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古典の森を散策してみよう(13)―『方丈記』を読む ―

推薦文 :和田 渡 (経済学部 教授)

 鴨長明の『新訂方丈記』(市古貞次校注、岩波文庫、1989年)は、しばしば地震や津波、火山の噴火や台風などによって甚大な被害をこうむる島国に住む者にとって、厄災とどう向きあって生きるかを考えるうえで示唆に富む古典である。

 長明が生きた中世も、天変地異が続いた時代だった。彼は、20~30代にかけて、都の大火、辻風(つむじ風)、飢饉、大地震に遭い、50代後半になって、その経験を目の前で起きている出来事であるかのように書きしるした。30年以上にわたって保持された記憶が、迫力のある文体となって凝縮したのである。自然の猛威に曝される者が危機的な状況のなかでなにをすべきか、どう生きるのが好ましいかについての多くの教訓がそこにはこめられている。


 


 

 鴨長明(1155~1216)は、京都の下鴨神社の神官鴨長継の次男として生まれた。青年時代には和歌や琵琶を習い、のちに歌人として活躍した。望んでいた地位につくことを同族者にはばまれ、失望し、50歳を過ぎてから出家遁世して洛北大原に住み、その後、都の東南の日野山に移り、庵を結んで簡素な生活を過ごした。『方丈記』は、1212年頃に書かれたとされる。格調高い和漢混交文のオリジナルのほかに、いくつかの異本が残されている。

 『方丈記』は、内容的に2部にわかれ、前半は、過去の災害経験の想起、後半は、自伝的な回想と心境告白などからなっている。

 冒頭のよく知られた文章を引用してみよう。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世中にある人と栖と、又かくのごとし」(9頁)。絶えず変転するものの象徴として河の流れと水の泡の例が引かれたのちに、力点は人と栖に移る。いま生きているひとはいなくなり、栖もなくなるという「諸行無常」の確認である。あたらしく生まれてくるひとも、やがていなくなる。古代の哲人ヘラクレイトスの「万物は流転する」、ローマの哲人アウレーリウスの「生者必滅」の思想が思いおこされる。『方丈記』の書き出しには、いくつもの災難に直面し、生きているもの、形あるものの不意の消滅を目にした長明の実感がこめられている。

 前半は、五つの「世の不思議」(10頁)の見聞報告である。まず、安元3年(1177年)の大火である。都の東南で発生した火事が西北まで延焼し、一帯が一夜にして灰塵に帰すさまが、あたかも実況中継のように活写される。「吹き迷ふ風に、とかく移りゆくほどに、扇を広げたるがごとく末広になりぬ。遠き家は煙にむせび、近き辺はひたすら焔を地に吹きつけたり。(中略)其中の人うつし心あらむや。或は煙にむせびて倒れ伏し、或は焔にまぐれてたちまちに死ぬ」(11~12頁)。長明はこう考える。「人のいとなみ皆おろかなるなかに、さしもあやふき京中の家を作るとて、宝を費やし、心を悩ます事は、すぐれてあじきなくぞ侍る」(12頁)。死んでいくことがわかっているのに、家を建てようとするひとの愚かさを嘆くのである。とはえ、形あるものへの執念を捨てきれないのがひとの常なのである。

 二番目の不思議は、治承4年(1180年)の辻風(つむじ風)で、突風に吹き飛ばされて壊滅状態になった家や垣根、怪我したひとの現状などがなまなましく描かれている。

 三番目の不思議は、同年の福原遷都である。平清盛の福原遷都決断によって翻弄されるひとびとや、荒れすさんでいく都、福原などの様子が報告されている。

 四番目の不思議は、養和(1181~1182)の頃に足掛け2年にわたって続いた飢饉である。「二年が間、世中飢渇して、あさましき事侍りき。或は春夏ひでり、或は秋、大風、洪水など、よからぬ事どもうち続きて、五穀ことごとくならず」(17~18頁)。飢えきった人々の死を前にした、あわれな、あるいはせつないふるまいが描かれたあと、死者の数がこう報告される。「人数を知らむとて、四五両月を数へたりければ、京のうち、条よりは南、九条より北、京極よりは西、朱雀よりは東の、路のほとりなる頭、すべて四万二千三百余りなんありける。いはむや、その前後に死ぬるもの多く、又川原、白河、西の京、もろもろの辺地などを加へていはば、際限もあるべからず」(21~22頁)。京都のコンクリートの地面の下には、飢餓に倒れた無数のひとびとの折り重なる大地が横たわっているのだ。

 五番目の不思議は、元暦2年(1185年)の大地震である。簡潔な記述が、読み手の想像力をかきたてる。「山は崩れて河を埋み、海は傾きて陸地をひたせり。土さけて水わきいで、厳われて谷にまろびいる。渚漕ぐ船は波にただよひ、道ゆく馬は足の立ちどをまどはす」(22頁)。長明は大地震の恐怖をこう語る。「恐れのなかに恐るべかりけるは、只地震なりけりとこそ覚え侍りしか」(23頁)。つくづく地震の恐ろしさが身にしみたということだ。

 「五つの不思議」について語ったあと、長明は、この世界では頻繁に自然災害が起こり、ひととのつきあいにもわずらわしいことが絶えず、苦しみが連続すると嘆息する。遁世を語る後半へのつなぎである。

 後半で、長明は、なぜ世を捨て、日野の山の庵でひとり住むようになったのかを語る。草庵の結構や、周囲の景色なども丁寧に描写している。前半では、荒ぶる自然が主題だが、後半では、自然はどこまでも優しい風景として描かれている。藤の花に覆われた谷間、雪の降り積もった山、冴え渡った月の夜、夏のほととぎす、秋のひぐらし、草むらの蛍の光などが、長明の親しい友としてよろこびを与えている。「山中の景気、折につけて尽くる事なし」(33頁)。

 おしまいの方で、世俗のひとびとに対して、世捨て人となった自分を弁護する文が入る。「夫、三界は只心一つなり。心若しやすからずば、象目、七珍もよしなく、宮殿、楼閣も望みなし。今さびしきすまひ、一間の庵、みずからこれを愛す」(38頁)。少しわかりにくいので、訳してみる。「そもそも、世界というものは、心のもち方次第だ。もし心が落ち着いていないならば、どんな財宝も意味をもたず、宮殿や楼閣も値打ちをもたない。いま私は一間のさびしい庵に住んでいるが、この住まいを愛しているのだ」。以下の文で、長明の本音が出る。「おのづから都に出でて、身の乞匃となれる事を恥づといへども、帰りてここに居る時は、他の俗塵に馳する事をあはれむ」(同頁)。これも訳してみよう。「都に出て、自分が乞食の身分になったことを恥ずかしく思うこともあるが、この庵に帰ってみると、他のひとびとが俗事にまぎれて忙しくしていることを気の毒に思うのである」。

 長明は、「あらゆることへの執着心を断て」という仏の教えに従って世俗への執着心は捨て去ったものの、気楽な庵のひとり住まいへのこだわりを捨てきれない自分の不徹底を皮肉りながら筆を置いている。矛盾に満ちた心を裸にし、身を低くしてつぶやく姿勢が好ましく感じられる。

 『方丈記』は、自然的、人為的な厄災に翻弄されながら生きて死んでいく人間に、「形あるものは崩れることを念頭において生きよ」という身の処し方を教えてくれる書である。有形のものへの執着を無の地平から照らし出し、「有」を相対化して生きることの必要性を訴えて、いまも「無」への道しるべとなっている。

 

 古文が苦手なひとには、現代語訳を読むことをすすめたい。何種類も出ているが、おすすめは、佐藤春夫の『現代語訳 方丈記』(岩波現代文庫、2015年)である。佐藤春夫(1892~1964)は和歌山県の新宮町に生まれ、詩人、作家として活躍した。日本の古典への造詣が特に深かった。『方丈記』の最初の英訳者は夏目漱石だが、その後、佐藤と同郷の南方熊楠も英訳を試みている。

 佐藤は、3種類の『方丈記』訳を残したが、本書は、1937年に、「通俗方丈記」のタイトルで雑誌『浄土』に5回にわたって掲載された。他のふたつは原文に忠実で、逐語訳に近いが、本書の訳は補足や説明文が多く、分量も原文をはるかに凌駕している。冒頭の文の佐藤訳を見てみよう。「河の流れは常に絶える事がなく、しかも流れ行く河の水は移り変って絶間がない。奔流に現われる飛沫は一瞬も止る事がなく、現われるや直に消えてしまって又新しく現われるのである。世の中の人々の運命や、人々の住家の移り変りの激しい事等は丁度河の流れにも譬えられ、又奔流に現われては消えさる飛沫の様に極めてはかないものである」(3頁)。オリジナルの簡潔な響きは消えているが、委曲をつくした訳文のおかげで、長明の主張がはっきりと伝わってくる。

 原文「人のいとなみ皆おろかなるなかに、さしもあやふき京中の家を作るとて、宝を費やし、心を悩ます事は、すぐれてあぢきなくぞ侍る」(12頁)は、こう意訳されている。「人間は本来、色んな愚にも付かない事をするものであるが、とり分けこん度の様に一朝にして総てを灰燼に帰すると云う様な危険性の多分にある都会の中にあって、一朝にして灰となる運命も知らぬげに、自分の住家に、大層なお金を掛けて、ああでもない、こうでもないと色々と苦心して、建てる事程間抜けな愚かしい事はないとしみじみと思い当った。こうして苦労して建てても一朝火災に見舞われれば直に灰燼となってしまうのであるのに、全く建物にお金を掛けたり苦労する程馬鹿らしい事はない」(9頁)。長明がさらりとしたためた一文が、佐藤の手にかかると、まるで墨絵を写実的な油絵に描き変えたかのようなぐあいである。

 本書には、現代語訳のほかに、長明の晩年を描いた創作「鴨長明」(1935)、長明をそれぞれ吉田兼好、西行法師と比較した作家論2編「兼好と長明と」(1937)と「長明と西行法師」(1946)がおさめられている。「兼好と長明と」のなかで、佐藤はこう述べる。「自分はこの両者の新らしさに先ず驚嘆した。到底、六百年前、七百年前の著述とは思えぬばかりの新らしい生命の脈動していることをいうのである。(中略)一人は『折にふれば何かはあはれならざらむ』の情懐を抱いた春風駘蕩の現実家であり、一人は『世に従えば身苦し』と秋霜の気を帯びた理想家であった」(95頁)。

 

 作家三木卓(1935年、東京生まれ)の『私の方丈記』(河出書房新社、2014年)は、現代語訳の方丈記、「私の方丈記」と題する12のエッセー、方丈記の原文からなっている。三木の現代語訳は、極度に漢字が制限されて、やわらかな日本語で書かれているため読みやすい。逐語訳的な箇所もあれば、意訳的な箇所もある。冒頭の部分を見てみよう。「川は、いつもおなじ姿で流れている。しかし、その流れをかたちづくっているのはおなじものではない。新しい水がたえず上流から流れてきては、そのまま下流にむかって流れさっていく。これがありのままの姿である。/流れのよどみには、水のあわが浮かんでいる。あわは、いまここで消えていくかと思うと、またあちらに生まれる。あわの浮くよどみというおなじ情景ではあっても、じつは消えては生まれる。はかないくりかえしをわたしたちは見ているのだ。いつまでもこわれないあわが、浮いているわけではない。/この流れの水や、あわのあり方とおなじことが、人間のじっさいの姿や、住む家についてもいえる」(9頁)。

 先に引用した『方丈記』12頁の一文は、つぎのようになる。「人のおこなうことは、おろかなことばかりである。だが、こんなにも火事の危険がある都に、たくさんの金をつかい、神経をすりへらして家を建てるなどということは、まったくどうしようもないことといわなければならない」(13頁)。フランスの哲学者パスカルも、「死んでいくことが分かっているのに家を建てるのは愚かだ」という意味のことを書きしるしたが、洋の東西を問わず、世捨て人にでもならないかぎり、愚かなことをして生きて、死んでいくのはひとの習いである。

 

 堀田善衞(1918~1998、富山県生まれ)の『方丈記私記』(ちくま文庫、1988年)は、1945年3月の東京大空襲を身をもって知った堀田の自伝的なエッセーである。書き出しの文章はこうである。「私が以下に語ろうとしていることは、実を言えば、われわれの古典の一つである鴨長明『方丈記』の鑑賞でも、また、解釈でもない。それは、私の、経験なのだ」(7頁)。堀田は、灰燼と帰した東京のありさまを、長明の見た現実と重ねあわせながら克明に書きしるしたのである。

 堀田は、3月10日の大空襲から、同月の24日に上海に出発するまでに、集中的に『方丈記』を読んだという。その理由をこう述べる。「それは、やはり戦争そのものであり、また戦禍に遭遇してのわれわれ日本人民の処し方、精神的、内面的な処し方についての考察に、何か根源的に資してくれるものがここにある、またその処し方を解き明すためのよすがとなるものがある、と感じたからであった。(中略)この戦禍の先の方にある筈のもの、前章及び前々章にしるした 新たなる日本・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ についての期待の感及びそのようなものは多分ありえないのではないかという絶望の感、そのような、いわば政治的、社会的転変についても示唆してくれるものがあるように思ったからでもあった」(70~71頁)。

 堀田が目にした焼け野原は、いまや無数の建築物で覆われ、戦火の痕跡は消えた。闇の空間はまばゆいばかりの照明にとって変わられ、街の光景は一変した。しかし、街を支える大地の異変や、荒ぶる自然の急襲によって、再度、街が闇につつまれる日が来ないという保証はない。その日を予想して、現在を終末へのまなざしと重ねあわせて生きることが必要なのではないか。古典を読むということは、一見ありそうもないことを思い描く力や強靭な想像力を養うためのトレーニングともなりうるのだ。


人物紹介

鴨長明 (かもの ちょうめい)[1155〜1216]

鎌倉前期の歌人。通称、菊大夫。名は「ながあきら」とも読む。京都下鴨神社禰宜(ねぎ)の家に生まれ、のちに社司に推挙されたが実現せず、失意のうちに出家。山城国日野の外山(とやま)に方丈の庵(いおり)を結び、隠遁生活を送った。著「方丈記」「発心(ほっしん)集」「無名抄」など

"かも‐の‐ちょうめい 〔‐チヤウメイ〕 【鴨長明】", デジタル大辞泉((c)Shogakukan Inc.), JapanKnowledge, http://japanknowledge.com,

佐藤春夫 (さとう はるお) [1892〜1964]

詩人・小説家。和歌山の生まれ。生田長江・与謝野寛らに師事。初め「スバル」「三田文学」などに詩歌を発表、のち小説に転じた。文化勲章受章。詩集「殉情詩集」、小説「田園の憂鬱」「都会の憂鬱」「晶子曼陀羅」など。

"さとう‐はるお 〔‐はるを〕 【佐藤春夫】", デジタル大辞泉((c)Shogakukan Inc.), JapanKnowledge, http://japanknowledge.com,

三木卓(みきたく) [1935−]

小説家・詩人。東京の生まれ。本名、富田三樹(みき)。「鶸(ひわ)」で芥川賞受賞。「小噺集」で芸術選奨。他に小説「震える舌」「路地」「裸足と貝殻」、詩集「東京午前三時」「わがキディ・ランド」など。児童文学・評論・翻訳など幅広く活躍。平成11年(1999)紫綬褒章受章。同19年芸術院恩賜賞。

" みき‐たく 【三木卓】", デジタル大辞泉((c)Shogakukan Inc.), JapanKnowledge, http://japanknowledge.com,

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