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小説を読む喜び―ジョン・ウィリアムズとジャネット・フレイムの贈り物―

推薦文 :和田 渡 (経済学部 教授)

 小説を読む醍醐味のひとつは、物語の主人公の生涯をじっくり堪能できることだ。日常生活のなかで出会うひととのつきあいはつかの間のものでしかなく、相手の経験の細部を知ることはできない。小説のなかでは、ひとを知りつくすという経験を生きることができる。
 本のまれな読み手であり、本の思想家でもあった詩人の長田弘は、『心の中にもっている問題』(晶文社、1990年)のなかで、「本(1)」という詩の後半を次のようにしるしている。

    物語は、きみの見知らぬ友人がそこにいる
   場所だ。物語を読んで、あたらしい友人に出
   会い、あたらしい経験に出会う。そうして、
   物語の時間、物語の世界をとおりぬけて、あ
   たらしい友人とともに、じぶんのいま、ここ
   の場所にでてくる。そんなふうに、じぶんと
   じぶんの場所をあたらしく活々と感受できる
   物語を、きみは読みたいのだ。きみのじぶん
   の時間をつくりだすこと。こたえを探しても
   はじまらない。問いをみつけることからはじ
   めるのだ。(133頁)

新しい友人に出会い、新しい経験に出会う。

 今回は、2冊の小説を紹介しよう。いずれも「あたらしい経験」を与えてくれる読みごたえのある小説だ。

 ジョン・ウィリアムズの『ストーナー』(東江一紀訳、作品社、2014年)は、1965年にアメリカで出版された。ジョン・ウィリアムズ(1922~1994)は、アメリカのテキサス州出身。第二次世界大戦中に空軍に入隊し、終戦まで中国、ビルマ、インドで任務に就いた。ミズーリ大学で博士号を取得し、デンヴァー大学で1954年から30年間に渡って文学を講じ、文章指導にあたった。
 この本は一部の読者に支持されて、細々と読まれていたが、著者の死後は忘れ去られた。2006年に復刊されたが、アメリカでの評判はかんばしくなかった。しかし、この小説に感動したフランス人作家アンナ・ガヴァルダが2011年に仏訳を刊行するやいなや、フランスで大ヒットし、その後、オランダ、イタリア、イスラエル、スペイン、ドイツなどでも訳書がベストセラーになった。イギリスの作家イアン・マキューアンがBBCのラジオ番組で絶賛したため、アメリカでも人気になり、数日後にはアマゾンで4時間の間に1,000部以上を売り上げたという(329頁参照)。「ニューヨーク・タイムズ」には、「『ストーナー』は完璧な小説だ。巧みな語り口、美しい文体、心を深く揺さぶる物語。息を呑むほどの感動が読む人の胸に満ちてくる」という一文が掲載された。読み終えてみると、大げさな宣伝ではないことが実感される小説である。
 『ストーナー』は、主人公のウィリアムズ・ストーナーという男の生涯を淡々とつづった、きわめて地味な物語である。ストーナーはミズーリ州の貧しい農家に生まれ、いずれは家の後継ぎとなるため農学部に進む。しかし、英文学に魅了され、文学部に転じて、学位取得後、母校の教師に迎えられる。恋愛の末に結婚した女性との結婚生活には、やがて亀裂が入る。同僚との深刻な対立があり、教え子との交情がある。退職前に、検査で発見された腫瘍の除去手術を受けるが、予後が悪く、命を落とす。
 いくつも忘れられないシーンがあるが、とりわけ印象深いのが、ストーナーが英文学に魅了されていく場面だ。講師がシェイクスピアの戯曲二編を読んだ授業の締めくくりとして、ソネットを取りあげて朗読する。

     かの時節、わたしの中にきみが見るのは
     黄色い葉が幾ひら、あるかなきかのさまで
     寒さに震える枝先に散り残り、
     先日まで鳥たちが歌っていた廃墟の聖歌隊席で揺れるその時。
     わたしの中にきみが見るのは、たそがれの
     薄明かりが西の空に消え入ったあと
     刻一刻と光が暗黒の夜に奪い去られ、
     死の同胞である眠りがすべてに休息の封をするその時。
     わたしの中にきみが見るのは、余燼の輝きが、
     灰と化した若き日の上に横たわり、
     死の床でその残り火は燃え尽きるほかなく、
     慈しみ育ててくれたものとともに消えゆくその時。
      それを見定めたきみの愛はいっそう強いものとなり、
      永の別れを告げゆく者を深く愛するだろう (13-14頁)


講師が口を開く。「シェイクスピア氏が三百年の時を越えて、きみに語りかけているのだよ、ストーナー君。聞こえるかね?」(15頁)。「氏はきみになんと言っているかね、ストーナー君? 氏のソネットは何を意味するのだろう?」(同頁)。息を詰めて聞き入っていたストーナーは、「これが意味するのは」と言って、両手を小さく宙に浮かせる。同じことをもう一度言って、そのあとを続けることができなかった(同頁参照)。このとき、彼の心には文学への愛が目覚めていた。のちに、講師はストーナーに将来の教師職を勧める。その理由を問われてこう答える。「きみは恋しているのだよ。単純な話だ」(23頁)。
 エンディングが美しい。病院のベッドのわきテーブルに置いていた自著を開く場面だ。愛の別れが、静かに、おごそかに描かれている。

 開いたとたん、本は自分のものではなくなった。ページを繰ると、まるで紙の一枚一枚が生きているかのように、指先をくすぐった。その感覚が指から、筋肉へ骨へと伝わっていく。ストーナーはそれをわずかに意識し、全身がその感覚に包まれるのを待った。恐怖にも似た古い興奮が、横たわった体の動きを封じるのを……。窓から射し込む陽光がページを照らしていたが、そこに何が書いてあるのか、もうストーナーには読めなかった。
 指から力が抜け、手にした本がゆっくり傾いて、動かぬ体の上を素早くすべり、部屋の静けさの中に落ちていった。(327頁)

 ジョン・ウィリアムズは、1985年のインタビューでストーナーについてこう語っている。「教えることは、彼にとってひとつの仕事でした―よい意味での、名誉ある仕事です。(中略)本質的に大切なのは、対象への愛を持つことです。愛すれば、ひとはそれを理解することができる。理解できれば、多くを学ぶことができます。すべては愛からはじまる。そうした愛のない者はよい教師とは言えません」(331頁)。
 「愛」がひとつの主題となった『ストーナー』を通じて、読者は、「すべては愛からはじまる」という著者のメッセージの深い意味を感じとることができるだろう。

 ジャネット・フレイムの『潟湖』(山崎暁子訳、白水社、2014年)は、著者のデビュー短篇集である。原題は、The Lagoon and Other Storiesである。ジャネット・フレイム(1924~2004)はニュージーランド出身。当地では、もっとも著名な作家のひとりである。1937年、長女がプールで溺死する。大学卒業後に小学校の教師として勤め始めるが、極度に内向的な性格のため、長続きしなかった。長女の死から10年後には、妹も溺死する。ストレスの多い日々が重なり、1947年に自分で精神病院に入院し、統合失調症と診断される。その後8年間のうち4年半を病院で過ごす。1952年には、ロボトミー手術が予定されていた。しかし、前年に出版されたデビュー作がヒューバート・チャーチ記念賞を受賞し、手術は回避された。のちにロンドンの精神科で、統合失調症ではないという診断がなされた。
 フレイムが1980年代に出版した3巻の自伝は、ジェーン・カンピオン監督によって、1990年に「エンジェル・アット・マイ・テーブル」というタイトルで映画化された。この映画の成功によって、フレイムは世界的に著名になり、その後も数々の文学賞を受賞した。しかし、彼女は注目されることを好まず、公的な場所にはほとんど姿を見せなかった。2004年、白血病で亡くなった。
 自伝的な性格の色濃い『潟湖』には、全部で24篇がおさめられている。2頁から10頁あまりの掌編が集められている。幼年時代のおぼろげな記憶の断片や、くっきりと切りとられた日常生活の一場面からなるものがあり、姉の死や、精神病院での経験を描いたものもある。なにげないやりとりのなかに、ひとの心に潜む邪悪なかげりを浮かびあがらせたもの、自分や自分と同類の人たちの不安と孤独をさりげないことばで表現したものなど、いずれも読後に消しがたい印象を残す。
 「ベッドジャケット」は、大好きなハーパー看護婦へのクリスマスプレゼントにベットジャケットを編んで贈ろうとするナンの物語だ。編み物などしたことのなかったナンは、患者のひとりのバーバラから編み方を教えてもらい、悪戦苦闘し、時に投げだしそうになりながらも、粘り強く編み続けて、クリスマスの1週間前に、青くふんわりとしたベットジャケットを完成させる。病棟の誰もが感動のことばを口にした。ナンの心に変化がおこる。「―編み物なんて、したことなかった、と彼女は言いました。できてみたら、人にあげたくなんかないよ、だってこれはあたしのだもの、あたしが作ったんだもの。あたしのものだよ。今まであたしのものなんてひとつもなかった。これはあたしが作った。あたしのものだ」(41頁)。その晩、ナンは変調をきたす。4日後に個室から病棟に戻されたナンは、「ベットジャケットを着ていて、青ざめて悲しそうに見えました」(同頁)。次の日の午後、ナンは患者の一人に、ハーパー看護婦へのクリスマスプレゼントとして石鹸一箱とセロハンで包装したタオルを頼んだ。
 「心のきれいな人」は、おつむが足りないと周りから思われているエドガーという男性の下宿人と、宿をともにする人たちとの「交流」の物語である。エドガーは、居間ではいつもみんなのおしゃべりの種になる。「あの人、おつむが足りないのよ」「女の子に弱いですよね」「つらい人生を送ってきたんですよ、きっと」と軽口が飛びかう(102-103頁参照)。エドガーが現われると、みなは話をやめ、みんなのためにお気に入りのレコードをかけるという、彼のいつもの行動を予測して、ほほえんだり、「調子はどう」と話しかけたり、ハンカチで口を覆ってくすくす笑いをこらえながら消えていく(104頁参照)。エドガーだけが淋しく取り残される。
 エドガーは、長い間働いていた皮なめし工場を解雇され、次に見つけた仕事もクリスマスを前にして首になる。エドガーは、その前の晩に、下宿人ひとりひとりのためにクリスマスカードを選んでいた。「まあ、ありがとう」「気を使わなくてよかったのに」「私にですか、すてきですね」と感謝しながら、みなは封筒を開ける(106頁参照)。クリスマスと喜ばしい新年についての短い詩が印刷された図柄に、誰もが「なんてすてきなんでしょうエドガー、思いやりがあるのね」(107頁)と口をそろえる。
 しかし、夕食後、女たちは、「信じられる? クリスマスカードよ」(同頁)と言い合う。「とっても感動しちゃったわ」(同頁)とくすくす笑いをしながら言う女性もいる。それに同調していた教会会員の女性が、自分の義務を思い出してほほえみ、「あの人は心のきれいな人ですよ」(同頁)と、思慮深げにつぶやく。
 「庭」は、精神病院が舞台だ。もうすぐ家に帰ることになっていたヘレンという女性が主人公である。ある朝、「私」はヘレンの異変に気づく。「顔は灰色で、両腕を大きく前後に振り、はだしで部屋着姿のまま、彼女は走っていた」(155頁)。家に帰ろうとしていた彼女は連れ戻され、裏庭に連れて行かれ、夜には小さな一人部屋に入れられ、翌朝庭に連れ出される。彼女は一日中庭を歩く。「平らな緑の芝生の上をはだしで行ったり来たり、ぐるぐる何周もした」(156頁)。「私は目が疲れるまで彼女が歩くのを見つめ、忘れることはないだろうと思った」(同頁)。「私」の理解したことがこうしるされる。

 ほんとうは庭なんてないのだ。木々もなければ芝生もない。ヘレンは自分の頭の中を行ったり来たりしているのだ。自分が向かう先を彼女は知らない。自分の内側をぐるぐる歩いているのだ。
 私たちはみんな自分の内側を歩いていた。自分の中にある小さな茶色いあずまやにすわり、茶色い柵にさわっている。そしてときどき、へレンみたいにはだしで小道を走り、石を踏んで逃げたとしたら、私たちは家に向かって走っていたのではなく、自分自身から逃げていたのだ。(156頁)

 
人物紹介

長田弘【おさだ-ひろし】[1939−2015]

昭和後期-平成時代の詩人、評論家。
昭和14年11月10日生まれ。早大在学中同人誌「鳥」を創刊、「地球」「現代詩」などにくわわる。昭和40年やわらかくなじみやすい表現によって、けんめいに明日への希望をつむぐ詩集「われら新鮮な旅人」、詩論集「抒情の変革」を発表。57年「私の二十世紀書店」で毎日出版文化賞、詩集「心の中にもっている問題」で平成2年富田砕花賞、3年路傍の石文学賞。21年「幸いなるかな本を読む人」で詩歌文学館賞。22年詩集「世界はうつくしいと」で三好達治賞。26年「奇跡―ミラクル―」で毎日芸術賞。ほかに「死者の贈り物」「深呼吸の必要」、評論「探究としての詩」、エッセイ「本を愛しなさい」など。平成27年5月3日死去。75歳。福島県出身。
" おさだ-ひろし【長田弘】", 日本人名大辞典, JapanKnowledge, http://japanknowledge.com, (参照 2015-07-17)

ジャネット・フレイム 【Janet Frame】 [1924-2004]

ニュージーランド随一の女性作家。短編集『干潟』The Lagoon and Other Stories(1951、61改訂)でデビューし、詩、小説などの分野でも多数の作品を発表。個人的体験をもとに、生と死の尊厳と恐怖などを繊細な感受性で捉え、象徴的なイメージと言葉を駆使して描く。普遍性のあるテーマを持つ作品はいち早く欧米で高く評価される。『ふくろうは鳴く』Owls Do Cry(57)、『水に映った顔』Faces in the Water(61)、『貯水池』The Reservoir and Other Stories(63ニューヨーク、66ニュージーランド)、『マニオトートに住んで』Living in the Maniototo(79)、『カルパシア山脈』The Carpathians(88)などがある。ワッティブック最優秀賞受賞の自叙伝I『島へ』To the Is-Land(82)、自叙伝II『私の食卓につく天使』An Angel at My Table(84)、自叙伝III『鏡の町からの使者』The Envoy from Mirror City(85)は合本で『自叙伝』An Autobiography(90)として出版される。『心の奥深くに』You are Now Entering the Human Heart(83)は40年間に書かれた短編から著者自身が精選した作品集。詩集に『小さな鏡』The Pocket Mirror(68)がある。
(鋤柄和子)
" フレイム ジャネット", デジタル版 集英社世界文学大事典, JapanKnowledge, http://japanknowledge.com, (参照 2015-07-22)

ジョン・ウィリアムズ 【John Edward Williams】 [1922-1994]

1922年8月29日、テキサス州クラークスヴィル生まれ。第二次世界大戦中の1942年に米国陸軍航空軍(のちの空軍)に入隊し、1945年まで中国、ビルマ、インドで任務につく。1948年に初の小説、Nothing But the Nightが1949年は初の詩集、The Broken Landscapeが、いずれもスワロープレス社から刊行された。1960年には第2作目の小説、Butcher's Crossingをマクミラン社から出版。また、デンヴァー大学で文学を専攻し、学士課程と修士課程を修めたのち、ミズーリ大学で博士号を取得した。1954年にデンヴァー大学へ戻り、以降同大学で30年にわたって文学と文章技法の指導にあたる。1963年には特別研究奨学金を受けてオックスフォード大学に留学し、さらにそこでロックフェラー財団の奨学金を得て、イタリアへ研究調査旅行に出かけた。1972年に出版された最後の小説、Augustusは、このときの取材をもとに書かれた作品で、翌年に全米図書賞を受賞した。1994年3月4日、アーカンソー州フェイエットヴィルで逝去。―本書より

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