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写真は語る ― サルガドと畠山の伝えるもの ―

推薦文 :和田 渡 (経済学部 教授)

 2015年の夏に、ヴィム・ヴェンダース監督がジュリアーノ・リベイロ・サルガドと共同で製作した作品「セバスチャン・サルガド 地球へのラブレター」が各地で公開された。原題は「地の塩 The Salt of The Earth 」である。このことばは、『新約聖書』の「マタイ福音書」第5章によっており、社会の腐敗を防ぐために役立つ者を指している。この映画は、世界的に著名な報道写真家サルガドが撮影したモノクロ写真を中心に構成し、写真家の歩みをたどっている。ナイジェリア、エチオピア、ウガンダ、マリといった国々の紛争、難民、虐殺、飢餓の写真は、観る者を戦慄させ、人間へのまなざしの転換を迫ってくる。

 セバスチャン・サルガド+イザベル・フランクの『わたしの土地から大地へ』(中野勉訳、河出書房新社、2015年)は、ジャーナリスト・フランクのサルガドへのインタビューを自伝的に構成しなおしたものである。サルガドは、自分の過去の歩みと、人間、自然、文明についての考え、未来への期待などを率直に語っている。

以前の自分にはもどれない

 サルガドは、1944年にブラジルの農園に生まれた。独裁的な軍事政権に反発して、反体制的な政治活動に飛びこむ。逮捕、拷問を逃れるため、祖国を離れて、フランスに渡る。パリで経済学を学び、国際機構に職を得るが、仕事の関係で訪れたアフリカに魅了された。1973年、経済学の勉強をやめて、フリーの写真家へと転身した。
 1 「はじめに―『GENESIS』」は、巨大なカメを写真に撮るまでの手法を面白く語る文章で始まる。人間を撮るときと同様に、カメをうまく撮るためには、カメと顔見知りになり、向こうの波長に合わせることが必要だという(11~12頁参照)。カメと同じ背丈で歩き、カメの動きに合わせて前に進んだり、後ずさりしたりして、カメに「わたしはお前の領分を尊重しているんだ、ということをわかってもらうのにまる一日かかった」(12頁)。
 6 「若き活動家、若き写真家」では、何度もアフリカを訪れたサルガドと妻レリアが共有する世界観が語られる。「一方には何でも持っている人たちがいて、自由を満喫しており、もう片方には、何も持っていない人たちがいて、かつかつの暮らしをしている。威厳があり、かつ不当な搾取を受けているこの世界、これこそわたしが自分の写真を通してヨーロッパ社会に見せたいと思ったものだった」(60頁)。
 15 「ルワンダ」は、「二十世紀でももっとも大規模な民族殺戮の舞台」(121頁)を写真におさめたときの現場報告である。「壊滅的な状況」(124頁)に直面して、サルガドは心身ともに病む。「九ヶ月間、ほんとうにむごたらしい時間を過ごしたせいで、体も頭も自分のものじゃなくなってきていた」(125頁)。「結び」のなかで、サルガドはこう述べている。「『EXODUS』」のときは、わたしたちの種のなかでもいちばん深刻で、いちばん残酷な部分と対決して、人類にもう救いはないものと信じ込んでいた。『GENESIS』をやってみて、視点が変わった」(206頁)。
 16 「死に直面して」では、サルガドのルワンダ讃歌と、写真にこめる決意表明が語られる。「わたしはルワンダを愛している。ルワンダの労働者たちや農園、それから国立公園の美しさを撮ることにこだわっているし、同じようにルワンダでおかされた残虐行為も撮る。まさにルワンダを愛しているからだ。この恐ろしい時代、ありったけ心をこめてルワンダを撮った。みんなが知っているべきことだと思った。自分の時代の悲劇から身を守る権利なんか誰にもない。わたしたちみんな、ある意味で、自分が生きるのを選んだ社会のなかで起きることがらに対して責任があるからだ」(130頁)。
 17 「大地学院―現実となったユートピア」は、ウガンダの残酷な殺し合いの現実に心身が衰弱し、悲観主義にはまり込んだサルガドが、視線を人間から自然に変えて立ち直る道筋を明らかにする章である。サルガドとレリアは、経済的、社会的、政治的な要因で破壊される自然の生態系に関心をもつ。ふたりは、まずは足元に目を向け、両親から受け継いだブラジルの土地がすっかり荒廃している現実から出発し、植林を通じて大地と環境の再生をめざす。1999年の最初の植林から現在までに300以上の種の木が200万本植えられた。食物連鎖が復元されて、今ではジャガーまで戻ってきたという。2050年までには、渓谷全体で5000万本以上の植林が可能になるという(138頁参照)。
 19 「人間はどうなった?」では、再び人間が話題になる。サルガドの好奇心は、「人間が生きているそのままの姿、わたしたち全員が何千年か前に生きていた姿でいまも生きている人間たち」(151頁)に向かう。自然とのバランスを保って生活しているアマゾンの部族が写真におさめられた。自分たちの環境をよく理解し、周囲と共存している彼らの暮らしぶりから、自然を破壊し、自然から切り離された生活を余儀なくされている現代人の生態が浮き彫りにされている。「結び」のなかのことばが心に響く。「『GENESIS』」のおかげで意識するようになったのは、都市化の結果として自分たちを自然から切り離したせいで、わたしたちはとてもややこしい動物になってしまったということだ。この惑星と疎遠になったせいで、わたしたちは奇妙な存在になってしまった」(208-209頁)。この問題の解決の鍵は、「自然の方へ戻っていくことだ」(同頁)という。ひとつの確信が語られる。「惑星のほうへ戻っていくのが、よりよく生きるために唯一の方法だ」(210頁)。
 今福龍太は、「サルガドの『大地』とともに」と題する力のこもった解説の終わりでこう述べている。「セバスチャン・サルガドの世界を知ってしまった以上、誰ももうそれを知る前の自分にもどることはできない。ちょうど、彼を知った私が、知る以前の私をすでに想像することが不可能になっているのとおなじように。サルガドの提示してきた世界、人間をめぐる世界、そしていまや自然と野生をめぐる世界の示す、知性と情念の深み、豊かさ、その輝き、その沈黙は、私たちのかけがえのない宝である。サルガドは、この私たちにとってのささやかで至高の宝、すなわち『世界』というものについてのヴィジョンを、視覚によって押し広げてくれる、稀にみる見者にほかならないのである」(231頁)。
 よい本を読んだ後は、読む前とは違う人間になる。写真でも同じことだ。サルガドの写真には、視る者を変える力、視る者の思考を外へと開く力がある。想像力を介して世界の運命を見通すことの大切さも教えられる。この本のほぼ中間部には、彼の写真集『サヘル』『別のアメリカ』『人間の手』『EXODUS』『大地学院』『GENESIS』からの写真が挿入されている。それらを視てしまうと、今福の言うように、それ以前の自分にはもはやもどれない。

 サルガドの最新写真集『GENESIS』(TASCHEN GmbH, 2013)は、すでに述べたように、サルガドが過酷な人間性(human nature)から、地球の自然へと方向転換して撮影したものである。イサベラ島の巨大カメや、シロカツオドリ、南米大陸のイグアナ、アマゾンやアフリカの部族などの写真がもつ迫力は圧倒的である。いのちの惑星としての地球の姿を、視る者の心に刻みこまずにはおかない写真集である。ぜひ、じっくりと一枚一枚を見つめて、文明と自然、人間と生物、環境と生命について地球的な視野で考える機会を得てほしい。

 2015年の秋には、関西で畠山容平監督のドキュメンタリー映画「未来をなぞる 写真家・畠山直哉」が公開された。陸前高田市出身の畠山直哉が津波で壊滅的な打撃を受けた自分の故郷を何度も訪ね歩き、ひとや風景を撮影する姿を追いかけたものである。

 畠山直哉の『話す写真 見えないものに向かって』(小学館、2010年)は、畠山が国内外で行なった講演や、日本各地での講義録をまとめたものである。
 畠山は、石灰石鉱山とセメント工場の撮影から出発し、その後は、都市の概観や地下などをテーマにした写真を発表している。いま世界的に注目されている写真家のひとりである。
 この講演集は第一章「仕事について話す」と、第二章「歴史について話す」の二部構成である。この講演で、畠山という内省的な資質の写真家は、ときに自分の作品を分析し、ときに「写真を撮る、写真を見るとはどういうことか」「自分の写真の意味とはなにか」といった問題について日頃考えていることを率直に表現している。
 「私の場合」は、2009年に行われた、大学の新入生向けのレクチャーである。写真の道を進むきっかけをつくった高校時代の体験が語られる。汗だくになりながら単身、自転車旅行をしている最中に突然訪れたという出来事だ。「黙々とペダルをこいでいた僕の目に映るそのような景色が、まるっきり現実味のないものとして、まるで舞台の描き割りか何かのようにペラペラなものとして、感じられ始めたのです」(61頁)。自分と周囲の空間のつながりが消え、それまで見ていた山や海や道路が量感や奥行きを失って、作りもののようにしか見えなくなった。おきている出来事の理由がわからず、悲しくなり、知らないうちに涙が頬を伝わっていたという(同頁参照)。畠山は、自分に言い聞かせる。「何か『よくは分からないが、これは大切な体験なのかもしれない』」(同頁)。一種の離人症的体験を通して、自己と世界の隔たりだけでなく、自分の内側と外側の区別の曖昧さも意識されるようになった。
 写真というものに迷っている畠山に、大学時代の恩師は、説明的な要素をできるだけ省いた写真を撮ることを勧める。のちに、それが「世間的な意味の衣を脱がされてしまって、裸になったような印象を与えてくれる写真」(69頁)であることに気づく。そうした写真と、高校時代に見た、意味的なつながりを欠いた、ペラペラの光景とが重なり合う。畠山は、恩師のことを、「世間が人間的と思って安心しきっているさまざまなコミュニケーションの様式に対して、とても注意深い方だった」(70頁)と回想している。
 話の終盤で、畠山の芸術観が語られる。「芸術作品とは、誰が聞いてくれるかは分からないけれど、とにかく大きな世界に向かって、自分の驚きや、心の底から大切だと思うことを、声にして呼びかける、そのようにして生まれるものです」(77頁)。サルガドと共通する見方だ。

 「私の仕事について」は、2003年にヒューストン美術館で行なわれた。日本の写真史一五〇年を通覧する展覧会のオープニングでの講演である。このなかで、畠山は写真家としての歩みを振り返りながら、自身の変化と、思考の軌跡の一端を披瀝している。
 畠山の原点は、故郷の石灰石採掘現場での写真撮影である。その後、畠山は日本全国の鉱山にでかけるが、沖縄の鉱山で撮影して東京に帰る途中、巨大な穴を残して採掘された鉱物が東京のビルディングを支えていることに気づく。「山は私たちが都市で暮らす故に削られている。東京を鉱山と関係づけること。私が東京でも写真を少しずつ撮ることができるようになったのはそれからなのです」(128頁)。鉱山での撮影を通じて、都市の見え方が変化したというのである。写真を撮ることがなければ、故郷と都市をむすびつける視点は得られなかった。「つまり、写真が私を変えた。私が写真を『素晴らしい』ものであると思うのはこのような時です」(同頁)。
 都市の撮影体験にもとづく地図についての話が興味深い。畠山によれば、地図には垂直方向の移動に関しての情報が記載されていない(130頁参照)。「私たちの都市での移動は常に三次元的です。展望台に上るためのエレベーター、地下鉄に降りるための階段、土地不足のためにトンネルや橋として建設された東京の高速道路。都市の視覚的体験を特徴づけているのは、実は垂直軸に展開される視点の移動なのです」(130~131頁)。何年か仕事を続けて、畠山は、自分の都市の撮影が垂直軸に沿ってなされていることをはっきりと意識する。代表作のひとつである「川の連作」には、垂直の視点が如実に現われている。興味のあるひとは、視て確認してほしい。
 講演のおしまいで、『アンダーグラウンド』(2000年)の後書きが引用されている。「次に何をすればいいのかを、自分の撮った写真が教えてくれる時ほど心躍ることはない。幸い僕はそうやって写真に教えられながら、一つの石を蹴るようにして、いろいろな場所を回ってきた。石灰石の採掘場から始まった僕の石蹴りが、東京の地下の川まで来ることなど、昔の僕は全然予想していなかった」(134~135頁)。写真家の幸福な歩みが語られている。まずは、自分が石を蹴る。すると、自分の蹴った石が進むべき方向を示してくれる。石に導かれて、つぎの石を蹴る。また同じことがおこる。このようにして、写真家としての自己成長の旅が続くことになるのだ。しかし、これは写真家に限ったことではない。凡人であっても、自分でなにかをするということは、自分がしたことによって自分が教えられ、導かれていくことである。自己の発意が自己発見、自己創造へとつながっていくのだ。

 畠山直哉の写真集『陸前高田 2011-2014』(河出書房新社、2015年)は、大津波で変わってしまった故郷の姿を71枚おさめている。4年余りの間に生じた出来事が刻まれている。「陸前高田 バイオグラフィカル・ランドスケイプ」のなかに、心に残る一文がある。「大津波によって、僕は自分が、なんだか以前よりも複雑な人間になったと感じている。複雑といっても、別に良いこと、というわけではない。むしろ良いこと、悪いことと簡単に言い当てることができないような事象が、自分の目の前に大量に出現し、それに手をこまねいたり考え込んだりしているうちに、世間で交わされている単純な物言いのほとんどが、紋切り型の欺瞞や無駄としか聞こえなくなってしまった、そのような、気むずかしい男になってしまったということだ」(154頁)。ひとには、自分を変えることによって生きていく面がある。しかし、襲いかかってくる出来事によって、変えられてしまい、その変化にとまどいながら生きていかざるをえない面もある。この写真集は、風景の記録を通じて、「『未曾有の出来事』」(155頁)に向きあうひとりの人間の内省を照らしだしている。

人物紹介

サルガド【Sebastião Salgado】[1944-]

ブラジルの写真家、フォトジャーナリスト。ブラジル南東部のアイモレス生まれ。ブラジルのビトリアで法律を学び、サン・パウロ大学とアメリカ、テネシー州のバンダービルト大学で経済学を修めた後、1971年よりロンドンに本拠をおく国際コーヒー機構に勤務。アフリカでの現地調査を進めるうちに、写真家への志向が芽生え、73年より写真家として活動開始。同年アフリカのサヘル地域の干魃(かんばつ)を取材した写真が高く評価される。その後、ドイツのシグマ通信社、パリのガンマ通信社などに所属し、84年より写真家集団マグナム・フォトスの正式メンバーになる。86年ラテンアメリカ各地で撮影したシリーズ『もう一つのアメリカ』Other Americas、アフリカを取材した『サヘル』Sahelを出版、国際的なフォト・ジャーナリストとして名を馳せた。92年にハイテク化と脱工業化の影に隠された肉体労働者の作業現場を取材したシリーズを完結させ、93年に『人間の大地 労働』Workersとして出版する。2000年、難民、亡命、移民をテーマに40以上の国と地域を取材した『移住者』Migrationsを出版。[深川雅文]
" サルガド", 日本大百科全書(ニッポニカ), JapanKnowledge, http://japanknowledge.com, (参照 2015-10-26)

畠山直哉 【はたけやま-なおや】 [1958-]

写真家。岩手県陸前高田市に生まれる。1981年(昭和56)筑波大学芸術専門学群総合造形コース卒業。84年同大学院芸術研究科修士課程修了。大学2年のときより大辻清司(きよじ)に写真を学び、在学中から写真作品を発表しはじめる。以後、日本国内およびフランス、イギリス、イタリア、ドイツ、アメリカなどで個展を開催、また国内外で数多くのグループ展に参加。94年(平成6)イングランド中央部レイコックのフォックス・タルボット博物館で滞在研究。96年アメリカ、カリフォルニアのジェラシ・レジデント・アーティスト・プログラム(アーティスト、パメラ・ジェラシPamela Djerassi(1950―78)を記念してその両親により設立されたNPOによる滞在制作プログラム)に参加。写真集『Lime Works』(1996)と個展「都市のマケット」(1996、ギャラリーNWハウス、東京)により97年木村伊兵衛写真賞受賞。写真集『Underground』(2000)により東川(ひがしかわ)町国際写真フェスティバル国内作家賞、毎日芸術賞受賞。2001年、ミレニアムを記念し、1000人のアーティストが全英1000か所で滞在制作するThe Year of ArtistとJapan 2001という二つのプログラムの参加企画として、イギリス、ベッドフォードシャー県ミルトン・キーンズでレジデント・アーティストとして制作、また同年ベネチア・ビエンナーレ日本館「ファスト&スロウ」に出品。2002年には国内(岩手県立美術館、国立国際美術館)およびドイツ(クンストフェライン、ハノーバーほか)でそれぞれ大規模な回顧展が巡回した。[増田 玲]
" 畠山直哉", 日本大百科全書(ニッポニカ), JapanKnowledge, http://japanknowledge.com, (参照 2015-10-26)

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