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EXILE HIROと知花くららが語る愛―自己愛と他者愛―

推薦文 :和田 渡 (経済学部 教授)


 どのような世界で生きようとも、苦労や困難、失敗や挫折は避けられない。しかし、それらは人間を成長させるきっかけにもなる。ひとびとの苦しみや悲しみを知ることで、自分の生き方を問いただされることもある。今回は、芸能界という華やかな世界で生きてきたひとりの男性と、ミス・ユニバースコンテスト2位をきっかけに国連WFP活動を始めたひとりの女性の書いた本を紹介しよう。

 EXILE HIROの『ビビリ』(幻冬舎、2014年)は、2013年のNHK紅白でパフォーマーとしての引退を宣言したHIROが、自分、仲間、音楽活動(リハーサル、オーディション、メンバー・チェンジ)などについて率直に語った本である。浮き沈みの激しい世界で長年活躍してきたひとだけに、その発言にはファンならずとも心を動かされる。この本では、自分で考えて生きる、仲間とともに生きる、仲間と別れる、スタッフに支えられて生きる、ファンの支持によって生きるという生の諸相が語られている。

自己愛と他者愛

 第一章「引退」のなかの「スケジュール命。」で、HIROは、他人の決めたスケジュールに振り回されて生きることよりも、それを自分のものにして自分の時間を生きることが大切だと語る。ただ繰り人形のようにスケジュールを消化するだけでは、ひとを感動させるエンターテイナーにはなれない。
 第二章「バカ」は、HIROの青春回顧だ。「本当にバカだったというか、真実が見えちゃいなかった。自分たちがカッコいいから売れるんだと思っていたけれど、本当はステージを作ってくれた大人たちがいたからだ。/それなのに、自分たちの力だけで有名になったような気になって、いきがっていた。/今考えると、顔から火が出るくらい恥ずかしい」(146頁)。バカなことを山ほどした過去を振り返って、HIROは、バカでも気づくことができるし(147頁参照)、「気づく心を自分の中で育てることができれば、未来は変えられる」(147頁)と言う。
 HIROは「ストリートスマート」(ストリートの知性)と言われてきた。街での実地経験で知性を養ってきたことを評してのことらしい(151頁参照)。その背景には、本を読むかどうかよりも、常に自分の頭で考えることが大切だと言う考え方がある。しかし、考えるためには、知識も必要である。少年時代に本を読まなかったHIROは、今の夢を広げるために読書を不可欠なものと見なしている。
 「老いに負けないように。」は、生の中身を魅力的にするための実践論だ。イケメン男子が外見のカッコよさにあぐらをかいて内面を成長させなければ、ぶざまな姿をさらすことになるという話につないで、こうしるされる。「外面のカッコよさに見合うくらいに内面を磨いておかないと、歳を取ったときに余計にカッコ悪くなってしまう。いい歳こいて、中身が薄っぺらなことほどサムいものはない」(205~206頁)。イケメンに限った話ではない。スリムなボディを維持するために筋トレやランニングが欠かせないように、他人によい印象を与えるひとになるためには、内面的な心の強化が大切だろう。器の小さい、印象の薄い、淋しい人間にならないために必要なステップだ。
 第三章「チーム」にHIROの根本的な考え方がしるされている。「人間はひとりで生きているわけじゃない。/この僕が、今ここに生きているのは、自分の知っている人だけじゃなく、いろんな場所のいろんな人のおかげでもある。/そういう人たちにどうやって恩を返すか。/それは自分で考えることだけれど。/社会貢献も、つまりは恩返しのひとつだ。/恩を返すことで、人は少しずつ成長していくのだと僕は思う」(240~241頁)。しかし、いきなり社会貢献が先にくるのではない。「そのとき、そのときの、自分の身の丈に合ったものを、ただし本当に心から愛すればいいと思う」(245頁)。「若いときは、自分のことでめいっぱい頑張ればいい」(同頁)。それを土台にして、自己愛はやがて恋愛、家族愛、郷土愛、社会や国、地球への愛とつながっていくと、HIROは考えている。
 第五章「夢とリアル」では、「俺が、俺が」と自己主張ばかりしていると、自分の度量を狭くし、可能性をつぶしてしまう危険性が語られる。「自分がやりたいことをひとまず我慢してでも、人のためにやった方が幸せを感じるという人間が大成していく。それは結局、他の人のために何かをしたときの方が、大きな力を出せるからだと思う」(313頁)。自己愛が視野の狭い自己主張にとどまれば進む道を窮屈なものにし、自己愛に自己制限が加わり、他の人々への献身が可能になれば、道が開けるということだ。
 この章では、以下のメッセージがハイライトだ。「大切なのは、困難にぶち当たっても諦めずに、全力で夢を追い続けること。/夢を追いかけるというその行為によって、ひとは成長していく。/凝り固まった考えで、ひとつの方法に固執しすぎていないか。自分は真摯に、夢と向き合っているか。本当に、努力しているか。/自分を客観的に理解し、夢をかなえるためにありとあらゆることを考え、計画し、努力を続けることだ」(331~332頁)。
 おしまいには、つぎの一文がおかれている。「人は人のために力を尽くしたときに、本当の底力を発揮することができる」(354頁)。
 「愛と夢と幸せ」を世界中に送り届けたいと願うHIROのことばは鮮烈である。ぜひ読んで、自分や他人とのかかわりかたについて考えてほしい。

 知花くらら『くららと言葉』(講談社、2015年)は、自分の生き方や学生時代の経験、仕事、家族、ひととの出会いなどを弾むような文体でつづったものである。「世界」「家族」「哲学」「未来」の4部構成で、付録として黒柳徹子との対談がついている。それぞれの文章の初めには、家族や恩師、作家や政治家などのことばが置かれている。ことばには、ときに人の人生を変える力があると信じているからである。
 知花は、大学4年のときにミス・ユニバース世界大会に出場して、第2位になる。これで人生が一変する。取材や収録に追われ、ネットや雑誌で書きたてられ、ひとびとの好奇心にさらされる日々が続く。歯車が狂い始め、知花は摂食障害に陥る。「食べては吐き、食べては吐き、の繰り返し。今の自分じゃだめなんだという思いが、自暴自棄な行為へと駆り立てる。いつしか、私なんて―と思うようになっていた。どうして、私がここにいるのかさえわからない、自分の存在価値さえ」(154頁)。脱出のヒントは、友人の「ねえ、くららはくららのままでいいんだよ」(155頁)という一言だった。「その言葉が、とても温かくて。なんだか、泥沼から身体をひょいっと抱きかかえられた気がした」(同頁)。知花は、2年間続いた食べて吐くという行為を、半年かけて克服した。
 30歳を過ぎてこう振り返る。「冬を越すまで、土の中でじっと辛抱してなくちゃいけない時期もあるかもしれない。ダメなところもそりゃあ、ある。でも、そのまんまでいいんだよね。丁寧に水やりをしていれば、いつか、きれいな花が咲くときが来るから」(同頁)。
 知花は、ミス・ユニバース世界大会出場がきっかけで、災害や紛争時の緊急食糧支援を柱とする国連WFP(世界食糧計画)の活動に携わるようになる。「社会のために、人々のために、何かしたい。―そんな思いがカタチになった」(10頁)大学時代に副専攻で国際教育学を選択した知花は、「”どんな貧しい地域にも、男の子も女の子も関係なく、教育が普く広くひろがっていくには、どうしたらいいのだろう?”」(28頁)という問題意識をもっていた。
 2008年、知花は、WFPオフィシャルサポーターとして、アフリカのザンビアを視察する。洪水という自然の猛威によって荒廃した大地、おかゆを煮る大鍋の前で赤いカップを手にして並び、配膳を待つ子どもたち。その多くがエイズ孤児だと知らされる。2009年には、台風16号の直撃で大被害を受けたフィリピンに緊急支援で入り、2010年には、25年以上続いた内戦終結後のスリランカの現実を知る。その間、日本ではモデルとして雑誌に登場したり、メディアに出ることもあった知花は、「ちゃらちゃらするな」、偽善者、売名行為者とののしられたり、現地のNGO活動に身を捧げろなどと難くせをつけられる(28頁参照)。辛らつな批判にショックを受け、迷い苦しみながらも、知花は、こう覚悟する。「今の私にできることは、アフリカやその他の地域で飢餓に苦しむ人々の声を、できるだけ具体的なエピソードとともに、日本に帰って伝えること。表に出る仕事をする立場にある私だからこそ、できること」(30頁)。
 知花は、母のもらしたことばが、国連の支援活動に携わるようになるひとつのきっかけを与えてくれたと回想している。中学生の頃、著名人の装い特集を組んだワイドショーを観ていたとき、傍らにいた母がつぶやいた。「『もしも、くららがお金持ちになったり、有名になったりしたら、その影響力で他の人たちに何かできることを覚えておいてね』」(118頁)。自分の欲望を満足させることには際限がなく、それだけの人生は虚しいと感じていた母が、娘の行動を支えている。知花は、自分の胸に響いてくるというマザー・テレサのことばを引用している。「私がお願いすること。/飽くことなく与え続けてください。/しかし残り物を与えないでください。/痛みを感じるまでに、/自分が傷つくほどに、/与えつくしてください」(92頁)。貧しい子供たちや人々が自分の大切にしているものを分け与えてくれるふるまいに心打たれながら、知花はテレサの言う「与えること」の意味を考えている。
 この本は、アフリカやアジアの子供たちや人々に寄り添って生きようとする女性の行動と思索の中間報告である。「自分が生きていくだけで精一杯で、他人のことなぞかまっていられない」と、自分の身の回りに関心を限定せざるをえない現実がある。自分の利益や都合を最優先して生きる人も少なくない。外部への関心を遮断して、自室や自分だけの世界に引きこもる若者もいる。他方で、世界の現実を見据え、自己を確かめつつ、共存の次元を大切に考えるひともいる。知花は大学時代のフランス留学を契機にして、地球上で生きる、ことばや文化を異にする人々の人生に好奇心をもつようになった(196頁参照)。知花は現在の心境をこう語る。「一人ひとりの人生は、本には書かれていない。旅に出て、出会って、人間の生の部分を見つめたい―。その思いは、今、ますます強くなってきている。そうやって私は、自分の花を育てているような気がする」(同頁)。「今、私ができることは、ほんとうに小さい。けれど、”できることから一つずつ”」(252頁)と考える知花の、自己から出発して他人へと向かう生の軌跡は印象鮮やかだ。自分の生と照らし合わせてヒントを得てほしい。

 
人物紹介

EXILE HIRO 【えぐざいる-ひろ】 [1969-]

1969年生まれ。神奈川県出身。1990年、LMD改めZOO「ケアレス・ダンス」でデビュー。1999年、「J Soul Brothers」を結成。2001年、「EXILE」と改名し再始動。同年9月27日、シングル「Your eyes only~曖昧なぼくの輪郭~」でデビュー。2008年、2009年、2010年と、3年連続で日本レコード大賞受賞。2009年11月、「天皇陛下御即位二十年をお祝いする国民祭典」で奉祝曲「太陽の国」を献納。2013年の日本レコード大賞で、史上初の4度目の大賞を受賞。EXILEパフォーマー兼リーダーとして、また所属事務所LDHの代表取締役としてグループおよびスタッフを牽引し、EXILEを国民的エンタテインメントグループへと押し上げる。また、LDH所属アーティストのプロデューサーとしても活躍。2013年をもってEXILEパフォーマーを勇退するも、引き続きリーダー兼プロデューサーとして、EXILEやEXILE TRIBE、各所属アーティストのエンタテインメントの新たな創造に向けて心血を注いでいる。著書に『Bボーイサラリーマン』(幻冬舎刊) ―本書「PROFILE」より

知花くらら 【ちばな-くらら) [1982-]

ミス・ユニバース2位入賞
チバナ・クララ。2006年ミス・ユニバース・ジャパン。
7月23日、アメリカ・カリフォルニア州ロサンゼルスで第55回ミス・ユニバース・コンテストが行われ、日本代表の知花くららが86カ国の代表の中から2位に輝いた。優勝者はプエルトリコ代表のスレイカ・リベラ・メンドーサ。
1982年、沖縄県那覇市生まれ。松島中学から沖縄県立開邦高校を経て上智大学に進学。在学中はフランス映画を学ぶため、フランスへ1年留学、その後フラメンコを学ぶためにスペインに3カ月滞在した。大学卒業後、大手出版社の内定を断って、ミス・ユニバース・ジャパンに応募。最終選考会で優勝し、ミス・ユニバース・コンテストの出場権を手に入れた。コンテストの民族衣装部門では戦国武将のよろいをアレンジした衣装を着て最優秀賞を受賞。全体でも2位に輝き、日本人としては59年に1位になった児島明子らに続く4人目の入賞を果たした。英語、フランス語、スペイン語に堪能で、国際的に活躍するリポーターになるのが夢という。[イミダス編] [2006.08]
― JapanKnowledge, http://japanknowledge.com,©Shueisha

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