蔵書検索(OPAC)
HOME > 資料案内 > 新しく入った本 > おすすめの一冊
新着資料 ベストセラー 学生の購入リクエスト
映画・ドラマの原作 テーマ図書 おすすめの一冊
おすすめの一冊 本学の教員や図書館員のおすすめの本を紹介します。
 

前の本へ

  次の本へ
21世紀の動向を考える-新書で読む世界・日本・人間-

推薦文 :和田 渡 (経済学部 教授)
   

 今後の日本や世界はどの方向に向かうのか、地球環境はどう変わるのか。さまざまなひとが、それぞれの立場からいろいろな予測を行なっている。いくつかの予測は当たるかもしないが、予想外のことも次々とおこるだろう。先行きはまったく不透明である。画家ゴーギャンが大作のタイトルとしたあの有名な「われわれはどこから来て、どこにいて、どこに行くのか」という問いかけは、あらゆる時代を通じた人類共通の問いである。とはいえ、不安だけをかかえて、なんの見通しももたずに生きることはできない。なんらかの指針が必要だろう。それを与えてくれるのが、幅広い視野と見識をもったひとびとである。今回は、彼らの見解の一端に触れてみよう。


 


 

 

 

 エマニュエル・トッドの 『問題は英国ではない、EUなのだ 21世紀の新・国家論』(堀茂樹訳、文春新書、2016年) は、世界の各地で起きている出来事をその歴史的な背景とともに理解するためには格好の一冊である。

 

 エマニュエル・トッドは1951年に生まれた。作家のポール・ニザンは祖父にあたる。トッドは、歴史人口学者、家族人類学者であり、国や地域によって異なる家族システムや人口動態に注目した研究をすすめている。

 

 冒頭に置かれた「日本の読者へ―新たな歴史的転換をどう見るか?」のなかで、トッドはこう述べている。「現下の歴史的転換は、経済に関する転換である前に、その基盤において家族、人口、宗教、教育に関する転換です。大学の優先的課題の一つは、大学が提示する課程、資金を投入する研究の中に、人類の人類学的要素、宗教、教育、芸術などの変容の内部に経済史を組みこむような経済史へのアプローチを再導入することであろうと思われます」(10頁)。今日の大転換を、さまざまな要因が絡みあった多次元的、複合的な現象として把握していくことが必要だと強調しているのである。

 

 本書は、つぎのような構成である。1 なぜ英国はEU離脱を選んだのか? 2 「グローバリゼーション・ファティーグ」と英国の「目覚め」、3 トッドの歴史の方法―「予言」はいかにして可能なのか? 4 人口学から見た2030年の世界―安定化する米・露と不安定化する欧・中、5 中国の未来を「予言」する―幻想の大国を恐れるな、6 パリ同時多発テロについて―世界の敵はイスラム恐怖症だ、7 宗教的危機とヨーロッパの近代史―自己解説『シャルリとは誰か?』。世界各地でおきていることの原因や歴史的な背景、今後の見通しなどに関して、幅広い研究と洞察にもとづく卓見が述べられている。

 

 「イギリスのEU離脱[Brexit]は、世界規模で起こっているある一つの大きな現象の一部分であり、(中略)これは、アメリカ、カナダ、オーストラリア、日本を含む最先進国全体に関わる現象です。すなわち、分散・不一致という現象です」(21頁)。テッドは、家族構造の人類学がそうした現象の原因を明らかにしてくれると述べている。テッドは、イギリスのEU離脱を2015年に出版した本 『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる : 日本人への警告』(文藝春秋、2015年) のなかで予言していたそうだが、この本では、それ以後のヨーロッパの状況変化を予測している。

 

 「3 トッドの歴史の方法」は、2016年に芦ノ湖畔のホテルで収録されたもので、トッドが自分の知的遍歴を生き生きと語っている。子供の頃から歴史の観察に強く惹かれてきたという(79~80頁参照)。彼は、「人間とは何か?」という観念的な問いから出発することよりも、外の現実に触れて考えることの大切さを強調してこう述べる。「なぜ知的なエラーが起きるのか? いきなり『人間とは何か?』と自問して、観念から出発するから歴史を見誤ってしまうのです。そうではなく、まず無心で歴史を見る。すると、むしろ歴史の方が『人間とは何か?』という問いに答えてくれます。何よりも歴史を観察することが大事です」(81頁)。

 

 トッドは、大学で歴史人口学の面白さに目覚める。地域ごとに異なる乳児死亡率、出生率、自殺率、識字率といった数値の比較を通じて、社会の多様性にも目が開かれていく。トッドは、歴史は目に見えるものではないが、そうした数値こそが歴史の趨勢を教えてくれると述べる(85頁参照)。

 

 歴史家は多くのデータを集め、多くの資料を読まなければならない、これがトッドの確信である。テッドはその作業を通じて、家族構造とイデオロギーおよび経済体制の間の関係を発見したという(91頁参照)。彼は、その後、地球上の家族構造を分類し、農村社会の家族構造を調べれば、近代以降の各社会のイデオロギーを説明できるという仮説を検証した(92頁参照)。

 

 今後の世界になにがおこるかを予測するためには、これまでにおきた出来事、現におきていることを注意深く見つめなければならない。トッドの発言はその手がかりを与えてくれる。

 

 

 山岸俊男+メアリー・C・ブリントン 『リスクに背を向ける日本人』(講談社現代新書、2010年) は、日米の研究者による日本社会をめぐっての対談をまとめたものである。山岸俊男は社会心理学者で、人間の心と文化と社会の関係を、認知科学や心理学、社会学、経済学の知見を踏まえ、実験や調査を通じて総合的に研究している。メアリー・C・ブリントンは社会学者で、ジェンダーの不平等、教育、日本社会などを研究テーマにしている。1990年代に日本に長期間滞在し、経済状況の変化と若者の雇用環境との関連を調査・研究した。

 

 本書の目次は以下の通りである。第1章 日本を覆う「リスク回避傾向」、第2章 はしごを外された若者たち、第3章 どこで自分を探すのか? 第4章 決められない日本人、第5章 空気とまわりの目、第6章 なぜ日本人は子どもを生まないのか? 第7章 グローバル化の意味、第8章 女性の能力を生かすには、第9章 ジャパン・アズ・ナンバースリー。

 

 本書の対談の中心的なテーマは、ニートやひきこもりに見られる若者の「リスク回避の傾向」が、若者にとどまらず、日本社会全体を特徴づけているということである(7頁参照)。日本社会では、さまざまなリスクが大きすぎるために、若者も大人もリスクを回避せざるをえないという指摘である。常識的には、アメリカ社会の方が日本社会よりもリスクが大きいと見なされているが、現実にはその逆だというのがふたりの共通認識である。アメリカでは、失業してもあたらしい働き先を見つけることができるが、日本ではやりなおしがむずかしく、それゆえにリスクを避ける傾向が強まるというのである。22頁には、2005年から08年にかけて世界中で実施された「世界価値観調査」の結果がグラフで示してある。それによると、自分が冒険やリスクを避けるタイプだと思っているひとのパーセンテージは、日本人が世界一である。

 

 第2章では、ふたりが日本の現状を「リストラの恐怖」と関連づけて話題にしている。山岸は言う。「リストラされたら先がないという恐怖が、日本人を萎縮させてしまっているというのが、いまの日本が元気のない最大の理由」(35頁)。メアリーが同調する。「アメリカ人にとっては、(中略)リストラは苦しくてもあたりまえのことです。だから、リストラされても絶望するわけではなくて、また新しい仕事を探します。だけど日本人にとってリストラは、それで終わりって感じですね。リストラの深刻さが全く違います」(同頁)。メアリーは、リストラを次の雇用へのセカンドチャンスと積極的にとらえるタイプのアメリカ人を念頭において、若者には「『場』に帰属しすぎない生き方」(37頁)を求めている。終身雇用が崩れた社会では、日ごろからコミュニケーションの力を鍛え、転職する場合にはその力を活用する姿勢が大切だという。彼女は希望を語る。「アルバイトや非正規雇用イコール悪と決めつけず、一ヶ所にとどまらなくても、実力さえあれば必ず次の仕事が見つかる環境と、それを認める社会が出来上がってくれば、今までよりは少し余裕のある社会に成熟していくのではないでしょうか」(40頁)。

 

 「プロモーション志向」と「プリベンション志向」という心理学用語を用いた日本人とアメリカ人の比較論が面白い。前者は加点法的な考え方で、後者が減点法的な考え方である。まわりの人間をうまく動かしてなにかを得ようとするゲーム・プレイヤーは前者に該当する(46頁参照)。山岸は言う。「ゲーム・プレイヤーでない人たちというのは、プリベンション志向の強い人たちだと言ってよいでしょう。自分がめざす目的を達成するためにほかの人たちを動かすというよりは、まわりの人たちから嫌われたらやっていけないのではないかという不安から、他人から嫌われたり、社会関係を失わないことだけに気を取られてしまっている人たちです」(同頁)。山岸によれば、ひきこもりは究極のプリベンションである。他人から嫌われないための最大の防御は、外に出てひととつきあわないことだ。だが、ひきこもる若者が増える日本社会で、「プリベンション志向」の意義を強調しても、ぬかに釘でしかない。ではどうするのか。ふたりの対談は、社会の仕組みを変える方策の方へとシフトしていく。

 

 第3章は、アメリカの大学に留学する日本人の数が激減している現状とその理由について対談が始まる。若者の「プリベンション志向」やひきこもりの話ともつながる。山岸は、内向きの世界に閉じこもった状態を外へと開くような思考を力説する。「日本の人たちが何の疑問も感じないまま当然のこととして受け入れている現実が、実はそれほど当然のことじゃなくて、もっと違った考え方とか生き方とかがあって、それは今の日本ではいけない生き方であるとか、間違った考え方であるとか思われているんだけど、そういう生き方や考え方だっていいんじゃないかと見直してみることだってできるんだよって、そういうことが言いたいんです」(66~67頁)。メアリーも外向きの思考の意義を強調している。「アメリカでの自分探しは、自分の内側ではなく外側に目を向けるやり方に変わってきているんだと思います。自分を見つけるために、世の中と積極的にかかわっていくというやり方です。ともかく、“trial and error”(トライアル&エラー)が重要ですね。それで、失敗したり悩んだりしながら、自分自身が何を望むか、何が得意なのか、だんだん分かるようになる。それは行動を起こすことによってしか理解できないし、時間がかかる。だからセカンドチャンスをとって、もしかしたらサードチャンスもとることによって、徐々に分かるようになるんです。そういう意味で、外側を向いた自分探しのためには、いろいろと試してみて、そのために頑張るし我慢もします」(76~77頁)。

 

 本書の日本人論、日本社会論は、有益な示唆に富んでいる。自国を外側から見つめる経験をもつふたりの対談にぜひ耳傾けてほしい。

 

 

 酒井雄哉 池上 彰 『この世で大切なものってなんですか』(朝日新書、2011年) は、わかりやすい解説で定評のあるジャーナリストの池上彰による、比叡山のお寺の住職である酒井雄哉への問いかけとその返答をまとめたものである。酒井は、千日回峰行を二度満行し、大阿闍梨の称号を与えられた。千日回峰行という心身を賭した荒行は7年を要する。3年目までは比叡山中を1日30~40キロの道のりを毎年100日歩き、4~5年目は毎年200日歩く。その後、不動堂に9日間こもる。その間は、断食、断水、不眠、不臥で不動明王の真言を10万回唱える。「お堂入り」の難行が無事終わると、6年目に1日60キロ、7年目には前半100日85キロ、後半100日に30~40キロ歩くという苦行である。とりわけ過酷な行が「お堂入り」である。先人の僧侶の経験をもとに、死の手前の9日間がこの行の限界日数とされてきた。千日回峰行は、おのれの身体を極限まで追いつめる過程で、おのれの心の裸とも直面し、仏を感じ、仏との対話を生きる孤独な修行である。この行をなしえた僧侶には、常人にはうかがい知れない体得の境地がおとずれる。

 

 本書の目次を見てみよう。第1章 生きることはなぜ苦しいのですか、第2章 幸せと豊かさってなんですか、第3章、 人はなぜ争うのでしょうか、第4章 絆ってなんですか、第5章 人は死んだらどこへ行くのでしょうか、第6章 どうすれば仏の存在を感じることができますか、第7章 この世でいちばん大切なものってなんですか。

 

 人生の苦しみに対してどのような姿勢で臨めばいいのかという池上の問いに、酒井は答える。人生は苦しいことばかりではなく、よいこともあり、両方がくるくる回っている。苦しいこと、修羅場を経験すると心が成長し、ことばも本物になる(15~20頁参照)。

 

 「お堂入り」の行は、凡人には無理としか見えない。9日間「断水」する苦しみも想像を絶するものがある。酒井は言う。「無理かもしれない。でもやっちゃうんですなあ。人間は底知れない力を持っていて、生命力っていうかな。もうだめだという時、自分を超える自分が出てくる。姿かたちは見えないが、心の中に。もしかしたらそれが仏様の存在じゃないかと思います」(29頁)。

 

 欲や悪の誘惑にそそのかれやすい人間については、こう語る。「人間のやっていることですから、どうしたって葛藤があるわけで、背中には常に悪がくっついてささやく、よいことをやっているつもりでいても、油断していると悪いほうのやつがちょっかいを出してくるわけですよ。行をさせてもらうなかで、人間はたいしたことないよなあと思い知らされ、仏様からいろいろなお知恵を授かるんです」(33頁)。

 

 酒井は、もっとも大切なことを、さらりと口にしている。「せっかく仏様からいただいた命なのだから、あきらめずに、なにごとも前へ進むことでしょうなあ」(39頁)。いのちは私のものではなく、仏様からのプレゼントである。だから、I am present (出席しています)は、いのちを授かってここに在るということなのだ。他力の自覚につながる考え方である。他方で、生かされてあることに感謝しつつ、時代を生きぬく力を鍛え、自力独行することも必要である。酒井は、他力と自力の両面を見つめつつ、こう述べている。「生まれてきた意味、それはこの壮大な宇宙の中で、地球という星に誕生させていただいて、仏様からお前ちょっと世の中のためになにかいいことをしてきなさいと放り込まれたんじゃないかと思うんですよ」(171頁)。

 

 自分探しと自己実現、つねに成功することと幸福になることの強迫観念にとりつかれて生きているのがわれわれ人間というものだろう。それをくるりとひっくり返して、仏様の視点に立って見ることを酒井は提案しているのだ。それは悟りへのほんの小さな一歩であると同時に、われわれを幸福へと導いてくれる近道なのかもしれない。


人物紹介

エマニュエル・トッド(Emmanuel Todd)[1951〜]

1951年生まれ。フランスの歴史人口学者・家族人類学者。国・地域ごとの家族システムの違いや人口動態に着目する方法論により、『最後の転落』(76年)で「ソ連崩壊」を、『帝国以後』(2002年)で「米国発の金融危機」を、『文明の接近』(07年、共著)で「アラブの春」を次々に”予言”。『シャリルとは誰か?』は4万部、『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる』は14万部を超えるベストセラーに(いずれも文春新書)。

―本書より

山岸俊男(やまぎし としお)[1948〜]

一九四八年、愛知県名古屋市に生まれる。社会心理学者。一橋大学社会学部、同大学大学院を経て、一九八一年ワシントン大学社会学博士。北海道大学大学院文学研究科教授、同大学社会科学実験研究センター長。社会的ジレンマ、信頼、社会的知性など心と社会の関係について、認知科学、心理学、社会学、経済学などの多くの側面から、実験、調査、コンピュータを通じて総合的に研究。二00四年、紫綬褒章受章。著書に『信頼の構造』(東京大学出版会)、『安心社会から信頼社会へ』(中公新書)、『日本の「安心」はなぜ、消えたのか』(集英社インターナショナル)などがある。

―本書より

メアリー・C・ブリントン (Mary C. Brinton)

ハーバード大学社会学部長兼ライシャワー日本研究所教授。シカゴ大学、コーネル大学を経て、二00三年より現職。主な研究テーマは、ジェンダーの不平等、労働市場、若者の雇用環境にもたらした影響を研究。『失われた場を探して―ロストジェネレーションの社会学』(NTT出版)が話題となる。

―本書より

酒井雄哉(さかい ゆうさい)[1926〜2013]

比叡山飯室谷不動堂長寿院住職。1926年、大阪府生まれ。40歳で得度。約7年かけて約4万キロを歩く荒行「千日回峰行」を80年、87年の二度満行。その後も各地を巡礼している。著書に『一日一生』

―本書より

ページトップへ戻る