無気力、ドロップアウト、さらなる耽溺という悪循環であり、もって生まれた能力の半分も発揮することなく、抜け殻のような人生を送ることになる」(282頁)。


 エレベーターやエスカレーターに乗りなれてしまうと足腰が弱ってしまい、やがて自力では歩けなくなる。スマホという便利な道具を使うことに慣れると、岡田が警告するように、心身の変調が顕著になり、生きる力が失われてしまう。最新の技術がひとを滅ぼしかねない時代が到来している。

 

 そうした危機的な時代にあって、デジタル・ヘロインで人生を棒に振りたくなければ、精巧に仕組まれた電子機器の奴隷になることを拒否するという選択も可能なはずだが、ネットの人間吸着力の強さはそれを許さない状況を生みだしている。

 

 

 中川淳一郎 『ネットのバカ』(新潮新書、2013年)は、ネット社会の現実を直視した本である。中川はネットニュース編集者、PRプランナーであり、ネット世界の裏事情にも詳しい。この本のテーマは、「当たり前の世界になったインターネットで私たちはどう生きていくか」(22頁)である。ネットとつきあう姿勢が問われている。


 中川は、エゴサーチによる消耗、ネット上のいじめ・中傷、ツイッター炎上、クリックする奴隷、ネット中毒、監視ツールにもなりうるフェイスブックの危険性といった問題を拾いあげている。暇つぶしにネットに張りついているかぎり、愚行は絶えないという現実が淡々と描かれている。

 中川の本音は、こう強調されている。「ツールありきではなく、何を言いたいか、何を成し遂げたいかによって人は行動すべき。ネットがそれを達成するために役立つのであれば、積極的に活用する」(24頁)。「1人の人間の人生が好転するのは人との出会いによる」(25頁)。おしまいで、もう一度同じことが繰り返されている。「まずは自分の能力を磨き、本当に信頼できる知り合いをたくさんつくれ。話はそこからだ」(222頁)。自分の思考力が浅く、他者への共感力や想像力が狭く、乏しければ、ツールの使い方も浅く、狭いものになる。薄っぺらの時間だけが過ぎていくことにもなりかねない。まず、自分自身や生身の他者とつきあうことを優先すべきだということだ。

 

 

 
人物紹介

志村史夫 (しむら-ふみお) [1948-]

静岡理工科大学教授。ノースカロライナ州立大学併任教授。応用物理学会フェロー。1948年東京・駒込生まれ。名古屋工業大学大学院修士課程修了(無機材料工学)。名古屋大学工学博士(応用物理)。日本電気中央研究所、モンサント・セントルイス研究所、ノースカロライナ州立大学を経て、現職に。日本とアメリカで長らく半導体結晶などの研究に従事したが、現在は古代文明、自然哲学、基礎物理学、生物機能などに興味を広げている。 半導体、物理学関係の専門書・参考書のほかに『古代日本の超技術(改訂新版)』『いやでも物理が面白くなる』(以上、講談社)、『アインシュタイン丸かじり』(新潮社)、『漱石と寅彦』『人間と科学・技術』(以上、牧野出版)『文系? 理系? 人生を豊かにするヒント』(筑摩書房)、『寅さんに学ぶ日本人の「生き方」』(扶桑社)など一般向けの著書も多数ある。
― 本書より

岡田尊司 (おかだ-たかし) [1960-]

1960年香川県生まれ。精神科医。医学博士。東京大学哲学科中退。京都大学医学部卒業。同大学院にて研究に従事。京都医療少年院にて、少年矯正教育の最前線で活躍したのち、現在は岡田クリニック(大阪府枚方市)院長。山形大学客員教授として、研究者、教員の社会的スキルの改善やメンタルヘルスのケアにも取り組む。『脳内汚染』(文春文庫)、『脳内汚染からの脱出』(文春新書)、『アベンジャー型犯罪』(文春新書)、『アスペルガー症候群』(幻冬舎新書)、『母という病』(ポプラ新書)など著書多数。
― 本書より

中川淳一郎 (なかがわ-じゅんいちろう) [1973-]

1973(昭和48)年東京都生まれ。ネットニュース編集者・PRプランナー。一橋大学商学部卒業後、博報堂で企業のPR業務を請け負う。2001年に退社し、雑誌のライター、「TVブロス」編集者等を経て現在に至る。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』等。
― 本書より

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