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空海の魅力 ― 異次元の実存 ―

推薦文 :和田 渡 (経済学部 教授)

 空海(774~835)は24歳の若さで「聾瞽指帰」(ろうこしいき)と題する戯曲仕立ての読み物を書いた。後に、「三教指帰」(さんごうしいき)と改題され、序文と末尾の詩文が書き改められた。空海『三教指帰ほか』(福永光司訳、中公クラシックス、2003年)には、「三教指帰」と「文鏡秘府論 序」の日本語訳とオリジナルの漢文が収められ、また、本文の頁数を凌駕する緻密な注がつけられている。冒頭の解説を書いた松長有慶は、こう記している。「空海の思想では、動植物のみならず、森羅万象、生命をもたぬと思われている石ころや土砂、風や水、星や月など一切の存在物が六大よりなり、仏の世界の象徴的な表現であり、いずれも生命をもつと主張したところに特色がある。(中略)現代社会においても、改めて評価されるべき思想といえるだろう」(11~12頁)。今日では、韓国の詩人のキム・ジハや日本の石牟礼道子などが同じ考え方を強調している。
 若き空海の勉学への情熱はすさまじい。漢籍を読みふけり、記憶術の修行にも専念している。漢字と梵字、唐語もマスターしている。15歳くらいで入学した平城京の大学では、論語、考経、礼記、春秋左氏伝などの儒教的な「経書」のみならず、道教的な「緯書」も学んでいる。仏教の学習は言うに及ばない。

空海の魅力

 しかし、大学で勉学だけに励むことに違和感をもちはじめた空海は、大学を捨て、「山林出家」を敢行し、修行の道につき進むことになる。「なぜ出家するのか」、その動機を語っているのが「三教指帰」である。
 「三教指帰」は、「序」と「亀毛(きもう)先生の論述、虚亡(きょむ)穏士の論述、仮名乞児(かめいこつじ)の論述」の3巻からなる。空海は、「序」で、自分の青春を回顧している。それによれば、空海は在学中に、ひとりの僧侶から「虚空蔵聞持(こくうぞうもんじ)の法(虚空蔵菩薩の説く記憶力増進の秘訣)」を教示される。その秘訣とは、この菩薩の真言を百万遍唱えれば、あらゆる経典の教えの意味を理解し、暗記できるようになるというものである(3~4頁参照)。これを仏陀の真実のことばと信じた空海は、山野での修行に身を投じた。「阿波の国の大滝岳によじのぼり、土佐の国の室戸岬で一心不乱に修行した」(4頁)。その果てにおとずれた神秘的な体験はこうしるされる。「その私のまごころに感応して、谷はこだまで答え、虚空蔵菩薩の応化とされる明星は、大空に姿をあらわされた」(同頁)。原文は、「谷不惜響 明星来影」(6頁)である。この体験を通じて、世俗の栄達よりも、山林の修行生活を望む空海の意志は強固になった。しかし、何人かの親友知己が空海の出家を引きとめようとしたため、空海は、それに抗するために「三教指帰」を書き、世間出離の教理を説き、出家宣言書としたのである。
 「三教指帰」の意味は、儒教、道教、仏教という三つの教えの帰着点を指し示すということである。唐の時代にはこれらの宗教を比較して論ずることが盛んに行なわれていたといい、「三教指帰」はそれに範を求めたものである(15頁参照)。

 「亀毛先生の論述」は、儒教の立場、考え方のエッセンスをまとめたものである。兔角公の館をおとずれた亀毛先生は、「親戚に、虎のように凶暴で、深酒を飲み、非道のかぎりをつくし、周りが手を焼いている青年がいるので、説教してほしい」と依頼される。亀毛先生は、「愚者は変えようがない」(23頁)と一度は断るが、「青年の心を治療し、正しい道に引き戻してほしい」と再度懇願されて、やむなく儒教の教えを語り始める。いくつか引用してみよう。「賢知の人間は優曇華(うどんげ)の花のように稀であり、痴愚のやからは鄧林(とうりん)の木だちのように無数でありますが、そのために善を願う者は麟の角のように数少なく、悪に溺れるやからを竜の鱗よりも多くひしめいているのです」(25頁)。「人は類をもって集まる」(26頁)。「人は環境によって本性を変えられていき、(中略)心も汚染されていく」(同頁)。「学問せずに道理が悟れ、教えにそむいて物の道理がわかったためしなどありえない」(27頁)。ふらちな青年にはこう説教する。「悪に染んだ心を入れかえて、ひたすら孝の徳を実践すれば、父の死に血涙を流し、母を大切にして黄金の甕を掘りあて、厳冬に筍を引きぬき、氷のなかから鯉を踊り出させるという感応奇蹟は、そのかみの孟宗や丁蘭のやからにもまさって、日に日に善に進む美徳の名声を馳せるであろう」(30~31頁)。説教の核心はこうだ。「良い場所をえらんで住居とし、よい土地をえらんで住宅とし、道を床として据え、徳を褥として設け、仁を敷物として座り、義を枕として横たわり、礼を蒲団として寝、信を着物として歩くことが大切である。日に日に身の行ないを慎み、季節ごとにおさおさ怠りなく、せっせと努力研鑽し、ひたすらに膳をえらんで実践していく。典籍はどんな忙しい時でも手から離さず、筆記具はどんなあわただしい時でも身につけていく」(32頁)。儒教的な徳を身につけるのは容易ではないだろうが、「本と鉛筆、ノートを肌身離さずもち歩く」のは、その気になれば簡単にできることだろう。説教はこうしめくられる。「早くそなたの愚かな惑いを改めて、ひたすらこのわたしの教えを学んでいくことだ。(中略)孔子さまの言葉に“耕していても飢えることはあるが、学問をすれば俸禄はそこにおのずから得られる”とある。いかにもそのとおりだ。この言葉を帯にかきとめ、骨に刻みこむべきである」(35頁)。青年が改心し、亀毛先生の説教が称賛されて話が終わる。

 「虚亡穏士の論述」は、道教の立場を明らかにする。亀毛先生の説教を傍らで聴いていた虚亡穏士は、こう批判する。「どうしておのれ自身の重病を癒しもせず、たかが他人の足の腫れやまいぐらいをむやみとあばきたてるのだ。きみのような治療の仕方なら、治療せぬ方がましというものだ」(103~104頁)。びっくり仰天の亀毛先生は、おのれを恥じて、「どうか先生、お願いします。万物の目ざめをうながす春雷のおみちびきを、どうか惜しみなくお与え下さい」と懇願する。虚亡穏士は、「道教の最高に深淵な教説など凡人の耳に届こうはずはなく、元始天尊の秘密の道術もかろがろしく口にするわけにはいかぬのである」(104頁)と一旦は断る。再度の依頼に、「祭壇を築いて誓いを立てる」(105頁)という条件を提示し、それが果たされたあと、こう話し始める。「そなたたち謹んで聞くがよい。今こそそなたたちに不死の妙術を授け、長生の秘訣を教えてあげよう」(105頁)。道教は反世俗的な生き方を強調する。「およそ世俗の人々の熱愛するものは、求道者にとっては大いなる禁忌なのだ。もしそれらから離れることができれば、仙人となることも、むつかしいことではない」(108頁)。道教の教えによれば、世俗のひとびとが好む五穀や、辛味、酒、肉類、美女、音楽舞踊、過度の笑い、喜び、極端な怒り、悲しみなどの感情の高ぶりは生命を損ないやすいがゆえに注意して遠ざけるべきである。体内の気を養う松脂や楮の実を食し、呼吸に気を配り、適切な薬物を摂取すれば、「老いた肉体を若がえらせ、白髪を黒々とさせ、長生きをし寿命を延ばし、死者の名簿から幾たびも姓名が削られ、とこしなえに生きながらえることができる」(109頁)。道教の秘術はこう語られる。「心に任せてのびのびと寝そべり、気のむくままに昇りつ降りつする。淡白で無欲、ひっそりとして声なき”道”の根源的な真理と一体となり、天地とともに悠久の寿命を保ち、日月とともに生の愉楽も永遠である」(119頁)。それに対して、世俗の生活はこう描写される。「貪欲に縛りつけられて、心を苦しめこがし、愛欲の鬼に呪縛されて、精神を焼きつくしている。朝夕の食事のためにあくせくし、夏冬の衣服のために追いまわされ、浮雲のように定めない富をこいねがい、泡のように空しい財物を蓄えこみ、身のほどしらぬ幸せを追い求め、稲妻のようにはかないこの身をいとおしんでいる」(110頁)。こうして、虚亡穏士の話を聴いたものたちが、「これからというもの、一心不乱に精神を練り鍛え、永く道教の教えをじっくりと学んでいきたいと思います」(111頁)と跪いて言う場面でこの巻が終わる。

 最後に来るのが、仏教の立場を旗幟鮮明にする「仮名乞児の論述」である。亀毛先生と虚亡穏士の論戦の場にばったりと行きあわせた仮名乞児は、こう考えた。「溜り水のようにぽっつりとした弁舌、たいまつの火のようにちっぽけな才気の輝き、それでもこの程度にはやれる。ましておのれは法王すなわち仏陀の子である。いでや虎豹(こひょう)の威力をもつ鉞(まさかり)を抱きかかえ、蟷螂(かまきり」のちっぽけな斧(おの)を取り拉(ひし)いでくれよう」(166頁)。ふたりを説き伏せる、圧倒的に迫力に満ちた弁舌が開始される。「きみたちは最も偉大な覚れるものの教え、真理の帝王の道である仏教について聞いたことはないのか。いまきみたちのためにその教えの要点をあらまし説明して聞かせよう」(167頁)。
 まず、輪廻転生する世界の姿が語られる。この世界には、その起源から現在にいたるまで、切れ目などなく、現在から起源にいたるまでにも固定したあり方は存在しない。それは、円い輪のように無始無終であり、天・地獄・餓鬼・畜生・修羅・人という六種のコースを驀進するのである(168~169頁参照)。
 つぎに、<無常の賦>が語られる。ありとあらゆるものは、刻々と姿を変えていき、恒常的なものはなにもないという諸行無常的な世界観である。そのエッセンスがこう表現されている。「われわれ凡夫は、あたえられた体は金剛石でもなく、生まれついたこの身は瓦礫のように脆いものである。この身を構成する五つの要素は、水に映った月影が借りもののように虚妄であり、世界を構成する四つの元素は、かげろうの束の間の存在である以上に移ろいやすい」(172頁)。諸行無常の悲惨な顚末を聞かされた亀毛先生らは、ひどく動揺し、悲しく痛ましい気持ちになって、涙が止まらない。彼らはそれまで奉じていた道が浅薄なものであることを悟り、悔い改めて、仏道の究極を教えてほしいと願う。
 <生死界の賦>はそれに答えるものである。この賦では、まず、生死界が欲界・色界・無色界のすみずみまでをおおいつくし、東西南北の四天下の外をも取り巻いて広がり、無窮であると語られる。それはまた、一切の存在を生み出し、数かぎりないものを総括するだけでなく、あらゆるものを受け入れもしている。その世界では、「さまざまなものが重なりあい、いろいろなものがおびただしく集まりあっている。そこではどんな不思議なものも生育し、どんな奇怪なものも豊富にそろえられている」(178頁)。貪欲な魚類もいれば、怒りっぽいもの、ひどく愚かなもの、ひどく欲張りなものもいる。へつらいだます鳥類、存在汁物、悪口を言うもの、おしゃべり、怒鳴りちらすもの、人の顔色をうかがうものも多い(179頁参照)。雑多な動物類もいる。その性格描写が面白い。「おごりたかぶりと腹立ち、ののしりと嫉み、自己讃美と他人の誹謗、遊蕩放逸と恥知らずの厚顔、不信心、無慈悲、邪淫、憎悪と愛着、栄誉と汚辱、殺し屋の仲間、闘争内紛の一味などがあり、外形は同じでも心はさまざまで、種類も異なり、名目も違っている」(179頁)。この世界では「不殺生・不偸盗(ちゅうとう)・不邪淫・不妄語・不綺語(きご)、不悪口(あっく)・不両舌・不貪欲、不瞋恚(しんに)・不邪見の十種による精進の車も強大な邪悪の力に引きずられて悪魔鬼神の近くへと、音すざまじく駆けてゆく」(180頁)。
 生死の海から抜け出て、彼岸の岸に渡るためには、布施・持戒・忍辱(にんにく)・精進・静慮(じょうりょ)・智慧という六種の修行が必要であり、煩悩の漂う迷いの河から船出するためには、正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定の「八正」が不可欠である。その他の修行を通じて、世俗的な世界を超越することによって、究極的には、仏道の最高の境位に到達できるとされている。こうした厳しい終業をおのれに課すためには、世俗の世界にとどまっていてはならない。かくして、空海は、「三教指帰」のおしまいに、つぎの詩をおいた。


  感覚知覚の世界は衆生を溺れさせる海、
  常楽我浄の世界こそ身を寄せる究極の峰。
  この世界の束縛の苦しみを知ったからには、
  宮仕えなどやめて出家するこそ最上の道。

  「三教指帰」を書いた後、唐に渡るまでの数年間、つまり、20代後半の空海が、いったいどこで、どのような生活をしていたかは知られていない。出家の徹底が図られたせいかもしれない。この身を賭して行なう出家修業が、のちに巨人的な僧侶となる空海の土台をつくった。

  高村薫の『空海』(新潮社、2015年)は、空海についての文章を依頼され、空海の書いたものを読み、修業を行なっていた場所や高野山などをカメラマンとともに訪ね歩いている間に、「私は誰よりも生きた空海その人に会ってみたい」(185頁)と願うにいたるまでの高村の思索がしるされた出色の評伝である。これまでに書かれた、ほとんどが男性である学者や研究者による、一定の距離を置いた冷静な空海論と違い、高村はその距離をちぢめ、次第に生身の空海に出会いたいという情熱に突き動かされるようにして、しばしば情感のこもった文章を刻んでいく。カラー写真も数多く掲載されていて、空海の世界が近くなる。
 「初めに」で、高村は、1985年1月の阪神淡路大震災に遭遇して以来、「手さぐりで仏教書をひもとき、仏とは何かと考え続けて今日に至っているが、それでも信心なるものにはいまなお手が届かない」(6頁)と述べている。本書は宗教への関心を深めた高村の、空海への旅の記録である。その旅を終えた高村は、巻末の松永長慶との特別対談のなかでこう語っている。「東日本大震災や世界各地の無差別テロといった現実を目の当たりにしますと、信心のない人間でももはや言葉の論理で太刀打ちできないのを痛感します。理屈を超えて身体じゅうで悲しむこと、共感すること、受け入れること、向き合うことができるのは、宗教だけです。そういう意味で二十一世紀に宗教はあらためて必要とされていると思います」(188頁)。

  頼富本宏の『新版 空海と密教 「情報」と「癒し」の扉をひらく』(PHP研究所、2015年)は、人間空海の思想と行動を、「情報」と「癒し」という観点から取りあげている。著者は、空海が828年に創設した日本最古の学校である「綜芸種智院」(現在の種智院大学)の特任教授(2015年現在)であり、真言宗実相寺(神戸市)の住職である。内容の理解は容易ではないが、文章は明快に書かれている。この本を読むと、著者が「はじめに」で述べている「空海という人間は、時代(時間)と地域(空間)を越えて私たちに発信する内容と意義を多分に備えているということを確信している」(4頁)という言い方を素直に肯定できる。空海の全体像をつかむのには最適の本である。

人物紹介

空海 【くうかい】 [774-835]

平安初期の僧。真言宗の開祖。讚岐(さぬき)の人。俗姓、佐伯氏。諡号(しごう)、弘法大師。延暦23年(804)入唐、翌々年帰朝。高野山に金剛峰寺(こんごうぶじ)を建立し、東寺(教王護国寺)を真言道場とした。また、京都に綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)を開いた。詩文にもすぐれ、書は三筆の一。著「三教指帰(さんごうしいき)」「十住心論」「文鏡秘府論」「篆隷(てんれい)万象名義」「性霊集」など。遍照金剛。
" くうかい【空海】", デジタル大辞泉, JapanKnowledge, http://japanknowledge.com, (参照 2015-12-16)

高村 薫 【たかむら-かおる】 [1953-]

小説家。大阪の生まれ。本名、林みどり。リアリティーに満ちた社会派ミステリーで人気を集める。描写力の確かさに定評があり、映像化された作品も数多い。「マークスの山」で直木賞受賞。他に「黄金を抱いて翔(と)べ」「リヴィエラを撃て」「レディ・ジョーカー」など。
" たかむら‐かおる【高村薫】", デジタル大辞泉, JapanKnowledge, http://japanknowledge.com, (参照 2015-12-16)

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