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この後の会話で、石氏が仕事のことで母にも娘にも嘘をつき、夫婦関係にもひびが入っていた過去が暴かれる。冷え冷えしたふたりの関係を見つめながら、次第に無口になっていかざるをえなかった娘の過去も明らかになる。
イラン人女性と別れる前の会話で、石氏は自分が偽装していた過去を語る。38年間の研究所勤務のうちで、ロケット工学者として働いたのは最初の3年間だけだった。カードパンチャーをしていた女性と親しく話すようになり、不倫関係を疑われたためだった。「たしかに愛はあったが、みんながうたがうような愛ではない―いつもある程度の距離を置いていて、手も触れたことはなかった。しかし、何でも話せる愛、心が触れあう愛はあった―それも愛ではないのか」(244頁)。石氏は、不倫を認めて自己批判すれば、ロケット工学者として働くことを約束されたが、それを拒否し、養成訓練を受けた者のなかでは最低の地位の仕事に回された。それ以降、石氏は、「仕事中は威厳をたもち、終わると仕事で頭がいっぱいの無口なロケット工学者として、妻のもとへ帰った」(245頁)。
閻連科の『年月日』(谷川毅訳、2016年、白水社)
は、はるか大昔、日照りが続く村にただひとり残り、メナシという名の盲犬と、一本のトウモロコシの苗を守り育てるために奮闘する老人の物語である。老人は、盲犬と一緒にねずみの肉を食って生き延び、狼との緊迫した対決にも勝利するが、最後には、トウモロコシのために自分の身を捧げる。
この作品は、1997年に雑誌『収穫』に発表され、同年の第2回魯迅文学賞を受賞した。いくつかの外国語にも翻訳されている。フランスでは2009年に仏訳が出版され、翌年には、フランス国家翻訳賞を受賞している。フランスの国家教育センターが、中高生向けの推薦図書に選定している。
閻連科は、1958年に河南省の寒村に生まれ、幼少期は飢えと孤独のなかで過ごしたという。高校を中退し、出稼ぎ労働者として働き、家計を助けた。20歳の時に人民解放軍に入隊し、部隊内に設けられた創作学習班に参加し、作家としての腕を磨いた。
著者は、「もう一人の閻連科―日本の読者へ」のなかで、この作品の成り立ちについてこう語っている。「あの年の何月何日のことだったかは覚えていませんが、病気の治療のため西安に行く途中、悲愴感にさいなまれながら、だだっぴろい、人っ子一人いないトウモロコシ畑を一人で歩いているとき、突然頭が爆発したかのように、『年月日』の物語と登場人物が、轟音を上げて私の中に入ってきたのです。目の前にはっきりと立ち現われたのです。その衝動―降りてきたインスピレーションのもたらした戦慄は、それ以後経験したことはありません。インスピレーションとの遭遇はしばしばありますが、あれほど強い戦慄を感じたことは後にも先にもありません」(147頁)。腰と首のヘルニアで苦しんでいた閻連科は、車椅子に横たわり、特性の執筆ボードに向かい、ひたすら書いて、書いて、書き続けて『年月日』を完成させたという(147~148頁参照)。一種の「お筆書き」経験がこの作品の源にあるのだ。
『年月日』は、長期の猛烈な日照りで誰もが村を離れるなかで、ただひとり村に残った先じいとメナシの楽しく、愉快な交流を、パワーにあふれた文章でつづる物語である。先じいがメナシに話しかけると、メナシがしぐさで答える。老人と犬の友情は濃く、深い。おしまいの方で語る先じいのことばが、なによりもそれを象徴している。「泣くんじゃない。わしが死んだら獣に生まれ変わっておまえになる。お前が死んだら人に生まれ変わってわしの子どもになるんだ。これまでのように仲良くやっていこうじゃないか」(132頁)。
自然に関する描写力の強い文体も特徴的だ。冒頭の文章を読めば一目瞭然である。少し長くなるが、引用してみよう。「はるか大昔の日照り続きのその年、年月はあぶられ、ほんのひとひねりで灰のようにボロボロ崩れ、日々は燃えている炭のように張りつき、手のひらをジリジリと焼いていった。毎日毎日数珠つなぎに出てくる太陽は、飽きもせず頭上にかかっていた。先じいは、朝から晩まで一日中、自分の髪の毛が黄色く焼ける焦げ臭さを感じていた。手を空に伸ばすと、またたく間に爪が焦げる黒いにおいがした」(3頁)。日光に関する印象的な描写は次々に出てくる。「斜めに差しこんでくる日の光が金色の液体となって村中に流れこみ、死んだような静けさの中、家の軒先から日の光がサラサラこぼれ落ちていく音が響いてくるようだった」(24頁)。「日の光が強くなると光が重さとなってのしかかってくるのだ」(48頁)。「日の光がぶつかり合っても、月の光が地に落ちても澄んだ音が響いてくるようだった」(143頁)。
ネズミの大群の大移動するさまも迫力に満ちた描写だ。「北の方から雨音がとぎれとぎれに聞こえてくる。先じいにはそれが雨ではなく、ネズミの隊列がやってくる音だとわかっていた。(中略)尾根を越えてやってくるものは、とてもネズミには見えなかった。道に沿って襲ってくる洪水だった。青紫のネズミの叫び声が洪水の先端となって狂ったように暴れながらネズミの軍団を引っぱり、波のような隊列がうねりながら前へ前へとあふれんばかりになだれこみ、近づくにつれてその音は小雨から天地をどよもす暴風雨となった」(65頁)。
この小説のクラマックスは、トウモロコシを実らせるために先じいのとる究極の犠牲的な行動の場面である。「大バカもんが、トウモロコシは実をつけるときに一番肥料がいるんだってことがなんで思い出せなかったんだ!」(129頁)。先じいは、トウモロコがよく実るために、自分を肥料にすることを決意する。先じいは、「トウモロコシの根が出ている方の壁に張りつくように横になり、むしろを頭から足まですっぽりかぶった。土をかぶせるんだ、メナシ、わしを埋めたら北へ行け」(137頁)。
1年後、種まきの季節に村人たちが戻ってくる。実ったトウモロコシのなかで、「爪くらいの大きさの七粒だけが真珠のように艶々としていた」(140頁)。村人たちは、トウモロコシの命をつなぎ、根と一体化した先じいの亡骸を目にして、祖先の墓に移すことを止め、メナシの死骸ともども、その場所に埋葬することにした。
訳者の谷川によれば、閻連科は講演やエッセイで、たびたび「尊厳」ということばを多用し、それは、「人生の中の気品と活力」「人生が内包する意志の力」「人生において示される気骨と風格」を意味しているという(152頁参照)。先じいは、まぎれもなく、それらの要素が凝縮したひととして造形されている。
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