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ひとは手紙を書く生きものである―書簡集の断面―

推薦文 :和田 渡 (経済学部 教授)

 吉田兼好は『徒然草』の第35段で、字が下手でも遠慮することなく手紙を書きまくるのがよいので、他人に代筆を頼むのは嫌味なものだと述べた。字が下手ならば、自分で丁寧に書けばよいということだろう。パソコンやスマホの普及によって、手紙を書くという習慣は失われつつある。かつては、へたくそな字を書きなぐったような手紙や、毛筆でしたためられた上品な手紙などがやりとりされていた。文面から、書き手の体調や心の状態までも推し量ることができる手紙には、格別の味わいがあった。
 近年、便箋や切手も必要で、投函の手間もかかる手紙をわざわざ書くひとは激減した。単語登録やコピーペーストを活用して手軽に作成された文章は、メールで瞬時に送信できる。字の上手、下手を気にする必要もない。しかし、機械が刻む文字からは、書き手の個性の痕跡が消えてしまう。用件を伝えるだけの事務的なメールが頻繁に交わされる味気ない時代になった。その一方で、ラインやツイッターには、手で書くという肉体労働の縛りをはずされることで、節度や慎みを失ってしまった極私的メッセージが大量に垂れ流されている。

 昔の作曲家や画家、小説家、思想家、教育者などには筆まめなひとが少なからずいた。ガンジーやローザ・ルクセンブルクのように獄中から手紙を送ったひともいた。彼らが書いた手紙のいくつかは、まとめられて本になり、だれでも読むことのできるものになった。ひそかに書かれた日記や、家族、友人、恋人に向けて書かれた手紙を書き手の死後に公刊するのは、デリカシーに欠ける行為ではあるが、それゆえにいっそう読者の好奇心をかきたてるのも事実である。他方で、手紙を書いた当人がその写しを保存しておき、書簡集として後世に残したというケースもある。ペトラルカの場合がそれにあたる。まずこちらを見てみよう。

 ペトラルカ『ルネサンス書簡集』(近藤恒一編訳、岩波文庫、1989年)には、ペトラルカが親しい友人や古代人、後世のひとに語りかけた手紙が集められている。ペトラルカ(1304~1374)は、中部イタリアの町アレッツォに生まれた。戦乱が続き、ペストの恐怖が襲う時代をくぐりぬけ、放浪の人生を生きた。幼い頃からキケロやセネカ、ウェルギリウスなどの思想に親しみ、その後もアウグスティヌスの宗教書などに影響を受けながら、文学活動に専念した。叙事詩人ダンテ、散文家ボッカッチョと並んで、イタリア文学三巨星のひとりと言われる。詩人、古典学者、歴史家、地理学者、宗教作家などとして多彩な活躍もみせた。
  ペトラルカが、ボローニャ大学の法学部で共に学んだ友人トンマーゾに宛てた手紙は、後年になって、亡き友を偲んで書かれた「創作的書簡」である。その一部を引用してみよう。ことばと魂についての思索が息づいている。


  まことに、ことばはいきいきと魂を告げ知らせ、魂はことばを操ります。ことばは魂に依拠しています。魂は胸底にひそみ、ことばは人前に出ます。ことばが外に出ようとするとき、魂はこれをととのえて、欲するとおりの形態をこれにあたえ、ことばは外に出て、魂がどのようなものであるかを告げます。ことばは魂の意向に従い、魂はことばの証言によって信じられるのです。だから、両方の世話がなされねばなりません。こうして、魂はことばにたいして厳正であり、ことばは魂にふさわしく真に壮麗でありえなければなりません。とはいえ、魂の世話がよくなされている場合には、ことばもなおざりにされているはずがありません。逆にまた、魂に威厳がそなわっていなければ、ことばに品位のそなわるはずがありません。(33頁)

 魂は、胸底にひそんでいて、だれも目にすることも、触れることもできない。しかし、ひとたびことばが文字になり、口から発せられるや否や、それは目で読み、耳で聞けるものになる。それと同時に、見聞きできるようになったことばを介して、ことばの主の魂が姿を現わす。下品な言動は、魂の品位のなさをあらわにし、ことばがきれいであれば、美しい魂が予想される。ひとびとの言動の観察を通じて、魂に注意するひとが少ないことを憂慮したソクラテスは、嫌われることをいとわず、「魂への配慮」をひとびとにすすめた。ペトラルカは、「ことばへの配慮」も合わせて強調している。魂の世話とは、ことばとの丁寧なつき合いをすることだ。魂は、ことばとの親密なかかわりを保つことによってしか磨かれない。魂とことばは、いわば、一心同体なのだ。

  もうひとつ、ペトラルカが心酔する古代ローマの政治家・雄弁家キケロに宛てた、賞賛と感謝の手紙の一部を紹介しよう。文学への先導者、キケロへの愛と喜びが行間に満ちあふれている。


 おお、ローマの雄弁の最高の父よ。ただ私のみならず、ラテンの詞華によっておのれを飾るほどの者はだれしもみな、あなたに感謝をささげるのです。げにわれわれは、あなたの泉によってわれらの牧場をうるおし、そして、なにを隠そう、あなたの指導によって導かれ、あなたの賛同によって励まされ、あなたの光によって照らされているのです。要するに、われわれがいくらかでも書く能力を習得し、所期の目的に到達したとすれば、それはあなたの支援のおかげと言いたいのです。(149頁)


  ロナルド・タンブリン編の『歴史を彩る恋人たち―フェイマス・ラブレター』(川成洋監訳、同朋舎出版、1995年)は、歴史に名を残す人物が書いた手紙を集めたものである。「時を超える愛」には、シャルロッテ・フォン・シュタインに宛てたゲーテの手紙や、エレン・テリーへのジョージ・バーナード・ショーの手紙などが含まれている。「激しく燃える愛」では、ナポレオン、ベートーヴェン、リスト、フリーダ・カーロの手紙の一部を読める。「薄幸の恋人たち」には、エロイーズからアベラールへの手紙、ミレナ宛のカフカの手紙など、おしまいの「喜びと慰め」には、モーツァルト、チェーホフ、チャーチルなどの手紙が入っている。冒頭には、「男と女が常よりも真剣に手紙を読もうとするなら、考えられる状況はひとつしかない。それは、恋しているときにラブレターを読むときだ」というモーティマー・アドラーのことばが置かれている。
 ふたつの手紙を引用してみよう。ひとつは、作曲家、ピアニストであったリストがマリー・ダグー伯爵夫人に宛てた情熱のほとばしる手紙である。のちに、ふたりの間に生まれたコジマは、リヒャルト・ヴァーグナーと結婚した。


マリー! マリー!
その名前を百回繰り返し呼ばせてほしい、
  いや、千回以上も。
もう三日もあなたの名前は私の中に住みつき、私に取りついて、
  熱く火をつける。
これはあなたへの手紙ではない。いや、私はあなたのすぐ側にいる。あな
たが見える、
  声も聞こえる……
あなたの腕の中の永遠……天国も地獄も、
  すべてはあなたの中にあり、さらにそれ以上のものが……
ああ! うわごとと思って聞いてくれ。
退屈で、用心ばかりして、せせこましい現実などもううんざりだ。
  せいいっぱい愛し、嘆き悲しみ、生きるべきなのに!
ああ、あなたは、私が自己を犠牲にして清純、自制、
  敬虔さを保つことができると思っているのだ。
  そうでしょう?
だが、もうこれ以上何も言いたくない……
  質問するのも、結論するのも、意のままに私を救うのもあなたなのだ
  から。
いっそ狂ってしまいたい。あなたが何もできない、
  私のために何もできないというのなら。
話さないではいられない。
それしかないのです!
それしか! (106~107頁)

 もうひとつは、1829年にロンドンのコヴェント・ガーデン王立劇場でデビューした女優ファニー・ケンブルが、結婚して8年後の1842年に夫のピアス・バトラーに宛てた手紙である。結婚の継続と離婚の間で揺れる心情がかいま見られる。6年後に、ふたりは別れた。


ロンドンにて  

 私はかつて、必要なら命さえ与えようほどにあなたを愛し、あなたをあらゆる地上的な幸福の中心に据えてきました。世界中の誰にも負けないほど愛してきたのです。そんなあなたを他人のように思ったり、無視するなど、誰ができましょう。あなたは昔、私が生きるための唯一の目的でした。私は全身全霊をかけてあなたを求め、思いと希望と愛情のすべてを捧げました。あなたはかつての恋人、今の夫、そして娘たちの父。そのことをどうして忘れることができましょう。あなたの姿に胸は高鳴り、心はいまだ、あなたの声に打ち震え、あなたの足音に血は騒ぐのです。(201頁)


 H・アンナ・スー編の『ゴッホの手紙 絵と魂の日記』(千足伸行監訳、富田章、藤島美菜訳、西村書店、2012年)は、ゴッホが残した膨大な手紙の一部と、手紙で言及された作品や風景などのスケッチや、絵画を編集したものである。
 フィンセント・ファン・ゴッホ(1853~1890)の生涯は、描くことと描くことについて考えること、考えたことを手紙に書くことに費やされた。この本には、おもにゴッホが弟のテオに宛てた手紙の抜粋と、自筆の手紙のコピー、ゴッホの描いた絵画のいくつかが収められている。驚くほど細やかな文字で、びっしりと書かれたテオ宛の手紙には、ゴッホの絵画観や自己批評、反省と自負の念などが率直に書きしるされている。1882年の手紙の一部を引用してみよう。


ぼくは、人々を感動させるような素描を行ないたいと思っている。人物であろうと、風景であろうと、ぼくが表現したいのは、何か感傷的にメランコリックなものではなくて、深い悲しみなのだ。(43頁)

 つまり、人々がぼくの絵について、この人物は深く思いにふけり、この人物は鋭敏に何かを感じている、などと語る段階にまで到達したいのだ。きみもわかっての通り、いわゆるぼくの粗っぽさにもかかわらず、というよりおそらくまさに粗っぽさゆえにそう言わせたいのだ。(同頁)

 大多数の人の目に、ぼくはどのように映っているのだろうか。取るに足らない人だろうか。あるいは、風変わりな人、とっつきにくいやつなのだろうか。社会的地位もなく、あったとしても下の下というとこだろう。(同頁)

 いいだろう。物事すべてが確かにそのとおりだとしても、自分の仕事を通して、こうした風変わりで、取るに足らない人間の心の内をみせてやりたいのだ。(同頁)

 ゴッホは、自分の絵の生命線、自分の見た自分の姿、他人が見ている自分の像、自分
の野心を語っている。上の引用に続くのが、つぎの文である。


 これがぼくの野心なのだ。(中略)ぼくは、しばしばめちゃくちゃな状態になるけれど、ぼくの内にはまだ穏やかで純粋な旋律と音楽がある。もっとも貧しい小さな家やもっとも汚らしい街角にも、ぼくは油彩や素描を見出す。抗いがたい衝動に駆られるかのように、ぼくの心はこうした方向に向かうのだ。(同頁)

  魂の足跡を伝える数々の手紙は、ゴッホが心を寄せて描いた貧しいひとびとや、畑や果樹園、山や星月夜などの自然描写、自画像を観る見方に変更を迫ってくる。絵の背後に潜んでいるゴッホの経験の諸相が想像される。ゴッホというひとりの人間の真実に近づくことができる。
 ゴッホの絵を好むひとにも、絵に興味のないひとにも、強くすすめたい一冊である。

人物紹介

よしだ‐けんこう 【吉田兼好】

鎌倉後期から南北朝時代の歌人。俗名は卜部兼好(かねよし)。二条派。堀河具守の家司(けいし)となり、宮廷に出仕して蔵人・左兵衛佐に至ったが、のち出家。随筆「徒然草」に、その哲学的・宗教的人生観を展開する。二条家の藤原為世の弟子として、和歌四天王の一人と称せられ、「兼好自撰家集」がある。なお、卜部家が吉田を称するようになったのは後の時代であるから、「吉田兼好」は近世以降の俗称と考えられる。弘安六頃〜観応三年以後(一二八三頃〜一三五二以後)
" よしだ‐けんこう【吉田兼好】", 日本国語大辞典, JapanKnowledge, http://japanknowledge.com, (参照 2016-07-21)

ペトラルカ(Francesco Petrarca フランチェスコ─)

イタリアの詩人。一三四一年、桂冠詩人の栄誉を受けた。代表作は抒情詩集「カンツォニエーレ」。(一三〇四〜七四)
" ペトラルカ", 日本国語大辞典, JapanKnowledge, http://japanknowledge.com, (参照 2016-07-21)

ロナルド・タンプリン(Ronald Tamplin)

詩人。彼の詩は世界各地で愛好されている。また、長年にわたりイギリス、ニュージーランド、フランス、ポルトガルなどの大学で教鞭をとる。『20世紀の表現の歴史』など著書多数。―本書より

H・アンナ・スー(H. Anna Suh)

米プリンストン大学にて美術考古学の修士号を取得。メトロポリタン美術館の学芸員を経て、同館、ニューヨーク大学のインスティチュート・オブ・ファイン・アーツ、プリンストン大学美術館、ハーバード大学などの学術出版物の企画に携わる。ニューヨーク在中。―本書より

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