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ことばと「私」―ラヒリとペソアの経験―

推薦文 :和田 渡 (経済学部 教授)

 多くのひとは、生まれた地域で話されることばを聞いて、やがて話し始め、読み、書くようになる。しかし、なんらかの事情で生活の場所が変わると、つきあうことばも変わってくる。幼少期にふたつのことばとの関係を強いられると、ひとによっては、生活のバランスが崩れ、生が困難なものになる。ことばによって生きることの自然なリズムに乗りきれず、ことばに抗しながら、しかもことばによって生きざるをえないという屈折した生がおとずれるからだ。
 ひとは、しばしば場所の移動を迫られるが、ことばとのつきあいから追放されることはない。生きるということは、多くの場合、ことばのなかに生まれ、ことばによって、ことばとともに、あるいは、ことばに逆らって生きるということだ。ことばが生の享受をうながすこともあれば、生の苦しみをもたらすこともある。
 今回は、とりわけことばが重い意味をもつふたりの作家の本を紹介しよう。

 ジュンパ・ラヒリの『べつの言葉で』(中嶋浩郎訳、新潮社、2015年)は、三つのことばを意識して生きることを余儀なくされた女性の自伝的なエッセイ21篇と掌篇2篇を集めたものである。ラヒリの小説には、ニューヨーカー新人賞、ピュリツァー賞などを受賞した短篇集『停電の夜に』、長篇『その名にちなんで』などがある。
 ラヒリ(1967~)は、ロンドンに生まれたが、両親はカルカッタ出身のベンガル人である。幼少期にアメリカに移民の娘として渡り、ロードアイランド州で育った。両親から家庭内での英語は禁止され、外では英語しか話せない窮屈な環境のもとで過ごした。ベンガル語という自分の母語が、周りからはほとんど顧みられることのない国に住み、家族に隠すようにして話す英語に対する疎外感が生まれた。他方で、ベンガル語を自由に話せなくなっていく自分のなかにもどかしさが生じてくる。母語と外国語との間で揺れ動く日々が続く。
 ラヒリは、日常生活の主たる言語としての英語の傍らで、20年間、イタリア語を学び続ける。なによりもイタリア語の響きに魅了されたからだ。その後、大西洋を横断して、夫とふたりの子供とともにローマで暮らし始める。イタリア語とのつきあいは熱を帯びる。ことばをおぼえて話すだけでなく、イタリア語で文章を書き、添削を受けるという経験を重ねていく。この本は、イタリア語で書かれた。
 「壊れやすい仮小屋」のなかで、彼女は、ことばに対する特別な感情をこうしるしている。「もしわたしの心を打ったり、混乱させたり、苦しめたりすること、要するにわたしを反応させるあらゆることを理解したければ、それを言葉にする必要がある。ものを書くことはわたしにとって、人生を消化し、秩序立てるただ一つの方法なのだ。そうでなければ、わたしは人生にうろたえ、ひどくかき乱されるだろう」(58~59頁)。人生には、ささいなことであっても、その意味がよくつかめないことがおきる。人生は、不可解なこと、不安なこと、感動すること、怒りに震えることの連続でもある。だが、その経験のひとつひとつは、ことばにして、確かめなければ、あるいは、その隠された意味を探ろうとしなければ、すぐに記憶の底に埋もれてしまう。大切なはずの経験でも、時間が経つと、二度とよみがえってこない場合も少なくない。ラヒリの言うように、ことばこそが生きられた経験の意味をあきらかにし、経験を見つめなおすことを可能にする。ことばが彼女の人生においてもつ比類なさは、こう表現されている。「子供のころから、わたしはわたしの言葉だけに属している。わたしには祖国も特定の文化もない。もし書かなかったら、言葉を使う仕事をしなかったら、地上に存在していると感じられないだろう」(59頁)。
 「三角形」のなかで、ラヒリは、母語としてのベンガル語、継母としての英語とのつきあいを振りかえったあと、第3の言語としてのイタリア語の勉強がもたらした変化について詳しく語っている。アメリカでの就学前の4年間、ベンガル語は使うと心の休まる言語だったが、6、7歳頃から英語の使用が優勢になるにつれて、継母の力が強まる。しかし、家のなかではベンガル語の生活が続く。「わたしはこの二つの言語の間で迷い、苦悩していた。二つの言語を行ったり来たりすることで混乱していた」(96頁)。「わたしのこの二つの言語は仲が悪かった。相容れない敵同士で、どちらも相手のことががまんできないようだった。その二つが共有しているものはわたし以外に何もないと思ったから、わたし自身も名辞矛盾なのだと感じていた」(96~97頁)。ラヒリは、ベンガル語を話すことを恥じながら、同時に恥と感ずることを恥じた。他方で、彼女はアメリカで生きていくためには、完璧な英語を話さなければと意識していた(98頁参照)。
 彼女の言語遍歴にイタリア語が加わって、言語の三角形が形成される。「三つめの点ができることで、昔から仲が悪かったカップルの力学が変化する。わたしはこの不幸な二つの点の娘だが、三つめの点はその二つから生まれるのではない。わたしの願い、努力から生まれる。わたしから生まれるのだ」(99頁)。こうして、彼女は、「わたしの人生における英語とベンガル語の長い対立から逃れること」(同頁)が可能になり、母も継母も拒否した自立の道が開けたと感じる。しかし、イタリア語の理解が深まるにつれ、自分の英語力不足を痛感することになり、英語を見直す道も開かれてくる。
 ラヒリは、この言語の三角形が自分の自画像が収まる額縁のようなものと感じ、そのなかに明確な自分の姿を見たいと願う。しかし、自分のなかで母と継母の対立を生きてきたために、「揺れたり、歪んだり、隠れたりしている姿」(102頁)しか見えない。求めたものが得られない。「鏡が空白しか映さないのではないか」(同頁)と恐れる。そこからひとつの結論が導かれる。「わたしはこの空白、この不確かさに源を持つ。空白こそわたしの原点であり、運命でもあると思う。この空白から、このありとあらゆる不確かさから、創造への衝動が生まれる。額縁の中を埋めたいという衝動が」(同頁)。
 「変身」では、この原点としての空白からの逃走が主題となる。ラヒリは、逃走と小説を書くという試みをむすびつける。そのなかで、ひとつの発見がなされる。それが、「登場人物の中に隠れ、自分自身から逃れる方法」(108頁)、「次から次へと自分を変化させるというやり方」(同頁)だった。変身への欲望が、作家への道を後押しした。彼女は、変身を生きたひとりの作家、「自分自身の四つのヴァージョンを作りだした作家フェルナンド・ペソア」(109頁)を身近に感じる。ペソアが、「別々に異なる四人の作家を作りあげ、それによって自身の境界を越えることができた」(110頁)作家と映ったのである。

 フェルナンド・ペソアの『新編 不穏の書、断章』(澤田直訳、平凡社、2013年)は、ラヒリが強い意味をこめて用いる「変身」ということばを借用すれば、自意識の変身する姿をくまなく見極めたいという意志に貫かれた、果てしのないモノローグの集積である。
 フェルナンド・ペソア(1888~1935)は、リスボンに生まれた。5歳のときに父親が亡くなる。母親の再婚相手の仕事の関係で、1896年から1905年まで、現在の南アフリカ共和国のダーバンでイギリス風の教育を受けて育つ。そのせいもあって、外国語としての英語は、母語であるポルトガル語よりも熟達したという。ペソアがポルトガル語で詩や散文を書き始めたのは20歳になってからのことである。1906年にリスボン大学文学部に入学するが、翌年退学。1908年から、英文や仏文の商業文作成業務に就き、生活の糧を得た。独身をつらぬき、仕事以外の時間を詩文や散文、断章の作成にあてた。ペソアという名前のほかに、3つの異名を用いた。
 ペソアの省察のキーワードのひとつは、「意識」だ。ものに意味を与えるのも、ことばの手前で感じることも、夢を見るのも意識の多彩な働きのごく一面である。ペソアは、なによりも自分自身の存在を意識し、その意識を意識する。スイスの詩人・哲学者のアンリ・フレデリック・アミエル(1821-81)がたどった道である。アミエルは、1万7000ページにものぼる内省的な日記を書き残した。ペソアは、「不穏の書」の断章123で、こう述べている。「アミエルの日記は私を常に苦しませた。その原因は私自身にある。/精神の果実が彼のもとに『意識の意識』のように落ちてきたと書かれた箇所まで来たとき、そこで私は自分の魂のことが語られていると感じた」(322頁)。自意識の球体に閉じこめられたアミエルは、「意識の意識」が自己の崩壊を招くことを知りつつも、そこから逃れられなかった。ペソアは、アミエルとは逆に、意識することのいくつもの可能性に賭けた。ソクラテスは、自分の無知に気づかずに生きているひとびとに「汝自身を知れ」と語りかけたが、ペソアは、「『意識的に汝自身を知るな』」(308頁)、「意識的に自分自身を知らないことは、能動的に逆説を使うことに他ならない」(308頁)と述べた。「自分自身を知らないという状態を辛抱強く、かつ表出的に分析すること、人間の意識の無意識を意識的に書き留めること」(同頁)を偉大な人間の課題であると考えたからだ。
 ラヒリは、言語の三角形の額縁のなかに自分の求める姿を見つけられなかった。ペソアは、自分の魂のなかをじっとのぞきこみ、変転する自己の姿をたえず追い求めた。「断章」26と33を引用してみよう。

     私たちのなかには 無数のものが生きている
     自分が思い 感じるとき 私にはわからない
     感じ 思っているのが誰なのか
     自分とはたんに 感覚や思念の
     場にすぎないのだ (32頁)

      私の魂は隠れたオーケストラだ。私の中で演奏され鳴り響いているのがどんな楽器なの
     かは知らない。弦楽器、ハープ、ティンパニー、太鼓。私は自分のことを交響曲として
     のみ知っている。(36頁)

 自分の心をよくのぞくひとには、共感できる断章だろう。心のなかには、事物のように特定の位置を占めるものがない。心象や感覚や思念は、つかのま現われて、沈んでいく。それらに感情がむすびつくと、直ちに内界の表情が変わる。心のなかではまた、意識が過去、現在、未来を自由に行き来し、内部の空間を光と闇の交錯する風景へと変えている。私の内部は、多様な意識が相互に浸透するはてしない舞台なのだ。
 ペソアの視線は、こうした風景をみつめる「私」の方にも向かう。この「私」とは誰なのだろうか。この「私」の背後に回って、その姿をとらえることはできない。内部を見つめる「私」は、見つめられる「私」にはならないのだ。ペソアは、断章43でこう書く。「わたしとは、私と私自身とのあいだのこの間である」(40頁)。われわれとは、まさしく私と私自身との間を生きる存在なのであり、石や岩のように、それ自身とひとつになって存在することはできない。「間」はわれわれの現在に偏在する亀裂であり、それを通じて「私」にいくつもの心象的な世界が開かれる。断章29と36には、私と私自身の間の「へだたり」によって生まれる光景が印象的な仕方で切りとられている。

     私は自分自身の風景
     自分が通るのを私は見る
     さまざまにうつろい たったひとりで
     私は自分がいるここ・・に 自分を感じることができない (34頁)

      私は自分自身の旅人
     そよ風の中に音楽を聞く
     私のさまよえる魂も
     ひとつの旅の音楽 (38頁)

 ペソアの描く「私」は、「私」によって見られる「私」であると同時に、「私」の存在を見つめる「私」でもある。しかし、後者の「私」は「ここ」という特定の場所にはいない。この「私」は、不断に「ここ」をすり抜けている、いわば「不在の中心」なのだ。ペソアはこうも言う。「ある瞬間の私が、次の瞬間にはまるで別人になっている」(101頁)。モンテーニュ(1533~1592)は、食事の前後ではひとが変わるという意味のことを述べたが、
ペソアにとって、生きるとは、まさに別人になること(80頁参照)、刻々と推移して、別の存在へと姿を変えることにほかならなかった。ときには、その姿が風景となって現われてくる。ときには、ペソアの魂が旅の音楽として聞こえてくる。

 ペソアは誰も愛したことがなかった。アミエルと同様に生涯独身をつらぬき、書くことに徹した。「いちばん愛したものは、自分の感覚だ―つまり意識的に見るという状態、耳をそばだてるときの聴覚の印象、香り(中略)―こういったものこそが、他のなにより多くの現実と感動を与えてくれるのだ」(223頁)。ペソアにとって、「私」とは、「あらゆるもの―自分の心も含めて―の通行人」(同頁)であり、「非人称的な感覚の抽象的な中心、偶然に世界に落ちてきて、その多様性を映し出す感覚する鏡」(223~224頁)でしかなかった。

 ことばは、ひととひととの間をむすびつけ、対話の場所を開く。ペソアは、ことばによって「私」と「私」との間を意識し、自分との対話に生きた。

人物紹介

ジュンパ・ラヒリ 【Jhumpa Lahiri】 [1967-]

1967年、ロンドン生まれ。両親ともカルカッタ出身のベンガル人。幼少時に渡米し、ロードアイランド州で育つ。大学・大学院を経て、99年「病気の通訳」でO・ヘンリー賞受賞。同作収録のデビュー短篇集『停電の夜に』でニューヨーカー新人賞、ピュリツァー賞ほか独占。2003年、第一長篇『その名にちなんで』発表。08年刊行の『見知らぬ場所』でフランク・オコナー国際短篇賞を受賞。13年、長篇小説『低地』発表。本書は夫と二人の息子とともに移住したローマで、イタリア語で書かれた初のエッセイ集―本書より

ペソア 【Fernando Pessoa】 [1888-1935]

ポルトガルの詩人・評論家。本名のほか、アルベルト=カエイロ、リカルド=レイス、アルバロ=デ=カンポスという三つの筆名をもち、それぞれ異なる作風の詩を発表した。
" ペソア【Fernando Pessoa】", デジタル大辞泉, JapanKnowledge, http://japanknowledge.com, (参照 2016-04-22)

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