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歴史の記録・忘却と記憶―過去との出会い方を学ぶ―

推薦文 :和田 渡 (経済学部 教授)

 尹東柱(ユン・ドンジュ)の『空と風と星と詩』(金時鐘[キム・シジョン]編訳、岩波文庫、2012年)は、1948年にソウルで出版された。
 尹東柱(1917~1945)は、キリスト教一家に生まれ、幼児洗礼を受けた。1942年、京都の大学に留学した。翌年の7月に、当時の日本では禁止されていた朝鮮語で詩を書き、独立運動に加担したとして治安維持法違反容疑で逮捕された。1944年、京都地方裁判所で懲役2年の判決を受け、福岡刑務所に投獄され、翌年の2月に獄死した。編訳者である金時鐘が、「解説に代えて―尹東柱・生と死の光芒」のなかで、尹の生涯を詳細に伝えている。27歳という若さでなくなった詩人への思慕につらぬかれた、渾身の文章である。
 尹は政治犯として逮捕されたが、詩には日本による植民地支配への抗議や時代傾向への批判は見られない。尹の詩作品の多くは自分の存在、自分を生かしている存在、共に生きている人々、空や風、星といった自然、生き物たちを主題としている。

韓国文学 過去との出会い方を学ぶ

「自分とは何か」「生きることの意味とは」「神を信じることとは」といった問いが渦巻いている。詩を読むかぎりでは、尹が歴史や時代の動向をどのように見つめていたのかは分からない。朝鮮語で詩を書くという行為が、ひそかな抵抗の証であったかもしれない。尹は、狭い日常世界のなかで、自己と自己が共存するものたちをじっと見つめて生き、思いを形にした。1939・9と日づけのついた「自画像」を引用してみよう。


 麓の隅を廻り ひそまった田のかたわらの 井戸をひとり訪ねては
 そおっと覗いて見ます。 

 井戸の中には 月が明るく 雲が流れ 空が広がり
 青い風が吹いて 秋があります。

 そしてひとりの 男がいます。
 どうしてかその男が憎くなり、帰っていきます。 

 帰りながら考えると その男が哀れになります。
 引き返して覗くと その男はそのままいます。

 またもやその男が憎くなり 帰っていきます。
 道すがら考えると その男がいとおしくなります。

 井戸の中には 月が明るく 雲が流れ 空が広がり
 青い風が吹いて 秋があって
 追憶のように 男がいます。(10~11頁)


 青春の一時期に深まる自己関係性の意識が、井戸のなかの風景に託して浮き彫りにされている。自分へのこだわり、自分に対する屈折した感情と、秋の静かな自然との対比が鮮やかだ。
 もうひとつだけ、自意識のゆれを描いた詩を引用してみよう。「風が吹いて」という題がついている。日づけは、1941・6・2である。


 風がどこからか吹いてきて
 どこへ吹かれていくのだろうか、

 風が吹いているのに
 私の苦しみには理由がない。

 わたしの苦しみには理由がないのだろうか、

 たった一人の女を愛したこともない。
 時代をはかなんだことすらない。

 風がしきりに吹いているのに
 私の脚は岩の上に立っている。

 江がしきりに流れているのに
 私の脚は坂の上でとどまっている。(24~26頁)


  当初、「総身うぶ毛でおおわれているような尹東柱の清純な抒情感」(165頁)に「二の足を踏んでいた」(同頁)金時鐘は、その後、尹の詩が情感と抒情を混同するような近代抒情詩ではなく、手法的にもすぐれて現代詩的な、思考の可視化(考えていることを目に映るように描きだすこと)を成り立たせていることに気づく(同頁参照)。金時鐘が言うように、上に引用したふたつの詩には、具象的なものを媒介にしておのれの観念を目に見えるものにしようとする尹の意志が見て取れる。すがすがしい自然の表現と実存的な思考がむすびつき、詩作品として結晶している。

 ウン・ヒギョンの『美しさが僕をさげすむ』(呉永雅[オ・ヨンア]訳、クオン、2013年)は、「新しい韓国の文学」シリーズの一冊である。著者は1959年に全羅北道に生まれた。大学卒業後、出版社勤務を経て作家活動に入る。訳者によれば、韓国は、1980年代の民主化闘争に象徴される政治の時代を経て、90年代は個人の時代へと移る。特に、1997年の通貨危機後の10年で伝統的なシステムが崩れて、個人として生きる比重が高まるなかで、孤独感を抱えて生きる人が増えているという。ウン・ヒギョンは、そうしたひとびとの日常に目を向けている。この本は、「現代人が直面する問題や、生きていく上での葛藤をあまねく取り上げ、さまざまな方式でアプローチしている」(299頁)点も含めて評価され、第38回東仁文学賞を受賞している。
 「美しさが僕をさげすむ」という奇抜なタイトルは、リルケの「ドゥイノの悲歌」から得たものだという。「疑いのススメ」「孤独の発見」「美しさが僕をさげすむ」「天気予報」「地図中毒」「ユーリィ・ガガーリンの蒼い星」の6篇からなっている。それぞれの短編には、過去の記憶に引きずられるようにして生きるひと、家族や他人との間の違和感を消化しきれない人物、生きることにためらいや、戸惑いを感じてたたずむひと、人生を斜めから見つめるひとなどが登場する。
短編の雰囲気をあらわす文章をいくつか抜きだしてみよう。

 「世の中にはあまりにも多くの物語があって、誰もそれらをすべて読むことなどできない。ともあれ、僕は世の中のさまざまな物語をそれほど多くは知らないまま、三十七歳になった」(「孤独の発見」、55頁)。
 「この世界で、あたしはいくつもに分かれて、それぞれのあたしが別の時間と空間で生きている。皆それぞれ全く違う。怒りっぽいあたしもいるし、恥ずかしがりや屋のあたし、お喋りなあたし、愚かなあたし、そしてきれいなあたしも、醜いあたしもみんないるのね。ばらばらに存在しているけれど、ある瞬間皆が同じことを考えると、突然人々の目に見えるようになるの」(同短編、81頁)。
 「人間というのは、頂点まで上りつめれば転がり落ちるようになっている石だと知りながらも、それをどこまでも押して上り続ける、そんな存在ではないだろうか」(「美しさが僕をさげすむ」、151頁)。
 「女子生徒は顔をしかめた。ほんとにどうやって生きていけばいいかわからないんです。僕は何の返事もせずに一人歩き始めた。ちょっと歩きたくなるような天気だった。鋭くにらみつけるだけで、女子生徒はついてこなかった。夜も遅い時間、都市の通りはがらんとして、秋が始まっていた。どうやって生きていけばいいかわからないって?三十を過ぎても、こっちだってまだどうやって生きていけばいいのかわからないんだ。風がひんやりして、まばらに星が見えた」(「地図中毒」、251頁)。
 「この世には深刻でないものなどなく、瞬間ごとに、どんな些細なことであってもそこから学び、気づかされる何かがあった」(「ユーリィ・ガガーリンの蒼い星」、285-286頁)。

 韓国の現代人の生活の断面を照らしだすウン・ヒギョンの筆は、ときにシニカルになるが、全体として、行き惑う人間への共感によって支えられている。現代の日本に生きるわたしたちとも多くの点で共通するがゆえに、感覚の微妙な差異がいっそう新鮮に映る、不思議な読書体験だ。

 『韓国・朝鮮の知を読む』(野間秀樹編、クオン、2014年)は、日韓の総勢140名による「知の万華鏡」である。編者の野間は、「はじめに」で本書の意図を次の三点に要約している。①<知>に焦点を定めた書とする、②日本と韓国、双方の多くの知性が共にする書とする、③<知>を支える、書物、出版、文字にも関心を定める書とする。
 本書では、各執筆者が、韓国・朝鮮の<知>に関わる書物を1~5冊ほどあげて、取りあげる理由や本の内容を紹介している。執筆者は、言語学、文学、歴史学、文化論の研究者、思想家、詩人、作家、出版人、報道ジャーナリズム関係者、日韓の文化交流の尽力者など多彩であり、それぞれの文面から、過去の歴史を知ること、一面的な思考や偏見を自己点検すること、目を塞いで見ようとしない出来事のなかに隠されている真実を直視することの大切さを教えられる。
 心に残る文章は数限りないが、そのなかからいくつか引用してみる。曽恩(チョ・ウン)著『沈黙で建てた家―朝鮮戦争と冷戦の記憶』に関して、作家津島佑子はこう述べている。「歴史というものが、個人にとってまず沈黙に閉ざされ、けれど記憶は隠されたところで、いつまでも現在形でなまなましく生きつづけるという実態が、これほどまで繊細に、そして誠実に記述されていることに、私は感嘆させられた。そして歴史の年表では『朝鮮戦争勃発』、あるいは『軍事クーデター』とひと言で片付けられる現実が、個人個人にとって、どのように複雑な人間関係を生みだし、現在につながっているかを教えられた」(132頁)。人間関係において、相手に痛みを与える側は、しばしば、痛みを与えられた側の経験の細部を掘り起こして謝罪するよりも、思考を停止して、思い出したくない経験を忘却してしまう。国と国との関係においても同じことが起こる。津島は、ある歴史的な場面で沈黙を強いられた経験が、ひとのなかで記憶として残り続けるということの重みを、抑制されたことばで語っている。
 出版の仕事にかかわる鄭恩淑(チョン・ウンスク)は、ハンギルという人文出版社を率いる金彦鎬(キム・オノ)の『本の共和国』を紹介する一文のなかで、こう述べている。「人生を生きてゆくと言ったとき、多くの部分は記憶と忘却のあいだの相互作用であると言える。この頃、多くのことがひたすら消耗されてばかりいるという思いが強く、私は忘れてはならないことを記録しておくべく努める。人間の記憶力というものは限界があり、時間が経てばすぐに忘却という魔手によって侵食されてしまうものだから」(446~447頁)。鄭は、1980年代の知的、文学的な運動を記録に残して、忘却に抵抗するひとりの出版人の努力を賞讃している。
 作家の玄月は、『空と風と星と詩』との出会いをこう表現している。「二〇年ほど前のこと。NHKが尹東柱の特集をしているのをたまたま見た。私はテレビを見ながら、涙を流したのを覚えている。『空と風と星と詩』の序詩は、それほどのインパクトだった。私はそれまで、尹東柱を知らなかった。のちに韓国では知らない人のいない国民的詩人だと知った。静謐で、率直に、てらいなく語りかけてくる玉のような言葉に、自分が恥ずかしくなるのだった」(471頁)。玄月はまた、『空と風と星と詩』の編訳者である金時鐘が書いた『「在日」のはざまで』について、熱いことばをしるしている。「先生の生き様こそ、在日の歴史そのものである。在日として生きることの困難、意味、術、いや、人間としてどのように存在すべきかを問うた、哲学の書でもある」(同頁)。
 このガイドブックの編者、野間は「知とハングルへの序章」のなかで、こう述べる。「他ならぬ<教育>というものが、しばしば学習者の知を押し潰す。少なからぬ学習者が、ものを考えることを拒否した、知識という名の断片を、自分のメモリに詰め込むという形の『学習』に馴らされてゆく」(568頁)。この紹介書では、過去の歴史を顧みて、自分で徹底的に考え、思考を深めることを促す数々の本がすすめられている。これらの書物は、野間の言い方を借りれば、「壁を抜け、河を渡り、海峡を越え、砂漠を横切り、鉄条網をかいくぐって、私たちの共にしうるものとなった」(586頁)、「私たちが学ぶべき、知の闘争の隊列」(同頁)である。この隊列に加わるためには、暗記力ではなく、思考力こそが必要になる。

 
人物紹介

ユン‐ドンジュ 【尹東柱】[1917-1945]

朝鮮の詩人。日本に留学中の1943年に独立運動容疑で逮捕され、獄死した。日本の併合下にあった民族の悲哀を叙情詩にうたった、詩集「空と風と星と詩」がある。
" ユン‐ドンジュ【尹東柱】", デジタル大辞泉, JapanKnowledge, http://japanknowledge.com, (参照 2015-09-14)

ウン・ヒギョン【殷熙耕】[1959-]

1959年、全羅北道生まれ。淑明女子大学国文科、延世大学大学院国文科卒。出版社勤務を経て、1995年、東亜日報新春文芸に中編「二重奏」が入選、文壇にデビュー。同年、初めての長編小説『鳥の贈り物』で第一回文学トンネ小説賞受賞。現代を生きる人間の孤独と心に抱えた傷に焦点を当てた作品を数多く発表し、90年代後半からの韓国文学をリードする作家の一人として、また多くの読者に支持されるベストセラー作家として今日に至る。主な作品に『最後のダンスは私と』『それは夢だったのだろうか』『マイナーリーグ』『秘密と嘘』『幸せな人は時計を見ない』ほか。―本書より

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