蔵書検索(OPAC)
HOME > 資料案内 > 新しく入った本 > おすすめの一冊
新着資料 ベストセラー 学生の購入リクエスト
映画・ドラマの原作 テーマ図書 おすすめの一冊
おすすめの一冊 本学の教員や図書館員のおすすめの本を紹介します。
 

前の本へ

次の本へ
北欧への窓を開く―物語の調べが聞こえてくる―

推薦文 :和田 渡 (経済学部 教授)

 イサク・ディネセンの3冊目の著作である『冬の物語』(横山貞子訳、新潮社、2015年)は、ナチス・ドイツ占領下のデンマークで1942年に出版された。第一作は『七つのゴシック物語』(1932)で、このなかには、映画化され人気を博した「バベットの晩餐会」も含まれている。第二作が彼女を世界的にもっとも有名にした『アフリカの日々』(1937)である。
 ディネセン(本名は、カーレン・クリステンツェ・ブリクセン[1885~1962])は、コペンハーゲンの北に位置するルングステッドで生まれた。10歳のときに、父親が自殺する。1913年、28歳のときにスウェーデンのブロル・フォン・ブリクセン男爵と婚約した。婚約者が当時のイギリス領東アフリカ(現在のケニア)でコーヒー農園の経営を希望していたため、翌年ケニアで結婚した。その翌年、夫から梅毒が感染し、ヨーロッパで治療するも、完治することはなかった。1925年に離婚が成立する。ディネセンは農園を続けたが、経営はうまくいかず、失敗者として帰国した。その後、物語の比類ない創作者としてよみがえった。
 『冬の物語』は、11の短編からなる。いずれも、架空のお話であるが、味わい深い傑作ばかりだ。最初の短編「少年水夫の話」は、こう始まる。「三日続いた激しい嵐のあと、陰鬱な空の下を、帆船シャルロッテ号はマルセイユからアテネをめざして公海を進んでいた。シモンという小柄な少年水夫が、揺れる濡れた甲板に立ち、支策につかまって、流れる空を見上げていた。メイン・マストのてっぺんの帆桁に目をやった」(6頁)。少年は、解けた索が脚にからまってもがいている鳥をみつける。「『あの鳥はおれとおなじだ。あの時はあそこにいて、今はここにいる』」(7頁)と思った少年は、その鳥が何年も前に見たハヤブサに違いないと確信する。仲間意識を感じた少年は、身の危険をかえりみず、マストのてっぺんまで登って、ハヤブサをもつれた綱から解き放ち、逃がしてやった。

 2年後、少年は、ノルウェー海岸の北のボーデを母港にする船の平水夫になった。ボーデで、酔っ払ったロシア水夫イワンにからまれた少年は、力づくで抱きしめられる。逃れるために、少年は大男のわきの下をナイフで突き刺し、死に追いやる。血まみれの手のまま逃亡し、途中で背の低い老婆に出会う。「『さっさといっしょに帰るんだよ』」(16頁)、少年はその老婆に以前に会ったような気がして、そのことばに従う。老婆は、追いかけてきたふたりのロシア人水夫を巧みな演出によって退散させてしまう。助けてくれた理由をたずねる少年に、老婆はこう答える。「『あれ、わからないかね? まだわたしだと気がつかない? 地中海を航海中のシャルロッテ号、あんたの乗り組んでいた船さ。そこでマストの索にからまったハヤブサをおぼえているだろう。あの日、あんたはメイン・マストのてっぺんまで、支索を伝って登ってきて、ハヤブサを助けてくれた。ひどい風で、波も高かった。あのハヤブサはわたしだったのさ。わたしたちラップ人はよくああやって世界を見てまわる』」(19頁)。
 ここまで読んでくると、不思議なことに、架空の話が現実の出来事のように思われてくる。幻想の世界と現実世界を結ぶ通路が奇蹟のごとくにつながるのだ。作者の筆力にうならされる。

 10番目の短編「悲しみの畑」は、無限な自然と有限な人間存在を対比したみごとな文章で始まる。少し長くなるが引用してみよう。「ゆるやかに起伏するデンマークの風景は、日の出前のひととき、静かに晴れやかに、神秘に満ちて、はっきりと目を覚ましていた。薄青い空には雲ひとつなく、かすかな真珠色の森や丘や畑に影を落とすなにものもない。谷間や窪地から霧が湧いて、空気は冷たく、草も木の葉も朝露に濡れていた。人の目に触れず、その活動に妨げられることもなく、田園は言葉に尽くせぬ、時を超えた生命を生きていた。
 とはいえ人は、この土地に千年以上にわたって住みつき、ここの土と気候によって形づくられ、またその思いによって土地に印をつけてきた。今や、個人としての人間の存在がどこで終わり、別の人間としての存在がどこで始まるのか、だれにもわからなくなっていた。平地や丘を走る灰色のかすかな道は、外の世界への人間のあこがれを示し、また同時に、ほかのどこよりこの場所がいいという認識を示しているのだった」(282頁)。
 この文章に惹かれるひとは、ぜひ続きを読んで、物語の世界に遊んでほしい。

 レーナ・クルーンの『木々は八月に何をするのか 大人になっていない人たちへの七つの物語』(末延弘子訳、新評論、2003年)は、七つの幻想的な短編からなるアンソロジーである。
レーナ・クルーン(1947~)は、ヘルシンキに生まれた。現代フィンランド文学を代表する作家のひとりである。ヨーロッパやアメリカなどで翻訳された作品も少なくない。人間のみならず、動物や植物の存在、環境保全などに深い関心を寄せている。
 「いっぷう変わった人びと」は、3人の子供が主人公だ。11歳の少女インカは、うれしくなればなるほど高く宙に浮く。自力によるのではない。「これは変に努力するような類のものではなかった。起こるときに起こるだけなのだ」(9頁)。インカは、宙に浮く楽しい感覚を「心に空があるようなもの」(10頁)と説明する。インカがモミの梢くらいまで浮いた写真を見た医者の診断は「空中浮遊」で、「『単に娘さんの生まれもった才能にすぎません』」(13頁)と言うだけだ。
 少年のハンノは、「『あいつには影がこれっぽっちもないんだ』」(14頁)と周りから陰口をたたかれる。「雪面を太陽が眩しく照らし、人や木や家をすり抜けて二月の雪に青く伸びた影ができているのに、ハンノには影法師がなかったのだ。まるで、いくつもの太陽がハンノを照らしているようだった」(15頁)。インカとの会話のなかで、ハンノは、自分の先祖のひとりが悪魔に影を売ったために、子孫全員の影も悪魔のもとにあるのだと重々しく語る(19頁参照)。ハンノは、インカから宙に浮く話を聞いて、同情しながらも、自分よりは楽しいだろうと言う。
 ハンノとインカは、アンテロという、自分の姿が鏡に映らない少年と知り合いになる。その理由をたずねたインカに、アンテロは「『多分、おれが孤児だから』」(22頁)と答える。詳しい説明が続く。「『俺は、本当の母親と父親を知らない。だから、自分が誰なのか分からないし、俺は俺なのかも分からない。そういうことが鏡に映し出されている―もしくは、映し出されていない―と思っているんだ』」(22~23頁)。アンテロは、鏡に自分を映して確認できないことのもどかしさを口にする。
 いっぷう変わった3人は、「オリジナル・クラブ」という秘密結社をつくる。「心に青空をもつインカ、太陽の子であるハンノ、自分の鏡像を生まれつきもたないアンテロ」(34頁)の交流が続き、ときが過ぎるが、やがて3人に変化が生じる。インカは浮遊しなくなり、ハンノには影が成長し始め、アンテロは鏡のなかに自分の姿を見て、自分が何者なのかを知る。普通に戻ったインカとハンノは、変人であった過去を懐かしむ。アンテロは、鏡像の自分が年老いても、若いままだった。

  「木々は八月に何をするのか」は、「狂い咲きの薬剤師」(92頁)が丹精こめてつくる庭園が舞台だ。「薬剤師の庭園は、各方角に部屋が開けているような巨大な宮殿のようだった。南向きには香気の漂うバラ園があり、ツタのからむ数々の門からは、プラタナスのような日除け木のある庭や白い花の部屋、青い花の小部屋へ通じていた」(92~93頁)。「冬の温室は、幻想的な光景を醸し出し、雪面に囲まれながら遠く村道へと耀きを放つ。野原は萎えて森は葉を落とす。でも、雪片の舞に温室の終わりのない夏が煌めいていた。吹雪がガラスを冷たく着飾るけれど、その向こうで花々の熱い色彩が揺らめいている」(93頁)。その庭園が、悲劇に見舞われる。仲間と雪合戦に興じていたアーペリという少年が、ガラスにもたれかかっている大ぶりの赤い花になんくせをつける。「『何をそんなにじっと見てるんだよ? 冬を食らいたいのか!』」(94頁)と声を荒立てて、花の顔に雪玉を投げつける。「ガラスが、ものすごい破裂音とともに冬のよるに砕けた。世界中が目覚めてしまうくらいの爆音だった。花弁の微かな煌めきが地面に落ちる。花は斬首されたのだ」(同頁)。年月が経ち、村人はこの一件を忘れたが、大打撃を受けた薬剤師は、執拗にお仕置きのときを待っていた。
 青年に成長したアーペリが、婚約者にプレゼントするための花を求めて庭園に来る。薬剤師の瞳には、「冷たい閃光がちかりと煌めいていた」(97頁)。薬剤師は、「木々は八月に何をするのか」「花の知識はどこにあるのか」「時の時計は何か」という三つの質問に答えられればお金はいらないと言う。アーペリには、おかしなことを聞く薬剤師が変人にしか見えない。
 薬剤師は、のどの渇いたアーペリに特別製のジュースを飲ませたあと、温室に案内する。ブドウの蔓やバナナの木、ラン、ミモザ、食虫植物、セロシアなどを見せてから、アーペリをひとり温室に残す。そのあとの出来事が、この短編のクライマックスだ。「ああ、なんてこと! 顔が木にひしめいている。何百万という平べったい煌々とした顔だ。葉の緑色の目がアーペリにつきまとう」(106頁)。「植物を形成している物質は光であり知識である。初めてアーペリは理解した。植物だって悟り、感じ、自分なりに考えているのだと」(107頁)。アーペリは気づく。「花一輪一輪に小さな神が住んでいて、それぞれの花の本当の名前は『無限の生』なのだ」(107~108頁)。
 アーペリは、婚約者にあげたい白い花を見つけるが、その花の大きさ、重さ、茎の太さに圧倒され、深い瞳から眩しい光を放つ花をもぎとることができないと悟る。「花がゆっくりとアーペリの方を向く。その顔は金色の光だった。それは気品溢れる女神だった。これまでに一度だってこんなに美しいものを見たことがない。アーペリは花の前に深く跪く」(110頁)。
 庭園の外に出たアーペリに、薬剤師は三つの質問の答えを教える。「『木々は八月に根をつくります。花の知識は種にあります。そして、種は時の時計でもあるんです。そこには歴史があって、来る時代があるのです』」(111頁)。そのあと、特製ジュースを飲むと小さくなり、周りが以前とは違うように見えてくるのだと告げる。温室で見たものは幻想だったのですかと尋ねるアーペリに、薬剤師は答える。「『何を見たかなんて、どうして私が知っているのでしょう。誰でも自分の目を持っています。おそらく真実であるものを見たのです。それは、めったに見ることができません』」(112頁)。

  ニルス・ウッデンベリの『老人と猫』(富原まさ江訳、エクスナレッジ、2015年)は、「ペットを飼うつもりなど金輪際なかった私が、どんなふうに『猫にぞっこんになっていったか』という物語」(6頁)である。猫によって飼い主に選ばれたと感じている老人による、猫との交流記である。猫はキティという名で呼ばれるようになった。著者は、スウェーデンの大学で医療心理学の講義を担当した。イラストレーターのアーネ・グスタフソンが愛らしい猫の挿絵をいくつも寄せている。
 『老人と猫』は、仕事から解放されて、たっぷりと暇のできた70歳過ぎの老人が、じっくりとキティと向きあい、さりげないしぐさや習性をやさしく書きとめた本だ。精神分析を手がけた著者は、ついついキティの心の世界にも入りこもうとしている。「キティといると、優しい気持ちと好奇心が同時に湧き起こる。キティはよく懐いているし、実に忠実だ。こんな気持ちになるとは本当に意外だった。恋に夢中になるのと同じで、まったく予期せぬ出来事だったのだ。キティは私の人生に大きな影響を与えている」(26頁)。
 エジプトにみられる猫の文化に言及しながら、著者はこう語る。「猫は穏やかでおとなしい動物で、あまり人間を煩わせることはない。それでいて、ある種の威厳を備えているのだ。うちの小さなキティですら、居心地のいい場所を選んでくつろいでいる姿には何やら神々しさを感じる」(38~39頁)。じっと外を見つめている猫が神様のように見えてきて、つい拝みたくなるひとは少なくないだろう。
 この本は、猫という生きものの不思議な魅力を伝えて、猫好きの共感をさそう。飼い主の心情の記述もこまやかで、楽しく読める一冊だ。

 文学以外の分野から、北欧に関連する本を一冊だけ紹介する。
 長岡延孝の『「緑の成長」の社会的ガバナンス―北欧と日本における地域・企業の挑戦―』(ミネルヴァ書房、2014年)は、スウエーデンと日本の環境政策の進化の過程を比較考察したものである。この本のキーワードは、タイトルにも示されているように、「緑の成長」である。2010年に、「緑の成長に関する宣言」がOECDの閣僚理事会で採択されたが、「緑の成長」の定義には、環境との調和を重んじ、持続可能な仕方で経済的な発展を志向したいという願いが含まれている。
 著者は、本書で、緑の成長戦略に注目し、「『高福祉であるからこそ・・・・・・・持続可能な社会が目指せるのだ』」(ⅱ頁)という展望を示そうとしている。貴重な提言が含まれた好著である。
専門書であるが、平明な文体で書かれている。北欧と日本における社会の今後の発展のあり方について学ぶには格好の本である。

人物紹介

ブリクセン 【Karen Blixen】[1885-1963]

デンマークの女流小説家。ケニアでコーヒー農園を経営した後、小説家に転身。英語で執筆した「七つのゴシック物語」が米国で人気となり地位を確立。英語とデンマーク語で作品を発表し、英語版では男性名の筆名アイザック=ディネーセンを使用した。他に「アフリカの日々」「冬物語」など。

"ブリクセン【Karen Blixen】", デジタル大辞泉, JapanKnowledge, http://japanknowledge.com, (参照 2016-05-23)

ニルス・ウッデンベリ【Nils Uddenberg】

スウェーデンの大学で医療心理学を教え、生命観の研究に従事している。2003年に著書『Ideer om livet(人生についての考察)』でアウグスト賞(スウェーデンの最も権威ある文学賞)を受賞。2007年には写真家ヘレン・シュミッツとの共著で、カール・フォン・リンネ生誕300年公式記念本『体系への情熱―リンネと自然の体系への情熱』を出版した。―本書より

レーナ・クルーン【Leena Krohn】[1947-]

ヘルシンキ生まれ。現代フィンランド文学を代表する作家の一人。幼少時代より多くの文人や芸術家と触れ合い、大学では哲学や心理学、文学や美術史を学ぶ。教授職に任命され、大学や図書館などで講演を精力的に行いながら執筆活動を行う。数々の文学賞を受賞し、ヨーロッパ諸国を中心に海外に翻訳された作品も多い。幻想と現実を叙情的表現でつなぎながらも、明快で的確な文体を特徴とするクルーンの作風はフィンランド文学の新たなジャンルとして特異な位置を占めている。―本書より

ページトップへ戻る