蔵書検索(OPAC)
HOME > 資料案内 > 新しく入った本 > おすすめの一冊
新着資料 ベストセラー 学生の購入リクエスト
映画・ドラマの原作 テーマ図書 おすすめの一冊
おすすめの一冊 本学の教員や図書館員のおすすめの本を紹介します。
 

前の本へ

  次の本へ
生きることの意味―自閉症と発達障害を生きる-

推薦文 :和田 渡 (経済学部 教授)
    

 東田直樹 『自閉症の僕が跳びはねる理由 会話のできない中学生がつづる内なる心』(エスコアール出版部、2007年) は、幼少期に「自閉症傾向」と診断されて育った少年が中学生のときに書いた本である。20カ国以上で翻訳出版されている。

 

 「はじめに」で、東田は、こう述べている。「どうして、自分が障害者だと気づいたのでしょう。/それは、僕たちは普通と違う所があってそれが困る、とみんなが言ったからです。/しかし、普通の人になることは、僕にはとても難しいことでした」(2頁)。「普通とはいったいどういう状態をさすのか」と立ち止まって考えず、普通のひとと違うように見えるひとを特別視するひとが多い社会では、普通にふるまえないひとは生きづらい。東田は、自分の生きづらさをこう表現している。「僕は、今でも、人と会話ができません。声を出して本を読んだり、歌ったりはできるのですが、人と話をしようとすると言葉が消えてしまうのです。必死の思いで、1~2単語は口に出せることもありますが、その言葉さえも、自分の思いとは逆の意味の場合も多いのです」(2頁)。ひとと会話することに慣れてしまうと、ひとと話そうとするやいなや言葉が消えて話せなくなるひとの苦しみには思いがおよばない。自分とは次元の違う経験を生きているひとの世界に想像力を届かせることはむずかしい。


 


 

 

 東田は、こう考えている。「自閉症を個性と思ってもらえたら、僕たちは、今よりずっと気持ちが楽になるでしょう。/みんなに迷惑をかけることもあるけれど、僕らも未来に向かって楽しく生きていきたいのです」(3頁)。生物は、ひとであれ、植物であれ、生きている自分の姿かたちを自分で創り出しているわけではない。いのちあるものたちは、みないのちを授かって生きている。四肢が欠損した状態で生まれてくるひともいれば、幼くして視力や聴力を失うひともいる。東田は、5歳で自閉症と診断された。それらの状態は、本人が選んだものではなく、授けられたものである。病気も健康も、授けられたものという意味では変わりなく、ともに個性的な状態なのである。とはいえ、いわゆる健常者が多数を占める社会では、ハンディキャップに苦しむひとは、健常者とおなじひととは見なされなくなり、特別扱いされるようになる。自閉症の少年は、自閉症というそのひとに固有の個性を生きている普通のひととは見なされず、理解しあうことがむずかしい厄介な存在とされてしまう。

 

 本書は、言葉、対人関係、感覚の違い、興味・関心、活動を主題にした全5章からなっている。訓練によって筆談というコミュニケーションの方法を獲得した東田が、自分の心におきていることを説明している。「僕が自分の意志で筆談できるようになるまで、長い時間が必要でした。鉛筆を持った僕の手を、お母さんが上から握って一緒に書き始めた日から、僕は新しいコミュニケーション方法を手に入れたのです」(12~13頁)。母親が考えた文字盤は、話そうとすると消えてしまう東田の言葉をつなぎとめるきっかけになった(同頁参照)。「僕は筆談という方法から始めて、現在は、文字盤やパソコンによるコミュニケーション方法を使って、自分の思いを人に伝えられるようになりました」(31頁)。  

 「いつも同じことを尋ねるのはなぜですか?」という質問に、東田は「聞いたことをすぐに忘れてしまうからです」(16頁)と答えている。また、「すぐに返事しないのはなぜですか?」という問いには、「相手が話をしてくれて、自分が答えようとする時に、自分の言いたいことが頭の中から消えてしまうのです」(26頁)と答えている。「よくは分かりませんが、みんなの記憶は、たぶん線のように続いています。けれども、僕の記憶は点の集まりで、僕はいつもその点を拾い集めながら記憶をたどっているのです」(16頁)。記憶については、このようにも述べている。「僕たちの記憶は、一列に並んだ数字を拾っているわけではありません。ジグソーパズルのような記憶なのです。ひとつでも合わなければ全体がかみ合わず完成しないように、他のピースが入ってきたことで、今の記憶がバラバラに壊れてしまいます。体が痛いのではないのに、記憶のせいで僕たちは泣き叫ぶのです」(76~77頁)。自分が記憶によって経験を制御するのではなく、記憶の方が動いて自分を思わぬ方向に導くという不安な現象が記述されている。「僕たちは怖いのです。自分がこの先どうなるのか、何をしでかすのか、心配で心配でしょうがないのです。自分で自分をコントロールできる人には、この感覚は分からないでしょう」(84頁)。「自分の気持ちとは関係なく、いつも脳はいろんなことを僕に要求します。/僕がそれに従わないのならば、まるで地獄に突き落とされそうな恐怖と戦わなければならないのです。/生きること自体が、僕たちにとっては戦いなのです」(124~125頁)。

 

 第2章「対人関係について」のなかで、東田は、ひととつきあうとまどいを何度も語っている。「ずっと困っているのは、みんなが笑っている時に僕が笑えないことです」(42頁)。「とてもびっくりしたり、緊張したり、恥ずかしかったりした時も、僕たちは固まるだけで感情を表に出すことができません」(同頁)。「夜、布団の中で笑い出したり、誰もいない部屋の中で笑い転げたり、僕たちの表情は、周りを気にせず何も考えなくていい時に、自然と出てくるものなのです」(43頁)。

 

 「どうして言われてもすぐにやらないのですか?」という問いに対して、東田は、気持ちの折り合いがつかないからという理由を述べている。気持ちと体がうまくつながらず、体をもてあますという状態である。「自分がやりたくても、やれない時もあります。体がいうことをきいてくれない時です。体がどこか悪いのではありません。なのに、まるで魂以外は別の人間の体のように、自分の思い通りにはならないのです。それは、みんなには想像できないほどの苦しみです」(56~57頁)。

 

 「何が一番辛いですか?」と問われて、東田は、率直に自分の気持ちを打ち明けている。「側にいてくれる人は、どうか僕たちのことで悩まないで下さい。自分の存在そのものを否定されているようで、生きる気力が無くなってしまうからです」(60~61頁)。「自分のありのままを、そのまま認めてほしい」という切実な願いである。

 

 「自閉症の人は普通の人になりたいですか?」という質問に対する東田の答えは、心に響く。東田は、過去を振り返って、障害者として生きるのが辛く悲しくて、自分も普通の人になりたいと願っていたと言う(62頁参照)。「でも、今ならもし自閉症が治る薬が開発されたとしても、僕はこのままの自分を選ぶかも知れません」(同頁)。その変化がこう説明される。「ひと言でいうなら、障害のある無しにかかわらず人は努力しなければいけないし、努力の結果幸せになれることが分かったからです。/僕たちは自閉症でいることが普通なので、普通がどんなものか本当は分かっていません。/自分を好きになれるのなら、普通でも自閉症でもどちらでもいいのです」(62~63頁)。ひとが外見やふるまい方の違いで普通と普通でないを区別することは不幸でしかない。ありのままの自分が好きになれるのが一番の幸せだという、自分とのつき合い方を尺度にした幸福観が語られている。

 

 第5章のおしまいの「自閉症についてどう思いますか?」という質問にこう答えている。「これは僕の勝手な作り話ですが、人類は多くの命を殺し、地球を自分勝手に破壊してきました。人類自身がそのことに危機を感じ、自閉症の人たちをつくり出したのではないでしょうか。/僕たちは、人が持っている外見上のものは全て持っているのにも関わらず、みんなとは何もかも違います。まるで、太古の昔からタイムスリップしてきたような人間なのです」(140頁)。

 

 

 東田直樹 『続・自閉症の僕が跳びはねる理由 会話のできない高校生がたどる心の軌跡』(エスコアール出版部、2010年 )は、高校生になった東田が、あらためて自閉症のひとや、その本当の姿をわかってほしいという願いをもって書いた本だ。「はじめに」でこう述べられる。「僕は、自閉症の世界が特別だと思ってはいません。僕たちもこの地球で人として生まれ、みんなと同じ場所で生きています。ただ、みんなとは様々なことが少しずつ違うだけなのです。それは、国が違えば、文化や習慣が違うことと似ているかも知れません」(2頁)。自閉症であろうとなかろうと、ひとはそれぞれが少しずつ違う個性をもって、違う自分を生きているのだから、特定の症状だけでひとを特別の目で見るのはやめようというメッセージだ。

 

 第4章「行動」のなかの、「跳びはねるのはなぜですか?」という質問に、東田はこう答えている。「僕が跳びはねたくなるほど感情の起伏に耐えられないのは、体のコントロールがきかない上に、感情のコントロールがきかなくなると、自分をどう保っていけばいいのかわからなくなるからです。(中略)僕にとって混乱した感情というのは、得体の知れないモンスターなのです。/跳びはねることの理由には、手足の位置がわかることによって、自分の存在が実感できること、空に向かって気持ちが開くことなどもあります。空に向かって気持ちを開きたくなるのは、人では僕の気持ちを受け止めきれないと思っているからです」(72頁)。

 

 第5章「興味・関心」では、「植物のどんなところに関心を持ちますか?」と問われて、東田は自分と植物の存在の親近性を語っている。「理由はわかりませんが、僕も光を見れば心が躍ります。そして、砂を触れば心が落ち着き、水を浴びれば生きていることを実感します。僕と同じように、光や砂や水に愛着を感じる自閉症の人たちには、人としての遺伝子以外にも、植物のような要素を持つ遺伝子が組み込まれているのではないかと考えると、とてもおもしろいと思います。実際はありえない話かもしれません。でも、そんなことを考えるとき、僕は今よりもっと自分のことが好きになれるのです。なぜなら、美しくて一生懸命に生きている植物が大好きだからです」(77~78頁)。

第8章「今、そしてこれから」で、東田は人間愛を語る。「人間愛とは、人間が人間であることを誇りに思うことではないのでしょうか。自分を相手に置き換えて物事を考えることができたり、かわいそうな人を見るとほうっておけない気持ちになったりするのも心があるからです。心にある良心は、それがなければ人間が存続できないものだと感じます」(142頁)。

 

 「おわりに―思いを書くこと―」で、東田は人間の誇りについてもう一度強調している。「僕は、自閉症であることを誇りに思えるような人生を歩みたいのです。/自閉症の子が生まれたからといって、悲しんだり同情したりされたくないのです。人の人生の幸、不幸は、その人が決めるべきものです。みんなと同じことができないことが、不幸なのではありません。人間として、自分らしい生き方ができないことが、悲しいのです」(146~147頁)。

 

 東田の2冊の本は、生まれること、自閉症を生きる孤独や悲しみ、ひととともに生きることの喜びや苦痛、ひとと自然について、愛についての思考にわれわれをいざなう。見えていても、よく見ていないことは少なくない。見えないものをよく考えてみる機会も少ない。自閉症のひとの心の世界は、生きる意味を問う思索につながっている。

 

 

 栗原類 『発達障害の僕が輝ける場所をみつけられた理由』(KADOKAWA、2016年) は、8歳のときに、ニューヨーク市の教育委員会でADD(注意欠陥障害)と認定された栗原が、コミュニケーション障害を乗りこえて、モデルやタレント、役者として活躍するようになるまでの自伝的な報告書である。

 

 栗原は、小・中学校時代には留年し、登校拒否にもなり、高校受験にも失敗している。しかし、早期の診断、母親の教育、主治医の治療もあって、紆余曲折を経ながらも、その後成長し続けている。「はじめに」で、栗原は述べている。「発達障害は、脳のクセです。人によって障害内容は異なりますが、早期に気が付き、環境を整え、正しく対処をすれば、ある程度の訓練で変わることができます」(3頁)。本を書いた理由はこう書かれている。「僕は現在21歳。まだ夢の途中であり、日々障害に向き合う毎日ですが、『なぜ僕が輝ける場所をみつけることができたのか』を振り返り、語ることで、僕のように障害があったり、子どものいる方々に、少しでも役に立てたり、支えになることができたら幸いです」(同頁)。

 

 本書は、以下の4部構成である。1僕はADD(注意欠陥障害)、2僕が輝ける場所をみつけられるまで、3僕が輝く場所をみつけられた理由、4彼はなぜ輝く場所をみつけられたのか。4は、母親・泉の回想、主治医・高橋猛へのインタビュー記事、栗原と、その友人で作家・又吉直樹への共同インタビュー記事からなっている。  

 1では、栗原が率直に自分を語っている。音の知覚と触覚に過敏すぎる、注意力散漫で忘れものをしやすい、二つの動作を同時にできない、記憶力が弱い、感情表現が苦手で、無表情に見られやすい、人の心の動きを読み取るのが苦手といった特徴が記述されている。

 

 2は自伝である。栗原は日本人の母とイギリス人の父との間に生まれた。母は帰国して出産したため、父親不在の家庭で育った。1歳で日本の保育園に通い、ベビーモデルの仕事を始めた。5歳で渡米し、ニューヨークの保育園を経て、小学校に入学する。5年生のときに帰国し、教室ではいじめにあう。その後の中・高校生時代のいじめ、勉強、失恋、ネットとゲームにはまる生活が語られる一方で、芸能活動についての言及も増える。子供の頃からモデルをしていた東田は、テレビ番組のオーディションに合格し(17歳)、タレントになり、パリコレクションにも登場している(19歳)。

 

 3では、栗原が輝く場所を見つけられた理由を自己解説している。「ADHD/ADDは脳にクセがあり、その独特のクセが日常の困難を引き起こしています。まずは自分の弱点を知ることが克服への第一歩となります。自分にとって何が苦痛なのか、何が苦手だと感じるのか、そして、家族や周囲の人は自分が引き起こす何で頭を抱えているのか、困っているのか、それを見極めることが重要です」(112頁)。弱点に気づき、それを克服しようと何度でも繰り返していれば、できなかったことができるようになると栗原は確信している。しかし、仮にできなくても、ムリせず、対処法を捜せばよいとも考えている(114頁参照)。「周りの人に自分のクセを伝え協力を依頼」(116頁)し、「身近な人に自分の行動をモニタリングしてもらう」(120頁)ことや、「できないことも、恥ずかしがらず伝える」(121頁)ことも大切だという。自分の障害のなかにひきこもらず、それをバネにして積極的に踏み出していこうという姿勢だ。栗原は、ある事務所との契約の際に、1年近く何度もミーティングをかさねて、自分の発達障害の詳細を伝え、了承を得ている(118頁参照)。

 

 4では、栗原の母親が回想する「一生忘れることの出来ない大切な言葉」(159頁)がもっとも心に残る。少し長いが引用してみよう。「あなたは小さいころ勉強もできて要領もよい、頭の回転も速くて、何でも他人より早くできる子、いわゆるできのいい子だといわれて育ってきたタイプでしょう。だけど発達障害というのは、ひとりひとりの特性が違います。あなたの息子さんはあなたと同じタイプではないのはわかりますね? あなたは自分が子どもの頃、何の苦労もなくできたことが、どうして息子さんにはできないんだろうと理解できないかもしれない。不思議でしょうがないでしょうね。だけどそう思った時は、子どもの頃に自分ができなかったことをたくさん思い浮かべてください。そして、自分ができなかったことで息子さんができていることを、ひとつでも多くみつけてあげてください。そうすれば『なんでこんなこともできないの?』という気持ちがしずまり、子どもを褒めてあげられるようになります」(158~159頁)。

 

 栗原が、のちに主治医となる医師・高橋の診察を受けたのは、小学2年のときである。高橋は、息子のいじめへの学校側の不対応に業を煮やし転校を相談してきた母親に、「『転校するのは、まだ早い』」(204頁)と転校を制止した。厳しい社会人生活を見越して、試練に耐えることも必要だと考えたからである(同頁参照)。高橋はこう振り返っている。「上級生によるいいがかりのようないじめはしつこく続き、数人の別の同級生からもバカにされ、先生からも守ってもらえず、類くんにとっては、地獄の3年間だったと思います。でも、この3年間は、彼にとって大切だったと思います。他者とのかかわりの中で葛藤しながら、どう身を処したらいいのかを学ぶことができて、今に続く、いい心の体力がついたのです」(204~205頁)。

 

 高橋は、常に心がけていることを10項目紹介している。そのうちのふたつをあげてみよう。ひとつ目は、発達障害のひとをひとりの個人として理解することである(214頁参照)。自閉症を個性と見てほしいという東田の願いに通じるものが感じられる。ふたつ目は、誰もがみな発達の過程にあるから、変化していくということを前提にして柔軟に考えることである(215頁参照)。現在を過去と未来という時間軸に沿って考えるようにつとめ、現在にのみこだわって性急に判断することの危険性が暗示されている。現におきていることに視野を限定せず、それが将来的にどうなるかを予測しながら方向性をさぐるという慎重な対処法である。

 

 おしまいの共同インタビューでは、栗原はこう語っている。「 二十歳も超えて社会人になって、難しいことがあっても、それをどう乗り越えるのかが今は自分の課題かなと思っています 」(226頁)。インタビューアーが発言する。「類くんのお母さんは、人と同じになりなさいではなく、君は君のままでいいと認めたうえで、方法論として『こういう時はこうした方がいい』と教えていらっしゃいます」(232頁)。又吉の発言。「 それぞれのできることを全力でやってりゃ、おもしろくなるんじゃないか 」(232頁)。

 

 「おわりに」で栗原は述べる。「人は、発達障害であろうとなかろうと、『その人が輝くための場所』さえみつけることができれば、そしてあきらめず、その人なりの時間軸で成長すれば、誰もが必ず輝くことができるのだと思います」(236頁)。この本は、こうしめくくられる。「かつての僕がそうだったように、『自分の居場所なんかない』『自分は独り』『言っても何も変わらない』と思っている方もおられるでしょう。でも少なくとも僕は今回の公表が新たなきっかけ・転換点になったことは間違いありません」(237頁)。


人物紹介

東田直樹(ひがしだ なおき)[1992〜]

1992年8月千葉県生まれ。会話のできない重度の自閉症でありながら、パソコンおよび文字盤ポインティングによりコミュニケーションが可能。
13歳に執筆した『自閉症の僕が跳びはねる理由』(エス子アール、角川文庫)で、理解されにくかった自閉症者の内面を平易な言葉で伝え、注目を浴びる。
同作は国際的作家デイヴィッド・ミッチェルにより翻訳され、2013年に『The Reason I Jump』が刊行。現在28か国30言語で翻訳、世界的ベストセラーに。
執筆だけでなく公演活動も精力的に行い、その言葉は多くの人々に勇気と感動を与えている。
著書にエッセイ『あるがままに自閉症です』(エスコアール)、『飛びはねる思考』(イースト・プレス)、詩集『ありがとうは僕の耳にこだまする』(KADOKAWA)他多数。
―本書より

栗原類(くりはら るい)[1994〜]

 1994年東京生まれ。イギリス人の父と日本人の母を持つ。
 8歳の時、NYで発達障害と診断される。
 11歳でコメディ俳優になりたいという夢が芽生える。同年、日本に帰国。
 中学時代にメンズノンノなどのファッション誌でモデルデビュー。
 17歳のとき、バラエティ番組で「ネガティブタレント」としてブレイクする。
 その後、現在の事務所に移籍(エヴァーグリーン・エンタテイメント)・ パリコレのショーモデルなどを経て、21歳の現在は、モデル・タレント・役者としてテレビ・ラジオ・舞台・映画などで活躍中。
 栗原類オフィシャルブログ
 http://ameblo.jp/louiskurihara-ege/

―本書より

ページトップへ戻る