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アフリカ―抵抗の力としての文学―

推薦文 :和田 渡 (経済学部 教授)

 チヌア・アチェベは、1930年、当時はまだイギリスの植民地であったナイジェリアに生まれた。キリスト教徒の両親に西洋式の教育を受けて育ったが、家庭の外では、現地の文化や宗教に慣れ親しんだ。大学で英語やラテン語、歴史などを学び、卒業後はナイジェリア放送協会で働いた。1958年にロンドンで出版された『崩れゆく絆』が高い評価を受けた。ナイジェリア東部州の独立をめぐる内戦では、ビアフラの大使を務めた。1972年に渡米し、多くの大学で教え、2013年に亡くなった。
 チヌア・アチェベの最初の小説『崩れゆく絆 Things Fall Apart』(栗飯原文子訳、光文社、2013年)は、アフリカ近代文学の原点と見なされている。アチェベが、「どのような仕方でアフリカを描くのか」「アフリカ文学は今後どうあるべきか」というはっきりとした問題意識をもって書き始めた最初の作家だからである。訳者の栗飯原は次のようにまとめている。「小説という西洋近代の表現形態、いわばアフリカにとって外来のジャンルを用いてどのようにアフリカの歴史過程に応えるか、というひとつの道筋を創り出し、アフリカ人作家による文学を『アフリカ文学』たらしめる―つまり文学の生産、解釈、流通までも含めた『制度』として確立させる―礎を築いたのが、ほかでもないアチェベであったのだ」(313頁)。

アフリカ文学 抵抗の力としての文学

  『崩れゆく絆』は、三部構成である。冒頭には、W・B・イェイツの「再臨」からの「すべてが崩れゆき、中心は保てない/まったき無秩序が世界に放たれる」ということばが置かれている。全体のほぼ三分の二を占める第一部では、主人公のオコンクウォとその家族を中心にして、村のひとびとの暮らしぶりが丹念に描かれている。エゼウドゥという老人の葬儀の最中に、オコンクウォの銃が暴発し、銃弾が少年の胸を貫通する。その罰として、オコンクウォは流刑の処分を受ける。第二部では、家族とともに母の故郷に逃れたオコンクウォの日常と自然の光景が描かれる。やがて、白人が村に現われ始めたとささやかれるようになる。第三部では、七年の流刑をへて故郷に戻ったオコンクウォの自死にいたるまでの出来事が早いテンポで語られる。白人の侵入によって引き起こされた村の変化に驚いたオコンクウォは、共同体の価値観や秩序を守るために植民地を支配する勢力と対決するが、最後には、追いつめられて、自ら命を絶つ。
 アチェベは、キリスト教宣教師の布教活動を露払いのようにして植民地支配が始まる19世紀後半の村の状況を描いた。白人たちの狡猾な植民地支配の手口、侵入者になびくグループと対立するグループの間で起こる内紛、異文化の侵入によって崩壊する共同体の文化や社会秩序などを絡ませて描きだしている。その記述は、アフリカの集落に住むひとびとが蒙った不当な支配や暴力の意味を考えるうえで欠かせないものである。ふたたび訳者の表現を借りれば、「アチェベは、植民地で生まれ育った知識人のある典型として、キリスト教の価値観を重んじ、西洋的な教養を身につけながらも、それをもたらした植民地主義の制度に反逆し、その支配のロジックと甚大な影響を内在的かつ歴史的に問題化しようとした」(323頁)。

 ローレンス・ヴァン・デル・ポストの『ある国にて In a Province』(戸田章子訳、みすず書房、2015年)は、1930年代の南アフリカが舞台で、合法化されていくアパルトヘイトへの抗議が核となった小説である。ローレンス・ヴァン・デル・ポスト(1906~1996)は、南アフリカに生まれ、後にイギリス国籍を取得した。大島渚監督の『戦場のメリー・クリスマス』(1983年)の原作者として知られている。ヴァン・デル・ポストは、19歳のときに日本をおとずれ、2週間滞在した。17年後の1942年には、第二次大戦下のジャワの日本軍捕虜収容所で敵となった日本人と再会した。このときの経験が映画のシーンに再現されている。
 『ある国にて』は、ポートベンジャミンという都市に働きにやってきた白人のヨハン・ファン・ブレーデプールと、地方の村から金稼ぎに出てきた黒人のケノン・バディアクゴトラとの出会いから始まる。ヨハンは、16歳のとき、老教師が別れ際に語った「きみはこの国の白人が黒人にたいして抱く馬鹿げた迷信にはくれぐれも用心することだ」(33頁)ということばを胸に刻んでいた。ヨハンは、部族の伝承的な物語を生き生きと語る純朴なケノンに魅了される。しかし、ケノンは、差別的な都会のなかで、すさんだ生活に陥り、素朴さを失っていく。先住民と白人とのトラブルに巻きこまれたケノンは、不公平な裁判で6ヶ月間投獄される。この事件を契機にして、ヨハンは人種問題を深く意識し始めるが、ケノンに同情するため異分子扱いされる。その後、ヨハンは社会革命をめざすコミュニストのバージェスと知り合いになる。ケノンは、ハッシッシの常習者となり、服役を繰りかえすが、バージェスの組織した政治集会で暴動を起こし、命をおとす。バージェスから共同での再起を求められたヨハンはこう答える。「一時はきみの考え方に与していたかもしれない。でもきみの方法をぼくは認めない。憎しみを武器に憎しみと闘えば、さらに憎しみを生むだけだ。きみは有色人種にたいする偏見を打倒しているつもりが、実は白人にたいする偏見で置き換えているにすぎない。(中略)きみの行く道は、より多くの混乱と憎悪と血にまみれている。ぼくはこの街で、自分ひとりで再出発することにする」(305頁)。だが、集会からの逃走中に、ヨハンは銃弾に斃れる。
 アパルトヘイトが強化される社会のなかで人種対立がもたらす悲劇を描いたこの小説は、それが廃止された今日でも、読者に強い印象を残す。一読を薦めたい。

  土屋哲の『現代アフリカ文学案内』(新潮選書、1994年)で、著者は「この本は、私の人生七十年の成果ともいうべき一冊であり、感慨深いものがある」(254頁)と述べている。第Ⅰ部「遥かなる国、遠い旅路―私の体験的アフリカ」では、ナイジェリア、セネガル、ケニア、タンザニア、南アフリカ共和国での体験が報告されている。「ナイジェリア」では、熱帯雨林に特徴的な自然現象がこうしるされる。「雷鳴は天地をゆるがして炸裂し、稲妻は、天上で光るというよりは大地から天上に噴きあげるといった趣で、地平線を電波のような放射線が上下に交錯して、生きた心地がしない。暑さといい、不気味さを湛える熱帯雨林といい、ここヨルバの土地ではいまなお、自然は圧倒的な力で人間を威圧しているのだ」(16頁)。それゆえ、そこでは<創造と破壊>の両刃的神格をもつ鉄の神オグンと並んで、雷の神シャンゴが最高神の一つとして、ひとびとの尊崇を受けているという(同頁参照)。「セネガル」では、かつて奴隷集積所だったゴレー島について語られる。「この島もご多分にもれず大西洋戦略上の要衝として、大航海時代にはポルトガル、スペイン、オランダ、イギリス、ドイツ、フランスの植民地争奪戦の渦中に巻きこまれた」(21頁)。1979年、この奴隷の島に、アフリカ人の犠牲のもとに成立したヨーロッパ近代文明に代わるあたらしい21世紀の文明を創出するために、ミュターン大学が創設された(同頁参照)。その目的はこう明記されている。「『ヨーロッパ文化は、技術万能の文化であり、地球に悲惨と不平等をばらまき、資源の浪費と公害で地球を破壊し、地球を危機に陥れた文化であるという基本認識に立って、この大学では、そういう文化とは異質なアジア、アフリカ、ラテン・アメリカ、イスラムの各文化の相互出会いを通して、<文化>の究極のあり方を追求しながら、人間共有の財産である普遍的文化を創造する』」(100-101頁)。
 土屋は、第Ⅱ部「アフリカと近代ヨーロッパ」において、いわゆる欧米列強によるアフリカの植民地支配を支えた三つの原理として選民思想、法律万能主義、進化論を強調し、それらによってアフリカ人が差別され、弾圧され、売買されるという屈辱的な仕打ちを受け続けた現実の断面を浮き彫りにしている。それと同時に、白人の冷酷な抑圧に抗して立ち上がり、1991年にアパルトヘイトを廃棄に追いこむまでのアフリカ人たちの抵抗の歴史の諸相を描きだしている。欧米中心主義的な歴史観を打破するためにも貴重な記述である。
 第Ⅲ部「作家たちのアフリカ」は、多彩な作家論である。セネガル出身でネグリチュード運動に取り組んだ詩人、大統領にも選出されたレオポール・セダール・サンゴール、アフリカ伝来の口承物語を現代風にアレンジした作品を発表したエイモス・チュツオーラ(ナイジェリア)、ヨーロッパ近代小説の技法を使い、アフリカの伝統的な生活様式を織りこみながら、植民地支配という現実を描いたチヌア・アチュベを始め、実に多くの作家が紹介されている。南アフリカでは、1960年代以降、アフリカ人の人権を蹂躙した白人の差別に抗議する作家が弾圧され、発禁処分を受け、国外追放された結果、1970年代には抵抗を詩によって間接的に表現する詩人が活躍する。代表的な詩人としてオズワルド・ムチャーリとマジン・クネーネが取りあげられている。第Ⅲ部では、一夫多妻制度や家系継承の重圧、白人との結婚などによる苦しみを表現する女性作家たちについても言及されている。
 第Ⅳ部「日本とアフリカ―口承文化の視点から」は、口承文化と文字文化の特色や、前者から後者へ移行する過程で起きたことについてつまびらかにしている。いまのガンビアやギニア、セネガル、マリに伝わるスンディアタ王にまつわる口承伝説を叙事詩『スンディアタ』(1960年)にまとめたD・T・ニアヌのことばを引用しよう。「世の中には、書くことで過去を記録する人もいます。だがそういう人は、内にある、記憶という機能を殺してしまいます。彼らは書き留めることで、もうそれ以上に過去を感じとることができなくなってしまいます。書かれたものには、人間の声の温かさというものがないからです。……予言者は、書くことをしなかった。その結果、その言葉はなんと生き生きとした生命力で溢れていることでしょう」(220頁)。『ケニアの児童文学』の著者、アセナス・ボレ・オダガは、伝統的な口承文学が白人によって破壊されていく状況をこうしるしている。「植民地時代以前の伝統的なルオ族社会の若者や子供たちは、自分たちの社会のイメージだけを手本にして成長した。彼らは自分たちの社会に固い信頼を置いて育ち、自分を築きあげ、彼らの尊厳と彼らの文化遺産に対する正しい認識を養った。植民地支配者たちがその影響力でその大部分をめちゃくちゃに破壊してしまったのは、このアフリカのイメージであり、尊厳と自身なのだ」(225頁)。
 アフリカの一部では、俳句が人気である。俳句における自然と人間の照応関係がアフリカ人を魅するのだという。1979年に国賓として来日したサンゴールの記念講演での発言が引用されている。「日本人というものは、その感覚が<自然>に向かって開かれており、また音、風味、色彩、運動といったものの中に、自分の感覚を潜りこませる人間であると、私は見ています」(243頁)。セネガルの俳句コンクール審査委員長カーヌの来日時の談話(1980年)も合わせて引用する。「俳句は、詩を志すセネガルの若い人たちに、<自然>とのつながりを取り戻す、絶好の機会を提供してくれました。カラカラに乾いた自然、痛めつけられた自然、同時に事物を超えた生命に満ちた、すなわち伝統的なアニミズムに彩られた自然、そういったアフリカの自然を、たとえば旱魃による地割れなどを、俳句に唄いこむことによってセネガルの人たちは、本然の<自然>へと立ち返り<自然>を感知し、さらには自分自身へと立ち返るようになったのです」(同頁)。日本の俳句が、アフリカ人の自然への態度変更をうながす契機になっているという発言は、あらためて俳句のもつ意味について考えさせる。日本とアフリカという、まるで異なる性質の自然に対しても、それが等しくすぐれた芸術として機能しうるという事実は、俳句の持つシンプルな形式の力を証してあまりあるといえよう。第Ⅳ部の終わりには、ナイジェリアの詩人O・レズリーが芭蕉の「旅に病んで夢は枯野を駆けめぐる」をモデルにしてつづった以下の英語詩が付記されている。


 taken ill, journeying on
 dreams still run about
 on dried up fields.


 松本仁一の『アフリカを食べる/アフリカで寝る』(朝日文庫、2008年)
は、1996年に朝日新聞社から単行本として刊行され、2年後に文庫化された本の増補版合本である。本書は、特派員として長期にわたってアフリカに滞在した著者が「食べる、寝る」という基礎経験にもとづいて記述したもので、アフリカ人の暮らしや思考の断面を抉りだした快作である。付録としてつけられた作家久間十義との対談「食べて寝てアフリカがわかる」のおしまいで、松本はこう語っている。「まずは日本と違うってことを見て帰ってくるだけでいい。もう一歩踏み出せればもっといい。僕も初めは『おまえ、行け』といわれて、ダルエスサラームというのがタンザニアの首都である、という認識すらない状態でアフリカに行ったんです。(中略)異文化を初めから拒否して、いいホテルに泊まって、日本から持っていったカップラーメンばかり食べていたんでは分からない魅力というのが、アフリカにはあるんです」(453頁)。
 「Ⅰ アフリカを食べる」は、現地のひとびとが食べるものを食べるという経験の報告である。「郷に入っては郷に従え」の食事版である。ヤギの骨をかじる、牛の生き血を飲む、ワニの肉を食べる、インパラを刺し身にして食べる。羽アリ、ミドリザル、ティラピア、飛びバッタ、象の肉、カメムシ、ヤギの腸、羊の目玉、アヒル、ハトなどを食べる話も満載だ。自国の食習慣しか知らないひとにはびっくりのメニューで、顔をしかめるひともいるかもしれない。松本はこう述べる。「食文化というのは、暑さや寒さや雨の量、地形、風土、その他もろもろの影響で、長年かかってその地域で形成されてきたものだ。土地が狭くて冬が寒いため、犬を食べなければ生きていけなかった地域もある。それを、別の食べ物で十分に生きていける地域の人々が、自分の基準だけで判断してはいけない」(74頁)。
 「羊の目玉(南アフリカ)」は、アパルトヘイト廃止前後のヨハネスブルクという都市の変化に触れている。人種隔離政策は廃棄されても、人種融和までの道のりは長そうである。

 
人物紹介

アチェベ チヌア【Chinua Achebe】[1930-2013]

ナイジェリアの小説家、詩人、教育者。本名アルバート〔アルベルト〕・チヌアルモグ・アチェベAlbert Chinualumogu Achebe。イボ族出身。東部州オギディで生まれ、父はキリスト教会学校の教師。祖父は最も早くキリスト教に改宗した一人で、キリスト教的雰囲気の濃い家庭で育った。ウムアヒヤ公立カレッジ卒業後、医学を修めるためにイバダン大学に入学、のち文学専攻に転科した。在学中にジョイス・ケアリーのナイジェリアを舞台にした小説『ミスター・ジョンソン』を読み、ナイジェリア人の描写がいかにも浅薄、皮相なのを痛感し、ナイジェリア人自らが内部から書き直す必要を自覚したのが転科の理由で、それが創作を志す大きなきっかけとなった。1953年にイバダン大学を卒業。54~66年ナイジェリア放送協会に勤め、その間56年ロンドンのBBC放送で研修、61年海外放送初代局長に就任した。また63年にはユネスコの特別研究助成を得て、アメリカ、ブラジル、イギリスを旅行、見聞を広めた。(土屋 哲)
" アチェベ チヌア", デジタル版 集英社世界文学大事典, JapanKnowledge, http://japanknowledge.com, (参照 2015-10-22)

ヴァン・デル・ポスト ロレンス・ヤン【Laurens Jan van der Post】 [1906-]

南アフリカ生まれ、イギリス国籍の白人。小説家、探検家、ルポルタージュ作家、記録映画監督、人種問題調停家。英語で執筆する。フィリップポリスに生まれ、グレイ・カレッジ卒業。「ナタール・アドヴァタイザー」紙記者、文化雑誌「フォールスラッハ」誌の編集寄稿者として、ウィリアム・プルーマー、ロイ・キャンベルと共に文名をあげる。第二次大戦にイギリス陸軍士官として従軍、ジャワでゲリラ活動中に捕らえられ、レバクセンバダ日本軍捕虜収容所に入れられる。1947年大佐として退役、大英帝国第3級勲功章を受ける。52年を振り出しに数度イギリス政府の要請によりカラハリ砂漠を探検、生き残りのサン族(俗称ブッシュマン)を保護。その後イギリスに定住し作家として大成、81年、ナイト爵を授けられた。自伝色の濃い、思索的で抒情的な散文を特徴とし、始原のアフリカへの思慕、親友であったC. G.ユングと共有する深層心理への洞察、日本への愛をもって知られる。主な作品に『国の中』In a Province(1934)、『内奥への旅』Venture to the Interior(52)、『フラミンゴの羽』Flamingo Feather(55)、『カラハリの失われた世界』The Lost World of the Kalahari(58)、『狩猟民の心』The Heart of the Hunter(61)、『種子と蒔(ま)く者』The Seed and the Sower(63)、『狩猟者と鯨』The Hunter and the Whale(67)、『新月の夜』The Night of the New Moon(70)、『かまきりキャロル』A Mantis Carol(75)、『ユングとわれらの時代の物語』Jung and the Story of Our Time(76)、『だれとも知れぬもう一人』Yet Being Someone Other(82)などがある。『種子と蒔く者』は大島渚により、「戦場のメリークリスマス」と題して映画化された。(由良君美)
" ヴァン・デル・ポスト ロレンス・ヤン", デジタル版 集英社世界文学大事典, JapanKnowledge, http://japanknowledge.com, (参照 2015-10-22)

土屋哲【つちや- さとる】[1923-]

1923年和歌山県生まれ。55年東京大学文学部大学院修了。明治大学教授、ナイロビ大学名誉教授。イギリス・ユートピア文学とアフリカおよびカリブ海域の文学を研究。著書に『近代化とアフリカ』『アフリカのこころ』『アフリカ抱擁』他。訳書に『やし酒飲み』『偉大なる帝王シャカ』などがある。―本書より

松本仁一【まつもと-じんいち】[1942-]

ジャーナリスト。1942年、長野県生まれ。東京大学法学部卒。68年、朝日新聞社に入社。82年よりナイロビ支局長。90年中東アフリカ総局長としてカイロに駐在。93年から2007年まで編集委員。94年、ボーン上田国際記者賞、97年、『アフリカで寝る』(朝日新聞出版)で日本エッセイスト・クラブ賞、2002年、『テロリストの軌跡』(草思社)で日本新聞協会賞を受賞。そのほかの主な著書に『カラシニコフⅠ』『カラシニコフⅡ』(朝日新聞出版)『アフリカ・レポート』(岩波書店)がある。―本書より

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