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生活上の心配が絶えず、仕事の事や人間関係が気にかかる青壮年期には、これから先の「未来」がたえず意識され、こころが現在に落ち着くことはまれだろう。しかし、終わりが視野に入ってくる老年期には、不確かな未来よりも「現在」の方がはるかに重みを増してくる。いま生きてあること、あるいはいま生かされてあることの幸福が神秘的な奇蹟のように感じられてくる。この詩は、一夜のひとときの絵画のような情景と喜悦をおごそかに表現している。
トーン・テレヘン(1941~)は、オランダ南部の島で生まれた。母親はロシア人で、ロシア革命のときに、両親とともにオランダに移住してきた女性である。テレヘンはユトレヒト大学で医学を学び、ケニアで3年間マサイ族の医師を務めた。その後、アムステルダムで開業医となった。動物を主人公とする本を50作以上書いている。訳者のあとがきによれば、子供向けの作品だが、大人にもよく読まれ、結婚式や葬儀などで一部が朗読されることもあるという。
『ハリネズミの願い』(長山さき訳、新潮社、2016年)
のテーマは「孤独」である。ひとりぼっちのハリネズミは、いろんな友達が遊びにきてくれないかと願い、招待の手紙を書く。「親愛なるどうぶつたちへ/僕の家にあそびに来るよう、/キミたちみんなを招待します」(6頁)。少し迷ったあと、「でも、だれも来なくてもだいじょうぶです」(同頁)と書き足す。極度に臆病なハリネズミは、自分の気持ちを率直に外に出せないまま、だれも来ない事態を先取りして、自分の失望のなかに閉じこもってしまうのだ。結局、招待状は戸棚の引き出しにしまわれたままになる。
ハリネズミは、招待状に誘われてやってくる動物たちとの出会いの場面をあれこれと想像する。カタツムリ、カメ、ヒキガエル、サイ、クマ、ゾウ。キリン、クジラたちとの「交流」が、ハリネズミのひとり芝居のなかでつぎつぎと空回りする。不意に孤独感に襲われる。「自分が深淵に落ちていくさまを想像してみた。しだいに深く落ちていったが、底は見えてこなかった。体がぐるぐると回転し、ハリがピンと逆立っていた」(39頁)。他方で、自分が自分といつも一緒にいるのだから孤独ではないとも思う。自分がだれだか分からなくなる。「ハリネズミはためいきをついて冷笑的に思った。この自分自身というやつが存在しないとしたら……そういうこともあるはずだ。鏡を見たらだれも映っていなかったら……それこそがほんとうのひとりぼっちだ!」(42頁)。
ハリネズミは夢を見る。どうぶつたちがそろって遊びにくる。何百もの手紙が届く。誘われて森の空き地に行くと、どうぶつたちが勢ぞろいして待っている。歓待が、やがて自分へのいじめに変わっていくところで目が覚める(60~63頁参照)。
ハリネズミは自分のこころをのぞきこむ。「ぼくはもしかしたら自分が訪問客を望んでいないことを知るためにのみ、だれかに来てほしいのかもしれない、と思った」(159頁)。自分が本当はどうぶつたちになにを期待しているのか、いないのかわからない。屈折した自意識がハリネズミを苦しめる。
ある日、リスが訪ねてきて、ドアをノックする。「だれ?」「ぼくだよ」「リス。入れてくれる?」「なんで?」「わからない。ただなんとなく。だれか訪ねてきたらハリネズミが喜ぶかもしれないって思ったんだ」というやりとりのあと、ハリネズミはドアを開ける(163頁参照)。最初、ぎこちない時間が過ぎる。「ハリネズミとリスは紅茶を飲み、ハチミツを舐め、ときどきうなずきあった」(165頁)。やがて、ハリネズミもリスも共にいることが気持ちよくなり、「時間が止まればいいのに」(165頁)と、幸福感に満たされる。
ある真夜中に目を覚ましたハリネズミは、どうぶつたちが書いてよこす手紙の文面を想像する。「招待しないでくれてありがとう。みんなキミの友だちだし、これからもずっと友だちでいつづけるから、訪ねる必要はまったくない」という内容だ(168頁参照)。リスはこう書いてくると予想する。「とっても楽しかったね、ハリネズミ。また会おうね!」(同頁参照)。おしまいはこう締めくくられる。「ハリネズミはぎゅっと目をつぶって深いためいきをついた。また会おうね……それはハリネズミの知るもっともすてきな言葉だった。/それからハリネズミは眠りに落ち、冬じゅう眠りつづけた」(同頁)。
ハリネズミの空想の場面と現実の出会いとの対比を通して、存在することの孤独と共存のよろこびがあざやかに浮かびあがる。期待と絶望、自己卑下と矜持が目まぐるしく交錯している。ハリネズミのひとり舞台は、せつなく、そして、いとおしい。わたしたちのだれもがハリネズミなのだ。
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