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おすすめの一冊 本学の教員や図書館員のおすすめの本を紹介します。
 

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美しいものの経験―美学と芸術への招待―

推薦文 :和田 渡 (経済学部 教授)

 中井正一の『美学入門』(中公文庫、2010年)は、美しいということがどんな意味をもっているのかについてわかりやすく語った本である。美学の専門用語を使わず、みずみずしく、すみきった文章で書かれているのがこの本の魅力である。中井はこの本を書きあげた翌年に、胃がんのため52歳の若さで亡くなった。
 中井正一(1900~1952)は大阪市に生まれた。雑誌『世界文化』を通じてファシズムへの抵抗運動を組織したため、共産主義運動とのつながりが疑われ、また、1936年に読者の投稿を中心にした新聞『土曜日』を刊行し始めたことも原因で、翌年に治安維持法違反の容疑で逮捕・投獄された。1940年、懲役2年、執行猶予2年の判決を受ける。戦後、疎開していた尾道市の市立図書館長を、1948年からは国立図書館副館長をつとめたが、激務のなかでも、美学研究を続けた。
 この本は、「第1部―美学とは」と「第2部―美学の歴史」からなっている。第1部の「1美とは何であるか」は、「自然の中に」「技術の中に」「芸術の中に」という小見出しがついている。少し長くなるが、引用してみよう。


「私たちが、日常のことで思い悩み、腹を立てたり、悲しんだりして疲れはてたとき、ふと、自然を見て、『ああ、こんな美しい世界があるのを、すっかり忘れていた。どうして、これを忘れていたのだろう。』と何だか恥ずかしくなり、やがて、悲しみや、怒りを忘れてしまい、自然の景色の中につつまれ、『ああいいな』とうっとりとその中に吸い込まれて行くことがある。(中略)美に打たれるというこころもちはこんなことではあるまいか」(11頁)。中井は、こういう「こころもち」を、「美しい心、美の意識」と呼んでいる(同頁参照)。中井はまた、シラーの「『人間が自然の中に、自分の自由なこころもちを感じる時、それを美というのである』」(12頁)とのことばを引いている。美は、われわれが自然のなかで、自然につつまれて生きるなかで、自然と共鳴しあう喜びの感情に満たされるときにおとずれるのだ。だから、美の要は身体にある。中井は、身体を「感覚のうつし合う鏡の、一杯にある宮殿のようなものなのである」(55頁)と巧みに言い表している。
 「4生きていることと芸術」において、中井は美をつぎのように定義する。「美とは、自分にまだわからなかった自分、自分の予期しなかった、もっと深いというか、もっと突っ込んだというか、打ちよせる波のように、前のめったというか、自分が考えている自分よりも、もっと新しい人間像としての自分にめぐり逢うことである」(56頁)。あたらしい自分にめぐり逢うことは、今までの自分を古い自分として脱ぎ捨てていくことである。「自分が自分自身の無理なもの、無駄な飾り、いらない重たいものから抜け出して、日に新しく、日に日に新しく自由な、本当のものになるということの中には、常にまとい付く古いもの、進みゆこうとする足もとに群がってやってくるタックルのようなものを鋭くはらい捨て、脱落し、脱走するある切実なものがあるわけである」(同頁)。美的な経験は、日々、自分をあたらしくすることを試みるひとにしかやってこない。現状に甘んじ、自分の感受性をさびつかせてしまうと、自然や技術、芸術の中に美を発見することは困難になる。中井によれば、生きていることを美しく清新にたもつ姿勢が美の経験とむすびつくのである。この姿勢を欠けば、美術館に入って美しい作品を見たとしても、真に美に感動することはできないのだ。
 第2部「美学の歴史」は、「1古い芸術観と新しい芸術観」「2知、情、意の三分説の歴史」「3感情のもつ役割」「4時間論の中に解体された感情」「5射影としての意識」「6芸術的存在」「7機械時代にのぞんで」からなっている。「5射影としての意識」のなかから、自分へのこだわりをもち続けた中井ならではの一文を引用してみよう。「自分が知っている考えているものよりもっと深部で、自分にもわからない自分が、深く横たわっている」(142頁)。それゆえに、自分を知るための努力が続くのであり、それに応じて、美的なものの経験のあり方も変わってくるのだ。
 「4時間論の中に解体された感情」の「永遠の一瞬」のなかには、第1部の「1美とは何であるか」からの先の引用文を連想させる、美の経験に触れた文章がある。「『造化にしたがい、造化にかえる』とか『竹のことは竹にならえ』など芭蕉がいっているが、何か造化に、今しも随順した、うちのめされた、『ああ、お前もそうだったのか』と手をさしのばしたくなる造化に触れた時、人々は、一つの長い息を吐くのではあるまいか。『寂かに観ずれば、物皆自得す』というこころもちもそれではあるまいか」(136~137頁)。
第2部は、美学史の知識がないとわかりにくい箇所も少なくないが、はっと驚くような文章が随所に現われる。それらを読んで、美について考えるきっかけにしてほしい。

  木下長宏『[増補]中井正一 新しい『美学』の試み』(平凡社、2002年)は、中井の全体像を浮き彫りにした力作である。中井の美学観や、「委員会の論理」に見られる考え方や生き方を、時代背景とともに丹念に描き出している。著者は、ひとがある対象を美しいと感じて感動するのはなぜかという問題を、ひとの日々の暮らしとつなげて考えた中井に共感して、筆をすすめている。中井正一という人間と、その歩みに興味をもつひとにはおすすめの一冊だ。

  森村泰昌の『「美しい」ってなんだろう? 美術のすすめ』(理論社、2007年)は、若者向けに書かれた一種の自伝である。森村の「美」と「人生」についての考え方が、ユーモラスな調子を交えて、やわらかな文体でつづられている。1時間目から10時間目までのメニューは以下の通りだ。「私は美術家です」「モリムラ美術館」「ふしぎ美術館」「ものまね美術館」「芸術vs芸能美術館」「しあわせvsふしあわせ美術館」「ほねぐみ美術館」「おおきさ美術館」「『地球美術史』美術館」「いつでもどこでも美術館」。
 森村は、1時間目で、世の中には「途方もなくおおきくて広い『美しい』世界があることを力説し、それを知るために美術の扉を開いてみることをすすめる。2時間目以降で、読者は森村流の架空の美術館に招かれる。まず、絵画のモデルに「なる」ことで、「見る」「作る」「知る」では得られなかった喜びと手ごたえをつかむまでの個人史が語られる。39~42頁には、森村がモナリザをはじめ、古今の名画の登場人物になった作品が載っている。
 5時間目では、芸術と芸能の違いが語られる。その違いを、森村は太字で強調している。
芸能とは、ひとびとに広く行きわたることがめざされている世界である。/芸術とは、深く行きつくことがめざされている世界である」(121頁)。ひとびとからうけない芸能は淘汰されるが、一途に深く掘り進んでいく芸術家が魂をこめた作品は残るというのはそのとおりだろう。
 7時間目では、ピエ・ト・モンドリアンの抽象画と、カルティエ=ブレッソンの写真を手がかりにして、両者が垂直と水平の要素から成立していること、世界の骨組みを示していることなどが明快に解説されている。
 9時間目は、メキシコの画家、フリーダ・カーロをとりあげている。森村は、彼女の自画像に描かれた太い眉毛やヒゲに注目し、細マユにこだわる欧米的な美の基準を相対化したフリーダの試みを評価する。森村は、美術というと、無意識に西欧の尺度にとらわれてしまうわれわれの傾向を指摘し、地球的な規模で芸術作品をとらえていくことの大切さを主張しているのだ。
 この本には、10代の若者からの質問に答える「ブレイクタイム」のコーナーが3箇所挿入されている。「自分の道をどうやってみつけたらいいのか」という15歳の女性の質問に、森村は登山を例にして答えている。山頂にはだれかに車で連れていってもらうこともできるし、徒歩でも登れる。前者は他人から与えられた道でしかない。後者の場合は、汗だくになり、足も痛くなり、虫に刺されたり、道に迷うこともあるかもしれない。しかし、途中で不思議な植物や昆虫に出会ったり、山の水のおいしさに感激することもあるだろう。素敵なひととの出会いがあるかもしれない。苦しい思いをしても、自力で頂上をめざすのが自分の道を見つけることにつながるという(72~73頁参照)。ニーチェも、他人の肩にかつがれて登るのではなく、自分の足で歩けと若者を激励した。
 もうふたつだけ、森村のことばを紹介しよう。「こういうことはいえるかな。『なにかを美しいと感動できるこころを持ったひとは美しい』と。美しいこころを持ったひとが美しいんじゃなくて、美しいと思うこころを持ったひとが美しいんだ」(235頁)。「若いみなさんに必要なこと、それは自分のこころにたくさんの種をまいておくことです。それらの種からどんな花が咲くかなんてわからないのもあたりまえ。だってまだ咲いてないもんね。でも、どんな花が咲くかわからなくて、そのことが不安だったとしても、ともかく種をまいておかなくては咲きようがない。だから、将来咲くであろう花の色を夢見て、いまはともかくいろいろな種をまいておこう」(240頁)。なにかを見て、聴いて、なにかに触れて感動できるためには、感受性を開き、こころを磨いておかなければならない。干からびたこころに、感動の経験はおとずれない。こころを磨くのは、こころに種をまくのと同じことを意味する。
 体は食べ物によって養われる。日々、食事をすることによって、体の機能は維持される。こころも栄養をとることで活動する。こころの栄養分となるのは、なにかを見聞きして感動する経験であり、苦しいことに耐える時間であり、感動や苦しみをことばで表す作業である。ことばは、こころを生き生きと活動させる力を秘めている。森村の言う「こころにたくさんの種をまくこと」は、「困難をともなう色々なことにチャレンジすること」だけでなく、「ことばを通してこころの世話をすること」をも意味している。苦しみの経験から得られた感動をことばにする、考えたことを書きとめるといった、ことばとの真摯なつきあいこそが、こころに種をまき、いつの日か花を咲かせることにつながるのだ。
 森村の主張は明快だ。「感動することのとぼしい生活はさみしい。こころに種をまいて、感動の経験を重ねて、美しいひとをめざそう」である。将来のある若者、美術に興味のあるひとには、とくにすすめたい1冊だ。この本をじっくり読んで、考え、感想を文章にまとめることも、こころに種をまくことにつながるだろう。

 アラン、長谷川宏訳『芸術の体系』(光文社古典新訳文庫、2008年)は、散文の達人によって書かれた芸術論である。訳者の長谷川は、アランの芸術論の特色を、「人間が人間として日々を生きるということと、芸術活動や芸術作品のありかたとをつねに結びつけて考える」(538頁)という点に見ている。中井正一と共通する態度だ。
 アラン(1868~1951)は、フランスのノルマンディー地方の小さな町に生まれた。いくつかの公立の高等中学校で哲学を教えた。1914年に第一次世界大戦が勃発したしたさいに、志願兵として対独戦の前線に立つ決意をする。重砲第三連隊に配属されるが、戦火のなかで原稿を書き続けた。1917年には気象観測隊に配置された。この年の1月8日から10月16日にかけて『芸術の体系』を執筆した。除隊後も多くの本を出版した。1945年、77歳のときに青年時代に詩を捧げた女性ガブリエル・ランドルミと再会し、結婚した。88歳で、パリ西郊の自宅で死去した。
 『芸術の体系』の主題は、創造的想像力、ダンスと装飾、詩と雄弁、音楽、演劇、建築、彫刻、絵画、デッサン、散文と多岐にわたっている。追記のなかで、アランはこう述べている。「本書は、泥だらけの戦場で、ただ自分の気晴らしのためだけに書いたもので、公にすることなどまったく考えていなかった。そんな好条件には二度とめぐり合えそうにはない」(495~496頁)。アランは、資料や研究書などを参照することが不可能な戦場という環境で、自分の記憶と強靭な思考力だけを頼りにこの本を書いた。それだけに、この本を読むにあたっては、読者自身の思考の力が試される。このうえなく明晰でありながら、読者につねに立ちどまって考えることを強いる文章だからだ。
 「はじめに」のなかで、こう述べられる。「美を定義しようとするなら、見たとたんに確実に美しいと判断でき、その判断が撤回されることがないのが美だ、と定義しなければならない」(15頁)。「美は褒美として受けとるものであり、あくまで精神にかかわる事柄なのだ」(同頁)。美的な判断力が働かなければ、美は与えられないということだ。
 「第1章 創造的想像力」では、創造の現場で起きることが絶妙な言い方で述べられている。「画家は、生まれつつある自分の作品を見る人でもあるのだ。(中略)美しい詩句は、まず計画され、つぎに実行される、というのではない。詩人の前に美しいすがたであらわれてくるのだ。また、美しい彫刻は、彫刻家がそれを作るにつれて美しいすがたをあらわす。そして、肖像画は絵筆の下から生まれてくる」(56頁)。作品を生み出す行為は、そのなかで生まれてくるものを受容することと一体であるという見方だ。作品は、作り手が作りつつ、作られていくものなのだ。
 「第10章 散文」はアランの筆がとくにさえた一章である。「彫刻は色に助けを求めず、
不動の形だけを通じて思考へとむかうし、絵画は色を通じて感情へと、デッサンは線を通じて運動へとむかう。そのことからすると、人工的な文字で表現する散文芸術は、自身のうちに力強さを求め、あくまで散文にとどまるべきだ」(433~434頁)。アランの言う力強さとは、「思考のつながり」(438頁)のことだ。思考につながりをつけるためには分析が欠かせない。「だから、散文固有の方法とは、まさしく、一般に分析の名で呼ばれるもののことだ」(同頁)。
 『芸術の体系』に続いて、同じ訳者による『芸術論20講』(光文社古典新訳文庫、2015年)が出版されている。アランの思考の力強さと、その「美しさ」を経験するためにも、合わせて読んでほしい。

人物紹介

中井 正一 (なかい-まさかず) [1900−1952]

昭和時代の美学者。
明治33年2月14日生まれ。深田康算(やすかず)にまなぶ。昭和5年同人誌「美・批評」を創刊、10年同誌を「世界文化」と改題。反ファッショ人民戦線の動向などを紹介するとともに民衆の側にたっての理論活動をめざし、「委員会の論理」などを発表。11年週刊紙「土曜日」を発刊。12年治安維持法違反で母校京都帝大講師の職を追われた。23年国立国会図書館初代副館長。昭和27年5月18日死去。52歳。広島県出身。本名は浩。著作に「美学入門」「日本の美」など。 【格言など】「ああ、そうであったのか」それが人知の極致である(「芸術における媒介の問題」)
" なかい-まさかず【中井正一】", 日本人名大辞典, JapanKnowledge, http://japanknowledge.com, (参照 2016-09-23)


森村 泰昌 (もりむら-やすまさ) [1951−]

昭和後期-平成時代の美術家。
昭和26年6月11日生まれ。古今の絵画のなかに入り込む「美術史シリーズ」、映画女優に扮する「女優シリーズ」で知られ、映画や芝居など多方面でも活躍。昭和63年ベネチアビエンナーレ・アペルト部門に選ばれ出品。平成15年織部賞。19年京都府文化賞功労賞。20年芸術選奨文部科学大臣賞。23年個展「森村泰昌・なにものかへのレクイエム―戦場の頂上の芸術」で毎日芸術賞。24年「ヨコハマトリエンナーレ2014」のアーティスティック・ディレクター(芸術監督)に決まる。大阪府出身。京都市立芸大卒。著作に「芸術家Mのできるまで」「踏みはずす美術史 私がモナ・リザになったわけ」「空想主義的芸術家宣言」「全女優」など。
" もりむら-やすまさ【森村泰昌】", 日本人名大辞典, JapanKnowledge, http://japanknowledge.com, (参照 2016-09-23)

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